反トランプ的民主主義は死なないし、死なせてはならない

DEMOCRATISMを『民主至上主義』と訳したコンセプトが、知る人ぞ知る人々の間で取りざたされているようですが、DEMOCRATISMの日本語訳はひねらずにそのまま「民主主義愛好主義などとするべきではないでしょうか。

なぜなら真に民主主義を信奉する者は、民主主義が最良つまり至上の政体であり、絶対的な価値のあるものとは考えないからです。

もしそう考える者があるとすれば、その人は民主主義者どころか民主主義を騙る独裁主義者である可能性があります。独裁主義者はいつの時代も「われこそは至上の政治の体現者」と強弁して止まないからです。

民主主義は最善の政治体制ではなく、われわれが知る限りの政治体制の中のBetterな体制に過ぎません。そしてBestが見つからない限りはBetterがすなわちBestです。

民主至上主義とはひとことで言えば、アメリカの民主党政権とその支持者のことです。

民主至上主義 と訳されたDEMOCRATISMを論じた米ペパーダイン大講師のエミリー・フィンリーは、2024年11月の大統領選で敗北したアメリカ民主党を次のように批判しました。

すなわち民主党がエリート主義に陥って民意を無視し、平等、多様性、移民包容など、エリートが認める主張のみを「民意」として容認。それに合わない主張を実質的に排除した。

それは彼女に言わせれば、民主党がいわゆる民主至上主義に陥っているからだと結論付けました。

一方共和党は大衆の声を聴き、大衆が希求するアメリカ第一主義を貫いて選挙に勝った。トランプ主義はポピュリズムではなく、トランプ氏が民衆の声に耳を傾けている証だと言います。

仮にそれが正しいとしましょう。だからといって、第一次トランプ政権と次期トランプ政権がエリート支配の政権ではないとは言えません。

民主主義は国民の総意に基づくものとはいえ、政権を担う者は民主党でも共和党でも選ばれた人々、すなわちエリートであることに変わりはありません。

民主党は大衆の味方を標榜しながら実際には民衆とかけ離れた特権層や富裕層ばかりに肩入れをしてきた。だから選挙に負けたのです。民主党が民主至上主義に陥っていたからではありません。

またたとえそうだとしても、民主党はそれを反省し修正して次の選挙で共和党を打ち負かせばいいだけの話です。

ところが著者フィンリーは、民主党の在り方を民主至上主義そのものと規定して徹底否定します。エリート主義が民主至上主義の特色であるなら、共和党も同じであるにも関わらずです。

選挙で負けた民主党だけが民主至上主義に陥っていると言い張るのは、彼女が明らかに共和党支持者でありトランプ主義信奉者だからです。

共和党を支持しトランプ主義を賛美するのは彼女の自由です。だが選挙の敗北が即民主至上主義のなせる業だと決め付けるのは当たりません。

民主党は過ちを犯した。それは修正可能なものです。民主主義は断じて完璧ではありません。むしろ欠点だらけの政治体制です。

だが民主主義は失敗や過ちや未熟さを容認します。容認するばかりではなくそれらの罪を犯した者が立ち直ることを鼓舞し激励します。

変動し多様性を称揚し意見の異なる者を包括して、より良い方向を目指し呻吟することを許すのが民主主義なのです。

トランプ主義はその対極にあります。トランプ主義者が自らの間違いを認め、多様性を尊重し、移民や 反対勢力を寛大に扱うと考えるのは無理があります。

トランプ主義はトランプ次期大統領が自ら語ったように独裁を志向し、対抗勢力を許さず、自ら反省することはなさそうです。

彼はプーチン、習近平、金正恩を始めとする強権主義指導者と極めて親和的な政治心情の持ち主です。

彼はまた欧州の極右勢力や中東の独裁者やアジア南米等の権威主義的政権などとも手を結びます。

さらにトランプ主義は、政治的スタンスに加えてトランプ氏の人格そのものも不信の対象になったりするところが極めて異様です。

民主党は間違いを犯して選挙に負けました。

片や共和党あるいはトランプ主義は、不寛容と差別主義と移民排斥を主張して、2017年以来続く右翼思想あるいは極右体質をさらに強めて政権を握ります。

エミリー・フィンリーの言う、平等、多様性、寛容など「民主党エリート」が認める主張」を否定して誕生するのが次期トランプ政権です。

トランプ主義は平等、多様性、寛容に加えて、対話を重視する民主主義もジェンダー平等も政治的正義(ポリティカルコレクトネス)主義も拒絶します。

要するに、言葉を替えれば、これまで民主主義社会が善とみなして獲得し実践しさらに進歩させようとして、必死に努力してきた全ての価値観を破壊しようとします。

破壊しその対極にある不平等、差別主義、排外主義、不寛容などを正義と決めつけ旗印にして前進しようとする。

トランプ次期大統領とその支持者は、民主主義を守ると主張しますが、彼らが守り盛り立てようとしているのは権威主義です。民主主義の名の下にファシズム気質の政権を維持発展させようとしているのです。

