極端な管政権は過激派に似ていなくもない

12月27日早朝、いつものように書斎兼仕事場の机の前に座ってネットにアクセスしました。するとそこかしこのサイトに「日本、全世界からの外国人入国を拒否」「Japan bans new entries of foreigners」という類いの見出しが踊っていてびっくりしました。

新型コロナウイルスの変異種に感染した人が国内で見つかったことを受けて、28日から来月末まで、全世界からの外国人の新たな入国を拒否する、のだといいます。

BBCやロイターやCNNなどの大手を筆頭に、外国メディアが特に大きく伝えています。

ところが衛星放送で見るNHKニュースはそのことを取り上げていません。ようやくNHKネットで扱っているだけです。

ためしに朝日新聞を見ました。やはりニュースになっていません。そこで見出しの一覧を一日前までたどって探しましたが、表記されていませんでした。

つまりそのニュースは、日本国内では重要とは見なされていないのです。だから大手メディアを中心に扱いが極小になるか、扱ってもすぐに消えています。

ところが世界では、日本のような先進国が、いとも簡単に「全世界からの訪問者をシャットアウト」するなどというのは、一大事なのです。だから外国メディアは騒いでいます。

世界の多くの国々は、変異種のウイルスがはびこっている英国からの訪問者を拒否しています。英国からのウイルスに染まりかけているいくつかの国からの訪問者も拒否しています。

それは理解できることだし正しい動きのように見えます。

だが、数人の感染者が見つかったからといって、突然世界中からの入国者を一斉に拒絶する、というのはどう考えても異様です。

日本政府の施策は特にコロナ関連では混乱しっぱなしです。つい最近も絶対に見直さないと言い続けていたGoToトラベルを突然やめました。その前には「勝負の3週間」でコケました。

パンデミックのしょっぱなでは、中国に遠慮すると同時に彼の国からの観光客が落とす金に目がくらんで、今とは逆に中国人を受け入れ続けて感染拡大を招きました。

その後も安倍前政権の失策は続きました。前政権を受け継いだ菅内閣は、安倍さんの失策癖まですっかり継承したようです。

いや、突然の「全世界からの外国人入国者を拒否」の如く、右から左、極端から極端へとぶれる政策を見ていると、前政権よりもアブナっかしい。

菅首相と幹部は「全世界からの訪問者を拒否」という施策が、いかに重いものであるかを理解していないように見えます。

理解していないから重大な施策をいとも簡単に導入してたじろがない。そこにプリンシプルの欠如という誤謬が重なって、政策が大ぶれにぶれます。

だが「全世界からの訪問者を拒否」ということの意味を理解していないのは政府ばかりではない。実はメディアも全く理解していません。だからそれを軽く見て大きなニュースにはしないのです。

一国の政府やメディアは国民の鏡です。それらは先ず国民がいて、それから存在します。政府やメディアがある事柄を理解しないのは、国民が理解していないからです。

そうやって国民と政府とメディアによる、巨大な無知また無関心が形成されます。

日本は12月28日から1月末まで江戸時代以来の鎖国体制に入ります。

そのことの重みもさることながら、そういう施策を何のためらいもなく導入してしまえるメンタリティーの軽さが、面白くもあり、怖いといえば怖いようでもあります。

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擬似“戒厳令”下のクリスマス

イタリアは新型コロナの感染拡大を抑えるために、今日クリスマスイブから年末年始にかけて全土のロックダウンに入りました。

今回は3月~5月の全土ロックダウンとは違って、1月6日までの間にスイッチを入れたり切ったりたりする変形ロックダウンです。

12月24日から始まった最初のロックダウンは27日まで。イタリアではクリスマスと翌日の聖ステファノ(santo stefano)の日は休日。その2日間と前後は特に人出が多くなり、家族が集い、友人知己が出会って祝日を楽しみます。

