生き物語り~ヴィットガビの受難~

イラスト:© ザ・プランクス 

 

猟犬のヴィットガビは、呼吸がうまくできないので、とても苦しかった。

でも、飼い主の猟師の命令なので、瓦礫(がれき)の下にうずくまってじっとしていた。

ヴィットガビは文字通り息をころしてはいつくばっていた。息を詰めたのはあえてそうしたのではなかった。呼吸がほとんどできなかったのだ。

それでもヴィットガビはがまんした。がまんをするのは慣れていた。

生まれてから13年間ヴィットガビはいつもがまんをしてきた。

若い時は忍耐が足りずに少しさわいで・騒いで、飼い主にぶたれたりしたこともある。

が、年をとって動きが鈍くなったいまは、がまんをするのはたやすいことだった。思うように動けなければ、じっとしているしかないからだ。

ヴィットガビが生まれたヴァル・トロンピは、北イタリア有数の山岳地帯。

南アルプスに連なるロンバルディアの山々の緑と、澄んだ空の青と、多彩な花々の色がからみ合って輝き、はじけ、さんざめく。

自然の豊富なヴァル・トロンピア地方はまた、ハンティングのメッカでもある。

ヴィットガビは、生まれるとすぐに猟犬として訓練され、子犬のころから野山を駆けまわって飼い主の狩りの手伝いをしてきた。

だが、ここ数年は速く走って獲物を追いかけたり、主人が撃った獲物をうまく押さえこんだりするのが思うようにできなくなって、彼にしかられることが多くなった。

それでも、じっとがまんさえしていれば、主人の怒りはやがておさまって、すこしの食べ物ももらえた。

年老いたヴィットガビは、昔以上にがまんをすることで生きのびることをおぼえた。

今やヴィットガビにとって生きるとは、「我慢をすること」にほかならなかった。

ヴィットガビはいつものようにじっとがまんした。苦しくても、いつまでもがまんをした。

昼とも夜ともつかない時間が過ぎていった。

ヴィットガビはさらにがまんをした。

でも、ついにがまんができなくなった。

なぜなら、まったく呼吸ができなくなったのだ。

ヴィットガビは知らなかったが、彼が瓦礫の下にうずくまってから40時間が過ぎようとしていた。

ヴィットガビはひと声吠えた。

一度吠えると、堰を切ったように声が出て止まらなくなった。

ヴィットガビはもうがまんしなかった。

彼はひくく吠えつづけた。吠えることで呼吸困難からのがれようとした。

瓦礫の近くを通りかかった人がヴィットガビのうめき声に気づいた。驚愕した通行人はすぐさま警察に連絡を入れた。

駆けつけた2人の警官が、取るものもとりあえず素手で瓦礫を掘り起こしにかかった。通行人もあわてて手を貸した。

瓦礫を50センチほど掘り起こしたと、ガラクタにまみれてあえいでいる中型犬が見えた。

警官が助け出すと、ヴィットガビは安心したのか吠えるのを止めた。

ぐったりしている犬を警官は大急ぎで獣医の元に運んだ。

飼い主に生き埋めにされたヴィットガビは、そうやって九死に一生を得た。

動物虐待の罪でヴィットガビの飼い主は逮捕された。彼は警官にこう言い訳した。

「犬はもうてっきり死んだと思って埋めた・・」

と。

だが誰も彼の言葉を信じなかった。

なぜならヴィットガビは生きる喜びで輝いていた。与えられたたくさんの水を飲み干し、食事に飛びつき、われを忘れて食べて食べて食べまくって、たちまち元気になった。

あきらかに嘘をついている飼い主の男は、拘禁と多額の罰金刑に処せられた。

それでは納得しない者、特に動物愛護過激派の人々は、飼い主の男を生き埋めにしろと怒った。

だが男は生き埋めにされることはなく、新しい猟犬を手に入れてせっせと猟に出ては殺戮をくり返している。


 

 

 

facebook:masanorinakasone

official site:なかそね則のイタリア通信

「時には娼婦のように」の革命的愉快

© ザ・プランクス

 

 

なかにし礼作詞の名曲「時には娼婦のように」は次のように綴られます。

『時には娼婦のように 淫らな女になりな 
真赤な口紅つけて 黒い靴下をはいて
大きく脚をひろげて 片眼をつぶってみせな 
人さし指で手まねき 私を誘っておくれ

バカバカしい人生より バカバカしいひとときが 
うれしい ム・・・・・

時には娼婦のように たっぷり汗を流しな 
愛する私のために 悲しむ私のために
時には娼婦のように 下品な女になりな 
素敵と叫んでおくれ 大きな声を出しなよ

自分で乳房をつかみ 私に与えておくれ 
まるで乳呑み児のように むさぼりついてあげよう

バカバカしい人生より バカバカしいひとときが 
うれしい ム・・・・・

時には娼婦のように 何度も求めておくれ 
お前の愛する彼が 疲れて眠りつくまで』

この歌が発表された時、筆者は東京の大学の学生でした。歌詞の衝撃的な内容に文字通り目をみはりました。歌謡曲詞の革命だとさえ思いました。今もそう思っています。

「時には娼婦のように」について書いておこうと思い立ったのは、それが理由です。

かつて三島由紀夫は詩が書けないから小説を書くんだと言いました。詩とはそれほど卓越したものです。そして音楽とともに存在する歌詞もまた詩の一種です。

なかにし礼という作詞家は、阿久悠と共に一世を風靡しました。日本歌謡詞界の双璧として一時代に君臨しましたが、「時には娼婦のように」を生み出した分、なかにし礼の方が少し上かな、と筆者は考えています。それほどにこの歌詞はすごいと思います。

歌詞に限らず、あらゆる創造的な活動とは新しい発見であり発明です。新しい考え、新しい見方、新しい切り口、新しい哲学、新しい表現法などなど、これまで誰も思いつかなかったものを提示するのが創造です。

「時には娼婦のように」はそういう創造性にあふれた歌詞です。際どい言葉の数々を駆使しながらポルノにならず、「歌詞」という型枠を嵌められた「詞」でありながら、自由詩の大きさや凄みの域に達していると思います。

男の下賎な妄想である「昼は貞淑、夜は娼婦」という女の理想像を、歌謡曲という子供も女性たちも誰もが耳にする可能性のある普遍的な表現手段に乗せて、軽々とタブーを跨(また)ぎ越え世の中に広めてしまいました。

もう一方の天才・阿久悠は、名曲「津軽海峡冬景色」を

<上野発の夜行列車おりた時から 青森駅は雪の中~>

と始めて短い表現で一気に時間を飛び越え、東京の上野駅と青森駅を瞬時に結んでドラマを構築しました。よく知られた分析ですが、こちらもまたすごいので一応言及しておこうと思います。

作詞家なかにし礼はそのほかにも多くの創造をしましたが、新人の頃には「知りたくないの」という訳詞でも物議をかもしましたた。

エルビス・プレスリーも歌った英語の名曲「I really don’t want to know」を「あなたの過去など知りたくないの~」という名調子で始めたのですが、歌い手の菅原洋一が「過去」という語はよくないとゴネたといいます。

でも彼は信念を押し通して、そのおかげで今ある名訳詞が世の中に出回ることになりました。ヨカッタ。

筆者の考えでは、イタリアにも「なかにし礼」はいます。

ファブリツィオ・デ・アンドレというシンガーソングライターです。

彼は1999年に亡くなりましたが、歌詞でも音楽でも常に圧倒的な存在感を持っています。あえて日本の歌手にたとえれば、小椋佳と井上陽水を合わせて、さらに国民的歌手に作り上げた感じ、とでも言えるでしょうか。

実力人気ともに超がつく名歌手、名作詞家、名作曲家です。

デ・アンドレもよく娼婦の歌を作り歌いました。彼は娼婦に対してとても親和的な考えを持っていました。娼婦を不幸な汚れた存在とは見ずに、明るく生命力にあふれた存在として描きました。

娼婦や娼婦に似せた女を歌うタブーは、デ・アンドレの活動期の頃のイタリアには存在しませんでした。従って禁忌を勇敢に破って世に出た「時には娼婦のように」と、デアンドレの歌を同列には論じられないかもしれません。

しかし、筆者はどうしても両者の「歌詞」の一方を聞くたびに、片方を思い起こしてしまいます。

 

 

 

facebook:masanorinakasone

official siteなかそね則のイタリア通信

パリジャンが素直になるとフレンチは不味くてもパリの高感度は爆伸する

60歳代の間に、つまり体が無理なく動き回れる今のうちに、欧州内の目的の街を急いで、だが、あくまでもゆるりと巡る計画を立てました。

急ぐのは若くないから。ゆるりと行こうとするのは、仕事ではなく周遊と見聞の遊び旅だからです。

その一環として先ずパリに出かけました。

ことしは海を目指す恒例のバカンス旅とは別に、6月にはポルトガルのほぼ全土。次にプラハ、アムステルダムと巡覧する予定も立てています。

また4月に計画して流れたナポリ、ローマ回遊も早めに再挑戦しておきたい。。など、など、きりがありません。

むろん60歳代が過ぎても体が丈夫でさえあれば旅にはひんぱんに出るつもりです。ほとんど仕事がからまない旅行は飽きることがなく、ひたすら楽しい。

これまで仕事で数え切れない土地を訪ねました。それらの全てを、こんどは仕事抜きで訪問したい。しかし、それはおそらく無理でしょう。数が多すぎます。

目的地を絞りにしぼって、行き着くところまで訪ね歩こうと考えています。

パリの主だった観光スポットは過去にほぼ全て巡りました。

今回は、「フランス料理を食べたい」ではなく、「フランス料理を好きになりたいのでフランス料理を食べ歩く」、というコンセプトでパリに出向きました。

多くの人に呆れられそうでづが、筆者はフランス料理を高く評価しません。言葉を変えればフランス料理は筆者の好みに合わない。

世界3大料理とは「中華、フランス、トルコ」の3件という説と「中華、フランス、イタリア」の3件という主張があります。

御三家から派生した「世界の3大~」というくくりは、それが何であれ日本人だけが騒ぐコンセプトで世界では実は意味をなしません。

それでも中華料理とフランス料理が世界で1、2を争う料理で、次にイタりあ料理とトルコ料理が続く、と考える人は地球上に多いのではないでしょうか。だが筆者は少し違う意見を持っています。

筆者の考える世界の3大料理とは、ランク順に:

「日本料理、イタリア料理、中華料理」です。

さらに筆者はこれまでに実際に食べてみた世界料理の中では、7大料理というくくりを持っているます

それはランク順に:

「日本料理、イタリア料理、中華料理、トルコ料理、スペイン料理、ギリシャ料理、フランス料理」です。

フランス料理には何の恨みもありません。同料理の「こってり感」と「気取り感」が、個人的には世界で7番目くらいに好き、というだけの話です。

ところがです。

筆者はトルコ料理、スペイン料理、ギリシャ料理を知るはるか以前に、フランス料理はむちゃくちゃに美味い、という矛盾した体験をしています。

イタリアのスロフード運動が、Arcigola(アルチゴーラ)と名乗っていた黎明期に彼らを取材しました。その後、グループに招待されてパリに同行しフランス料理を3日間食べまくったことがあるのです。

その時訪ねた全てのレストランのあらゆる料理が美味でした。Arcigola(スローフード)が選りすぐったレストランばかりだったからです。

しかし筆者の中ではその強烈な体験は例外的なケースとして認識されていて、ふだんはどうしてもランス料理にそれほど魅力を感じません。

そこで今回旅では、じっくりとフランス料理に挑んでみようと構えました。

結論を先に言えば、結論は同じでした。

筆者はやはり、フランス料理が苦手です。濃密なタレに包まれた魚肉や、親の仇みたいにしつこいソースの乗っかった肉料理は、美味くないことはないのですが物足りない。味をごまかされたようでしっくりこない。

だが、再び、ところが。

一軒の店のひと皿が起死回生のうっちゃりを筆者の舌に見舞いました。ルーブル美術館に近い店で食べた子羊の煮込みです。

そこまで肉も魚も厚化粧のタレ三昧の世界に飽きていたにもかかわらず、子羊の特製ソース煮込みという説明に惹かれて、ためらわずにその一品を注文しました。

筆者は地中海域を旅しながら、子羊&子ヤギ料理を探求しています。子羊&子ヤギ肉は、地中海域では国また宗教のいかんを問わずきわめてありふれた食材です。

料理の味も多種多彩で、それぞれの国や地域の風土や文化の香りがにじみ出たものばかりです。

レシピは基本的に2種類んい分けられます。焼きと煮込みです。焼きは炙りを含み、煮込みは蒸しを含みます。焼きレシピはハマれば目覚ましい味になりますが、多くの場合は単調な口当たりになります。

地中海から遠い欧州のほとんどのレストランが提供するのは、羊肉の風味がかすかに残るだけの独創性に乏しい、モノトーンな塩味の焼き料理です。

片や煮込みレシピは、いわば子羊&子ヤギ料理のハイライト。煮込みは各店のシェフの手腕でピンからキリまで大きく異なります。それぞれの店は秘伝のソースを編み出して技を競います。

子羊&子ヤギ肉には独特のに臭みがあります。技の第一はこの臭みの処理。続いて肉をいかに柔らかく仕上げるか。最後に各店のオリジナルのタレが絡んで絶品の味が出来上がります。