真の民主主義、あるいは変わることを容認する柔軟な民主主義を信奉する自由主義者は、ネトウヨヘイト系排外差別主義者の集合体にも似たトランプ主義勢力の前に口を噤んではなりません。

ネトウヨや差別主義者らが跋扈するネット世界に乗り出して、間断なくカウンターアタックを仕掛けるべきです。ネトウヨが10のフェイク主張をするなら、リベラル派は20の真実とファクトで彼らの嘘を撃退するべきです。

トランプ主義&ネトウヨヘイト系排外差別者連合との戦いは今始まったばかりです。自由と平等と寛容と多様性を信奉する者は、立ち上がって戦いを続けなければなりません。

民主主義は黙っていればすぐにも壊れる儚いものです。トランプ主義者らの蛮声と暴力を放置すれば、たちまち破壊されてしまいます。ファシスト気質の政治勢力との戦いは始まったばかりなのです。

 

 

 

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枕詞で寿ぐもののけどもの2025年~プーチンがアサドを謀殺するのは時間の問題ではないか

プーチン=永遠のスパイ大統領が、アサド=ごまのハエ元大統領のロシアへの亡命を受け入れたのは、そうすることが徹頭徹尾ロシアの利益になるからです。

アサド=人面獣心元大統領は就任以降23年間、シリア国民の財産のことごとくを盗んで蓄財を続けてきたことが分かっています。

プーチン=悪魔のマブダチ大統領は、アサド=ポン引き元大統領の隠し資産を、彼のケツの毛までむしり取るやり方で徹底的に横取りするでしょう。

そうしておいて、もしもシリアの新政権が同国にあるロシアの利権を保護するなら、見返りにアサド=ならず者元大統領を彼らに引き渡すこともいとわないはずです。

アサド政権を長く支えてきたロシアは、シリア国内にタルトゥース海軍基地 とフメイミム 空軍基地を置いています。

海軍基地はロシアの地中海における最重要拠点基地。そこからアフリカ全体への影響力を行使してきましたできる。

シリアの新政権が好意的に動く、というプーチン=顔面凶器大統領の読みが当たるかどうかは微妙な情勢です。

だが、本来なら敵基地にあたるロシアの2つの施設を、シリアの新支配者・シャーム解放機構は徹底攻撃していません。

従ってプーチン=おきて破り大統領の目論見が完全に外れたとはまだ言えません。

アサド政権を駆逐したシャーム解放機構の背後にはトルコがいます。

トルコのエルドアン=仁義なき戦い大統領と、プーチン=蛙のツラにションベン大統領は、どっちもどっちのサイコパス指導者です。

プーチン=諸悪の根源大統領が、エルドアン=暴力団員大統領を介して解放機構に毒まんじゅうを食らわせ、アサド下手人を「逆回転の死刑台のメロディー」送りにするのは、赤子の手をひねるよりも楽な仕事になることでしょう。

ダマスカスを落としてシリアを征服したシャーム解放機構は、前述のように、アサド政権の保護者だったロシアの2つの基地を即座に破壊する動きに出ませんでした。

彼らはアルカイダと手を切り穏健派に転じたと主張したり、反対勢力を尊重すると公言するなどの戦略で、過激派としてのイメージを払拭しようと躍起になっています。

解放機構はまた、アサド=殺してもまだ裏切る元大統領支持の国々や、クルド人武装派を支持するアメリカなどとも会話をしたい、などとも言明しています。

従って解放機構の敵であるロシアも、彼らとのパイプを確保して、秘密裡に対話交渉を進めている可能性が高い。

アサド=嘘がてんこ盛り元大統領は、シリアから盗んだ莫大な現金と資産をロシアに運んで、モスクワの高級住宅街に逗留しているとされます。

ロシアは彼以前にも、ウクライナの元権力者やベラルーシほかの堕天使独裁者などをかくまっています。

プーチン=歩く毒キノコ大統領は、アサド=笑う深海魚元大統領が莫大な富を彼に渡す代わりに、後者が死ぬまでロシアに留まることを許すつもりなのかもしれません。

むろんそれは友情からではなく、ロシアの言う人道的見地からという噴飯ものの理由でもなく、ひたすらアサド=しゅうと根性元大統領が富を横流しするからにほかなりません。

資産を取り上げた後、アサド=傍若無人元大統領をシャーム解放機構に売り渡さずに国内に住まわせ続けれは、それはそれでやはりプーチン=ケツの穴まで猜疑心大統領の益になります。

なぜなら元独裁者のラスボスやアウトローでも、ロシアでは安全にかくまわれる、と世界中のプッツン独裁者やファシスト権力者らに秋波を送ることができるからです。

そうしておけば、ロシアの悪の友達の輪がしっかりと維持できるのみならず、拡大していくことさえも期待できます。

 

 

 

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Plan75は日本でなら実際に起こり得る未来を描いたホラー映画だ