次は12月31日から1月3日まで。言うまでもなく大晦日から新年も人出がどっと多くなります。 

最後は1月5日から6日。6日が公現祭 の祝日 (Epifania :東方の3博士が生後間もないキリストを訪れて礼拝した日)でやはり人が集まりやすくなります。

要するに1月24日から1月6日までの2週間のうち、12月28、29、30日と1月4日以外は全土のロックダウンを徹底するということです。

食料の買出しや病気治療など、必要不可欠な外出以外は移動厳禁。しかも外出の際には移動許可証を携帯することが義務付けられます。
 
ロックダウン中は住まいのある市町村から出てはならない。一つの自治体からもう一つの自治体への移動、州から州への移動も禁止です。

レストランやバール(カフェ酒場)を始めとする飲食店や全ての店は閉鎖。営業が許されるのは薬局、新聞売店、コインランドリー、美容理髪店のみ。
 
また午後10時~翌朝5時は、全期間に渡って全面外出禁止、など、など。

クリスマスの教会のミサも禁止になりました。

筆者はキリスト教徒ではありませんが、クリスマスの朝はできる限り家族に伴って教会のミサに出かけるのが習いです。

この国にいる限りは筆者は、クリスマス以外でもキリスト教徒でイタリア人の家族が行うキリスト教のあらゆる儀式や祭礼に参加しようと考え、またそのように行動してきました。

一方家族は筆者と共に日本に帰るときは、冠婚葬祭に始まる日本の家族の側のあらゆる行事に素直に参加します。

だが既述のようにことしは、新型コロナへの用心から、人々が多く集う教会でのミサは禁じられました。

筆者は先年、クリスマス、特に教会のミサでのもの思いについて次のような趣旨のことを書きました。ことしは書斎で同じことに思いを巡らせています。

クリスマスの時期にはイエス・キリストに思いをはせたり、キリスト教とはなにか、などとふいに考えてみたりもする。それはしかし僕にとっては、困ったときの神頼み、的な一過性の思惟ではない。

僕は信心深い人間では全くないが、宗教、特にキリスト教についてはしばしば考える。カトリックの影響が極めて強いイタリアにいるせいだろう。クリスマスの時期にはそれはさらに多くなりがちだ。

イエス・キリストは異端者の僕を断じて拒まない。あらゆる人を赦し、受け入れ、愛するのがイエス・キリストだからだ。もしも教会やミサで非キリスト教徒の僕を拒絶するものがあるとするなら、それは教会そのものであり教会の聖職者であり集まっている信者である。

だが幸いにもこれまでのところ彼らも僕を拒んだりはしたことはない。拒むどころか、むしろ歓迎してくれる。僕が敵ではないことを知っているからだ。僕は僕で彼らを尊重し、心から親しみ、友好な関係を保っている。

僕はキリスト教徒ではないが、全員がキリスト教徒である家族と共にイタリアで生きている。従ってこの国に住んでいる限りは、一年を通して身近にあるキリスト教のあらゆる儀式や祭礼には可能な範囲で参加しようと考え、またそのように実践してきた。

人はどう思うか分からないが、僕はキリスト教の、イタリア語で言ういわゆる「Simpatizzante(シンパティザンテ)」だと自覚している。言葉を変えれば僕は、キリスト教の支持者、同調者、あるいはファンなのである。

もっと正確に言えば、信者を含むキリスト教の構成要素全体のファンである。同時に僕は、仏陀と自然とイエス・キリストの「信者」である。その状態を指して僕は自分のことをよく「仏教系無神論者」と規定し、そう呼ぶ。

なぜキリスト教系や神道系ではなく「仏教系」無神論者なのかといえば、僕の中に仏教的な思想や習慣や記憶や日々の動静の心因となるものなどが、他の教派のそれよりも深く存在している、と感じるからである。

すると、それって先祖崇拝のことですか? という質問が素早く飛んで来る。だが僕は先祖崇拝者ではない。先祖は無論尊重する。それはキリスト教会や聖職者や信者を僕が尊重するように先祖も尊重する、という意味である。

あるいは神社仏閣と僧侶と神官、またそこにいる信徒や氏子らの全ての信者を尊重するように先祖を尊重する、という意味だ。僕にとっては先祖は、親しく敬慕する概念ではあるものの、信仰の対象ではない。

僕が信仰するのはイエス・キリストであり仏陀であり自然の全体だ。教会や神社仏閣は、それらを独自に解釈し規定して実践する施設である。教会はイエス・キリストを解釈し規定し実践する。また寺は仏陀を、神社は神々を解釈し規定し実践する。

