トランプ主義がドイツと日本を核武装へと追い込む日

欧州は安全保障を巡って風雲急を告げる状況になっています。

トランプ大統領が、軍事同盟であるNATOへの貢献責務を放棄する可能性をほのめかしているからです。

特に核を持たない国々は、ロシアを見据えて不安のどん底にあります。

トランプ大統領は、ウクライナのゼレンスキー大統領とテレビカメラの前で前代未聞の口論を展開するなど、相も変らぬ恫喝外交を続けています。

その一方では貿易相手国に関税をかけまくると叫び、欧州から、厳密に言えばドイツから米軍を引き上げる、NATO内での核シェアリングをやめる、などとも示唆しています。

その中でも、特に核シェアリング否定発言に関して敏感に反応したのが、ドイツの次期首相と目されるフリードリヒ・メルツ氏です。

彼はドイツと欧州が、アメリカから独立した安全保障体制を構築すると同時に、NATO内の核大国である英国またフランスと核シェアリングをするべき、という旨の発言をしました。

だがその本音は、ドイツ独自の核開発であり核兵器保有だろうと思います。

ドイツでは核兵器の開発保有は、それを話題にすることさえタブーであり続けてきました。日本とよく似た状況だったのです。

だがトランプ独断専行大統領の脅しに驚愕したメルツ氏は、やすやすとそのタブーを破りました。

アメリカ第一主義をかざして、欧州との長い友好関係さえ無視するトランプ大統領に、オーマイゴッドいざ鎌倉よと慌てた欧州首脳は、メルツ氏に限らず誰もが怒りと不安を募らせています。

彼らはトランプ&ゼンレンスキー両大統領が口論した直後、ロンドンに集まって緊急会合を開き、前者が切り捨てようと目論む後者をさらに強く抱擁、ウクライナへの支持を改めて確認し合いました。

友好関係を金儲け論のみで捉えるトランプ主義は、権威主義者のロシア・プーチン大統領を賛美するばかりではなく、欧米ほかの民主主義友好国を大きく貶めています。

日本も見下される国の一つです。

今のところは欧州やカナダまたメキシコなどの国々ほどなめられてはいませんが、「アメリカの同盟国」である日本を見るトランプ大統領の心情は容易に推察できます。

日本は欧州と同じく安全保障をアメリカに頼り過ぎて来ました。いま日本が置かれている状況は、それぞれに「友人国同士が多い欧州内の国々」とは違います。

日本は孤立しています。その意味ではむしろウクライナに近い。ウクライナにおけるロシアの代わりに、例えば中国が日本に侵攻しないとは誰にも断言できません。

日本は中国ともまたロシアとも友好的な関係を保ちつつ、アメリカに頼らない独自の安全保障も模索するべきです。そこには核戦略が含まれても驚くべきではありません。

人類の理想は核の無い世界であり戦争ゼロの世の中です。先の大戦で地獄を見ると同時に唯一の被爆国ともなった日本は、飽くまでも理想を目指すべきです。

だが同時に国際政治にも目を配らなければなりません。政治とは現実です。そこには軍備は言うまでもなく核戦略まで含まれます。

それらをタブー視しているばかりでは物事は解決しません。その善悪と、是非と、実現可能性の有無、またそれへの全面否定も含めて、日本は国民的議論を開始するべきです。

メルツ・ドイツ次期首相の英仏との核シェアリング、ひいてはドイツ独自の核保有まで暗示した発言は、不本意ながら日本にも当て嵌まる、と見るのがつまり政治の厳しさです。

 

 

 

 

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あるいはトランプとAfDの真実

ウクライナのゼレンスキー大統領と米トランプ大統領が、テレビカメラの前でおどろきの醜態を演じました。

世も末に見える大口論を見ながら、筆者はトランプ政権が賛美するドイツのAfDを想いました。

先日のドイツ総選挙で躍進した極右のAfDは、しれっとして黒を白と言いくるめるトランプ軍団に似た不吉な気配を帯びています。

ヒトラーはヒトラーを知らなかったが、ドイツのAfDはヒトラーをよく知っています。

だから彼らは野党でいる限りは、けたたましくも醜怪なだけの政治集団に留まるでしょう。

しかし彼らが単独で政権を握るような事態になれば、トランプ“笑えないお笑い”大統領が、「独裁者はプーチンではなくゼレンスキーだ!」」とコペルニクス的大発明をわしづかみにして、世界に投げつけたような事件が起きないとも限りません。