先日、安楽死がテーマの日本映画「Plan75」をネット配信で見ました。

安楽死についてはいろいろ調べ少しは情報に通じているつもりでしたが、 Plan75のことは知りませんでした。

11月末に英国下院が安楽死法案を可決させました。それを受け改めて安楽死についての資料を探し検証するうちにPlan75のことを知りました。

映画は2022年に公開されました。コロナ禍が収まって世界中が喜びに沸いたころです。筆者もそこかしこに旅をしたりしてパンデミックから開放された喜びをかみしめていました。

そんな状況だったので、安楽死を扱ったPlan75の公開情報を見逃してしまっていました。

Plan75の舞台は、少子高齢化がさらに進んだ未来の日本です。そこでは75歳以上の高齢者に「死を選ぶ権利を認め」支援する制度Plan75が導入されます。

あたかも社会福祉のように装われた制度は、今最もホットな論題の一つである「終末期の患者が安楽死を選ぶ権利を有するかどうか」を問う法闘争とは全く意味合いが違います。

Plan75とは「老人抹殺」スキームでのことなのです。

美辞麗句を並べて実行される高齢者屠殺プランは、おぞましくも滑稽ですが世界中でただ一箇所、つまり日本でなら実際に起こり得るかもしれない、と思わせるところが不気味です。

日本的な安楽死論争の危うさは、ヒツジのように主体性のない多くの国民が、事実上「安楽死の強制」であるPlan 75が施行されても反乱を起こさず、唯々諾々と従うところにあります。

当事者の老人たちは状況をただ悲しむだけで怒りを表さない。若者らも制度に違和感を持ったリ悩んだりする“素振り”は見せるものの、結局事態を受け入れる方向に流れて行きます。

彼らも権威に従順なだけのヒツジであり、その他のあらゆる草食動物にも例えて語られるべき自我の希薄な無感動な人々です。

彼らは死に行こうとする高齢者と接触するうちに少しの心の揺れは見せます。だが非情なシステムへの激しい怒りはありません。飽くまでも従順なのです。それが自我の欠如と筆者の目には映ります。

日本では未だに自我を徹底して伸ばす教育がなされていません。なぜなら自我を全面に出さないことが日本社会では美徳だからです。だから自我が抑えられます。

そうやって自己主張を控える無個性の、小心翼々とした巨大なヒツジの群れが形成されます。そこが日本社会の弱点です。

高齢者をまとめて屠殺場に送る社会は、いわば石が浮かんで木の葉が沈むようなシュールな世界ですが、その 非現実が現実であってもおかしくない、と思わせるところが憂鬱です。

高齢者を抹殺する制度を受け入れる人々の在り方が、日本なら実際にあり得る姿としてすんなり納得できる。舞台が日本以外の国なら決してあり得ない現象です。

安楽死は耐え難い苦痛に苛まれた終末期の患者が、自らの意志によって死を選ぶことであり、老人のみを死に追いやることではありません。

むろん多くの日本人はそのことも知悉しています。

だが主体的に思考し行動する「当たり前」の国民が、社会の大半を占めて民意が形成されるようにならない限り、Plan75の恐怖ワールドが現実になる可能性は決してなくなりません。

 

 

 




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死の自己決定権をめぐる英国下院の一家言

英国下院は11月29日、遅ればせながら終末期にある成人の幇助自死を認める法案を可決しました。

なぜ遅ればせながらかと言うと、幇助自死つまり医師が患者に致死薬を投与したり、患者の自殺に関与したりする作為を認めている国は、欧州を筆頭に世界に少なからず存在するからです。

幇助自死を認めるとは言葉を替えれば、終末期患者が安楽死を選ぶ権利を認める、ということです。

それについてはスペインやイタリアまた南米のコロンビアなど、自殺を厳しく戒めるカトリック教国でさえ紆余曲折を経て黙認あるいは明確に法制化しています。

プロテスタントの国のイギリスが遅れているのは、敢えて言えば、同国が民主主義国家でありながら王を戴く似非民主主義国家、つまり超保守国家だからという見方もできるかもしれません。

しかし、英国下院の取り組み方にはさすがと思わせる点があります。

それは安楽死をめぐる議題が政治的な問題ではなく道徳的な問題と特定され、採決は各議員が所属政党の党議に縛られない自由投票で行われたことです。

つまり一人ひとりの議員は、それぞれの良心と誠心また価値観等、要するにあるがままの自分の考え方に従って行動することを求められました。

安楽死は、国家権力が決めるものではなく、国民一人ひとりが能動的に関与するべき事案です。なぜならそれは自らの生と死にかかわる生涯最大の課題だからです。

英国下院はそのことをしっかりと認識していました。

だからこそ議員の一人ひとりは、党員あるいは選挙で選ばれた特殊な存在、つまり特権を持つ代議士としてではなく、飽くまでも赤肌の個人として課題に向き合い、熟考した後に投票することを求められたのです。