それらの実践施設は人々が作ったものだ。だから人々を尊重する僕はそれらの施設や仕組みも尊重する。しかしそれらはイエス・キリストや仏陀や自然そのものではない。僕が信奉するのは人々が解釈する対象自体なのだ。

そういう意味では僕は、全ての「宗門の信者」に拒絶される可能性があるとも考えている。だが前述したようにイエスも、また釈迦も自然も僕を拒絶しない。

僕だけに限らない。彼らは何ものをも拒絶しない。究極の寛容であり愛であり赦しであるのがイエスであり釈迦であり自然である。だから僕はそれらに帰依するのである。

言葉を変えれば僕は、全ての宗教を尊重しながら「イエス・キリストを信じるキリスト教徒」であり「全ての宗教を尊重しながら釈迦を信奉する仏教徒」である。同時に全ての宗教を尊重しながら「自然あるいは八百万神を崇拝する者」つまり「国家神道ではない本来の神道」の信徒でもあるのだ。

それはさらに言葉を変えれば「無神論者」と言うにも等しい。一神教にしても多神教にしても、自らの信ずるものが絶対の真実であり無謬の存在だ、と思い込めば、それを受容しない者は彼らにとっては全て無神論者だろう。

僕はそういう意味での無神論者であり、無神論者とはつまり「無神論」という宗教の信者だと考えている。そして無神論という宗教の信者とは、別の表現を用いれば「あらゆる宗教を肯定し受け入れる者」、ということにほかならない。

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イギリスが新型コロナ対策をドタキャンした真意が怖い

イギリスが12月19日までの新型コロナ対策を突然変更して、クリスマス期間中も厳しい移動規制をかけ続けると発表しました。

感染力の強い変異したウイルウが発見されたからです。

変異種のウイルスは、伝染力が従来の種より最大で70%以上強い可能性がある。一方で従来の種と比べて重症化率や致死率が高いという確証はない、ともされます。

20日から導入される厳しい規制では、不急不要の外出が禁止され、生活必需品を扱う店以外は全て営業停止となります。19日までは小売店や美容室などの営業は許されていました。

またイギリス政府はこれまで、12月23~27日のクリスマス休暇中は最大3世帯まで集うことを許可するとしていました。だが、これも覆して移動規制が強化された地域では集まりを禁止する、と発表しました。

筆者はジョンソン政権の出し抜けな方向転換におどろきました。欧州各国がクリスマスから年末年始にかけて規制を強化する中、イギリスだけは逆に規制をゆるめるとしていたからです。

その決定は異端者のジョンソン首相の意向に沿っていました。

政府方針に対してイギリスの医学会は、クリスマス前後の5日間に制限を緩和するのではなく、強化する必要があると指摘。政府は多くの命を犠牲にする過ちを犯そうとしている。制限強化を発表したドイツ、イタリア、オランダなどにならうべき、と強く警告をしていました。

野党やロンドンのカーン市長らも警告に賛同しジョンソン首相の翻意を求めていました。

激しい反対運動に対してジョンソン首相は、クリスマスの集いを禁止したり、違法化はしたくない。政府があらゆるケースを見越して法律を定めることはできない、などと主張して飽くまでも規制緩和にこだわりました。

新型コロナの感染拡大阻止を目指す先進民主主義国の共通の悩みの一つは、厳しい移動規制やロックダウンを導入することで、人々の個人の自由を強く抑圧しなければならない現実です。

個人の自由は民主主義社会の最重要な構成概念の一つです。ジョンソン首相は、ジレンマを押して個人の自由を抑圧する厳しい規制を打ち出す欧州の指導者を尻目に、民主主義社会の根幹を成す要素を死守しようとしているようにも見えます。

だが一方で、彼がパンデミックの始まりの頃にこだわった集団免疫の考えや、米トランプ大統領ばりの経済至上主義やコロナ軽視の自らの信条を秘匿して、個人の自由の守護神を装っているだけなのではないか、という疑惑も呼び起こさないではありません。

国民に人気があると見えるジョンソン首相のコアな支持者は、つまるところトランプ大統領の岩盤支持者にも親和的な英国の保守層であり、反知性主義的心情も強いと考えられるBrexit賛成派です。