子羊&子ヤギ肉の煮込みはワインで言えば赤ワインです。選択肢が広く無数の味があり風味が限りなく深い。

ルーブル美術館脇の店で出会った料理はそんな極上品のひとつでした。いわば子羊肉の❝企業秘密ソース❞煮とも呼ぶべきひと皿。

筆者の苦手なフランス料理のこってりタレは、子羊肉を引き立て、臭みを消し、旨味をこれでもかとばかりに引き出す脇役に徹していました。

子羊料理とともに心地よい感動をもたらしたのは、フランス人の変貌です。

かつてフランス人は、「フランス優越意識」に縛られて、旅人に対し不親切だったり横柄だったり冷たい態度に終始することも珍しくありませんでした。

英語で話しかけると知らないふりをしたり不機嫌になったりする、良く知られた悪評そのものの反応に筆者もしばしば出会いました。

そんな不快なフランス人気質は、フランス人がEUという運命共同体の中で生きていくうちに徐々に消滅して、EU人としての意識が芽生え高まっていることが分かります。

他の加盟国の人々との垣根が低くなり、親しみが生まれ、友好親善の心が強くなって連帯意識が増しています。

何事につけEU(欧州連合)というコンセプトが優先される状況は、人々の意識に劇的な変化をもたらしたのです。

フランス人のパスポートには、他の全ての欧州連合加盟国のパスポートと同じように、フランス共和国の名前に先んじて「欧州連合」という文字が鮮明に刻印されています。それは欧州の勲章とも呼べる輝かしい理念の表出です。

つまり欧州連合を構成する27国の国民にとっては、それぞれの国が祖国であると同時に欧州が母体であると明確に規定されているのです。それは欧州の長い歴史の中で初めて出現したコンセプトであり意識であり法的規定です。

それどころか実はそれは、大きな経済ブロック内の人々が国民意識に近似した同一の共同体意識を持った、世界で初めての出来事、と言ってもよいでしょう。

アメリカ合衆国がそれに近いコンセプトで成り立っていますが、そこを欧州連合と同一に見なすことはできません。なぜなら合衆国内の「それぞれの国民(州民)」は、誰もが同じ言語を話します。

片やEU内のそれぞれの国民は、それぞれが違う言語を母国語にしています。多様性という意味でアメリカ合衆国を寄せ付けない強さを持っているのです。

むろんそれは弱さにもなり得ます。そしてその弱さを克服することが、EUのさらなる強さを担保していく、という多様性を核にした重構造を持つのが欧州連合です。

そうやってかつてはなによりも優先された「優秀なフランス人」意識が後退し、他者と同列の心理が強いEU人意識が根付いて、筆者に言わせるとフランス人は「いい奴ら」へと変貌しました。

その意識はEU枠外人の筆者のような旅人にまで敷衍発揮され、翻って彼らへの好感度が大きく高まると筆者は見考えます。

論じつめれば、今回のフランス旅でも「フランス料理」は全体として筆者を虜にすることはありませんでしたが、フランスという国とフランス人は、まっすぐに噴射上昇するロケットのように筆者の中で好感度を増して舞い上がったのでした。

 

 

 

facebook:masanorinakasone

official siteなかそね則のイタリア通信

絶煙のむくい

 イラスト:© ザ・プランクス   

 

 

プロローグ

 鼓俊一は妻の典子が肺がんで亡くなったとき、SNS上の友人とのやり取りを介してはじめて自分の喫煙が妻の死の遠因かもしれないと気づいた。

 典子はほぼ1年前、腺がんのステージ4と診断された。肺がんの一種である腺がんは、女性や非喫煙者が罹る病気とされる。

 本人にも夫の鼓にとっても寝耳に水のできごとだった。がんという病気自体もそうだが、末期のステージ4という診断がにわかには信じられなかった。だがそれはまぎれもない現実で、発見が引き金になったのでもあるかのように妻は強い痛みを訴えはじめた。幸い緩和ケアが行き届いた病院での治療だったため、典子は短い苦悶の時間をすごしただけで旅立った。

 発見から死までの間、鼓は驚きと失意と無力感の底で、妻の看護に明け暮れた。体の多忙と気鬱の巨大のせいだったのか、鼓は妻の肺がんと自らの大量の喫煙を結びつけて考えることはなかった。

 喫煙による健康への悪影響がうるさく言われだした1980年代まで、鼓は会社でも家でもどこでも、大量の煙草をすい続けた。だがところかまわずに喫煙するその習慣はほぼ40年前に終わった。鼓はそのころに禁煙宣言をした。しかしそれは表向きで、かれはひそかに喫煙を続けた。そうはいうものの禁煙宣言をした手前もあり、以来かれは家の中ではいっさい煙草をすわなくなった。

 妻の受動喫煙についてまったく意識が及ばなかったのは、それが原因だった。また妻のがんが、喫煙とは関係がないとされる腺がんだったことも、かれの想像力にブレーキをかけていた。

 妻の死からひと月ほどがたったある日、鼓は悲しみを紛らせたい思いからSNS上で彼女の死について告知した。

 かれは退職後に暇を持て余してSNSを始めた。10年あまり前のことだ。まもなく70歳代も終わろうとする今も、鼓は日々の出来事を発信しSNSの友の投稿を楽しむ。

 妻の死を悲しむ投稿にはすぐさま多くのお悔やみが寄せられた。

 その中に喫煙や受動喫煙が肺がんの原因のひとつという説もありますね。奥様は煙草をおすいになったのでしょうか?という書き込みがあった。

 受動喫煙という言葉が鼓の気持ちに平手打ちを食わせた。

 鼓が家の中でも煙草をすっていたころ、妻が子供と自分の受動喫煙についてうるさく文句を言っていたことがあざやかに記憶によみがえった。

 同時に妻の肺がんが、あるいはかれのすう煙草からの受動喫煙によって形成されたかもしれないと気づいた。

 40年ほど前の、煙草をめぐる自分と妻の確執を思い出して鼓は胸が苦しくなった。

アメリカ事情

 当時、典子がますます口うるさくなったのは、俊行が日本に帰ってからのことだった。酒はいい、煙草だけはやめてくれ、と主張する典子に、いややめない、禁煙がはやっているから俺も煙草を断つというのは主義に反する、と鼓は言いかえして夫婦はことあるごとに言いあらそっていた。

 鼓は性格的に、大勢が右に向かうから自分も右に顔をむける、ということができない。主義に反する、というのは少しおおげさだが、世の中の風潮が禁煙にかたむいているからといって、やめたくもない煙草を断つのはいやだ、というのはかれの本心である。しかし、こと禁煙問題に関するかぎり、妻と俊行への反発心がかさなって彼は必要以上にかたくなになっていた。

 義弟の俊行は半年前に5年間のアメリカ留学を終えて帰国した。アメリカでは彼は映画の勉強をしてきた。それをいかして仕事をしたいらしいが、斜陽と言われてひさしい日本映画界にはなかなかうまい就職先はない。当面はフリーの助監督として、テレビの仕事をしながら食いつないでいる。フリーといい、助監督と言えば聞こえはいいが、フリーとは不定期にしか仕事がはいらない、潜在失業者のことであり、助監督とはプロの映画作りを実地に勉強させてもらう雑用係といったていどの職業である。収入はほとんどない。ところが良くしたもので暇な時間はたっぷりとある。そこで彼はアメリカ仕こみの英語力をいかして通訳や翻訳のアルバイトをしながらどうにか生活をしていた。

 帰国した早々から彼は、アメリカではまともな人間は煙草をすわない。義兄さんも禁煙をして1日も早く文明人の仲間入りをするべきだ、と鼓の顔を見るたびに言いつづけていた。

「ほんとよ。広いお屋敷にでも住んでいるならともかく、こんなにせまい家なんだから、少しはかんがえてほしいわ。家族の全員が自分の煙草の煙でひどい目にあっていることなんか、まるっきり頭にないんだから」

 典子はそのたびに俊行の加勢をして言いつのった。

「かなわないな、きょうだい2人に嫌われちゃ。それでなくても姉さんは煙草ぎらいなんだから、あんまり彼女に入れ知恵をしないでくれよ」

 鼓は俊行が帰ったばかりのころこそおおように構えていた。妻のぐちを聞きながして、笑ってそういう余裕があった。最近では少し事情がちがう。

 煙草をめぐる典子のぐちやいやみが日一日と多くなり、トゲトゲしさが増していた。いわく、あなたが煙草を2本すえば、周囲の子供や私はほしくもない煙草を1本分すいこむ計算になるのよ。家族をみなごろしにしたいの。いわく、肺癌になるのはあなたの勝手だけど、家のローンの返済と子どもが大学を終えるまでは死んでも働いてもらいますからね。いわく、煙草のひとつもやめられないような意志薄弱な人間は会社での出世は望み薄と言うわね。あなたもきっと課長どまりで定年ということだわ。結婚する相手をまちがえてしまった・・云々。

 典子はもともと煙草がきらいな女だった。煙草ぎらいな女に色気のある者はいない、というのが鼓の持論である。それを承知で彼は典子といっしょになった。だから彼女の色気のなさと、喫煙に対する時たまのぐちやいや味はがまんする。しかしそれがのべつ幕なしに耳に入ってくるとさすがに腹にすえかねる。

 典子がそうなったのは、俊行が家にやってきて、鼓に禁煙をさせろ、と彼女にしきりに入れ知恵をするからである。喫煙者と肥満体の男は出世できない、という本当かうそか知らないアメリカの話を織りこんで典子が不満を言うのも、俊行に感化されてのことだった。

 俊行は鼓の家から歩いて10分もかからない場所に住んでいる。住まいが近いうえに、アパートでゴロゴロしながら翻訳のアルバイトをしていることが多いから、彼はひんぱんに家に遊びにやってきて、典子に禁煙のススメを説いて聞かせているのである。

 「アメリカで煙草をすっているのは黒人をはじめとする有色人種だけだね。白人、特に上流階級の白人はみんな煙草をやめているよ」

 休みの日の昼食時を見はからって俊行が来ている。俊行と典子は仲がいい。幼いころに両親をなくしていることもあって、身寄りはたった1人の姉弟だけだとおたがいに親しみあっている。そういう2人の間がらだから、鼓は典子を通してはやくから俊行をよく知っている。かれのアメリカ留学に際しては物心の両面にわたって世話をやいてやり、帰国したらしたで礼金と敷金を用意して自宅ちかくにアパートを借りてやったのも鼓である。まだ就職の当てもない弟を心配する典子の強い申し入れもあったが、鼓が俊行をきらっていたらむろんそういう事はおこりようがなかった。

 鼓自身に兄弟がない事情も手つだっているのか、かれははじめから俊行に対しては保護者でもあるかのような親しみを抱きつづけてきた。それはいまも変らない。煙草の件で俊行にすこし腹を立ててはいるものの、彼の気持の底には、血を分けた兄弟でもない鼓に「禁煙をしろ」とズケズケ口にする俊行の率直さをよろこんでいる部分があるから、怒りには典子へのそれとはちがって、はなはだ迫力に欠けるところがあった。

 それでも話がまたしても禁煙のことになると、鼓の気分はおだやかではなくなる。

「残念ながら俺は有色人種で、しかも上流階級じゃないんでね。煙草をやめる理由もしたがってない、ということだ」
 牡蠣フライを口にはこびながら、彼はむっとして俊行に言いかえした。

 昨夜はつき合いでしたたかに飲んだ。飲むとたちまち煙草の量が増える。喉から肺にかけて、ひりひりと焼けるような痛みがかかっていた。こういう日は朝起きてからしばらくの間は煙草をすう気になれない。会社のある日でも午前中はすわずにいて、昼食後にまず一服、ということになる。

 今日は土曜日である。週休2日制の会社はやすみだ。鼓は12時過ぎまで寝ていて、1時前にはじまった食卓に家族とともについているところなのである。それまで煙草のことをおもいだすだけで胸がむかつく気分だった彼は、俊行の話にたちまち反発心を呼びおこされて、無理をしてでもすってやる、とおもった。

 「別に人種差別のつもりで言っているんじゃないよ義兄さん。アメリカでは収入の多いインテリ層の人たちは、健康への関心が高くて禁煙するケースが多い、というだけさ。たまたま黒人や有色人種は低収入の層に属していて、しかも喫煙者の数が圧倒的に多いということ」

「俺はブルーカラーじゃないかもしれないが、だからといって上流階級でもないね」
鼓はむきになって俊行の言葉尻をとらえて踏んばる。

「この貧しい日本国で、大昔から週休2日制を敷く余裕があった大会社の課長はりっぱな上流階級だよ義兄さん」
俊行は別に揶揄する気もないらしいきまじめな顔で、箸で宙を突きながら反論する。

「上流階級?お金もないのにばかなことを言わないで、俊行」
典子が鼻でわらった。

「金がありあまっているという意味ではなくて、インテリで高給取りでホワイトカラーで、ということ。りっぱな上流階級だ」

「どうだか。大学を出ているのだからインテリでホワイトカラーというのは百歩ゆずってみとめるとしても、絶対に高給取りじゃないわ。煙草代が家計にひびく程度の給料取りよ」
典子が冗談めかしたつもりで口元だけのゆがんだわらいをうかべる。牡蠣フライとご飯と新香が口中で唾液にからんでいるのが見えた。

「そりゃそうだ。高給取りの女房はたいてい品良く飯を食うものさ」
鼓は悪態をついた。

 アメリカ、アメリカと題目でもとなえるみたいに言う俊行もしゃくにさわるが、おもいやりというもののひとかけらも見えない妻の態度にはもうがまんができない。この場で堂々と1本すってやる、と居間に置いてある煙草を取りに行きかけてかれは思いとどまる。娘の香織が両親のとげとげしいやり取りに困惑して、箸をとめてじっとこちらを見つめている。彼は娘のために、これ以上のいさかいをしないことにした。それでなくても昼食はすっかりぶちこわしになっていた。