繰り返しになりますが、安楽死はお上から下賜されるものではなく、必ず個々人が決意し選択し勝ち取るべきものです。

そのあり方は、たとえば安楽死を描いた日本映画、Plan75に提示された日本人や日本的エトスとは大きく違います。

Plan75では、安楽死を「政府が75歳以上の高齢者に死を選ぶ権利を“認め”支援する制度」

「国が生死の選択権を“与える”制度」などと表現されます。

また予告編やキャッチコピー、あるいは映画レビューや解説文等でも「75歳以上の高齢者の「死ぬ権利」を“認めた”日本」「果たして《死ぬ権利》は“認められる”べきなのか?」

などなど、政府が国民に一方的に安楽死また安楽死の制度を押し付けるのが当たり前、というニュアンスの文言が巷にあふれました。

映画そのものも、安楽死を「認められる」つまり強制されても仕方がないもの、として無意識のうちに了解しているのが垣間見える手法で描いていました。

高齢者も若者も健康な者も病人もなにもありません。誰も彼もが政府の押し付けに唯々諾々と従う。日本国民は怒り、立ち上がり、叫び、殺気立って暴動に走ったりはしないのです。

75歳になったら死を選ぶ権利を獲得するとは、年金また社会福祉制度が破綻しつつあると喧伝され、且つ同調圧力が強烈な日本においては「強制」とほぼ同義語です。

日本的安楽死論の怖さは、高齢になれば政府に安楽死を強制されても仕方がないという諦観に基づく感情、言葉を替えれば従順なヒツジ的根性に支配された、飽くまでも受動的な民心の中にこそあります。

片や英国下院の動きに象徴される英国的エトスあるいは民意とは、何よりも先ず個人個人の意思を最重視し、その後でのみ立法を探ることを許すというものであり、日本の民心とは対極にあるコンセプトです。

筆者は安楽死に賛成の立場ですが、これまで「先ず安楽死ありき」で考察を進める傾向がありました。だがそれは危険な態度だと最近は考えるようになっています。

安楽死は厳しい規制を掛けた上で、本人が希望するなら必ず認められるべきものです。

だがその議論の前には、飽くまでも安楽死に反対して生命維持装置を外さず、医療も果ての果てまで続けてほしい、という人々の当たり前の願いが先ず必ずかなえられるべきです。

その後でのみ、ようやく筆者のような安楽死賛成論者の言い分が考慮されるべきです。

つまり患者を徹頭徹尾「生かす」ことが第一義であり、安楽死賛成論は二の次の事案であるべきと考えるのです。

英国下院の思慮深い動きは、筆者の今の心境とも符丁が合う取り組みであり、筆者はそのことをとても心強く感じました。

 

 

 

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ついにシリアの独裁者アサドに鉄槌が下った

毎年めぐってくる12月7日はミラノ・スカラ座の開演初日と決まってます。

スカラ座の開演の翌日、つまり今日8日はジョン・レノンの命日です。偉大なアーチストは44年前の12月8日、ニューヨークで銃弾に斃れました。

そんな特別な日に、記憶に刻むべき新たな歴史が作られました。

2024年12月8日、シリアの独裁者バッシャール・アサド大統領がついに権力の座から引きずりおろされたのですた。

今このときのアサド大統領の行方は不明です。逃亡中の飛行機が墜落して死亡したとも、ロシアに向かったとも言われています。イランに保護されたという報告もあります。

2011年にチュニジアで火が点いたアラブの春は、リビア、エジプトを巻き込みシリアにも飛び火しました。

だがアラブの春を呼んだ業火は、バッシャール・アサドを焼き殺しませんでした。

国民を毒ガスで殺すことも辞さなかった彼は生き残りました。例によってロシア、イラン、中国などの閉じたナショナリズムに毒された国々が独裁者を助けました。

2011年から2024年までのアサドの圧政下では、毒ガスによるものを含め 50万人以上が殺害され、約600万人が国外難民となりました。

2024年現在、ロシアはウクライナ戦争で疲弊し、アサド政権を支えてきたイランの代替勢力ヒズボラは、イスラエルに激しく叩かれて弱体化しました。中国はロシアやイランほどの目立つ動きには出ていません。

アサド独裁政権が孤立しているのを見たイスラム武装組織HTSが主導する反政府勢は、2024年11月27日、電光石火にシリア第2の都市アレッポを制圧。

すぐに南進してダマスカスに至る都市や地域をほぼ一週間で手中に収めました。そして12月7日~8日未明、ついに、ダマスカスを攻略しました。

アサド大統領は逃亡してロシアに入ったとも、イランにかくまわれたとも言われています。逃走の途中で飛行機が墜落して死亡したという情報もあります。

アサド政権の終焉は朗報ですが、しかし、それをアラブの春の成就とはとても呼べません。

なぜなら彼を排除したイスラム武装組織HTSは、過激派と見なされています。アメリカと多くの西側諸国、国連、トルコなどは、彼らをテロ組織に指定しているほどです。

シリアの民主化は恐らく遠い先の話でしょう。それどころか同国を含むアラブ世界が、真に民主主義を導入する日はあるいは永遠に来ないのかもしれません。

アラブの春が始まった2011年以降、筆者はアサド独裁政権の崩壊を祈りつつ幾つもの記事を書きました。

独裁者のアサド大統領はいうまでもなく、彼に付き添って多くの話題を振りまいた妻のアスマ氏の動静にも注目しました。

「砂漠の薔薇」とも「中東のダイアナ妃」とも称えられた彼女は、シリア危機が深まるに連れて化けの皮を剥がされ「ヒジャブを被らないアラブ女性」に過ぎないことが明らかになりました。