ジョンソン首相は彼らの親玉的存在です。彼が打ち出す新型コロナ対策が時として異様に見えるのは、それらがトランプ大統領の施策にも似た色合いを帯びているからです。

彼はそれを嫌う欧州の良心に気づいています。だから往々にしてその生地を包隠しようとします。その態度が彼をさらに異様に見せる、というふうです。

そんなジョンソン首相が、頑なにこだわってきたクリスマスの規制緩和を撤回する気になったのは、引き金となった変異種のウイルスの正体が、あるいは見た目以上に険悪な性質のものであることを意味しているのかもしれません。

万が一そうであるなら、ウイルスは当のイギリスが世界に先駆けて国民に接種を行っている、新型コロナワクチンを無効にする能力を秘めている可能性もあります。ある意味ではジョンソン首相の二枚舌や仮面性よりもはるかに怖い事態です。


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日本よ、パニくるな

日本の過去最多記録は欧州の過去最小記録でしかない

日本政府がGo Toキャンペーンの見直しを発表したのは、日本国内の1日の新型コロナ感染者数が連日過去最多記録を塗り替え続けていた11月21日のことです。

当日の感染者数は2596人で国内においては当時の過去最多となりました。

このとき日本政府は不安がる世論に煽られ「仕方なく」政策を転換したように見えました。

コロナ感染者数が連日過去最多を更新、という状況はここイタリアでも起こっていて、最近では

10月22日から25日にかけてフランスでも発生しています。

その当時のフランスにおける1日の感染者数の過去最多記録は5万2010人。

日本の20倍以上です。

これを受けてフランスでは10月30日から2度目のロックダウンを導入しました。

フランスに限らず、欧州の国々は急拡大する新型コロナの感染状況に合わせて断固とした施策を打ち出していますきました。

イタリアに限って言えば既に3月10日、世界初のそして世界最悪の「コロナ地獄」に陥った際、これまた世界一過酷とされた「全土封鎖」レベルのロックダウンを断行して危機を脱しました。

第1波で多くのことを学んだイタリア政府は、第2波以降においても、感染防止と経済運営の落としどころを見極めつつ、いわば部分的ロックダウンともいえる規制策を導入して対抗しました。

それが功を奏し、イタリアはクリスマスに向けて一息つける状況にまでなりました。

イタリアのみならず、先のフランス、そしてイギリスやスペインも現在は状況が少し落ち着きをみせています。

そうはいうものの、欧州の感染状況は依然として危機的です。

1日あたりの感染者数はほぼ常に日本の15、6倍にのぼり、欧州の優等生のドイツのそれでさえ10倍前後の割合で推移しています。

累計の感染者は言うまでもなく、重症者数も、死者数も、日本とは比較になりません。

幸運なはずの日本の対応は少し見苦しい

日本は新型コロナの脅威にさいなまれている世界の国々の中では圧倒的に恵まれています。

それが国の施策故か全くの幸運かは判然としませんが、たとえば先に猛威を振るった第1波で、世界最悪のコロナ地獄に見舞われたここイタリアに比較すれば、日本は文字通りの「天国」です。

ですが欧州から眺めると、新型コロナの前で日本は「常に」慌てふためき、うろたえまくっているように見えます。

コロナ禍が始まった当初から日本政府の動きはいつもちぐはくでした。

政府だけでなく、日本国民は恐怖に全身を鷲掴みにされ、必要以上に臆病で、コロナを恐れるがあまり、いつも怒っているように見えます。

それは第1波が過ぎ夏の第2波でも変わるどころか、第3波でも悪化の一途をたどっているようにさえ感じます。

政府は取り乱し、影響力のある論者や知識人や専門家は、国民の恐怖を煽り、狼狽する政府につけこもうとしています。

ある人々は経済だけを優先しろと叫び、もう片方の勢力は感染防止のためにあらゆる経済活動を停止しろ、とわめいていますが、本来これらは両立させるほかないのは明らかです。