 騒ぎの発端になった俊行は、ずぶといのか単に鈍感なだけなのか、すこしもあわてないで食事をたいらげた。食べ終えるとすぐにべそを作って落ちこんでいる香織を居間にさそって、なにごともなかったかのように遊び相手になってやっている。

 典子はあそぶ2人の脇のソファにすわって、次女の由樹にミルクを飲ませはじめた。

 鼓は、ガラス戸でしき切られた居間の縁側にすわって一服している。居間から追いだされたようではらだたしいが、妻の腕のなかで無心に哺乳瓶の乳首をすっている赤ん坊を見ると、とても部屋のなかで煙をまきちらす気にはなれなかった。いくら注意しても煙をあらぬ方向に吐きだしても、せまい居間の空気はみるみるうちによごれていくのがわかる。子供の小さな体に毒をふきこむようでかれは落ちつけなかった。

「アメリカに行ってすぐに煙草をやめたのか、俊坊」
鼓は縁側から声をかけた。昔からの習慣で鼓は彼を俊坊と呼んでいる。

「2年ぐらいはむこうでもすっていたよ。なかなかやめられなくて禁煙にはずいぶん苦労しました」

 俊行も以前は煙草をすっていた。鼓と同じブランドの煙草だ。すい始めたのはちょうど鼓と典子がいっしょになったころのことである。当時かれは2人のアパートにひんぱんにやってきては、わがもの顔で鼓の煙草を失敬していた。若いから粋がるところもあったのだろうが、あの頃は俊行のほうが鼓よりもよっぽどヘビースモーカーだった。

「どうしてやめようと思ったんだ」

「このあいだも言ったでしょう。煙草なんかすってるとバカにされるからだよ。体にはわるいし、女の子にはもてないし」

 鼓は2本目の煙草に火をつけた。食卓でのやりとりりに腹をたてて、これ見よがしにはじめの1本に火をつけたときは、胸が焼けるような不快感があった。不快感はずっとつづいた。それでも1本をすい終えると惰性で次の1本に手がでた。はじめの1本ほどの胸のむかつきはない。が、しびれた肺に棒を差しこむようないやな感じがのこる。

 左手の中指と人差し指でフィルターをはさみ、その端を親指でおさえて立ちのぼる煙を見ながら、(こんなもの、いつやめてもいいんだが…)と彼は胸のなかでつぶやいた。

 鼓の会社でも禁煙に踏みきる者が増えている。最近の例では常務の市村がそうである。市村は近い将来、同じ常務の平沢と社長の座をねらって競い合うと目されている実力者である。彼が禁煙をしたというニュースは、その日のうちに社内を駆けめぐった。それから1週間も経たないうちに、営業三課長の田代も禁煙に踏みきった。田代は早くから社内では市村寄りを表明している男である。彼はボス禁煙の話を聞いて、すぐにそれを真似することにしたらしい、というジョーク交じりの噂が立ち騒いだ。

禁煙は黒か白か。引き算ではない

 酔って帰った晩、鼓はとなりに寝ている典子に手をのばした。典子はとたんに体をかたくして、

「赤ちゃんが目をさますわ」
と突きはなすように言う。

 生後8ヶ月の由樹は典子のむこう側の子供蒲団に寝かされていた。夫婦はここ2ヶ月ちかくも交渉を持っていない。鼓の帰りが毎晩おそいこと。つかれていること。典子にそのことへの不満がないように見えること。時をかまわわず泣きだす赤ん坊への遠慮…さまざまな理由があった。が、いちばん大きな理由は、なんといっても煙草の件で夫婦が言いあらそいをくりかえしているところにあった。

 鼓はものごとを根に持つたちではない。夫婦喧嘩のときも花火のように感情をたかぶらせて、あとくされがないのがふつうである。煙草のばあいもやめろ、やめない、で典子といがみたったあとは、きれいさっぱりと忘れてしまいそうなものだが、なにしろ煙草は毎日口にくわえるものである。典子はそのたびにひと言いわないと気がすまない。鼓は言われるとだまっていない。結果はのべつまくなしに花火が爆発している、といったぐあいになる。

 たまに典子が1人で起きて鼓の帰りを待っている日がある。そんな日は彼女は、帰宅して煙草をふかす夫を見ても見ぬふりをしている。そうなると鼓は、妻の沈黙が気になってしかたがない。わざとらしいと思う。照れる。彼のぎこちない心理状態は典子にもつたわって、2人はおたがいにいよいよ気が張ってくる。夫婦のことだから、余計なことをかんがえずに彼女にのしかかっていけばすべてうまくいくはずなのに、彼はぐずぐずしている。タイミングがおかしくなる。やがて典子がそっぽをむいて自分の蒲団にもぐりこむ。鼓はそれを見て、なぜかむっとした気分で彼女につづく。そんなことがくりかえされていた。

 無視して、妻の胸をまさぐって、身をおこして彼女の上におおいかぶさった。顔をつきだして典子の唇をさがす。典子はふいのことにおどろくのか、眠りを中断されて不機嫌になるのか、さらに体をかたくして抵抗する。鼓は高まってひるまずに動きをつづけた。

「やめてよ。煙草くさい」
低い、するどい声で典子が言った。言っておいて、しまった、というふうに口に手をあてている。鼓は体の芯に電気を通されたようなショックをうけた。一気に萎えて、腕立て伏せを中途でやめたような格好で彼女の上に体をとめた。

 かれは相手の気持を誤解して先走り、こっぴどく拒絶された思春期の少年のようにとまどっていた。

 その気になればいつでも押し入ることができる、と思いこんでいた妻がひどく遠い存在にかんじられた。がくりと右腕をたたんで、寝がえるように自分の蒲団にもぐりこんだ。屈辱感が強烈にかれをおそっていた。

 煙草をやめよう、と鼓が決心したのはそれから間もなくのことである。

 無数にでてくるいざこざ、小言の投げあいのひとつ、とかれが高をくくっていた煙草の件は、その夜を境に夫婦の間に不透明ないやな緊張感をもたらしていた。

 典子は翌日から煙草のことをいっさい口にしなくなってしまった。俊行もおなじである。かれが鼓と顔を合わせて煙草の話を持ちださないのは、帰国以来はじめてのことだった。あきらかに典子に口どめをされている。すべてての気づかいがよけいに彼の気をおもくした。このままほうっておけば、妻との間に埋めきれないふかい溝ができてしまう、とかれは不安になった。

 誰にもそのことを告げずに鼓は禁煙にふみきった。

 1日目にかれは早くも挫折した。

 朝目がさめると鼓はまずちかくに子供がいないことをたしかめて煙草に火をつける。それは寝室である日もあるし、居間である場合もあるし、あるいはトイレ内だったりする。朝食後にも1本ふかす。家を出て駅まで歩くあいだにも1本。都心で電車を乗りかえるときもたいてい1本に火をつける。混雑がはげしく、しかも禁煙地帯が多い駅の構内ではほとんどそれを楽しむ余裕はない。しかしかれはどうしても1本を灰にしないと気がすまない。通勤の最後では、地下鉄の駅から地上にむかうあいだにさらに1本を箱から抜きだす。会社に入ったあとはたてつづけに煙草をすっている、というのがかれの喫煙状態である。本数は1日にだいたい2箱から2箱半というところにおちつく。酒を飲むと日によってちがうが、その倍ちかい量になることもめずらしくない。

 鼓はその日、朝起きてから会社に入るまでの5本をすんなりと断った。通勤の途中ではいつものくせで胸ポケットになんども手がのびた。そのたびに思いとどまった。

 やめる決意をしてもかれは煙草とライターを胸ポケットに入れていた。腹をきめれば煙草などいつでもやめられる、と鼓は自信をもっていた。禁煙をきめると同時に煙草やライターを捨ててしまうのは、自信のない人間のすることである。彼の自負心は煙草の煙が充満している社内に入ってもゆらがなかった。鼓はいつものように煙草とライターをデスクの上において、悠然と仕事をはじめた。

 10時半から会議がはじまった。せまい会議室には換気口に入りきらない煙草の煙が、朝なぎの海の霞みたいにしばしば上空にただよった。会議に出席している管理職の多くが喫煙者である。禁煙した重役の噂が社員の関心を集めたりもするが、やはり煙草のみの数は多い。

 鼓は会議の途中で体の異変におそわれた。

 頭のなかにぬるい薄い霧がたちこめるような感じがまずあった。かれは血圧が低くて朝はよわい。朝起きてしばらくのあいだ、かれの頭のなかは今のようにはっきりしない状態になることがある。

 霧がふいに濃くなって一瞬まっくらになった。左手に奇妙な感覚がある。手の甲を枕にうたた寝をしてしびれた時のようである。しびれは間もなく小指に集中して、そこだけがぴくぴくとけいれんした。が、見た目には小指にはなんの変化もない。そんな感じがするだけなのである。鼓はあたりをはばかりながら、なんの異常も感じていない右手の親指と人差し指でそれをはさんで軽くマッサージをしてみた。

 感覚がなくなっている。不安になった。つづいて頭の内側を大きな輪ゴムかなにかでぎゅっとしめつけられるような刺激がはしった。痛みというのではない。頭の機能を停止させる魔術にでもかかったみたいな、薄気味のわるい圧迫感である。

 一連の変調が地震のように次々に体内をはしった。と思う間に輪ゴムがゆるむ。強風にふかれるように霧がすっと晴れた。頭のなかが涼しくなる。しかし左手小指にはビニールをかぶせたようなしびれ感がそのまま居すわってしまった。

 会議が終わった。

 鼓は営業2課の自分のデスクにもどって、会議室で配られた30ページあまりの書類に目を通しはじめた。

 ふいに頭のなかに霧がわいて、小指がぴくぴくとけいれんした。輪ゴムがぎゅっとくる。目は書類の文字を追っているが、意味がまったくつかめなくなった。左の小指を右手でもみほぐそうとムダな努力をしながら、おなじ行をなんども読みかえす。あせりがこみあげて頭のなかは混乱するばかりである。

 急に煙草がほしくなった。同時にこれがニコチンの禁断症状だと気づいた。禁煙に入って10日ほどは相当につらいという話はよく耳にしていた。が、実際にどうつらいのかは鼓はしらなかった。これがそうだとはじめて納得した。

 2度目の発作は会議室での最初のそれよりも長くつづいた。手のひらに脂汗がにじみでている、と鼓が気づいたとき波がかえすように霧がはれた。頭の内側の圧迫感が消える。が、小指にはやっぱりしびれがのこった。

 はじめのときは発作へのショックがかさなったせいか、前後に大きな落差をかんじた。発作のあとでは頭のなかが凛と冴えわたるような気がした。今回は余韻がうすい幕を張ったようにのこってすっきりしない。煙草への欲求が耐えがたいくらいにつよくなった。それを振りきって鼓は書類の文字に集中しようとした。2頁ほど読みすすんだとき、再三発作の波がおしよせた。

 書類は緊急に目をとおして、他の課の責任者にまわさなければならないものである。かれはいらいらして大声をあげたくなった。ふと見ると、係長の吉川が部下のデスクに寄って、なにやら話なしがらうまそうに煙草をふかしている。駆けだしていって煙草をうばいとり、おもいきりけむりをすい込みたい衝動におそわれた。

(今日は日がわるかった。書類を読み終えるのが先決だ)

鼓は自分に言いきかせた。飢えたハイエナみたいにあわてて煙草の箱から1本を抜きだして口にくわえた。一服する。かすかに目がくらんだ。2度目に煙草をすい込んだときは、ニコチンがじわと血管にしみとおるのが見えるような気がした。吐く間ももどかしく、鼓は煙を深々と肺に送りつづける。頭のなかのもやもやが吹きとんでさっぱりした。小指のしびれ感も嘘のようになくなっていった。

 書類の言葉の流れがすらすらと頭に入る。彼は文章にまぎれこんでいる誤字に気づく余裕さえ出てきた。

 2本目の煙草に知らずに手がのびた。鼓は気づいてちょっとためらった。せっかくここまできたのだから1本でがまんしようか、と自問した。

(しかしまた発作が来たらたまらない。それに1本すってしまえばもう同じだ)

とたちまちうまいいい訳をおもいついた。2本目に火をつけた。

 その後はとめどがなかった。鼓は結局、退社時間までにいつもよりも多めの3箱60本の煙草を灰にしていた。

 明日からもう一度出なおしだ、とかれは帰りの電車の中でつぶいていた。その日はじめて体験した禁断症状がすこし気になっていた。が、まがりなりにも朝からしばらく煙草を断つことができたのがなぐさめになっていた。重要書類に目をとおさなければならなかった不運さえなければ、今日1日煙草なしで済ませられたような気もした。前途はあかるいとおもった。

 鼓の胸ポケットには地下鉄の駅で買った煙草が入っている。彼は電車を待つあいだに箱をあけて、すでに1本を抜きだしてすった。会社がおわった時点で再び禁煙をはじめてもよさそうなものだが、鼓はどうせならもう1度朝からやりなおしたかった。物事にははじまりのタイミングがある。1年の計は元旦にあり。長年慣れしたしんだ煙草を断つという大事業は、きっぱりとけじめをつけて朝から開始しなければ、かれはどうにもおさまらない気がした。