筆者はそうなる前から、彼女にまとわりついていた「悲哀感」が気になって仕方がありませんでした。

そのことに関連した記事のURLを次に貼付します。

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/51838172.html
https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/51793216.html

 

 

 

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息子を恩赦したバイデンはトランプとどっこいどっこいの史上最低の米大統領かもしれない

バイデン米大統領は退任も間近になった12月1日、有罪評決を受けた次男ハンター氏を恩赦すると、突然発表しました。

バイデン大統領はそれまで、何があっても息子を恩赦することはない、と繰り返し述べていました。

彼もまた人の親です。気持ちは理解できます。

だが、彼はこの世の最高権力者である米大統領です。法の下の平等という民主主義の根幹を歪める行為は厳に慎むべきです。

もっとも米大統領の正義や良心などというものは、カスでまやかしに過ぎない、とトランプ前大統領が世界に向けて堂々と示して以降は、彼らの愚劣さにはもはや誰も驚かなくなりましたが。

バイデン大統領の次男ハンター氏は、薬物依存を隠して不法に銃を購入した罪と、脱税の2つの罪でそれぞれ最長17年と25年の禁錮刑を科される可能性がありました。

それらの罪の判決が出る前に、父親が全てチャラにする、と宣言したのす。

バイデン氏は前任者のトランプ大統領が恩赦を発表する度に、自分とは違い法の支配を軽視する言動をしていると繰り返し批判しました。

例えば2019年、いわく:

「トランプ大統領は法の支配、米国を特別なものにしているわれわれの価値観、そして名誉ある軍服を着た男女の国民を裏切った」

トランプ大統領がRストーン氏を恩赦で減刑にした2020年、いわく:

「トランプ大統領は現代アメリカ史上最も腐敗した大統領だ」

また2020年の選挙運動中、トランプ大統領が司法長官職を政治利用しているとして、いわく:

「司法長官は大統領の弁護士ではなく国民の弁護士だ。今のような司法長官職の売春行為はかつて存在しなかった」

云々。

一方でバイデン大統領は次男のハンター氏の問題では、先に触れたように「司法判断を尊重する。息子は決して恩赦しない」と明言してきました。

ところがふいに方向転換し、大統領権限を使って「国や司法よりも家族が大事」と、驚愕の判断を下したのです。

バイデン氏の名誉のために付け加えておけば、米大統領が家族や自らのスタッフ、また支持者などを免責するのはよくあることで珍しくもなんともありません。

最近の例で家族に限って言えば2001年、退任直前のクリントン大統領が有罪判決を受けていた異母兄弟を恩赦しました。

また2020年にはトランプ前大統領が、義理の息子クシュナー氏の父親を恩赦によって免責しています。

だがどの大統領も、バイデン氏のように「恩赦は断じてしない」と繰り返し正義をふりかざした挙句に、豹変する醜態はさらしませんでした。

バイデン大統領は、司法制度が万人に公平であり平等あるという法の支配の大原則に逆らって、家族を優遇し個人の利益を優先させました。

それは彼がトランプ前大統領に投げつけた「現代アメリカ史上最も腐敗した大統領」という言葉が、ブーメランとなって自身に襲い掛かることを意味しています。

まもなく退任する彼は、驚きも喧騒も喜悦も殷賑ももたらさない陳腐な米大統領でした。

だが彼は、トランプ前大統領が破壊した欧州やアジアの同盟国との信頼関係を取り戻し、ロシアに蹂躙されるウクライナを徹底して支援するという重要な役割も果たしました。

直近では米国提供のミサイルでロシア本土を攻撃してもよい、という許可をウクライナに与えて紛争の激化を招きかねないと非難もされました。が、少なくともそれには、北朝鮮軍を抑制するという大義名分がありました。

それらの得点は、バイデン氏が息子を恩赦したことで帳消しとなり、あまつさえその行為によって、自身がトランプ前大統領とどっこいどっこいの史上最低の米大統領かもしれない、と世界に向けて高らかに宣言することにもなりました。

 

 

 

 