極端と極端の板ばさみになった政権はさらにうろたえ、方針転換を繰り返す、という体たらくです。

イタリアの経験した「コロナ地獄」

とはいえ、全ての国の在りようは当初は日本とそっくり同じでした。

民主主義国家も独裁国家も宗教国家も、あらゆる国が見たこともないパンデミックに翻弄され苦しみました。

その最たる例がここイタリア共和国です。イタリアは前述のように世界で最初の、そして最大の「コロナ地獄」に陥り、辛酸を舐めました。

真新しい墓石が並ぶイタリア北部ベルガモの墓地。刻まれた命日は3月と4月に集中していた=2020年10月13日午後4時47分、久野華代撮影

それは2月21日から23日にかけて始まり、欧州でも一級の医療体制を整備している北部ロンバルディア州は、突如として感染の「爆心地」となって、あっという間に医療崩壊へと陥りました。

医療崩壊が始まったころのイタリアは、いま振り返って見ても本当に怖い状況でした。

当時イタリアには見習うべき規範がなく、国民は前例のない修羅場に孤立無援のまま投げ込まれました。

筆者の周りにおいてさえ人がバタバタ死んでいきました。

イタリアは徹頭徹尾、独力でコロナの恐怖と対峙するしかありませんでした。

世界一苛烈で且つ世界一長い期間に渡るロックダウンを導入して、イタリアは危機をいったん克服しました。

しかし、払った代償は大きく、イタリアは第1波がほぼ収まったと見られる6月30日時点で24万578人の感染者と3万4千767人の犠牲者を出しました。

犠牲者の中には173人もの医師が含まれています。

医師が犠牲となる傾向は残念ながら第2波でも受け継がれ、2020年12月1日現在では、5万6千人余りの患者と222名もの医師が新型コロナで死亡するという惨状を呈しています。

老医師たちの見せた自己犠牲と敢闘精神

第1波のロックダウンではイタリア国民はほぼ2カ月間もの自宅待機を強いられました。

食料の調達と病気の治療以外の目的で家を出ることを禁じられ、外出時には許可証を携帯しなければなりませんでした。

病院にはコロナ患者があふれ、埋葬できないほどの数の死者に対応するため、軍のトラックが列を成して遺体を運ぶ、という凄惨な情況まで出現しました。

医療機器の足りない病院では、医師や看護師を始めとする多くのスタッフが、死と隣りあわせで働き続けました。

その様子は連日連夜テレビをはじめあらゆるメディアで報道されました。

自宅に縛り付けられてなすべきこともない人々は、普段にも増してテレビ画面に見入りました。

身近な人間がコロナに侵され、倒れていく姿を目の当たりにしたイタリアの人々は、その恐怖に加え、医療現場の「地獄絵図」を見せつけられ、たやすく恐慌に陥りました。

その恐慌はしかし、彼らに勇気を与え自信を植え付ける方向へと静かに変容していきました。

実は、次のようなエピソードがあったのです。

イタリアのコロナ地獄がピークを迎えた頃、医師不足を補うため、退職医師を対象に300人のボランティアを募集したところ、募集人員の25倍以上、およそ8000人もの応募があったのです。

周知のように新型コロナは高齢者ほど重症化しやすく、死に至ることもある病気です。

退職医師はほとんどが高齢でリタイアした人々ですので、当然彼らは「重症化と生命のリスク」を理解したうえで、命を賭したのです。

老医師たちの勇気ある行動はイタリア全土を鼓舞した(写真はミラノの医療現場、LaPresse/共同通信イメージズ)

加えて当時のイタリアの医療の現場は、当局の見込み違いもあり、患者が病院中にあふれ返っていて、医師と医療スタッフを守る器具はもちろん、マスクや手袋さえ不足している「異常事態」でした。

高齢の退職医師たちが感染するリスクは極めて高かったのです。

8000人もの老医師たちはそれでも死の恐怖渦巻くコロナ戦争の最前線へと、果敢にも突撃したのです。

何もしなければ安穏な年金生活を送れたにもかかわらず。

彼らの使命感と自己犠牲をいとわない敢闘精神は、ひそかにイタリアの人々の「心」を震わせました。

しかも、このエピソードは当時のイタリアにおいてコロナと勇敢に闘った人々の、ほんの一例に過ぎないのです。

ボランティアはイタリア最大の産業

イタリア最大の産業はボランティア、という箴言があります。

イタリア国民はボランティア活動に熱心です。猫も杓子もせっせと社会奉仕活動にいそしみます。

彼ら善男善女の無償行為を賃金に換算すれば、莫大な額になります。

まさに「イタリア最大の産業」というわけです。

彼らのボランティア精神は新型コロナの第1波の恐慌の中でも存分に発揮されました。

苦しいロックダウン生活の中、救急車の運転手ほかの救命隊員、市民保護局付けの救難・救護ボランティア、困窮家庭への物資配達や救援、介護ボランティアとして多数の一般市民が大活躍しました。