それは例えば、彼らが「ヒトラーは独裁者でも悪魔でもない。独裁者の悪魔はユダヤ人だったイエス・キリストだ!」と神がかり的な発見を発明して興奮し、全ての教会とユダヤ人を殲滅しようと企てるような顛末です。

トランプ大統領の言動の多くとAfDの躍進には、それくらいの潜在的な危険があります。

筆者はドイツ国民とアメリカの半数の国民の正気を信じます。

だが、ドイツには前科があり、アメリカ国民の半数は-徐々に明らかになったように-陰謀論やデマに踊らされやすい愚民である事実が、多少気がかりでないこともありません。

 

 

 

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AfDの恐怖はありきたりになって、故にさらに危険が増した

ドイツ総選挙の結果は驚きのないものでした。極右のAfDが躍進して、第1党の「キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)」に次ぐ2位につけました

だがそれは早くから予想されていた展開で、目新いものではありません。

ならばAfDの危険はなくなったかと言えば、もとより全く逆で、2021年の前回選挙に比べて支持を倍増させた極右党の勢力が今後も続伸すれば、やがて世界をも激変させかねない事態です。

だが第1党になったキリスト教民主・社会同盟は、「ファイアウォール(防火壁)」を盾にAfDとの連携を拒否しています。従ってAfDが近い将来に政権入りする可能性は低い。

ドイツの「ファイアウォール(防火壁)」はナチスへの嫌悪と反省から生まれました。極右政治がタブー視され、政党間でAfDを政権から排除する合意が形成されたものです。

だが仮にAfDが政権の一角を担うことになっても、彼らは生の主張をそのまま前面に押し出すことはないと筆者は考えます。

それはここイタリアの極右「イタリアの同胞」とそれを率いるメローニ首相が、極右からより穏健な急進的右派へと舵を切って進んだ例を見れば分かります。

ここイタリアでは政治土壌の主要因子である多様性がそれを成し遂げますが、ドイツにおいては国内のリベラル勢力とEUの中心勢力が、極右モメンタムを厳しく抑制すると思います。

また客観的に見て、AfD自体も過去のナチ党 (国民社会主義ドイツ労働者党)とヒトラーの轍を踏むとは考えにくい。

ヒトラーはヒトラーを知らなかったが、AfDとその支持者たちは巨大な負の遺産であるヒトラーを知悉しています。その現実が彼らのナチス化を厳しく制すると思うのです。

そうではありますが、しかし、トランプ主義がトランプ氏以後、ヴァンス副大統領を始めとする“トランプの金魚の糞”勢力によって席巻され続ける場合は、状況が全く違うことになるdしょう。

欧州ではAfDとそれに付き従うと見られる極右政党がさらに力を付けて、社会情勢がかつての日独伊三国同盟時代のような暗黒に向かいかねません。

人々の怒りをあおり、憎しみの火に油を注ぎ、不寛容の熾き火を焚きつけるのが得意な彼ら極右過激派の悪意は、易々と世の中を席巻します。歴史がそれを証明しています。

従って彼らは拡大する前に抑え込まれたほうがいい。放っておくとかつてのナチスのごとく一気に肥大して、制御不能な暴力に発展しかねません。

とはいうものの、繰り返し強調しておきたい。欧州の今この時の極右勢力はヒトラーのナチズムやムッソリーニのファシズムと同じではありません。

悪魔の危険を知り、悪魔ではないように慎重に行動しようとする悪魔が、現今の欧州の極右なのです。

しかしそれでも、いやそうだからこそ、極右モメンタムは抑さえ込まれたほうがいい。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきです。

なぜなら狡猾な悪魔も、悪魔には違いないからです。

 

 

 

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トランプのマブダチAfDの恐怖

2月23日に行われるドイツ総選挙を、極右政権下にあるイタリアからじっと見ています。ドイツの極右AfDがどこまで勢力を伸ばすかが最も気になるところです。

AfDは各種世論調査で、キリスト教民主・社会同盟の30%に次ぐ20%の支持率を維持しているとされます。

ドイツの支持率統計は正確だと証明されていますが、アメリカの隠れトランプ支持者と同じように、隠れ極右支持者がいる可能性もあります。驚きの結果が出ないとも限りません。

