NHKの主だった番組は衛星を介してよく見ています。見過ぎるほど見ていると言ってもいいかもしれません。
筆者はBBCほかの衛星英語チャンネルとイタリアの地上波も見ていますが、両者はニュースとドキュメンタリー、またスポーツ番組以外はほとんど見ません。
一方、日本語の衛星放送は、ニュース、ドラマ、バラエティ、ドキュメンタリー、スポーツなど、あらゆるジャンルの番組をひんぱんに見ています。
番組の録画を容量の大きなUSBメモリーでできるようになったために、より多くの番組を気軽に録画してつい見てしまいます。
筆者がテレビをよく見るのは、自身が番組作りをするテレビ屋で且つテレビ番組が大好きだからです。それに加えて日本語や日本文化への渇望感が行為を後押しします。
かつてはインターネットはおろか、テレビの日本語放送などありませんでした。
その頃は帰国するたびに、大量の本や雑誌を買い込んでイタリアに戻るのが筆者の習いでした。週刊誌などはイタリアにいる時は広告までむさぼるように読んだものです。
本は昔も今も変わらずに読みます。読書は筆者の最大の娯楽です。しかし、日本語のテレビ放送の視聴に費やす時間が増えた分、読書量は減りました。
昨今はそこにインターネットで遊ぶ時間も加わって、読書量がさらに削られることは否めません。
しかし、インターネットではかつて本で得ていた情報も得られますので、その領域の場合は時間的には差し引きゼロというところかもしれません。
役に立たない小説などの読書量が減ったのが少し苦しい。
情報や数字や理屈や経済などを語る本は人間を豊かにしません。知識が増え理屈っぽくなり論難に長けた専門バカ風の人間が出来上がるだけです。
役に立たない小説本ほかの書籍の中にこそ、心を豊かにし情緒を鍛え他者を慮る繊細を伸ばす力が詰まっています。
前置きが長くなりました。
NHKをはじめとするテレビの報道番組のキャスターについて語りたい。
筆者は仕事でもまた視聴者としても、NHKに大きくお世話になっています。NHKのファンです。
ファンであるばかりではなく、世界のテレビ局とも付き合ってきたプロのテレビ屋としても、NHKを高く評価しています。
NHKは報道、ドキュメンタリー、それにドラマ部門で英国のBBCに匹敵します。それらの3部門でBBCに劣るのは、報道における「時の政権」への批判精神だけです。
いや、批判精神はあるのでしょうが、日本の政治また社会風土ゆえに表立ってそれを標榜できず、結局権力に屈するような報道姿勢が垣間見えます。
それでもNHKは日本のメディアの宝です。BBCがイギリスの至宝であるように。
さて報道のうちの、NHKの顔とも言える夜9時のニュースキャスターが最近気になります。今このときで言えば和久田麻由子アナウンサーの身ごなし。
和久田麻由子アナは、美しい顔を皮膚のすぐ下あたりからこわばらせてしゃべる癖があります。
その時は彼女は、ひとりで懸命に深刻になっていて、あたかも世の中を嘆いてみせることがキャスターの役目と弁えてでもいるようです。
聞くところによると彼女は学生時代に演劇を勉強した経験があるそうです。
表情の豊かさはそのあたりから来ているのでしょう。しかし、報道は演技ではありません。彼女はもっと淡々と語り、読み、表現するべき、と思います。
彼女が例えば難民の子どもの苦しい生活や、世界の悲劇や、貧困者の苦難や殺人事件などを報道するとき、まるで世界の悲しみをひとりで背負っているのでもあるかのように眉をひそめ、苦悶の表情をするのは少しうっとうしい。
相方の話に相槌をうちつつ、テレビ目線でこちら(テレビカメラ)に向かって流し目を送るのも、全く最善とは言いがたい。
彼女の意図は分かります。視聴者をリスペクトして視聴者の感興を求めて彼女はカメラに視線を投げています。だがそれは行過ぎた所作です。やはり演技が過ぎるように思うのです。