8000人もの老医師が、ウイルスとの戦いの前線に行くという勇敢な行動をとったのも、根っこは同じです。

他国の状況を見れば日本はもう少し落ち着けるはずだ

欧州では連日、先に触れたように日本の10倍から15、6倍にもなる数の感染者と死者と重症患者が出ています。

各国はロックダウンやそれに類する厳しい行動規制を敷いて感染拡大を食い止めようと必死に動き、それなりの成果を収めています。

ここでいう成果とは、感染の抑制に成功したという意味ではありません。

欧州が第1波の恐怖と絶望の時間を経て、感染拡大と共存する方法を日々学んでいる、という意味です。

悲惨な第1波の洗礼を受けたイタリアでも、それを冷静に受け止めてコロナに対して勇敢に立ち向かっています。

第2波ではイタリアよりも被害が大きかったフランス、スペイン、イギリス等においても、パンデミックに毅然と対峙し、パニックには陥っていません。

沈着なドイツに至っては、ロックダウンを12月20日まで延長して、より良い環境で国民にクリスマスを迎えてもらおうとしているほどです。

それなのに日本の体たらくはどうでしょう。

イタリアに住んでいると、欧米に比べれば大したことのない感染者数にも関わらず、日本人は慌てふためき、悲鳴を上げ、錯乱しているように見えます。

ほんの少しの状況の悪化にも「パニくっている」日本人は少し見苦しいとさえ感じます。

繰り返しますが、コロナ禍中の世界の国々の中で、経済も医療も社会状況も、日本は依然として良好である「幸運な国」です。

今こそ日本人はもう少し勇敢さを発揮し、気持ちを落ち着かせるべきではないでしょうか。

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地獄から見上げてみれば

12月6日、イタリアの新型コロナの死者の累計は節目の6万人を超えました。欧州ではイギリスの6万千42人に次いで多い数字です。

イタリアの死者のうち40%近い2万2千252人は、パンデミックの始まりから常に最悪の被害地域であり続けている、ミラノが州都のロンバルディア州の犠牲者。

2番目に犠牲者が多いのはボローニャが州都のエミリアロマーニャ州の5805人(10,4%)。以下トリノが州都のピエモンテ州5556人(10%)、ヴェネツィアが州都のヴェネト州3899人(7%)、首都ローマが州都のラツィオ州2525人(4,5%)などと続きます。

筆者の住むブレッシャ県は、イタリアで最もコロナ被害が大きいロンバルディア州の12県のうちの一つ。第1波では隣のベルガモ県と並んで感染爆心地になりました。筆者の周囲でも親戚を含む多くの人々が犠牲になりました。

今進行している第2波でも、ロンバルディア州が相変わらずイタリア最悪のコロナ被害地ですが、感染爆心地は州都ミラノ市とミラノ県に移っています。が、むろんブレッシャ県の状況も決して良好ではありません。

イタリアのコロナ死者の平均年齢は80歳。死者のうち50歳以下の人は657人。全体のたった1%強に過ぎません。また死者の97%が何らかの持病あるいは基礎疾患を持っています。

筆者は死者の平均年齢の80歳にはまだ届きませんが、50歳はとっくに通り過ぎて且つ基礎疾患を持つ者です。パンデミックのちょうど1年前に狭心症のカテーテル治療を受けたのです。従ってコロナに感染すると重症化する危険が高いと考えられます。

還暦も過ぎたので、死ぬのはしょうがない、という死ぬ覚悟ならぬ「死を認める」心構えはできているつもりですが、コロナで死ぬのはシャクにさわる、という思いでいます。死は予測できないから死ぬ覚悟に似た志も芽生えるのではないでしょうか。避けることができて、且つ死の予測もできるコロナで死ぬのは納得がいかない、と強く感じます。