AfDはトランプ政権、またプーチン大統領らと同じ穴のムジナです。その周りにはトランプの吼えるポチ、マスク氏がいて、彼はAfDはドイツの救世主だと叫んでいます。

彼らに親近感を抱きつつ遠くない場所から眺めているのが、ここイタリアのメローニ首相です。彼女はトランプ大統領とマスク氏の友人です。友情の大本にはむろん政治イデオロギーがあります。

メローニ首相は極右と呼ばれ、極端なケースではネオファシストと規定されることさえあります。

だが彼女は政権樹立後は中道寄りにシフトし、穏健な極右あるいは急進的右派とでも形容できる政治姿勢を保っています。

EU(欧州連合)とも良好な関係を築き、それどころか時にはEUの中心的な役割さえ演じて、筆者が規定する「欧州の良心」を体現する姿態さえ見せます。

彼女がそうなったのは、イタリア共和国の真髄にある多様性がもたらす必然です。

イタリアの政治風土には、多様性が乱舞する故の極論や過激思想が生まれやすい。が、それらの極論や過激思想は、同じく多様性故により穏健へと向かうことを余儀なくされます。

メローニ首相と彼女が率いる極右政党「イタリアの同胞」は、トランプ主義と親和的ですが、同時にそれと対立しがちな欧州の良心と民主主義を守ろうとする力でもあります。

ドイツのAfDも、政権の一角を担うことがあれば、イタリアの同胞と同じ道を辿る、と筆者は考えてきました。

もっともそれは、イタリアの国民性とは違い、キレると歯止めが効かなくなるドイツの民意の存在の可能性、という不安を脇に置いての話ですが。

世界政治の舞台では、イタリアは日本と同じく取るに足らない存在です。一方ドイツは大きな影響力を持ちます。従ってAfDの躍進は大きな脅威です。

それでも同政党が単独で政権を握らない限り、ドイツのリベラル勢力と欧州全体のそれが抑止力となって、AfDの暴走はきっちりと止められると筆者は考えてきました。

しかし、第2次トランプ政権の誕生でその見通しには霞がかかり始めました。

ロシアとさえ手を結ぶトランプ主義が、今後も勢いを増して世界を席巻すれば、それに引きずられて欧州の極右も本性を露わにする可能性が高まります。

その際に、イタリアのメローニ首相がトランプ主義に引きずられるか、あるいは欧州の良心を守る砦の一角に留まり続けるかは、世界が真にどこに向かうかを占う手がかりになるかもしれません。

言うまでもなくなく将来、AfDが単独で政権を握るような事態になれば、そしてトランプ主義が今と同じく猛威を振るっていれば、イタリアの政治状況などほとんど何の意味を持たなくなるでしょうが。。

 

 

 

 

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見えてきたトランプの野望らしきもの

関税に固執するトランプ大統領の頭の中にあるのは経済のことであり、経済を強くすることで彼の支持者を満足させ、アメリカを偉大に、つまりMAGAを達成することである。

それがトランプ政権の使命であり彼の支持者が熱望することだ、というのは一面の真実に過ぎません。

経済力が強くなるとは、要するに軍事力が拡大することでもあります。トランプ大統領のひそかな野望は、経済を強くし軍事力を高めて世界を支配することかもしれません。

それというのも彼は、政権発足と同時にかねてからの主張だったグリーンランドを占領し、パナマ運河を収奪し、カナダをアメリカに併合すると平然と述べ、そこに向けて動いています。

そればかりではない。アメリカファースト、つまりアメリカの孤立主義を捨ててガザを軍事支配し、住民を排除してリゾート地に作り変えるとまでうそぶいています。

それらの主張は帝国主義への先祖がえり以外の何ものでもありません。どうやら彼は専制政治を導入して世界を支配したいようです。

もしそうならば、一党支配の元で覇権主義に走っている中国の習近平主席や、ソビエト再興の野望を抱いてウクライナを席巻し、さらに支配域を広げることを夢見るロシアのプーチン大統領と何も変わりません。

それどころかトランプ主義の専横は、民主主義を騙(かた)る分だけ質(たち)が悪いとさえ言えます。

トランプ主義の岩盤支持者らは、トランプ氏が選挙キャンペーン中に強調した「戦争をしない」、「ウクライナとガザの戦争を止める」、「誰も死なせない」などのキャンペーンにも熱狂しました。