 9時前には家についた。

「おかえりなさい。早かったんですね」

めずらしく典子が玄関に出てきた。

「ああ。仕事のあとで麻雀にさそわれたがことわってきた。俊坊、来ているのかい」

玄関に俊行のスニーカーが脱ぎおかれている。長身の俊行は足も大きく、スニーカーはすぐに彼のものとわかる。

「よし、ひさししぶりに2人でいっぱいやるか」

鼓は言っていきおいよく床に上がった。

「飲んでいるんですか」

典子は鼓の意外なあかるさにおどろいてうしろから声をかける。

「これから飲むんだよ。なにを言っているんだ」

ふりむいて彼は返した。立ちどまる夫にふいをつかれて、典子の体はかれの胸にぶつかった。

「あ、ごめんなさい。そうですね。いま準備します」

あわてて言う彼女の顔が上気していた。くるりと背をむけて小走りにキッチンに消えた。まるで小娘のようなうしろ姿だと鼓はおもった。

 「パパ、おかえり!」

俊行といっしょにテレビを見てた香織がいちはやく鼓に気づいてさけんだ。

「あれ。早かったんだね義兄さん。どうしたの?」俊行は相変わらずのんびりしている。「早めに電話でもくれれば,夕食を待っていっしょに食べたのに」

まるで自分の家にでもいるみたいにけろりとして言った。姉の気づかしいなんかすこしも知らない。鼓は苦笑した。こういう大ようなところが俊行の良さだ、と素直におもった。

「うん。俺もこんなに早く帰れるとはおもってなかったんでね。ちょっといっぱいやろうか」

「おっ、待ってました!」

俊行は指をぱちんと鳴らしてよろこんだ。

 赤ん坊を寝かしつけたあとで典子が酒宴に加わった。

 「俊坊、俺すこしずつ煙草の本数を減らしていくことにしたよ」

自分の口から禁煙話を持ち出すことはぜったいにしない、ときめていたにもかかわらず、鼓は言ってしまった。少し酔いがまわって舌のすべりがよくなっていた。それでもさすがに禁煙をするとはいわず,本数を減らすという言いかたをした。

「ほんと?」

典子が横あいから身を乗り出した。彼女は今夜は機嫌のいい鼓に影響されてうきうきしている。いつもなら「どうせ口先だけでしょ」「3日ももてば上等だわね」という類のにくまれ口をたたくところである。

「減らすって、つまり最後にはやめるということ?」

俊行はすこしも感動しない。

「え?まあ。うまくいけばそういうこともあるかもしれない」

鼓は頭をかいた。ぜったいに煙草はやめない、とがんこに言いつづけてきたかれである。たちまち禁煙宣言をするのは気がひける。

 「だめだめ。そういう中途半端なやりかたは絶対にだめだよ義兄さん。煙草はここできっぱりとおさらばするか、すいつづけるかのふたとおりしかない。禁煙は引き算じゃないんだ。数を減らしていって最後にはゼロにしようなんてやりかたじゃ成功しない。白か黒か、それしかないよ」

俊行は断固としてつっぱねた。それはいい考えだ、とはげます気なんかこれっぽっちもない。

「そうかな。すこしずつ減らしていけばそのうちにはやめられるんじゃないの」

俊行の好意的な反応をすくなからず期待していた鼓はがっかりした。

「煙草はね義兄さん、1本すっても30本すってもおなじ毒なんだよ。とくに長いあいだすっている人間にはね」俊行はあわれむような声になった。「数がすくなければ体には毒がすくないという話を聞くけど、あれは煙草会社の陰謀だよ。やめるのなら、すぱっとひと息にやめるべきだ」

「でも本数を減らすと決心しただけでもいいことよ」

典子が今度は鼓の肩を持つ。

「今すぐにやめようという気にはなれないんだ。煙草は好きだからしょうがない。すこしづつ本数を減らしていって、その気になればやめるさ」

鼓は内心、いまにびっくりさせてやるから見ていろ、といたずらっぽく考えながら、わざと気おちした声を出した。

小指の思い出

 鼓は5時間後に目がさめた。それ以降も前日とおなじように煙草を断ちつづけた。

 禁断症状はその日も11時ごろからかれを悩ませはじめた。

(禁断症状だ。これをがまんすればいい)

鼓はなんども自分に言い聞かせながら仕事をすすめていた。

「課長。小指、どうかなさったんですか」

いつのまにか係長の吉川が鼓のデスクの前に立っている。鼓は無意識のうちに左の小指を右手で包むようにしてもみほぐしていた。

「あ…いや。ちょっとね」

彼は気づいて、あわてて手をはなした。ふと見ると、部下の1人ひとりがそれぞれの机の前にすわっていぶかし気にこちらをながめている。どうやらかれは知らずに長いあいだそうしていたらしい。ひや汗が出た。

「認めをいただければ、これで経理のほうにまわしますが」

吉川がデスクのはしに置かれている清算書をかれに押しやった。それは先刻かれが鼓の認印をくれと言いのこしておいていったものである。

 鼓はそのことをすっかりわすれていた。かれがいつまでも書類に目をとおさないので、吉川はようすを見にやってきたものらしい。

「や、すまんすまん。ちょっと考えごとをしていたのでね」

鼓は書類を手元にひき寄せた。

 ぱらぱらとそれをめくりながら、右手を煙草の箱にのばした。1本をぬき出して口にくわえる。火をつけるつもりはなかった。口にくわえていれば気がまぎれると思った。煙草をくわえたとたんに、吉川が自分のライターをさっと出して火をつけた。考える間もなく、鼓は顔を前につき出して煙草の先を火のなかに入れた。

 しまった、とおもった。よけいなことをするな、と言いかけて、ぐっと言葉をのみこんだ。部下の親切をあだで返してはしめしがつかない。ままよ、と一服深々とすいこんだ。たちまち気がはれて、世の中があかるく見えた。

 それから先はタガがはすれたように節操がなくなって、鼓は次々に煙草をぬき出していた。

 次の日は昼食までふんばった。社員食堂でカツ丼をたいらげたとき、猛烈に煙草がほしくなった。腹がふくれるとかれはいつも一服したくなる。それをよく承知しているから、鼓はわざと煙草をデスクにのこしてきていた。手元にないとよけいにすいたくなる。逆効果もはなはだしい。茶と水をがぶ飲みしてまぎらそうとした。無駄である。気がおかしくなりそうになった。

 ふと見まわすと、営業三課所属の顔見しりの若い社員2人が、食事をおえて極楽顔に煙草をふかしている。鼓は矢もたてもたまらなくなって席を立った。

「すまないが煙草を切らしちゃってね。1本もらえないか」

「あ、2課長。どうぞどうぞ」

ひとりが箱をふって1本を押しだした。

「わるいね」

鼓がそれをぬき取ると、あとのひとりがすかさずライターの火を差しだした。

 一服の力はあいかわらず絶大である。鼓はたちまち生きかえった。

 11時から昼食にかけての時間帯にかれはいつも挫折した。朝起きてから会社に入るまでのあいだをうまくきりぬけて、今日こそは、と誓いもあらたに鼓は仕事をはじめる。仕事はいつも山積している。頭のなかが霞がかったようにはっきりしなくなり、目まいまがいの症状がやってくる。こらえて仕事をすすめる。11時を過ぎるころになると仕事の遅れが目だってくる。いらいらする。鼓はこらえきれなくなって、急ぎニコチンを取りこむ。なんとかそこを切りぬけても、昼食後にはやはり誘惑に負けて煙草に火をつけてしまう日がつづいた。 

 ウィークデーの失敗にこりたかれは、土日のやすみを利用して禁煙を達成することにした。なにはともあれ1日24時間を完全に禁煙することが大事である。週末のどこかでそれができれば、あとは水が川を流れるようにスムーズにことが運ぶにちがいない。

 決意もむなしく、土曜日は接待ゴルフにつきあわされて鼓はあっけなく禁をやぶった。

 煙草の煙が充満する会社とは別世界の、空気の澄みきったグリーンに足を踏みこむやいなや、かれは禁煙の誓いを先にのばしたくなった。ぐっとこらえてコースを回りはじめた。発作が起こってクラブをにぎる手がおぼつかなくなる。それでもがまんした。

 クラブハウスに入って屋外でビールを飲んだ。すきっぱらにアルコールがしみ込む。接待相手のふかす煙草の煙が風にふかれてかれの目の前にただよってくる。鼓は鼻の穴をそっとひらいてそれをすいこんだ。せつなくなって1本に火をつけた。汗をながしたあとの煙草は格別な味がした。

 日曜日には腹をくくって禁煙にいどんだ。

 鼓は10時に目がさめた。ゴルフ疲れでよく寝たせいか爽快な気分である。近来めずらしいすっきりした朝だ。禁煙に挑戦していらい、さすがに煙草の本数がへっている。おかげで体調がよくなったのか、とかれはおもう。

 遅い朝食をとった。食べたあとも食卓にのこって新聞に目をとおしていた。さっそく煙草がほしくなる。体調がいいとそれに並行してニコチンへの欲求も強くなるものらしい。いつにもまして不満感がつのる。ぐっとこらえつづけた。

 昼前に1人で散歩に出た。駅の踏切をわたって、線路ぞいの民家の前をしばらくあるいた。ところどころに茶畑が見えてくる。このあたりまでくると、家と空き地が日に焼けて皮のむけた背中みたいに勝手気ままな配置でひろがっている。雑木林や竹林も多い。そのあたりもやがては造成されて家が建つのだろう。

 犬を連れた初老の男が、茶畑のなかのいっぽん道をこちらにやってくる。煙草をふかしている。犬に引かれて立ちどまる。白い小さな棒の先からひとすじの紫煙が立ちのぼて大気に飲みこまれていく。そこまで気がまぎれていた鼓は、また煙草がほしくなってしまった。苦しい。男とすれちがうとき、よほど声をかけて1本分けてもらおうかとおもった。かろうじて耐えた。

 禁断症状は判で押したように一定の間隔をおいて高波になって寄せてはまたかえしていく。すくなくとも会社のなかの限られた空間で、他人のふかす煙草の煙に巻きこまれるばあいはそうである。ところがゴルフ場や戸外の散歩道のように気のまぎれやすいい広い場所にいると、発作は不規則にやってくる。それにはきっかけがある。煙草をすっている他人を間近に見たときである。ひとのあくびを見て眠気をさそわれるのに似ている。こまったことに禁断症状は眠気とはくらべものにならない苦しみをもたらす。特にふいの発作の場合には、前震のまったくなかった大地震のようである。エネルギーがたまっていっきに爆発するから苦しみが大きい。

 男をどうにかやりすごしたものの、鼓は体内にかんしゃくもちの子供が飛び込んで駄々をこねているような、掻くにかけないつらい気分になった。目の前が闇になり、左手がしびれてすぐに小指に集中する。いてもたってもいられなくなった。

 手のとどく道沿いに茶の葉がしげっている。茶の葉っぱにはカフェインがふくまれている。カフェインもニコチンも同じアルカロイドである。親戚のようなものだ。どこかで読んだ知識が、鼓の脳裡にうかんだ。次の瞬間にはかれは右手いっぱいに茶の葉を引きちぎっていた。口に押しこんでむしゃむしゃと噛む。たちまち苦味が舌を刺した。

 鼓はわれにかえった。噛みくだいた物をあわてて吐きだした。腹が立った。こんなにみじめな思いをしてまで煙草をやめる必要があるのか。たかが煙草だ。好きなだけすってやる。彼は急に気が大きくなった。

 帰る道すがらあたりをかまわずに唾を吐きつづけた。が、口中の苦味はなくならない。家に着いて洗面所でなんどもうがいをした。最後に歯を磨くとようやく人心地がついた。

 口なおしのつもりで縁側に出て一服した。すうはなから後悔した。何かと理由をこじつけては結局禁断症状に負けているだけだ、と苦くおもった。

 典子が庭の物干しに洗濯物をかけながら横目でこちらを見ている。嫌悪感が表情に出ていた。

(今日はじめての煙草だ。文句があるか。俺だって苦労しているんだ)

彼は妻の横顔をにらみつけておもった。たてつづけに煙をすいこんだ。

 鼓は会社の昼休みに本屋に寄って、『禁煙法教えます』という本を買った。先ごろ煙草を断った部下のひとりが、それに書かれている方法を実践して禁煙に成功した、という話を耳にしたのである。

 『禁煙はニコチンによる中毒である。その意味では麻薬と同じだ。まずそのことをしっかりと認識すること。それが禁煙を成功させる第一の、そしてもっとも重要なステップである』

図柄入りの本はそんなふうにはじまっている。煙草がなぜ体に毒なのか、という医学的な事実を具体的にわかりやすく説いたあとで、本はさらにつづける。

 『禁煙には徐々に本数を減らしていく方法と、ひといきにすぱっとやめる2通りの方法がある。ひといきに禁煙に踏みきるのは意思の強い人間のやり方だという考えが喫煙者のなかには根づよくある。それは完全なる誤解である。なぜならば煙草は1本すうと止めどがなくなるのが中毒たるゆえんである。したがって毎日まいにち正確に本数を減らしていくこと、-つまり1日にすう本数を決めてそれを順守すること‐は実は至難のわざである。それができればこの本を読んでいるあなたは、ニコチン中毒などという悲惨な病気にかかることはなかったはずだ!漸減法はふつうは計画どおりに事がはこばず、あるていど本数を減らすとなかなか前にすすまないことが多い。たとえ計画どおりに行っても、完全に煙草を断つ最後の段階ではいっきに禁煙に踏みきる場合とおなじ苦痛がともなう。禁煙は本数の問題ではなく、すうかすわないか、白か黒かの問題である』