2週間前には同期の友人がコロナで亡くなりました。彼は長く糖尿病を患っていました。既述の如くこれまでにも親戚や友人・知人がコロナで逝きました。だが全員が70歳代後半から90歳代の人々でした。年齢の近い友人の死は、なぜかこれまでよりも凶悪な相貌を帯びて見えます。

筆者はパンデミックの初めから、世界最悪のコロナ被害地の一つであるイタリアの、感染爆心地のさらに中心付近にいて、身近の恐怖を実感しつつ世界の恐慌も監視し続けてきました。その筆者の目には、最近の日本がコロナに翻弄され過ぎているように見えます。

コロナはむろん怖れなければなりません。感染を阻止し、国の、従って国民の生命線である経済も死守しなければなりません。それが世界共通の目標です。ところがイタリアは、第1波で医療崩壊の地獄を味わい、全土ロックダウンで経済を完膚なきまでに打ち砕かれました。

そのイタリアに比べたら日本の状況は天国です。欧州のほとんどの国に比べても幸運の女神に愛されている国です。アメリカほかの国々に比べても、やっぱり日本のコロナ状況は良好です。むろんそれがふいに暗転する可能性はゼロではありません。

だが日本が、イタリアを始めとする欧州各国の、第1波時並みの阿鼻叫喚に陥る可能性は極めて低い。万万が一そんな事態が訪れても、日本は例えばイタリアや欧州各国を手本に難局を切り抜ければいいだけの話です。

ここ最近筆者は、あらゆる機会を捉えて「日本よ落ち着け」と言い続けています。言わずにはいられません。コロナに対するときの日本の大いなる周章また狼狽は、おどろきを通り越して筆者に少し物悲しい気分さえもたらします。

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イタリアは良くも悪くももう動じない

イタリアの日ごとの新型コロナ感染者数は減少傾向にあります。

ところが12月3日、1日の死者が過去最多を更新して993人にものぼりました。

これまでの記録は第1波のロックダウン中の969人。3月27日のことでした。

新法令

死者が激増した同じ日、イタリア政府は、新型コロナ対策として新たな法令を発動しました。

それによるとクリスマス直前の12月21日から1月6日までは、州をまたいだ移動は禁止。

また夜10時から翌朝5時までの外出も引き続き禁止とする。

さらにクリスマス当日と翌日、また元日には住まいのある自治体から外に出てはならない。

ただし、いずれのケースでも、仕事や医療また緊急事態が理由の移動は許される。

レストランは、赤、オレンジ、黄色の3段階の警戒レベルのうち、最も低い黄色の地域にある店だけ午後6時まで営業できる。

大晦日から新年をホテルで過ごす場合、食事はルームサービスのみ許される。

スキーリゾートは来年1月6日まで閉鎖。1月7日より営業が可能、など。など。

パニくらないイタリア

イタリアの累計の新型コロナ死亡者は、12月3日現在5万8千38人。

欧州ではイギリスの6万210人に次いで多い。

欧州で死者が節目の5万人を超えているのは、イギリス、イタリア、そしてフランスの5万4千231人。スペインの死者数ももうすぐ5万人クラブに入る勢いです。

イタリアの1日あたりのコロナ感染者数は、例えば日本に比べると、依然としてぞっとするほどに多い。重症者も、従って死者も然りです。

なぜイタリアのコロナ死亡者は多いのか。答えは相変わらずイタリアが欧州一の高齢化社会だから、という陳腐なもの。一種のミステリーです。

もやもやした心情を抱きつつも、人々は落ち着いています。第1波のコロナ地獄と全土のロックダウンを経験して、イタリア国民はコロナとの共存法をある程度習得し、さらに習得しつつあります。

イタリアが最も賑やかになるクリスマスシーズンを控えめに過ごして、休暇後の感染爆発を回避しようとする政府の方針は、ほとんど国民的合意といってもかまわないように見えます。

そうした社会情勢は、2回目のロックダウンを敷いて感染拡大をいったん制御し、クリスマスを前に一息ついているフランス、イギリス、スペインなども同じ。

欧州主要国の中ではドイツだけがロックダウンを延長していますが、それはドイツ的慎重の顕現で、同国のコロナ状況は依然として英仏伊西よりも良好です。

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