アメリカはかつて世界の警察と呼ばれ、民主主義を守るという大義名分を掲げて多くの国に介入しひんぱんに戦争を仕掛けてきました。

トランプ支持者の国民はそのことにウンザリしている。だから彼らは戦争をしないと明言したトランプ氏を支持しました。彼らはトランプ氏を平和主義者とさえ見なしました。

だが果たしてそうでしょうか?トランプ大統領は、先に触れたように、グリーンランド獲得とパナマ運河収奪に軍事力を使うことも辞さないとほのめかしています。

ガザの場合には米軍を投入しそこを占領して、瓦礫を片付けリゾート地を造るとさえ明確に述べました。それらは容易に戦争を呼び込む施策です。

トランプ大統領は民主主義を守る戦争はしないが、侵略し、収奪し、支配する戦争は辞さない、と公言しているようなものです。

仕上げには彼は、ロシアに蹂躙されるウクライナを「加害者」と断じました。向かうところ敵なしの狂気であり凶器です。

トランプ大統領の本性は僭王であり侵略者のようです。危険極まりないと思います。

 

 

 

 




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トランプ主義の怖さの真髄

トランプ大統領は関税を武器にカナダとメキシコを平伏させ、 返す刀でガザの住民を追い出してリゾートに造り返る、というぶっ飛んだ案を発表しました。

それはまさしくヒトデナシにしか思いつけないグロテスクな考えです。なぜならそこには、イスラエルに痛めつけられた人々への憐憫の情がひとかけらもないからです。

まさに金のためなら何でもする“不動産開発業者“の発想でしかありません。アメリカ合衆国大統領の戦略的思考とはとても言えません。

人間を人間と見なせない者は人間ではない。

それがトランプ大統領の「ガザの住民を全て排除して“中東のリビエラ”にする」という発言を聞いたときの筆者の率直な思いでした。

潰滅したガザを、故郷を、追い出されるパレスチナ人は、なんと哀れで何とも屈辱的な存在ではないでしょうか。

ところが行き場を失くしたパレスチナ人の中には、悲しいことにトランプ大統領の提案を受け入れる者も出るだろうと見られています。

ガザの疲弊はそれほどに深く徹底したもので、回復不能とさえ考えられているからです。

ガザを壊滅させたのは、トランプ大統領の発言をニヤニヤ笑いながら隣で聞いていたネタニヤフ首相です。

彼はまるで米大統領の発言を引き出すために、ガザの破壊と殺戮を実行したようにさえ映りました。

ネタニヤフ首相と、パレスチナの消滅を熱望するイスラエル内外のウルトラ極右シオニストらの罪は深い。

住民を追い出してガザをリゾート地に作り変えようという案は、政権内の高官らが集い意見を出し合ってじっくりと練ったものではなく、トランプ大統領独自のものらしい。

いかにも“不動産開発業者”トランプ氏が思いつきそうなアイデアですが、恐らくその前に、娘婿のジャレッド・クシュナー氏の入れ知恵があったのではないか、とも言われています。

ユダヤ人のクシュナー氏は、パレスチナを地上から消すと考える同胞と同じ立場で、ガザを開発して金を儲けると同時に、そこの住民をイスラエルのために排除したいと願っているとされます。

自らの家族と金儲けのためにはひとつの民族を浄化することさえ辞さない、という考えはすさまじい。トランプ一族の面目躍如というところではないでしょうか。

皮肉なことにトランプ氏のアイデアは、その非人間的な側面を敢えて脇において観察すれば、ある意味天才的とも呼べるものです。邪悪でユニークな思いつきなのです。

徹底的に破壊されて瓦礫の山と化し、もはや人が住めない状況にまでなっているガザ地区を、米軍を中心とするアメリカの力で整理して立て直す。

それは他国の内政には首を突っ込まない、というトランプ大統領の「アメリカ第一主義」に反する動きになるでしょう。

だがガザ地区をアメリカが一旦支配して元通りに整備する、というのがガザ住民のためのアクションなら、人道的見地からもすばらしい案です。

しかし残念ながら、彼が考えているのは住民を完全無視した金儲け案です。むごたらしいまでの我欲です。

繰り返しになりますが、とても人間とは思えない惑乱ぶりです。

トランプ主義は、行き着けば自由主義社会全体の総スカンを食らう可能性があります。

そうなった場合、欧州とアラブ・アフリカ、またトランプ追従に見切りをつける見識があれば日本も、たとえば中国と手を組む可能性があり得ます。

独裁国家、権威主義政権として欧米と日本ほかの民主主義世界に忌諱されている中国ですが、トランプ主義の挙句の果ては、つまるところ中露北朝鮮にも似た恐怖政体です。

ならば“トランプ小帝王“に苛められ脅迫され続けるよりも、中国のほうが御しやすい、と自由主義社会が判断することがないとは誰にも言えない、と思うのです。

 