(俊坊と同じことを言っている)

と鼓はそこで感心した。

 『煙草は右のような理由で、いっきにやめてしまうのが合理的であり、かつ容易な方法である』

本はそう結んだあとで21ヶ条の禁煙心得をしめす。そのおもなものは簡単に言うと次のごとくである。

一.禁煙を決意したらすぐに,家族や友人や同僚をはじめとするすべての知人に高らかに禁煙宣言をしろ。

  1. ただちに煙草・マッチ・ライター・灰皿等の喫煙器具を屑かごになげ捨てろ。
  2. 喫煙者にキスをするのはよごれた灰皿をなめるようなものである。勇気を持ってこのことを恋人に伝えろ。 
  3. 左の写真をいつも頭に描け。これがあなたの肺である。(癌におかされてただれた肺の切断写真)。
  4. どうしても煙草がすいたくなったらガムやハッカキャンディーを口にふくめ。冷水で顔を洗え。うがいをしろ。歯をみがけ。からだを動かせ。深呼吸をしろ。走れ!
  5. 煙草の害は肺癌にとどまらない。あらゆる業病難病の元をなす。エイズもニコチンに関係している可能性がある。このことを常におもい出せ。
  6. 子供・恋人・愛人・妻にペット・・…愛する者のことをかんがえろ。かれらは知らずにあなたの煙草の煙につきあって墓場をめざして一直線に歩いている。云々―。

 自己暗示のためのモットーのようなものもあれば,具体的な行動指針を示すためのものもある。

 鼓は21ヶ条の中でも冒頭にかかげられているふたつにもっとも抵抗をおぼえた。かれはふだんから家族や会社の同僚にむかって、ぜったいに禁煙はしない、と大見得をきってきた。だから意地でも禁煙宣言はしたくない。典子と俊行には酔ったいきおいで煙草の本数を減らすと言ってしまったが、あれはあくまでもはずみでそうなったのである。禁煙はどうしても人知れずに達成したかった。 同じ理由でかれはふたつ目の心得にも感心しない。なぜならば煙草やライターを捨てて、会社のデスクにある灰皿を処分すれば、それは即座に周囲の人間に禁煙宣言をするようなものである。それはこまる。結局かれははじめのふたつを飛ばして、残りの心得に気をくばってみた。ほとんど効果はなかった。それでも本にこだわっていたあいだに1日半だけ禁煙に成功した。大阪出張に出たときのことである。

大阪慕情

 鼓はその日、朝7時の新幹線で大阪にむかった。起きてからずっと煙草を断った。列車の座席は禁煙車両のそれを買っていたから、その中でもすわずに済ますことができた。またその気も起きなかった。周囲に煙草をすう人間がいないと禁煙はいつもたやすい。

 大阪支社につくと、彼は聞かれもしない前から「禁煙中」だと言いふらした。大阪には鼓が禁煙反対論を唱えていたのを知る者はいない。だから彼は大いいばりでそう口にすることができた。大阪でも禁煙ははやっているとみえて、誰もかれの言葉を聞きとがめなかった。「お、やりましたね」「それはいいことですよ」「うらやましい」私もやめてしまいたいが、なかなか」というぐあいに、むしろ好意的な反応ばかりがかえってきた。たとえ口にはださなくても、誰もが賞賛するようなまなざしでかれを見る。鼓はその日は心なしか、間断なくおそってくる禁断症状がかるいようにおもった。

 夜は支社長の塚原と総務部長の戸山にさそわれ飲みにでかけた。鼓は飲むとかならず煙草がほしくなる。しかし昼間のうちに2人に面とむかって、禁煙1週間目ですと話していた手前、かれははじめけんめいに欲求をこらえた。酔って気がゆるむとどうでもよくなった。鼓は隣にすわっているヘビースモーカーの戸山の煙草をなんども失敬しようとした。そのたびに塚原が、せっかく1週間も禁煙したのだからもったいない、がまんしなさい、とかれを制止した。塚原は東京本社にいたころに煙草をやめたのだという。

「1週間から10日目ぐらいが1番きついんだ。もうすこしのしんぼうだよ。戸山君、せっかくかれががんばっているんだから、今夜は隣でぷかぷかふかすのはやめたらどうだい」

塚原はわらって戸山をたしなめた。

「そうですね。大阪出張で禁煙がだめになったとあとで鼓君にうらまれちゃかなわない」

戸山は和気あいあいにかえして、使いすてのライターと煙草をまとめて、

「君、これ屑カゴに捨ててくれ」

とバーテンダーにわたした。

「お、いいですね。男の友情、武士の情け。戸山さん泣かせますね」

バーテンダーはつまらないことを口ばしって、受け取った物を足元の屑カゴに投げこんだ。鼓はしかたなく戸山と塚原に礼を言う。

 アルコールと煙草、コーヒーと煙草、という2つの組み合わせは、いつもくっついていないと鼓は不安になる。ニコチンをほしがる体をなだめようとして、かれは次々に水割りのグラスを口にはこんだ。その夜は正体をうしなうほどに酔った。

 ふつか酔いの体は一転して煙草を拒絶する。翌日の午前中は鼓は煙草に手を出す気になれなかった。午後には大阪での仕事を終えてひとまず東京の本社に電話を入れた。部長の山倉が電話に出て、今日中に出張の報告を聞きたいから会社に顔を出してくれという。部長命令では仕方がない。鼓は予定よりも早めに新大阪に向かった。新幹線の中ではぐっすりと寝込んだ。おかげで煙草は気にならなかった。

 部長室での報告は1時間足らずですんだ。

「ご苦労さん。どうだね、これから飯でも食いに行かないか」

山倉が上機嫌で鼓を誘った。時刻はすでに7時を回っている。

「はい。おともします」

鼓はためらうことなく返した。列車の中で寝たおかげでふつか酔いからはすっかり立ちなおっていた。気分がいい。山倉が大阪での仕事の成果を気に入っている、と分かったころから彼はしきりに煙草をおもいだしていた。仕事がうまくはこんだあとの煙草の味にも格別なものがある。が、彼はその場はぐっとこらえて切りぬけた。

 「煙草をひかえているのかね」

 山倉がふいに聞いた。彼の行きつけの寿司屋で、食事がてらに飲んでいた最中のことである。鼓はぎょっとして、ほおばっている握りをひといきに飲みこんだ。山倉は大の煙草好きで、だからというわけではないが、社内の派閥抗争では喫煙派の平沢常務に付いている。山倉をはじめとする平沢派の人々は、禁煙に踏みきった市村常務とその一派への対抗心から、最近しきりに喫煙者と禁煙者を区別して色眼鏡で見ていると言われていた。むろん対抗者どうしをきわだたせるためのジョークだろうが、山倉の口から煙草の話がでると妙に空気が重くなった。

 「いえ。そういうわけでもないんですが。ちょっと、その、煙草を切らしちゃいまして」

握りが胸につまって苦しい。鼓はあえぎながら言った。

「君もたしかこのブランドだろう。遠慮しないですいたまえ」

山倉はカウンターにおいてある自分の煙草を彼の前に押してよこした。

「すみません。じゃ、1本いただきます。ちょうど買おうと思っていたところなんです」

鼓はすらすらと嘘をついた。山倉の煙草の1本を取り出しながら、同じ銘柄のひと箱を板前に注文した。

 しばらくぶりの一服はなんともいえない味がした。ティッシュペーパーにこぼれたインクのようにすみやかに、ニコチンが肺から体の全体に浸透していくのがわかる。アルコールといっしょだから効果のほどは一段とすばらしい。

 「最近どうも社内に禁煙者が増えているようだね。日本人は何でもすぐにアメリカのまねをしたがる。いったいいつになったら猿まねの癖をなくすのか、こまったものだ」

山倉はことさらに眉をひそめていった。彼が非難しているのは、もちろん市村常務とその取り巻きにちがいない。

 「自他ともに愛煙家を認めている君まで、煙草をやめてしまったのかとおもったよ」

山倉は満足そうにうなずいた。

「とんでもないですよ部長。こんなにうまいものはやめられません。長年つき合ってきた煙草をあっさり捨てるのは、私にはどうも嘘っぽくて理解できませんね」

鼓はつい山倉にこびてしまった。長いサラリーマン生活のあいだに習い性になってしまった保身術は、煙草と同じで中々やめられない。

「大阪でも禁煙がはやっているのかね」

山倉は煙草にこだわる。鼓は再びひやりとした。

 大阪支社には市村常務の「禁煙事件」にまつわる東京本社内の最近の動きはまだ伝わっていない。しかしこちらの派閥争いを反映して、むこうもすでに市村派と平沢派の色分けができつつあると言われていた。それを知りながら、大阪でうかつにも「禁煙中」だと人々に触れまわった自分の行為を、鼓はいまさらながら後悔した。煙草をがまんしていると、どうしても集中力がなくなって大事なことを見おとしてしまう。これもその一例である。

 鼓は今のところ社内では市村派にも平沢派にも属さない中立の立場にいる。それでも直属の上司である山倉が喫煙派によっている事実は、鼓のこれまでの禁煙作戦にも微妙な影響をおよぼしていた。つまり彼は山倉への遠慮から、会社の中では堂々と禁煙宣言をできなかったようなところがある。いや、もちろん彼がそれをためらう最大の理由は、反禁煙を標榜していた自分の過去が気になるからである。ころりと態度を変えて禁煙バンザイとさけぶのは、転向宣言をするみたいで彼はおおいに恥ずかしい。言うならばそれは、彼の人間性にかかわる問題なのである。が、人間性をまっとうするだけでは会社という組織のなかでは生きのびられない。鼓の気持や行動の中に山倉への政治がらみの遠慮がチラと顔をのぞかせるのはどうにもしかたのないことだった。

 鼓は大阪での彼のうごきが山倉に知れるときのことをおもって気が気ではなくなった。

「大阪は東京ほどアメリカの影響は強くないみたいです。ただ禁煙は世のなかの大きな流れになってしまいましたからね。若い人達のあいだにもかなり禁煙がはやっているみたいです。健康願望が強くなったんでしょうかね」

うちの社内の問題ではなく、世のなかの大勢が禁煙にむかっているのだ、と主張して鼓は自分の立場を正当化しておきたくなった。「私も健康のために少し本数を減らそうかとおもっています」

鼓はそうつけくわえた。

「いまどのくらいすっているのかね」

「1日に2箱半から3箱というところです」

鼓はすこし誇張した。禁煙にいどんだ最初のころこそ反動で逆に喫煙量が増えたりしたが、最近では1日にすう本数はぐんとすくなくなっている。

「ほう。それはりっぱなものだ。しかし、なにも無理をして本数を減らすこともないだろう。煙草は嗜好品だ。好きなものをやめたり減らしたりしたら人間は心がまずしくなる。好きなら思いきりすいたまえ。煙草をやめてしまっても肺癌になるものはなるんだ。くよくよしてもはじまらない」

山倉は饒舌になった。酔いがまわってきたらしい。鼓はなかばは彼の言葉に賛成しながら、なかばはせっかく成功しかけた禁煙が振り出しにもどったことをくやしくおもいながら、堰を切ったように次々と煙草をふかす。こうなるとかれも酔ってきた証拠である。

 「煙草、やめたいんだけどさ。むつかしいね」

新宿でテレビ映画のロケを終えたという俊行と待ちあわせて、鼓は食事がてらにかれと飲んでいた。

 鼓の禁煙作戦はマンネリ化していた。

 21ヶ条の禁煙心得の次には禁煙パイポもためしてみた。子供だましの玩具だとおも。禁煙ガムもかんでみた。会社でくちゃくちゃと口をうごかしているのはとてもがまんができずに、1時間でおわりにした。禁煙紅茶も飲んでみた。コーヒーを飲んだときのように逆に煙草をすいたくなった。紅茶という名前が良くないのだとおもった。運動をするのが良いときいて、朝の出勤前にジョギングもやってみた。走ったあとでは肺がきりきりと痛んで、たしかに煙草をすう気にはなれなかった。ところが会社に着いて仕事をはじめるころになると、胸の痛みはすっかりなくなっている。おまけに体を動かしたあとだから煙草がよけいにうまい。運動はむしろ、喫煙のすすめ、といったほうがふさわしい、とひとりつぶやいた。

 結局もっとも効果がありそうなのは、禁煙心得21ヶ条のうちの鼓が避けてとおっている2つのやり方である。大阪に出張した日の成功がそのことを雄弁にものがたっている。

 のこされた道は、高らかに禁煙宣言をして自分を追いこむことだ、と承知しながらかれはいぜんとしてためらっている。面子にこだわりすぎている。

 「本数、へらせないの?」

サンマの塩焼き、揚げだし豆腐、焼きうどん、もつ煮こみ、アサリのバター焼き、なす田楽、とろろイモ等々の皿をテーブルいっぱいにならべてぱくつきながら、俊行は上目づかいに鼓を見る。まともな食事をするよりも居酒屋でいっぱい飲むほうがいい、という俊行の希望でふたりはこの店に来た。