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ロゼッタPは生ハムを食べまくって長生きした

先年亡くなった義母のロゼッタPはその昔、3歳の娘と共に嫁ぎ先の伯爵家から出奔しました。男を追いかけての逃避行でしたた。当時3歳だった娘とは、今の筆者の妻です。

ロゼッタPは間もなく男に捨てられ、子供とともに母親の元に身を寄せました。嫁ぎ先の伯爵家には、もう家には戻らないと通告しました。むろん戻れるわけなどありませんが。

離婚を申し出なかったのは、当時のイタリアではそれが不可能だったからです。離婚は法律で厳しく禁止されていました。

武器製造で知られるトロンピア渓谷の一大資産家の出である義母は、後に北イタリア、エミリア・ロマーニャ州の首都ボローニャ市の旧市街の一等地に居を構えました。

義母は物腰も美的センスも閑雅な女性でした。

彼女は美食家でもありました。

特に肉が好きで野菜はほとんど食べず、生野菜に至っては全く口にしませんでした。それでも彼女はほぼ92歳まで生きました。肉が彼女を長生きさせたのだと筆者は思っています。

肉の中でも義母が特に好きだったのが、加熱処理や燻製処理を施さず塩だけで熟成させる生ハム、プロシュット・クルードでした。

「プロシュット(Prosciutto)」とは豚の腿肉で作られたイタリア産の生ハムの総称です。

それには2種類あります。加熱していない生ハムをいま触れた「プロシュット・クルード(生)」と呼び、加熱したハムを「プロシュット・コット(調理済み)」と言います。

2種のハムのうちもっとも食べられているのがプロシュット・クルード(生)です。イタリアには良く知られたものだけでも20種以上あります。

それらのうち欧州(EU)基準のPDO(原産地呼称保護)認証を与えられている プロシュット・クルード は:

パルマ、サンダニエーレ、モデナ、トスカーナ、ヴェネト、カルペーニャ、ジャンボン・デ・ボス 、クネオ、ネブローディ、チンタ セネーゼ、またプロシュット・クルード ではないが プロシュット・クルード にも勝る風味のクラテッロなどです。

片やPGI(地理的表示保護)認証を与えられている製品にはノルチャ、サウリス、アマトリチャーノ 等があります。

それらの品とは別に、自家製の プロシュット・クルード もあるようですが、豚の腸などに袋詰めにされて熟成させるサラミなどとは違って製造が難しいため、数は少ないと考えられます。

プロシュットやサラミを始めとするサルーミ(加工肉)類が好きな筆者は、仕事や休暇で訪れる各地のプロシュット・クルード をせっせと食べました。

気がつくと、PDOやPGIに認定されていないものを含むイタリアのほぼ全ての地域の プロシュット・クルード を食べてきたと分かりました。

それに加えて、やはり仕事や休暇で行く欧州各国でも地域原産の生ハムを食べたましたから、筆者はあるいは義母以上のプロシュット・クルード 好きと言えるかもしれません。

義母のロゼッタPは数あるプロシュット・クルード の中でもパルマハムをこよなく愛しました。

伯爵家を出奔した後に彼女が居を構えたボローニャは、エミリア・ロマーニャ州の首都です。一方、パルマハムの産地のパルマは同州3番目の都市です。

パルマハムの最高級品は、パルマよりもボローニャに集積されるという説もあります。

ボローニャはパルマに近い且つパルマよりも大きな州都です。生パスタの特産地としても知られ、イタリア有数の食の街です。

鮮魚が港町から大都市に送られて集積するように、一級品のパルマハムもより大きな消費地のボローニャに送り込まれる、というのがその説の背景なのでしょう。

そのボローニャの台所は、旧市街の中心広場の隣に広がる市場です。そこにはパルマハムの極上品を扱う店が幾つもあります。

ロゼッタPは市場にある一軒の店が馴染みで、彼女の料理人は週に3日ほど店に通って、最高級のパルマハムを購入しました。

そのハムはティッシュペーパーのように薄切りで、口に入れると甘く、文字通り溶けて舌にからみました。

彼女は当初、市場から遠くない旧市街の一等地に住んでいました。だが後にはそこを売却して、郊外にある英国様式の広い庭園のある館を購入し移り住みました。

引っ越してからも、ボローニャ中心街のプロシュット専門店にこだわり続け、料理人は街中に住んでいた時と変わらずに、週に3度パルマハムを買いにバスで街に出ました。

筆者は義母の家で頻繁にパルマハムを食べました。彼女が庭園のある館に移った後、5年ほどは家族共々そこに同居さえしました。ボローニャはかつて筆者の地元でもあったのです。

筆者は仕事でイタリア中を旅しました。既述のように行き先ではよくプロシュット・クルード も食べました。

また長いイタリア生活の合間には多くの国も旅しました。プライベートは言うまでもなく、仕事の場合も手を抜かずにきっちりと食事をし生ハムにも親しみましだ。

仕事はスタッフを伴ってのロケがほとんどなので、体力維持のための食事が欠かせません。スタッフにきちんと食事をさせるのもドキュメンタリー監督の仕事の一つです。あらゆる国でよく食べまし。