 

 


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反トランプ的民主主義は死なないし、死なせてはならない

DEMOCRATISMを『民主至上主義』と訳したコンセプトが、知る人ぞ知る人々の間で取りざたされているようですが、DEMOCRATISMの日本語訳はひねらずにそのまま「民主主義愛好主義などとするべきではないでしょうか。

なぜなら真に民主主義を信奉する者は、民主主義が最良つまり至上の政体であり、絶対的な価値のあるものとは考えないからです。

もしそう考える者があるとすれば、その人は民主主義者どころか民主主義を騙る独裁主義者である可能性があります。独裁主義者はいつの時代も「われこそは至上の政治の体現者」と強弁して止まないからです。

民主主義は最善の政治体制ではなく、われわれが知る限りの政治体制の中のBetterな体制に過ぎません。そしてBestが見つからない限りはBetterがすなわちBestです。

民主至上主義とはひとことで言えば、アメリカの民主党政権とその支持者のことです。

民主至上主義 と訳されたDEMOCRATISMを論じた米ペパーダイン大講師のエミリー・フィンリーは、2024年11月の大統領選で敗北したアメリカ民主党を次のように批判しました。

すなわち民主党がエリート主義に陥って民意を無視し、平等、多様性、移民包容など、エリートが認める主張のみを「民意」として容認。それに合わない主張を実質的に排除した。

それは彼女に言わせれば、民主党がいわゆる民主至上主義に陥っているからだと結論付けました。

一方共和党は大衆の声を聴き、大衆が希求するアメリカ第一主義を貫いて選挙に勝った。トランプ主義はポピュリズムではなく、トランプ氏が民衆の声に耳を傾けている証だと言います。

仮にそれが正しいとしましょう。だからといって、第一次トランプ政権と次期トランプ政権がエリート支配の政権ではないとは言えません。

民主主義は国民の総意に基づくものとはいえ、政権を担う者は民主党でも共和党でも選ばれた人々、すなわちエリートであることに変わりはありません。

民主党は大衆の味方を標榜しながら実際には民衆とかけ離れた特権層や富裕層ばかりに肩入れをしてきた。だから選挙に負けたのです。民主党が民主至上主義に陥っていたからではありません。

またたとえそうだとしても、民主党はそれを反省し修正して次の選挙で共和党を打ち負かせばいいだけの話です。

ところが著者フィンリーは、民主党の在り方を民主至上主義そのものと規定して徹底否定します。エリート主義が民主至上主義の特色であるなら、共和党も同じであるにも関わらずです。