「ほんとのことを言うと、すぱっとやめようとおもって努力しているんだ。挫折の連続だよ。本数はかなり減ったことはへった」

「じゃ、いいんじゃないの。兄貴はいっきにやめるよりも徐々に本数をへらしていくタイプだよ」

俊行はおごってもらっていることへの礼のつもりか、鼓に兄貴としたしく呼びかけた。

「このあいだ言っていたじゃないか。白か黒か。すいつづけるかきっぱりと捨てるか。ふたつにひとつしかないって」

俊行はこんどは鼓の目を見ようとしない。顔をふせて、立てた箸の先でとトロロイモをつつきながらいじわるに答えをしぶっている。

 「――俺ね、おもうんだけど。兄貴は煙草をやめられないんじゃないかな。どうもそんな気がする」

俊行はうす笑いの浮かんだ顔を上げて、勝ちほこる調子で言った。まるで人質に死刑宣告をするサディストの誘拐犯、といったふうである。

「どうして・・・」

鼓はぎょっとした。

「だって兄貴、煙草を腹の底からいやだとおもっていないもの」

「煙草はいやだとおもっているよ。だからやめたいんじゃないか」

「無理するなって。せいぜい体のために良くないからやめようとおもっているぐらいじゃないの。たとえばヘビとおなじくらいに煙草がきらいというわけじゃないでしょう」

「俺、ヘビは好きなんだ」

「あ、そう。悪趣味だな。見るだけで気持がわるくなるものってなに?」

「そうだな――食べ物で言えばとろろイモ」

鼓は俊行の前にあるとろろイモの皿を見おろした。かれの本心である。とろろイモにかぎらず、鼓は糸を引く食べ物がすべて気に入らない。

「ほんと?」

俊行は箸の先を口にふくんでびっくりしている。

「ヘビが好きでとろろイモがきらい。ふうん。俺と正反対だ。兄貴、変態じゃないの」

言ってフライパンがころげるみたいにゲラゲラ笑った。

 鼓はくやしいが言いかえす言葉がない。煙草のひとつもやめられないようでは俊行にからかわれてもしかたがない、と変に弱気になっていた。

「アメリカ人はどうやって煙草をやめているんだ」

鼓は踏んばって、ふん、と鼻であしらうぐあいに聞いてみる。

「煙草をほんとうにきらいいになって、すぱっとやめるよ。煙草にくむべし、という考えが徹底しているんだ」

「アメリカ人がみんな煙草ぎらいというわけじゃないだろう」

「だから階級によってちがうんだよ。禁煙はインテリジェンスの問題だよ兄貴」

俊行はインテリジェンスという語をインリジェンスと抑揚をつけて発音した。

「インテリジェンス?だから黒人には喫煙者が多いということか」

「またまた‐ネトウヨ差別主義者もマッサオなこと言わないでよ・・兄貴、日本国の総理大臣になれるよ、まったく」俊行はあきれた。「インテリジェンスに黒人も白人もあるわけがないじゃないか。いま階級と言ったばかりでしょ。知識階級の階級だよ。人種は関係ないんだ」

「・・…?」

「どう言ったらわかかるのかなあ。つまり煙草は迷信みたいなものなんだ。無知な人間ほど迷信にこだわるじゃない。そのインテリジェンス」

 鼓はゆううつになった。煙草ごときで俊行に無知よばわりをされるおぼえはない。かならずやめてやる、と決意をあらたにした。

禁断の味

 決意だけが先ばしってあいかわらずからまわりをしているさなかに、部長の山倉が入院した。喉頭癌である。山倉は取りあえず一命はとりとめたものの、手術で声帯をうしなった。癌はすでに体内のどこかに移転している可能性も高いという。彼は回復してももちろん煙草はすえない。それどころか退院後に会社に復帰して仕事をつづけられるかどうかさえあやぶまれる体になってしまった。

 喉頭癌のほとんどは喫煙者にとりつく病気である。山倉がそれで倒れたというニュースは、社内の多くの喫煙者をふるえあがらせた。触発されてただちに煙草を断つ社員も出た。

 鼓もその機会に乗じて会社で高らかに禁煙宣言をした。ヘビースモーカーの部類に入るかれが、山倉の病気を身につまされて煙草を断つのはふしぎではない、とかんがえる者が社内には多かった。かれはあれほどためらった禁煙宣言を、良心の呵責を知ることなく表明することができた。

「煙草、やめるよ」

鼓は会社で禁煙宣言をした日の晩に典子にも言った。悲壮感を精一杯顔に出したつもりだった。ところが山倉とは面識のない典子は、彼の発癌のニュースを聞いても身につまされる根拠がうすい。

「あ、そう。お願いします」

とかるく受け流して澄ましている。まるで鼓が世界一周旅行に連れていってやる、とでも発言したみたいである。彼女の顔には、期待しないで待ちますわ、と言う気持がはっきりと出ていた。

 ところがその翌日の晩に鼓が帰宅すると、典子は赤飯を炊いてかれの帰りを待っていた。きのうはそっけないふうをよそおっていたが、鼓の禁煙宣言はやっぱりうれしかったらしい。俊行も呼ばれていていて、娘の香織とともにかれの帰りを待ちわびていた。ご馳走の並んだ夕食がにぎやかにはじまった。

 「義兄さん、会社の部長が喉頭癌になったから禁煙したんだって?」

俊行がニヤニヤわらった。今夜もまたなにか言いたそうである。

「うん――まあな」

鼓は少し身がまえた。

「どうして?」

「どうしてって・・…あれは煙草のみがかかる病気だからさ。命はおしい」

「人の病気を見て煙草をやめたということは、自主的に煙草がきらいきらいになった、というわけじゃないんだね。ようするに他力本願なんだ」

奥歯に物がはさまったように言って、俊行はふうんと唇をとがらせている。

 鼓はいやな気分がした。かれはきのう会社の休みを利用して、虎ノ門の病院に入院している山倉を見舞った。山倉は首のまわりを包帯でぐるぐる巻きにされて死人のようにベッドに横たわっていた。光のやどらない弱々しい目が包帯よりも無ざんな印象をあたえる。「煙草が好きなら好きなだけおもいきりすいたまえ」と寿司屋で自信たっぷりに鼓に言ったときのかれの姿はどこにもなかった。まるで20も30も年をとったように見える。それだけですめばまだしも、噂どおり癌が体のどこかに移転しているとすれば、かれはすでに死の宣告を受けているのも同然である。鼓は腹の底から煙草はおそろしいとおもった。

 彼は病院からもどった直後、煙草を断つ、と営業2課の部下たちにむかって高らかに宣言した。

 山倉の癌が身につまされたのが鼓の禁煙宣言の最大の理由であることはまちいがない。が、鼓は同時に、かれを喫煙派の仲間だと勝手にきめつけていた山倉のいないいまが、社内で禁煙宣言をする絶好のチャンスだ、と胸の片すみでかんがえていないこともなかった。他力本願という俊行の言葉は、彼がまるで山倉の病気を待ち望んでいたかのような響きがあって、鼓は屈託した。

 「他力でも自力でも煙草をやめることに変りはないだろう。やめることがかんじんだ。方法は関係ないよ」

鼓は自分に言い聞かせるように返した。

「でも、他力本願では中々やめられないよ」

俊行はまだ意地悪を言う。煙草をやめたい、と鼓が新宿で告白していらい、俊行はとことんかれをからかい続けるつもりでいるらしい。

「やめるといったらやめるさ」

「でも、煙草すいたいでしょ。顔にそう書いてある」

「すいたかないよ。本気でやめるんだから」

「無理をしないほうがいいよ義兄さん。無理をして欲望を否定するのは体に良くない。煙草がほしい、煙草がほしい、と正直に言った方が精神衛生上もいいんだ」

「俊行、いい加減にしなさい。あんたまるで煙草をすえ、すえと義兄さんにそそのかしているみたいじゃない。ふざけないで」

典子がたまりかねて弟をにらみつけた。

「そんなことないよ。義兄さんの禁煙の決意がどれほど強いのかためしているだけさ。これぐらいの誘惑に負けるようなら、どうせ長つづきなんかしない。ね、兄貴」

こんどは兄貴と言い変えて、俊行は鼓の背中をぽんとたたいた。イヒヒと笑う。

「なんとでも言うがいいさ。煙草なんかすこしもすいたいとはおもわないね」

 鼓は強がりを言った。食べながら飲んでいるビールがすこしまわってきて、本当は煙草をすいたくなっている。が、その場はたいした努力もしないでやりすごすことができた。

 禁煙宣言をしてこの方、彼は会社でも今のようにうまく禁断症状を克服してきている。自分がかかったわけでもない喉頭癌への恐怖心だけではこうはならない。強い緊張感が彼にやすやすと禁断症状を克服させているのである。その緊張感はかれが人目を意識するところから来ている。煙草を断つ、と公言した以上、なにがなんでもそれを口にしてはならない。禁をやぶれば人々になにを言われるかわかったものじゃない、と彼はおおいに気が張っている。

 禁煙3日目にもなると、社内では多くの人間が彼の決断のことを知っていた。2課の部下をはじめとする営業部の社員はもちろん、顔見知りの他の部の人々までがかれと会うたびにかならずそのことを話題にしてくれ、はげましてくれる。また社員食堂では食事をしているかれのところにわざわざやって来て「禁煙おめでとう」「ついにやりましたね」「頑張ってください」等と声をかける者もすくなくなかった。まるで大阪支社にでもいるみたいな感じである。

 人目は日ごとに多くなった。が、緊張感というものはそう長くはつづかない。禁断症状さえわすれてしまうほどぴんと張り詰めていたかれの気持は、時とともに逆にゆるんできた。それと並行してニコチンへの欲求がだんだん強くなってくる。しかしかれは煙草にはいっさい手を出さなかった。ここが以前とはちがうところだ。緊張感は弱くなったが、かわりにかれ本来の意地っぱりな心根が頭をもたげてきたのである。人目がある限り絶対に煙草はすわない、とかれは意地を張りはじめた。なんのことはない。やはり人目を気にするあまり、ぜったいにに禁煙宣言はしない、とつい3日前までかたくなになっていたときと同じである。煙草に手を出さないのはいいが、意地は張れば張るほど敵の姿も大きくなる。禁断症状はたちまち勢いを盛りかえしてかれを苦しめはじめた。

 鼓は苦しみながらも4日目5日目と無事に意地を張りとおした。

 6日目の昼食後に強烈な禁断症状がかれをおそった。頭のなかの黒い霧がタールのごとくよどんで、左手全体が麻痺したような強いしびれ感がきた。小指どころのさわぎではない。小指の存在さえわからなくなるようなけだるい、腕全体の麻痺感覚である。つづいて頭の内側に例のぎゅっという圧迫感が走る。それもやはりいつもとはちがう。まるで輪ゴムがチェーンに変ったような硬質の強い刺激である。それからの異変はふだんと同じ順序で起きた。が、ひとつひとつの症状の間合いが極端に短かった。そのためかれはすべてが同時におそったように感じた。しかもそれは、体のそこかしこに火がついたような不安感をひき起こして静まる気配がない。

 にげるように食堂を離れて、ビルの1階のロビーに出た。受付嬢の目のとどかない角度に置かれている煙草の自動販売機にまっすぐに向かう。コソ泥のようにあたりをはばかって、人が見ていないのをたしかめコインを続けざまに投入口に押し入れた。スイッチを押して煙草が出てくるまでの間がひどく長く感じられる。出てきた煙草をひったくるように取ってポケットにねじ込むやいなや、廊下のつきあたりにあるトイレをめざして小走りにそこを去った。つり銭のことはまったくかれの頭に浮かばなかった。

 大便所のひとつに入ってしっかりと鍵をかける。1本だけだ、となんども自分をはげましながら煙草の箱をあけた。火がない!とそこではじめて気づいた。大あわてでそこかしこのポケットをさぐる。さいわい背広の胸ポケットの底に赤坂のバーのマッチがのこっていた。それはかれが一昨日係長の吉川とともに取引先の接待を受けた時の店のマッチである。隣にすわった女が帰りぎわにかれのポケットに忍び入れたのを、鼓はすっかりわすれてそのままにしていたのである。

 ふるえる手で火をつけて一服すう。立ちくらむほどの衝撃があった。やりすごして再びニコチンを取りこむ。めまいが頭から全身にひろがるような奇妙な充足感がある。マリファナでもすうように唇をすぼめて、彼はさらに深々と煙を肺に送った。

 遠くの早鐘のように心臓がこきざみにふるえているとおもった。とたんに頭のなかが凛とさえて、五体が溶けてからみ合うめまいのような甘い感覚が消える。体の各部がシャキとそれぞれの位置におさまって、全身に力がみなぎった。

(ああ、生きている!)