そんなふうに食事にかこつけては、イタリアを含む多くの場所で欧州中の生ハムを食べました。

だが、未だに義母の家で食べたプロシュット・クルード に勝る味には出会っていません。

それでもイタリアの プロシュット・クルード に匹敵する美味い生ハムにはいくつか出会いました。特筆したいのはスペインのハモンセラーノとハモンイベリコです。

ハモンセラーノはイタリアのプロシュット・クルード に匹敵します。プロシュット・クルード よりもやや塩気が強いが、それが独特の風味にもなっています。

片やハモンイベリコは、個人的にはパルマハムに勝るとも劣らない美味しさだと思います。だが、両者に優劣をつけるのは無意味です。2つの製品は全く違う風味のいずれ劣らぬ名品です。

両者の違いは、好みと風流と品格がもたらす微妙な色合い、あるいはグラデーションのようなものです。

口に入れればたちまち至福感に満たされると、いう意味ではむしろ、同一の極上品と形容するほうが相応しいと思います。

 

 

 

 

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ネタニヤフよ、もうこれ以上ユダヤ人を貶めるな

先日、サッカーのイスラエル人サポーターが、アムステルダムで襲われて20~30人がケガをしました。

事件は、例によって欧州各国政府の大げさとも取れるイスラエル擁護声明と、人々の強い反イスラエル感情を巻き込んでセンセーショナルに報道されました。

筆者はその様子をやや斜にかまえた天邪鬼な気分で監視してきました。

ガザではイスラエルの無差別攻撃で多くの子供と女性を含む4万5000人近くのパレスチナ人が虐殺され、約10万3000人が負傷し、1万人を超える人々が行方不明になっています。

それに比べれば、贔屓チームを応援するためにアムステルダムまで飛んだイスラエル人が、襲われてケガをしたことに何ほどの意味などあるものか、とさえ思ったことを告白しなければなりません。

そして残念ながら、筆者の周りのほとんどと世界中の多くの人が、筆者と同じ感慨を持っています。それは全てのユダヤ人にとって極めて憂慮するべき兆候です。

イスラエルチームのサポーター、換言すれはユダヤ人を襲ったのは、反ユダヤ主義に触発された若者らである可能性が高い。

従ってその者らの暴力を黙過するとは、ヒトラーが、つまり人類がしでかした巨大犯罪、ホロコーストを容認することにもつながりかねない危険な態度です。

ホロコーストは、日常のさりげないユダヤ人差別が積み重なって肥大し、ついには制御不能になって発生しました。

そしてサポーターがユダヤ人であることを理由に、男らが彼らを襲った暴力行為は、日常よりもはるかに深刻な差別であり暴虐です。

筆者はユダヤ人の最大の悲劇、ホロコーストをよく知っています。惨劇は2度と起きてはなりません。

筆者は反ユダヤ主義に強く反対します。

同時に筆者は、イスラエルが続けているジェノサイドまがいのガザでの残忍な攻撃にも反対します。

それは、神掛けてホロコーストを忘れたことを意味しません。

また決して、2023年10月7日のハマスの残虐行為を忘れるわけでもありません。

筆者の身内に湧く、ガザで進行する悪逆非道への怒りを最早抑えきれなくなっただけです。

筆者は主張します。

イスラエルよ、すべてのユダヤ人よ、そして誰よりもネタニヤフよ、ホロコーストは断じてパレスチナの子供や女性たちを殺戮する免罪符にはならない。

だから即刻残虐行為をやめるべきだ。

それでなければ、オランダ・アムステルダムで起きたユダヤ人襲撃事件の底にある反ユダヤ主義感情が、世界中で拡大し肥大化して制御不能になる可能性が高まる。

Enough is enough = ガザへの無差別攻撃はもうたくさんだ、と世界中の心ある人々が叫んでいることを知れ。

と。

 

 

 

 

 

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記名ネトウヨ、イーロン・マスクの大きなお世話

口角泡飛ばし男のイーロン・マスク氏が、イタリアの移民政策にちゃちゃを入れて物議を醸しています。

イタリアのメローニ極右政権は、選挙公約を履行する形で、不法移民をアルバニアの抑留施設に送りこみました。

するとイタリアの司法は、それを違法として移民7人をイタリアに差し戻す判決を下しました。マスク氏はそのことを踏まえて、イタリアの裁判官は更迭されるべき、と声高に主張したのです。

遠いアメリカから、ただの金持ち様が「あんた何様のつもり?」の思い上がり行為に走ったのは、むろん米大統領選でトランプ候補が勝利したことを受けてのアクションです。

イタリアの最極右とも見られていた「イタリアの同胞」党首でもあるメローニ首相は、政権の座に就いて以来、政策スタンスをより中道寄りに軌道修正して、国内でもまたEU内でも好評に近い反応さえ得ています。

一方、国内でもまたEUからも胡散臭い目で見られているイタリア政権内のもうひとつの極右勢力、「同盟」を率いるマッテオ・サルヴィーニ副首相は、マスク氏の主張を歓迎する声明を出しました。