選挙で負けた民主党だけが民主至上主義に陥っていると言い張るのは、彼女が明らかに共和党支持者でありトランプ主義信奉者だからです。

共和党を支持しトランプ主義を賛美するのは彼女の自由です。だが選挙の敗北が即民主至上主義のなせる業だと決め付けるのは当たりません。

民主党は過ちを犯した。それは修正可能なものです。民主主義は断じて完璧ではありません。むしろ欠点だらけの政治体制です。

だが民主主義は失敗や過ちや未熟さを容認します。容認するばかりではなくそれらの罪を犯した者が立ち直ることを鼓舞し激励します。

変動し多様性を称揚し意見の異なる者を包括して、より良い方向を目指し呻吟することを許すのが民主主義なのです。

トランプ主義はその対極にあります。トランプ主義者が自らの間違いを認め、多様性を尊重し、移民や 反対勢力を寛大に扱うと考えるのは無理があります。

トランプ主義はトランプ次期大統領が自ら語ったように独裁を志向し、対抗勢力を許さず、自ら反省することはなさそうです。

彼はプーチン、習近平、金正恩を始めとする強権主義指導者と極めて親和的な政治心情の持ち主です。

彼はまた欧州の極右勢力や中東の独裁者やアジア南米等の権威主義的政権などとも手を結びます。

さらにトランプ主義は、政治的スタンスに加えてトランプ氏の人格そのものも不信の対象になったりするところが極めて異様です。

民主党は間違いを犯して選挙に負けました。

片や共和党あるいはトランプ主義は、不寛容と差別主義と移民排斥を主張して、2017年以来続く右翼思想あるいは極右体質をさらに強めて政権を握ります。

エミリー・フィンリーの言う、平等、多様性、寛容など「民主党エリート」が認める主張」を否定して誕生するのが次期トランプ政権です。

トランプ主義は平等、多様性、寛容に加えて、対話を重視する民主主義もジェンダー平等も政治的正義(ポリティカルコレクトネス)主義も拒絶します。

要するに、言葉を替えれば、これまで民主主義社会が善とみなして獲得し実践しさらに進歩させようとして、必死に努力してきた全ての価値観を破壊しようとします。

破壊しその対極にある不平等、差別主義、排外主義、不寛容などを正義と決めつけ旗印にして前進しようとする。

トランプ次期大統領とその支持者は、民主主義を守ると主張しますが、彼らが守り盛り立てようとしているのは権威主義です。民主主義の名の下にファシズム気質の政権を維持発展させようとしているのです。

真の民主主義、あるいは変わることを容認する柔軟な民主主義を信奉する自由主義者は、ネトウヨヘイト系排外差別主義者の集合体にも似たトランプ主義勢力の前に口を噤んではなりません。

ネトウヨや差別主義者らが跋扈するネット世界に乗り出して、間断なくカウンターアタックを仕掛けるべきです。ネトウヨが10のフェイク主張をするなら、リベラル派は20の真実とファクトで彼らの嘘を撃退するべきです。

トランプ主義&ネトウヨヘイト系排外差別者連合との戦いは今始まったばかりです。自由と平等と寛容と多様性を信奉する者は、立ち上がって戦いを続けなければなりません。

民主主義は黙っていればすぐにも壊れる儚いものです。トランプ主義者らの蛮声と暴力を放置すれば、たちまち破壊されてしまいます。ファシスト気質の政治勢力との戦いは始まったばかりなのです。

 

 

 

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枕詞で寿ぐもののけどもの2025年~プーチンがアサドを謀殺するのは時間の問題ではないか

プーチン=永遠のスパイ大統領が、アサド=ごまのハエ元大統領のロシアへの亡命を受け入れたのは、そうすることが徹頭徹尾ロシアの利益になるからです。

アサド=人面獣心元大統領は就任以降23年間、シリア国民の財産のことごとくを盗んで蓄財を続けてきたことが分かっています。

プーチン=悪魔のマブダチ大統領は、アサド=ポン引き元大統領の隠し資産を、彼のケツの毛までむしり取るやり方で徹底的に横取りするでしょう。

そうしておいて、もしもシリアの新政権が同国にあるロシアの利権を保護するなら、見返りにアサド=ならず者元大統領を彼らに引き渡すこともいとわないはずです。

アサド政権を長く支えてきたロシアは、シリア国内にタルトゥース海軍基地 とフメイミム 空軍基地を置いています。

海軍基地はロシアの地中海における最重要拠点基地。そこからアフリカ全体への影響力を行使してきましたできる。

シリアの新政権が好意的に動く、というプーチン=顔面凶器大統領の読みが当たるかどうかは微妙な情勢です。

だが、本来なら敵基地にあたるロシアの2つの施設を、シリアの新支配者・シャーム解放機構は徹底攻撃していません。

従ってプーチン=おきて破り大統領の目論見が完全に外れたとはまだ言えません。

アサド政権を駆逐したシャーム解放機構の背後にはトルコがいます。

トルコのエルドアン=仁義なき戦い大統領と、プーチン=蛙のツラにションベン大統領は、どっちもどっちのサイコパス指導者です。

プーチン=諸悪の根源大統領が、エルドアン=暴力団員大統領を介して解放機構に毒まんじゅうを食らわせ、アサド下手人を「逆回転の死刑台のメロディー」送りにするのは、赤子の手をひねるよりも楽な仕事になることでしょう。