と鼓はその時はっきりとおもった。

 それがはじまりだった。人目をしのんで煙草をすうのが鼓の習慣になった。

 煙草はいまでは以前とはくらべものにならないくらいに素敵な味がする。

 

                                       (了)    

 

 

        



facebook:masanorinakasone

official siteなかそね則のイタリア通信

飛び石連休という貧困

加筆再録

ことしのゴールデンウイークは、4月27日(土)~4月29日(月)と、5月3日(金)~5月6日(月)の連休の間の平日3日間を休めば、10連休とすることが可能でした。

だが残念ながら、そんな勇気を持った会社はまだまだ少数派のようです。

2019年、日本のゴールデンウイークが過去最長の10連休になるというニュースが話題になりました。

それに関連していわゆる識者や文化人なる人々が意見を開陳していましたが、その中にはまるで正義漢のカタマリのような少し首を傾げたくなる主張もありました。

いわく10連休は余裕のあるリッチな人々の特権で、休みの取れない不運な貧しい人々も多い。だから、10連休を手放しで喜ぶな。貧者のことを思え、と喧嘩腰で言い立てたりもしていました。

10連休中に休めない人は、ホテルやレストランやテーマパークなど、など、の歓楽・サービス業を中心にもちろん多いと考えられます。

しかし、まず休める人から休む、という原則を基に休暇を設定し増やしていかないと「休む文化」あるいは「ゆとり優先のメンタリティー」は国全体に浸透していきません。10連休は飽くまでも善だったと筆者は思います。

休める人が休めば、その分休む人たちの消費が増えて観光業などの売り上げが伸びます。その伸びた売り上げから生まれる利益を従業員にも回せば、波及効果も伴って経済がうまく回ります。

利益を従業員に回す、とは文字通り給与として彼らに割増し金を支払うことであり、あるいは休暇という形で連休中に休めなかった分の休息をどこかで与えることなどです。

他人が休むときに休めない人は別の機会に休む、あるいは割り増しの賃金を得る、などの規則を法律として制定できるかどうかが、真の豊かさのバロメーターです。

そうしたことは強欲な営業者などがいてうまく作用しないことが多い。そこで国が法整備をして労働者にも利益がもたらされる仕組みや原理原則を強制する必要があります。

たとえばここイタリアを含む欧州では、従業員の権利を守るために日曜日に店を開けたなら翌日の月曜日を閉める。旗日に営業をする場合には割り増しの賃金を支払う、など労働者を守る法律が次々に整備されてきました。

そうした歴史を経て、欧州のバカンス文化や「ゆとり優先」のメンタリティ-は発達しました。それもこれも先ず休める者から休む、という大本の原則があったからです。

もちろん休めない人々の窮状を忘れてはなりませんが、休める人々や休める仕組みを非難する前に、働く人々に窮状をもたらしている社会の欠陥にこそ目を向けるべきなのです。

休むことは徹頭徹尾「良いこと」です。人間は働くために生きているのではありません。生きるために働くのです。

そして生きている限りは、人間らしい生き方をするべきであり、人間らしい生き方をするためには休暇は大いに必要なものです。

人生はできれば休みが多い方が心豊かに生きられる。特に長めの休暇は大切です。夏休みがほとんど無いか、あっても数日程度の多くの働く日本人を見るたびに、筆者はそういう思いを強くします。

バカンス大国ここイタリアには、たとえば飛び石連休というケチなつまらないものは存在しません。飛び石連休は「ポンテ(ponte)=橋または連繋」と呼ばれる“休み”でつなげられて「全連休」になります。

つまり 飛び石連休の「飛び石」は無視して全て休みにしてしまうのです。言葉を変えれば、飛び飛びに散らばっている「休みの島々」は、全体が橋で結ばれて見事な「休暇の大陸」になります。

長い夏休みやクリスマス休暇あるいは春休みなどに重なる場合もありますが、それとは全く別の時期にも、イタリアではそうしたことが一年を通して起こります。

旗日と旗日の間をポンテでつなげて連休にする、という考え方が当たり前になっているのです。

飛び石、つまり断続または単発という発想ではなく、逆に「連続」にしてしまうのがイタリア人の休みに対する考え方。休日を切り離すのではなく、できるだけつなげてしまうのです。

「連休」や「代休」という言葉があるぐらいですからもちろん日本にもその考え方はあります。だがその徹底振りが日本とイタリアでは違います。勤勉な日本社会がまだまだ休暇に罪悪感を抱いてるらしいことは、飛び石連休という思考法が依然として存在していることで分かるように思います。

一方でイタリア人は、何かのきっかけや理由を見つけては「できるだ長く休む」ことを願っています。休みという喜びを見出すことに大いなる生きがいを感じています。 そして彼らは願ったり感じたりするだけではなく、それを実現しようと躍起になります。

そんな態度を「怠け者」と言下に切りすてて悦に入っている日本人がたまにいます。が、彼らはイタリア的な磊落がはらむ豊穣が理解できないのです。あるいは生活の質と量をはき違えているだけの心の貧者です。

休みを希求するのは人生を楽しむ者の行動規範であり「人間賛歌」の表出です。それは、ただ働きずくめに働いているだけの日々の中では見えてきません。休暇が人の心身、特に「心」にもたらす価値は、休暇を取ることによってのみ理解できるように思います。

2019年に出現した10連休は、日本の豊かさを示す重要なイベントでした。日本社会が、飛び石連休を当たり前に「全連休」に変える変革の“きっかけ”になり得る出来事でした。

だが冒頭で述べたようにそれはまだ先の話のようです。

日本経済は生産性の低さも手伝って低迷していますが、人々が休むことを学べばあるいはそのトレンドが逆転する可能性も大いにあるのに、と残念です。

 

 

 

facebook:masanorinakasone

official siteなかそね則のイタリア通信

強姦魔?ハーベイ・ワインスタインの功罪

ニューヨーク最高裁は2024年4月25日、性的暴行などの罪で禁錮23年の有罪判決を受けていた映画の元大物制作者、ハーベイ・ワインスタイン受刑者への一審判決を破棄しました。

裁判とは無関係な複数の女性を証人として出廷させていたことが問題になったのです。

筆者は目からウロコが落ちる思いでニュースをかみしめました。

「#MeToo」運動の勢いと、そこから派生した「ワインスタイン効果」のあまりの目覚ましさにわれを忘れて、赤信号みんなで渡れば怖くない、 とばかりにワインスタイン攻撃の「全体主義」に便乗していた自分に気づいたのです。

一審の裁判官が明らかにワインスタイン被告の不利になるであろう女性証人らの法廷出席を認めたのも、「#MeToo」運動の奔流に押されたものでしょう。

ワイスタイン受刑者を擁護するつもりは毛頭ありません。だが筆者は、誰もが彼を指弾するのが正当、と信じて突っ走る風潮の危険性を忘れかけていたことを告白しなければななりません。

筆者の驚きは、大手メディアがトランプ大統領の施策をこぞって指弾し、あたかもそれが圧倒的多数でもあるかのような印象を与えていた時代、実際には世論は賛否がほぼ同数でまっぷたつに割れている、と明らかになったときの衝撃にも似ていました。

知られているだけでも108人の女性がワインスタイン受刑者から性暴力を受けたと告発しています。それらは全てが信用できる主張に見えます。

しかし大物プロデュサーに取り入りたい思いで近づいたものの、願い通りの展開にならなかったために逆切れするようなケースもあったのではないか。

男女を問わず、ワインスタイン受刑者への怨みや、妬みや、陥れようとする悪意は皆無だったのか、などと考えるのは、考えるだけでも女性全般への侮辱ということになるなるのでしょうか。

ワインスタインという性暴力者は厳しく指弾され「#MeToo」運動と「ワインスタイン効果」を世界にもたらしたことで、結果として社会に貢献しました。

そして今回、判決がくつがえる状況が訪れたことで、世論が一方的に走る全体主義の危うさと恐怖を再確認させました。またもや世の中の役に立ったのです。

世に跋扈している権力者や勢力家の男たちが、密かに、思いのままに女性を陵辱する風潮にはほぼ終止符が打たれ、それはおそらく永久に元には戻りません。

それが「#MeToo」運動と「ワインスタイン効果」、つまりワインスタイン受刑者がもたらした大きな変化です。

たとえ23年の禁固刑が否定されても、彼は別件で長い刑を科されているため、恐らく生きている間に自由の身になることはありません。

それは自業自得なのでしょうが、かすかな憐れみを覚えないでもありません。

 

 

 

facebook:masanorinakasone

official siteなかそね則のイタリア通信

2777歳のローマは腐っても鯛の「永遠の都」だ

伝説によると「永遠の都」ローマは紀元前753年4月21日に誕生しました。今から2777年前のことです(考古学的には、紀元前1000年にはすでに人が定住していたことが証明されています)。

ローマを建設したのは、ギリシャ神話の英雄アイネイアスの子孫で、オオカミに育てられた双子の兄弟ロームルスとレムス。2人はローマの建設場所を巡って争い、ロームルスがレムスを殺害します。

造られた街は、勝ったロームルスにあやかってローマと名付けられました。その後ロームルスは初代のローマ王となり、王政ローマはロームルス以降7代に渡って続きました。

ローマ帝国の首都だった街にまつわる逸話はそれこそ数え切れないほどありますが、2777歳を記念して最近のエピソードをまじえつつ書いておくことにしました。

現在のローマ(都市)の人口は 286万人。古代でも同都市の人口は100万人を越えていて欧州一の大都会でした。その地位は産業革命で大発展したロンドンに抜かれる19世紀まで続きました。

それでもローマは世界の文化遺産の16%余りを有する重要都市です。

ローマがイタリアの首都となったのは1870年。その前はフィレンツェ、さらにその前はトリノがイタリアの首都でした。

ローマの記念碑や建物のいたるところに刻まれている SPQR という文字はラテン語のフレーズ「Senatus Populusque Romanus」の略。 「元老院とローマの人々」という意味です。

ローマの面積は約1285km²。多くの公園や庭園や緑地帯と郊外の農村地を合わせると、ヨーロッパで最も緑豊かな街という顔が現れてきます。

そこは欧州最大の農業都市でもあり、農耕地の面積はおよそ52、000ヘクタール。自然保護区の面積も40、000ヘクタールに及びます。

ローマには3つの大学があります。そのうちのラ・サピエンツァ大学 は生徒数はほぼ15万人。欧州で最も学生数が多い大学の一つです。ローマ大学といえば普通この大学のことです。西暦 1303年に設立されました。

英国のオクスフォードやケンブリッジほどの知名度はありませんが、欧州でも最も古い大学である同じイタリアのボローニャ大学(1088年設立)に次ぐ伝統と格式を誇っています。

ローマには年間およそ700万~1000万人の観光客が世界中から訪れます。街には多くの魅惑的な観光スポットがありますが、最も訪問客が多いのがコロッセオとバチカン美術館。一年間にそれぞれ400万人余りの観光客を引き付けます。

コロッセオは剣闘士が猛獣などと戦うのをローマ市民が観て楽しんだ娯楽施設。ローマ皇帝ウェスパシアヌス(在位:69年 – 79年)の命令で紀元70年頃に建設が始まり、息子のティトゥス(在位:79年 – 81年)帝が紀元80年に完成させました。

天衣無縫な古代ローマ市民は、凄惨な殺戮の模様を楽しむばかりではなく、戦いで死んだり傷ついたりした剣闘士の血を競って買い求めました。それは健康飲料としてまた不妊治療薬としても熱く取引されたのです。人間の血を飲むと女性は多産になると信じられ、癲癇(てんかん)にも効くと考えられていました。

コロッセオは記録に残っている大きな地震だけでも少なくとも3回の被害を受けました。しかし全体が円筒形の、力学的に安定した構造になっているために全壊することはありませんでした。コロッセオは古代の建築技術の粋を集めた革新的な建造物だったのです。

2016年8月と10月の中部イタリア地震は、300人近い犠牲者のみならず建築物にも多大な被害をもたらしました。その時の地震の強烈な揺れはローマにも届いて、コロッセオの外壁が剥がれ落ちるなどの損害が発生しました。

残念ながらその修復は、ローマの地下鉄工事にからまる混乱に巻き込まれて、未だに成されていません。イタリアは地震の度に先進国とは思えない災難に見舞われます。日本に似た「地震大国イタリア」の問題は実は、耐震技術そのものよりも「政治の堕落」が真の、そして最大の障壁です。

コロッセオよりもさらに古い共和制ローマ時代の遺跡、トッレ・アルジェンティーナ広場は、古代の面影を残したまま極めて現代的な 職能 を有しています。野良猫保護法によって猫のコロニーと定められ、250匹~300匹ほどがのんびりと生きているのです。野良猫たちはエサを与えられ、ワクチン接種などを施されています。

コロッセオと並ぶ人気観光スポットのバチカンは、ローマ内部に存在するもう一つの街であり国家です。そこはカトリックの総本山でもあり、世界の約12億人のカトリック信者の聖地であります。またバチカン市国の全体はユネスコの世界遺産に登録されています。

1年に400万人余りの訪問者があるバチカン美術館は、バチカン市国のど真ん中にあるサン・ピエトロ大聖堂に隣接しています。世界最大級のその美術館は、バチカン宮殿の大部分を占めていて、ミケランジェロの「創世記」と「最後の審判」が圧倒的な美を放つ、システィーナ礼拝堂を始めとする複数の施設から成っています。

ローマは世界一噴水の多い街でもあります。その数は2000余り。そのうち50は歴史的遺産と指定されています。中でも最も知られているのがトレビの泉。妙妙たる噴水には願いごとの成就を祈る人々が膨大な数のコインを投げ込みます。

たとえば2022年には重さ約33トン、金額にしておよそ2億3千500万円相当のコインが集まりました。それは全額が慈善活動に贈られます。

「永遠の都」はヨーロッパで最も写真に撮られる土地でもあります。おびただしい数の歴史文化遺産は全てがフォトジェニックです。ローマよりも多く被写体にされる街は、世界ではニューヨ-クだけだと見られています。しかし映画などで印象深いシーンを提供するのは、ニューヨークよりもローマの方が多いように思います。

2016年6月、ローマに史上初の女性市長が誕生しました。 ローマではそれまでの過去2769年間、皇帝や執政官や独裁官やローマ教皇や元首など、男性一辺倒の支配体制が続きました。それが古来はじめて転換し、当時 37歳のヴィルジニア・ラッジ氏が市長に当選しました。それによってローマは、女性の地位向上を示す画期的な出来事をまた一つ経験しました。

ローマはパリと最も長く且つ重要な姉妹都市協定を結んでいます。“ローマはパリと、パリはローマと”をスローガンにする2都市の友情は1956年に始まりました。ローマはほかにも、ロンドン、東京、ニューヨーク、モスクワ、北京、カイロ等々と姉妹都市になっていますが、パリほどには重要な意味を持ちません。

など、など、など・・・。2777年という長い歴史を刻んできた「永遠の都」ローマにまつわる、逸話や事件や出来事や騒動や異変や事象は、冒頭でも断ったように数え切れないほどあります。それらは尽きることなく生まれて、今も生まれ続け、将来も生まれ続けることが確実です。

 

 

 

facebook:masanorinakasone

official siteなかそね則のイタリア通信



ことしも復活祭のあやしい楽しみを楽しむとしよう

復活祭は移動祝日。ことしは3月末日でした。英語のイースター。イタリア語ではパスクア。イエス・キリストが死後3日目に復活したことを祝う祭です。

キリスト教の祭典としては、非キリスト教国を含む世界中で祝される祭礼、という意味でクリスマスが最大のものでしょう。だが、宗教的には復活祭が最も重要な行事です。

クリスマスはイエス・キリストの生誕(誕生日ではない)を寿ぐ祭り。誕生は万人に訪れる奇跡ですが、死からよみがえる大奇跡は神の子イエス・キリストにしか起こりえない。

宗教的にどちらが重要であるかは火を見るよりも明らかです。

復活祭では各家庭の食卓に多くの伝統料理が並びます。主役は「再生」を意味する卵と、「犠牲」を象徴する子羊です。子羊は子ヤギにも置き換えられます。

イエス・キリストは人類の罪をあがなうため磔(はりつけ)にされました。子羊はそのことを表わしています。

子羊また子ヤギ料理は近年、動物虐待だとしてアニマリストからの攻撃を受けることが多くなっています。彼らの気持ちは分かります。が、子羊や子ヤギだけを憐れむ主張には違和感も覚えます。

世界中で食肉処理されるおびただしい数の他の家畜は、どうでもいい、ということなのでしょうか?