キャスターが余計な表現をする習慣は、前任の桑子真帆アナウンサーあたりから顕著になりました。
一つ一つのニュースを読み上げた直後に、桑子アナは唇をくいと大げさに引き締めていました。読後に唇がかすかに開くことを戒めているのでしょうが、なんとも不自然な表情でした。
そのスタイルは相方の有馬嘉男キャスターが始めて、桑子アナも真似した印象が強い。むろん有馬キャスターのその仕草も決して見栄えの良いものではありませんでした。
和久田麻由子アナはその習いを受け継いで、さらに悪化させたと筆者の目には映ります。
報道番組のキャスターの態度が見ていてつらいこと以外にも、和久田アナの行状が好ましくないもっと重大な理由があります。
悪いニュースにことさら反応して胸の内を表現するなら、彼女は自分が気にいらないニュースにはいつも眉をひそめたり悲しんだり怒ったりしなければなりません。
さらに例えば、彼女が支持しない政党の候補者が選挙で当選した場合も不快な気分を露わにしなければならない。報道キャスターとしてそれが許されないのは明らかです。
彼女は以前、イタリアのベニスで女性受刑者を追いかけるバラエティドキュメントのリポーターをしたことがあります。
筆者は出ているリポーターが誰なのか全く知らずにその番組を見ていました。その若い女性リポーターからは、性質の素直と思いの深さがあふれ出ていて、美しいほどでした。大分あとになって筆者はそれが和久田麻由子アナだと知りました。
彼女はその分野にふさわしいキャラだと思います。
バラエティ系のドキュメンタリーやソフトニュースなどよりも、定時のニュース番組が格上という暗黙の理解がNHKにはあります。
だから和久田アナも定時番組のキャスターになったことで、必要以上に固まって深刻さをアピールする傾向があるようです。才能豊かな人だけにそれはとても残念です。
和久田アナは報道ではなく、例えば小野文恵アナウンサーのようにバラエティ系番組の中でこそ最も輝くと思います。その方向に行かないのなら、彼女はもっと感情を抑えて報道しニュースを読む努力をすべきです。
和久田アナに似たケースが、イタリアの公共放送RAIでも起きています。
RAIの看板番組である夜8時の女性キャスターの一人も特異な報道をします。
見ていてひどく居心地が悪い。
キャスターの名前はラウラ・キメンティ(Laura Chimenti)。ニュースを読むのに大きく声を張り上げ挑むような調子で進みます。
報道局内でセクハラやパワハラに遭っていて、それを告発したい思いが奇妙な調子になっているのではないか、とさえ筆者などは意地悪く考えたくなります。
その枠にはほかにも3人のメインのキャスターがいます。男性2人と女性1人。
そのうちの女性キャスターはエンマ・ダクイノ(Emma D`aquino) 。彼女は、例えばフランス2の有名キャスター、アンヌ・ソフィー・ラピ(Anne-Sophie Lapix)を彷彿とさせます。
落ち着いた、自然体の 、従って知性味にもあふれた優れたキャスターです。
和久田麻由子アナも、ここイタリアのラウラ・キメンティアナも、エンマ・ダクイノキャスターやアンヌ・ソフィー・ラピキャスターの爪の垢を煎じて飲めとまでは言いませんが、少し見習って出直したほう良い。
この際なのでひとつ余計なことも付け加えておきます。
和久田アナがときどき披露する、思わずのけぞってしまうほどにひどいファッションセンスは、歌手の夏川りみとどっこいどっこいの、どうでもよいことだと笑い、流して見ていられます。
だが、彼女の余計な仕草や思い入れはそうはいきません。時間とともに少なくなっている印象もありますが、ぜひとも改めてほしい。
一人の NHKファンとして切に願います。
もうひとつNHKへの苦言がありますが、長くなるので次に回すことにしました。
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