ダマスカスを落としてシリアを征服したシャーム解放機構は、前述のように、アサド政権の保護者だったロシアの2つの基地を即座に破壊する動きに出ませんでした。

彼らはアルカイダと手を切り穏健派に転じたと主張したり、反対勢力を尊重すると公言するなどの戦略で、過激派としてのイメージを払拭しようと躍起になっています。

解放機構はまた、アサド=殺してもまだ裏切る元大統領支持の国々や、クルド人武装派を支持するアメリカなどとも会話をしたい、などとも言明しています。

従って解放機構の敵であるロシアも、彼らとのパイプを確保して、秘密裡に対話交渉を進めている可能性が高い。

アサド=嘘がてんこ盛り元大統領は、シリアから盗んだ莫大な現金と資産をロシアに運んで、モスクワの高級住宅街に逗留しているとされます。

ロシアは彼以前にも、ウクライナの元権力者やベラルーシほかの堕天使独裁者などをかくまっています。

プーチン=歩く毒キノコ大統領は、アサド=笑う深海魚元大統領が莫大な富を彼に渡す代わりに、後者が死ぬまでロシアに留まることを許すつもりなのかもしれません。

むろんそれは友情からではなく、ロシアの言う人道的見地からという噴飯ものの理由でもなく、ひたすらアサド=しゅうと根性元大統領が富を横流しするからにほかなりません。

資産を取り上げた後、アサド=傍若無人元大統領をシャーム解放機構に売り渡さずに国内に住まわせ続けれは、それはそれでやはりプーチン=ケツの穴まで猜疑心大統領の益になります。

なぜなら元独裁者のラスボスやアウトローでも、ロシアでは安全にかくまわれる、と世界中のプッツン独裁者やファシスト権力者らに秋波を送ることができるからです。

そうしておけば、ロシアの悪の友達の輪がしっかりと維持できるのみならず、拡大していくことさえも期待できます。

 

 

 

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Plan75は日本でなら実際に起こり得る未来を描いたホラー映画だ

先日、安楽死がテーマの日本映画「Plan75」をネット配信で見ました。

安楽死についてはいろいろ調べ少しは情報に通じているつもりでしたが、 Plan75のことは知りませんでした。

11月末に英国下院が安楽死法案を可決させました。それを受け改めて安楽死についての資料を探し検証するうちにPlan75のことを知りました。

映画は2022年に公開されました。コロナ禍が収まって世界中が喜びに沸いたころです。筆者もそこかしこに旅をしたりしてパンデミックから開放された喜びをかみしめていました。

そんな状況だったので、安楽死を扱ったPlan75の公開情報を見逃してしまっていました。

Plan75の舞台は、少子高齢化がさらに進んだ未来の日本です。そこでは75歳以上の高齢者に「死を選ぶ権利を認め」支援する制度Plan75が導入されます。

あたかも社会福祉のように装われた制度は、今最もホットな論題の一つである「終末期の患者が安楽死を選ぶ権利を有するかどうか」を問う法闘争とは全く意味合いが違います。

Plan75とは「老人抹殺」スキームでのことなのです。

美辞麗句を並べて実行される高齢者屠殺プランは、おぞましくも滑稽ですが世界中でただ一箇所、つまり日本でなら実際に起こり得るかもしれない、と思わせるところが不気味です。

日本的な安楽死論争の危うさは、ヒツジのように主体性のない多くの国民が、事実上「安楽死の強制」であるPlan 75が施行されても反乱を起こさず、唯々諾々と従うところにあります。

当事者の老人たちは状況をただ悲しむだけで怒りを表さない。若者らも制度に違和感を持ったリ悩んだりする“素振り”は見せるものの、結局事態を受け入れる方向に流れて行きます。

彼らも権威に従順なだけのヒツジであり、その他のあらゆる草食動物にも例えて語られるべき自我の希薄な無感動な人々です。

彼らは死に行こうとする高齢者と接触するうちに少しの心の揺れは見せます。だが非情なシステムへの激しい怒りはありません。飽くまでも従順なのです。それが自我の欠如と筆者の目には映ります。

日本では未だに自我を徹底して伸ばす教育がなされていません。なぜなら自我を全面に出さないことが日本社会では美徳だからです。だから自我が抑えられます。

そうやって自己主張を控える無個性の、小心翼々とした巨大なヒツジの群れが形成されます。そこが日本社会の弱点です。

高齢者をまとめて屠殺場に送る社会は、いわば石が浮かんで木の葉が沈むようなシュールな世界ですが、その 非現実が現実であってもおかしくない、と思わせるところが憂鬱です。

高齢者を抹殺する制度を受け入れる人々の在り方が、日本なら実際にあり得る姿としてすんなり納得できる。舞台が日本以外の国なら決してあり得ない現象です。

安楽死は耐え難い苦痛に苛まれた終末期の患者が、自らの意志によって死を選ぶことであり、老人のみを死に追いやることではありません。

むろん多くの日本人はそのことも知悉しています。

だが主体的に思考し行動する「当たり前」の国民が、社会の大半を占めて民意が形成されるようにならない限り、Plan75の恐怖ワールドが現実になる可能性は決してなくなりません。

 

 

 




