イタリアが再生した記念日にまた思うドイツの危うさ

昨日、6月2日はイタリア共和国記念日。旗日で休みでした。

第2次大戦末期の1945年4月25日、イタリアはナチスドイツとファシズムを駆逐して終戦を迎えました。

それは解放記念日と呼ばれ、やはり祝日です。

日本人の多くが、日独伊三国同盟の史実にひきずられて、イタリアを日本とドイツと同列に並べ一律に第2次大戦の敗戦国と考えがちです。

イタリアはむろん敗戦国ですが、イタリア自身のいわば生い立ちあるいは因縁、などという観点から見れば戦勝国でもあります。

なぜならイタリアは、ナチズムに席巻された状況で終戦を迎えたドイツや、軍国主義に呑み込まれたまま天皇を筆頭とする戦犯さえ処罰できなかった日本とは違い、民衆の蜂起によってファシズムとナチズムを排撃したからです。

枢軸協定で結ばれていたイタリアとドイツは、大戦の真っ最中の1943年に仲たがいしました。

それは戦況の変化や政治的な利害など複合的な要素が絡んだものでしたが、ムッソリーニが失脚したことも大きな原因でした。

最終的にはイタリアはドイツと敵対関係になってナチスと激しく戦い、やがて連合軍に降伏。ドイツも完全敗北しました。

終戦からほぼ一年後の1946年6月2日、イタリアは国民投票によって王制を排し共和国になりました。

イタリアはそこに至って真の民主主義国へと生まれ変わりました。

イタリアは日独と歩調を合わせて第2次世界大戦を戦いましたが、途中で状況が変わってナチスドイツに立ち向かう勢力になりました。

言葉を替えればイタリアは、開戦後しばらくはナチスと同じ穴のムジナでしたが、途中でナチスの圧迫に苦しむ被害者になっていったのです。

戦後、イタリアが一貫してナチスに蹂躙され抑圧された他の欧州諸国と同じ警戒感や不信感を秘めてドイツに対しているのは、第2次大戦におけるそういういきさつがあるからです。

ドイツは戦後、真摯な反省を繰り返すことによって過去の大罪を許されました。だが人々は彼らの悪行を忘れてなどいません。

ところが当のドイツはそのことを忘れつつあります。だから極右のAfDが台頭しました。

AfDは何もないところから突然発芽したのではありません。ドイツ国民の密かなの驕りと油断を糧にしてじわじわと増殖しているのです。

筆者はイタリアの解放記念日や共和国記念日には、過去の歴史に鑑みて、あらためてドイツの潜在的な危険を思わずにはいられません。

 

 

 

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