インフラ大臣も兼ねるサルヴィーニ副首相は、プーチン大統領とトランプ次期大統領の信奉者でもあります。

そのことからも分かるように、マスク氏の悪女の深情けな放言は、ファシスト気質のトランプ次期大統領の威を借りつつ、イタリアの極右政権へ親しみをこめて送ったエールだったのです。

むろんそこには、移民に厳しい姿勢で臨むトランプ次期大統領への大きなヨイショの意味もあるのは言うまでもありません。

しかし、肝心のイタリア政府のボス、メローニ首相は何も反応しませんでした。

代わりに、今やイタリアの極右の総大将の位置に君臨する、サルヴィーニ副首相が喜んだという構図です。

マスク氏はただの大金持ちですが、一代で財を成した事実にはそれなりの理由があるに違いありません。きっと何者かではあるのです。

しかし、不遜な独り善がり言動が多いのは、どうにもいただけない。

彼は来たる2025年1月以降の4年間、トランプ大統領の右腕兼太鼓もちとして、あらゆる場面で不愉快な言動に出るであろうことが確実視されています。

マスク氏はアメリカ国籍をもつものの、幸い同国生まれではないため自身が大統領になることはできません。

それでも、老いぼれで危険なトランプ大統領を操って、世界をさらなる分断へと導きかねないことが懸念されます。

 

 

 

 

 

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プラハの十字架

プラハの旧市街広場を中心とする歴史的市街地域には生活のにおいがほとんどありません。あたりには人があふれています。ふつうに歩くのが困難なほどの混雑です。

しかしその人の群れは、ほぼ100%が観光客なのです。

それは数値にも表れています。プラハの人口は130万人余り。そのうち旧市街広場を中心とする歴史的市街地にはたった8000人の市民しか住んでいません。

それがいかに不思議な数値であるかは、たとえばイタリアのベニスを例にとってみても明白です。

ベニスの人口は25万人です。そのうち歴史的市街地の住民は5万人。人口130万人のうち

の8000人だけが中心部に住むというプラハの状況は、極めて珍しいのです。

ヨーロッパの旧市街には、どこに行っても人が群れています。群れている人のほとんどは観光客ですが、そこに住まう多くの地元民も観光客に混じって行き交っています。

なぜそれはが分かるかと言いますと、地元民は普段着を身にまとって、買い物籠やレジ袋を抱えながら歩いていたり、日常の空気感をにじませた表情でゆらりと歩いていたりします。

そんな街の広場や通りのたたずまいを観察すると、地元民が買い物をする店やコンビニや雑貨店などが目に入ります。特に食料品店が肝心です。中でも肉屋の店先には生活のにおいが濃く立ちこめます。

プラハの心臓部の旧市街には、「日常」を身にまとった人々や店屋などが全くと言っていいほど存在しません。

立ち並ぶ建物の一つひとつを観察すると、一階にはレストランやカフェやバー、また土産物店やホテルなどの商業施設がびっしりと軒を並べています。

だがそれらの建物の2階以上には極端に人の気配が少なく、明らかに空き部屋らしいたたずまいもちらほら見えます。

なぜ人が溢れている旧市街広場の周りの建物に住人がいないのか。敢えて例えて言えば、ゴーストタウンのようになったのか、というと次のようなことが考えられます。

旧市街広場一帯はプラハで最もステータスの高い一等地です。かつてそこに居を構えたのは王侯貴族であり、彼らの周囲に群がる軍人や高級官僚や大商人などのエリートでした。

プラハが首都のチェコスロバキアは1948年、共産党の一党独裁制下に入りました。国名もソ連型社会主義国を示すチェコスロバキア社会主義共和国となりました。

権力を得た共産主義者は、旧市街広場を中心とする高級住宅地を掌握すると、特権階級の住民を追い出し家屋を差し押さえて思いのままに運用しました。

だが1989年、状況が一変します。ビロード革命が起こって共産党政権が崩壊したのです。旧市街一帯を支配していた共産主義者は一斉に姿を消しました。

独裁者が去って、民主主義国になったチェコの首都は開かれた場所となりました。しかし、共産主義者によって追放された旧市街広場周辺の住民はほとんど帰還しませんでした。

そこに富裕な外国人や観光業者がどっと押し寄せました。プラハの旧市街地区は、あっという間に投資家や金満家やビジネスマンが跋扈する商業絶対主義のメッカとなっていきました。

そうやって旧市街広場には観光客が溢れるようになりましたが、リアルな住民は寄りつかなくなりました。いや、寄り付けなくなりました。共産主義時代の負の遺産です。

プラハの旧市街広場一帯ににそこはかとなく漂う空虚感はそこに根ざしています。

北のローマとも形容される華の都プラハは、共産主義者に精神を破壊されました。心魂を破壊されたものの、しかし、街の肉体すなわち建物群は残りました。

さまざまな時代の、さまざまな様式の建物が林立するその街は、やがて“建築博物館”の様相を呈するようになり 、それが旅人を魅了する、というふうに筆者の目には映りました。

 

 

 

 

 

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