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死の自己決定権をめぐる英国下院の一家言

英国下院は11月29日、遅ればせながら終末期にある成人の幇助自死を認める法案を可決しました。

なぜ遅ればせながらかと言うと、幇助自死つまり医師が患者に致死薬を投与したり、患者の自殺に関与したりする作為を認めている国は、欧州を筆頭に世界に少なからず存在するからです。

幇助自死を認めるとは言葉を替えれば、終末期患者が安楽死を選ぶ権利を認める、ということです。

それについてはスペインやイタリアまた南米のコロンビアなど、自殺を厳しく戒めるカトリック教国でさえ紆余曲折を経て黙認あるいは明確に法制化しています。

プロテスタントの国のイギリスが遅れているのは、敢えて言えば、同国が民主主義国家でありながら王を戴く似非民主主義国家、つまり超保守国家だからという見方もできるかもしれません。

しかし、英国下院の取り組み方にはさすがと思わせる点があります。

それは安楽死をめぐる議題が政治的な問題ではなく道徳的な問題と特定され、採決は各議員が所属政党の党議に縛られない自由投票で行われたことです。

つまり一人ひとりの議員は、それぞれの良心と誠心また価値観等、要するにあるがままの自分の考え方に従って行動することを求められました。

安楽死は、国家権力が決めるものではなく、国民一人ひとりが能動的に関与するべき事案です。なぜならそれは自らの生と死にかかわる生涯最大の課題だからです。

英国下院はそのことをしっかりと認識していました。

だからこそ議員の一人ひとりは、党員あるいは選挙で選ばれた特殊な存在、つまり特権を持つ代議士としてではなく、飽くまでも赤肌の個人として課題に向き合い、熟考した後に投票することを求められたのです。

繰り返しになりますが、安楽死はお上から下賜されるものではなく、必ず個々人が決意し選択し勝ち取るべきものです。

そのあり方は、たとえば安楽死を描いた日本映画、Plan75に提示された日本人や日本的エトスとは大きく違います。

Plan75では、安楽死を「政府が75歳以上の高齢者に死を選ぶ権利を“認め”支援する制度」

「国が生死の選択権を“与える”制度」などと表現されます。

また予告編やキャッチコピー、あるいは映画レビューや解説文等でも「75歳以上の高齢者の「死ぬ権利」を“認めた”日本」「果たして《死ぬ権利》は“認められる”べきなのか?」

などなど、政府が国民に一方的に安楽死また安楽死の制度を押し付けるのが当たり前、というニュアンスの文言が巷にあふれました。

映画そのものも、安楽死を「認められる」つまり強制されても仕方がないもの、として無意識のうちに了解しているのが垣間見える手法で描いていました。

高齢者も若者も健康な者も病人もなにもありません。誰も彼もが政府の押し付けに唯々諾々と従う。日本国民は怒り、立ち上がり、叫び、殺気立って暴動に走ったりはしないのです。

75歳になったら死を選ぶ権利を獲得するとは、年金また社会福祉制度が破綻しつつあると喧伝され、且つ同調圧力が強烈な日本においては「強制」とほぼ同義語です。

日本的安楽死論の怖さは、高齢になれば政府に安楽死を強制されても仕方がないという諦観に基づく感情、言葉を替えれば従順なヒツジ的根性に支配された、飽くまでも受動的な民心の中にこそあります。

片や英国下院の動きに象徴される英国的エトスあるいは民意とは、何よりも先ず個人個人の意思を最重視し、その後でのみ立法を探ることを許すというものであり、日本の民心とは対極にあるコンセプトです。

筆者は安楽死に賛成の立場ですが、これまで「先ず安楽死ありき」で考察を進める傾向がありました。だがそれは危険な態度だと最近は考えるようになっています。

安楽死は厳しい規制を掛けた上で、本人が希望するなら必ず認められるべきものです。

だがその議論の前には、飽くまでも安楽死に反対して生命維持装置を外さず、医療も果ての果てまで続けてほしい、という人々の当たり前の願いが先ず必ずかなえられるべきです。

その後でのみ、ようやく筆者のような安楽死賛成論者の言い分が考慮されるべきです。

つまり患者を徹頭徹尾「生かす」ことが第一義であり、安楽死賛成論は二の次の事案であるべきと考えるのです。

英国下院の思慮深い動きは、筆者の今の心境とも符丁が合う取り組みであり、筆者はそのことをとても心強く感じました。

 

 

 

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