見た目が可愛いからというのが理由なら、何をか言わんやです。 子牛や子豚や若鶏もみな可愛い生き物です。

世界中で人は、それらの肉もおおいに食らいます。

人間が生きるとは「殺すこと」です。人は人間以外の多くの生物を殺して食べています。

肉や魚を食べない菜食主義者でさえ、植物という生物を殺して食べて生命を保っています。

われわれ人間は、自らの体内で生きる糧を生み出す植物とは違い、他の生物を殺して食べることでしか生命を維持できません。

だから筆者は子ヤやギ子羊を食べることを悪とは考えません。強いて言うならばそれは殺すことしかできない人間の「業」です。

子ヤギを食らうのも野菜サラダを食べるのも同じ「業」なのです。

大切なことはその真実を真っ向から見据えることです。

子羊や子ヤギを始めとする小動物を慈しむ心と、それを食肉処理して食らう性癖の間には何らの矛盾もありません。

それを食らうも人間の正直であり、食わないと決意するのもまた人間の正直です。

 

 

 

 

 

facebook:masanorinakasone

official siteなかそね則のイタリア通信

コロナ犠牲者追悼記念日

イタリア政府は先日、毎年3月18日をコロナ(犠牲者)追悼記念日と定めました。

4年前の2020年3月18日、おびただしい数の新型コロナの死者の棺を積んだ軍トラックが、隊列を組んで進む劇的な映像が世界を駆けめぐりました。

コロナ禍に苦しむイタリアを象徴する凄惨なシーンでした。

当時世界最悪とも言われたコロナ禍中のイタリアは、全土ロックダウンを導入し最終的には20万人近い犠牲者を出しました。

コロナパンデミックはイタリア人に対する筆者の認識を大きく変えました。

筆者はイタリアが好きでこの国に移り住んでいますが、コロナ禍を介して自身のイタリアへの好情は、いわば愛に変わったと考えています。

イタリアはその頃、どこからの援助もない絶望的な状況の中で、誰を怨むこともなく且つ必死に悪魔のウイルスと格闘していました。

コロナ地獄が最も酷かったころには、医師不足を補うために300人の退職医師のボランティアをつのったところ、25倍以上にもなる8000人が、24時間以内に名乗りを挙げました。

周知のように新型コロナは高齢者を主に攻撃して殺害しました。加えて当時のイタリアの医療の現場は酸鼻を極めていました。

患者が病院中にあふれかえり、医師とスタッフを守る医療器具はもちろんマスクや手袋さえ不足しました。患者と競うように医療従事者がバタバタと斃れました。

8000人もの老医師はそれらを十分に承知のうえで、安穏な年金生活を捨て死の恐怖が渦巻くコロナ戦争の最前線へ行く、と果敢に立ち上がったのです。

退役医師のエピソードはほんの一例に過ぎませんでした。

長い厳しいロックダウン生活の中で、多くのイタリア国民が救命隊員や救難・救護ボランティアを引き受け、困窮家庭への物資配達や救援また介護などでも活躍しました。

イタリア最大の産業はボランティアです。

イタリア国民はボランティア活動に熱心です。猫も杓子もせっせと社会奉仕活動にいそしみます。彼ら善男善女の無償行為を賃金に換算すれば、莫大な額になります。まさにイタリア最大の産業なのです。

そのボランティア精神が、コロナ恐慌の中でも自在に発揮されました。8000人もの老医師が、険しいコロナ戦線に向かう、と決死の覚悟をする心のあり方も、根っこは同じです。

コロナ禍中のイタリア国民は誰もが苦しみ、疲れ果て、倒れ、それでも立ち上がってまたウイルスと闘う、ということを繰り返しました。

パンデミックと向き合う彼らのストイックな奮闘は筆者を深く感動させました。

逆境の中で毅然としているイタリア国民の強さと、犠牲を厭わない気高い精神はいったいどこから来るのか、と筆者はいぶかりました。答えはすぐに見つかりました。

国民の9割近くが信者ともいわれるカトリックの教義に秘密があると考えます。

カトリック教は博愛と寛容と忍耐と勇気を説き、慈善活動を奨励し、他人を思い利他主義に徹しなさいと諭します。だが人は往々にしてそれらの精神とは真逆の行動に走ります。

だからこそ教義はそれを戒めます。戒めて逆の動きをするよう鼓舞します。鼓舞されてその行動をし続けるうちに、そちらのほうが人の真実になっていきます。

いい加減で、時には嘘つきにさえ見えて、いかにも怠け者然としたゆるやかな生活が大好きな多くのイタリア国民は、まさにその通りでありながら、同時に寛容で忍耐強く底知れない胆力を内に秘めていまし。

彼らの芯の強さと、恐れを知らないようにさえ見える腹の据わった態度に接して、筆者はこの国に居を定めて以来はじめて、許されるならイタリア人になってもいい、と思ったりもしました。

周知のように日本人が他国籍を取得したいなら、日本国籍を捨てなければなりません。筆者は今のところは日本国籍を放棄する気は毛頭ありません。従って実現することはありません。

しかし、イタリア人になってもいいと信ずるほどに、イタリア国民をあらためて心底から尊敬するようになったのです。

 

 

 

facebook:masanorinakasone

official siteなかそね則のイタリア通信

多様性信者を装うはねっ返りの痴態

イタリアの有名なストリートアーティスト・ジョリット(Jorit)が、ロシアのソフィで開かれた青少年フォーラム中にプーチン大統領と一緒に撮った写真が物議をかもしています。

ジョリットはフォーラム会場で突然立ち上がり、壇上にいるプーチン大統領に「あなたがわれわれと何も変わらない人間であることをイタリア人に知らせたい。なので一緒に写真を撮らせてほしい」と語りかけました。

プーチン大統領は気軽に要求に応じ、ジョリットの肩を抱いて嬉々としてカメラに収まりました。

写真そのものも、明らかにプーチン大統領に媚びている発言も、人々の肝をつぶしました。イタリア中に大きな反響が起こりました。そのほとんどがジョリットへの怒りの表明でした。

多くの人が、「プーチンのプロパガンダに乗った愚か者」「プーチンの宣伝傭兵」「金に転んでプーチンの役に立つことばかりをするバカ」などとジョリットを激しく指弾しました。

イタリアは多様性に富む国です。カトリックの教義に始まる強い保守性に縛られながらも、さまざまの考えや生き方や行動が認められ千姿万態が躍動します。

それは独立自尊の気風が強烈だったかつての都市国家群の名残です。外から見ると混乱に見えるイタリアの殷賑は、多様性のダイナミズムがもたらすイタリアの至宝なのです。

言うまでもなくそこには過激な思想も行動もパフォーマンスも多く見られます。ジョリットのアクションもそうした風潮のひとつです。

多様性を信じる者はジョリットの行動も認めなければなりません。彼の言動を多様性の一つと明確に認知した上で、自らの思想と情動と言葉によって、それをさらに鮮明に否定すればいい。

イタリアにはジョリットの仲間、つまりプーチン支持者やプーチン愛好家も多くいます。先日死亡したベルルスコーニ元首相がそうですし、イタリア副首相兼インフラ大臣のサルヴィ・ビーニ同盟党首などもそうです。

隠れプーチン支持者を加えれば、イタリアには同盟ほかの政党支持者と同数程度のプーチンサポーターがいると見るべきです。

プーチン大統領は、ジョリットの笑止なパフォーマンスを待つまでもなく人間です。しかし、まともな人間ではなく悪魔的な人間です。

彼と同類の人間にはヒトラーがいます。だがヒトラーはヒトラーを知りませんでした。ヒトラーはまだ歴史ではなかったからです。

一方でプーチン大統領はヒトラーを知っています。それでも彼はヒトラーをも髣髴とさせる悪事を平然とやってのけてきました。

ヒトラーという歴史を知りつつそれを踏襲するとも見える悪事を働く彼は、ヒトラー以上に危険な存在という見方さえできます。

ヒトラーの譬えが誇大妄想的に聞こえるなら、もう一つの大きな命題を持ち出しましょう。

欧州は紛争を軍事力で解決するのが当たり前の、野蛮で長い血みどろの歴史を持っています。そして血で血を洗う凄惨な時間の終わりに起きた、第1次、第2次大戦という巨大な殺戮合戦を経て、ようやく「対話&外交」重視の政治体制を確立しました。

それは欧州が真に民主主義と自由主義を獲得し、「欧州の良心」に目覚める過程でもありました。

筆者が規定する「欧州の良心」とは、欧州の過去の傲慢や偽善や悪行を認め、凝視し、反省してより良き道へ進もうとする“まともな”人々の心のことです。

その心は言論の自由に始まるあらゆる自由と民主主義を標榜し、人権を守り、法の下の平等を追求し、多様性や博愛を尊重する制度を生みました。

良心に目覚めた欧州は、武器は捨てないものの“政治的妥協主義”の真髄に近づいて、武器を抑止力として利用することができるようになりました。できるようになった、と信じました。

欧州はかつて、プーチン大統領の狡猾と攻撃性を警戒しながらも、彼の開明と知略を認め、あまつさえ信用さえしました。

言葉を替えれば欧州は、性善説に基づいてプーチン大統領を判断し規定し続けました。

彼は欧州を始めとする西側の自由主義とは相容れない独裁者だが、西側の民主主義を理解し尊重する男だ、とも見なされたのです。

しかし、欧州のいわば希望的観測に基づくプーチン観はしばしば裏切られました。

その大きなものの一つが、2014年のロシアによるクリミア併合です。それを機会にロシアを加えてG8に拡大していたG7は、ロシアを排除して、元の形に戻りました。

それでもG7が主導する自由主義世界は、プーチン大統領への「好意的な見方」を完全には捨て切れませんでした。

彼の行為を非難しながらも強い制裁や断絶を控えて、結局クリミア併合を「黙認」しました。そうやって自由主義世界はプーチン大統領に蜜の味を味わわせてしまいました。

西側はクリミア以後も、プーチン大統領への強い不信感は抱いたまま、性懲りもなく彼の知性や寛容を期待し続け、何よりも彼の「常識」を信じて疑いませんでした。

「常識」の最たるものは、「欧州に於いては最早ある一国が他の主権国家を侵略するような未開性はあり得ない」ということでした。

プーチン・ロシアも血で血を洗う過去の悲惨な覇権主義とは決別していて、専制主義国家ながら自由と民主主義を旗印にする欧州の基本原則を理解し、たとえ脅しや嘘や化かしは用いても、“殺し合い”は避けるはずだ、と思い込みました。

ところがどっこい、ロシアは2022年2月24日、主権国家のウクライナへの侵略を開始。ロシアはプーチン大統領という魔物に完全支配された、未開国であることが明らかになりました。

プーチン大統領の悪の核心は、彼が歴史を逆回転させて大義の全くない侵略戦争を始め、ウクライナ国民を虐殺し続けていることに尽きます。

日本ではロシアにも一理がある、NATOの脅威がプーチンをウクライナ侵攻に駆り立てた、ウクライナは元々ロシアだった、などなどのこじつけや欺瞞に満ちた風説がまかり通っています。

東大の入学式では以前、名のあるドキュメンタリー制作者がロシアの肩を持つ演説をしたり、ロシアを悪魔視する風潮に疑問を呈する、という論考が新聞に堂々と掲載されたりしました。

それらは日本の恥辱と呼んでもいいほどの低劣な、信じがたい言説です。

そうしたトンデモ意見は、愚蒙な論者が偽善と欺瞞がてんこ盛りになった自らの考えを、“客観的”な立ち位置からの見方、と思い込んで吠え立てているだけのつまらない代物です。

それらと同程度の愚劣な大道芸が、イタリアのストリートアーチスト・ジョリットがやらかしたプーチン礼賛パフォーマンスなのです。

 

 



facebook:masanorinakasone

official siteなかそね則のイタリア通信