爆増する中国人観光客の重さでベニス沈没が加速中!


高潮の度にベニスのシンボル・サンマルコ広場は水没する


陸路のイナゴ風大集団

先日ロケでまたベニスを訪れました。そこで異様な光景に出会いました。中国人観光客の群れが大型観光バスを連ねて次々にベニスに入り、また出て行くのです。彼らの数の多さに圧倒されました。異様とはそういう意味です。もっとさらに異様な話も聞きました。中国人観光客の重さでベニスの沈下速度が倍加しているというのです。

ベニスは水没しつつあります。それは今に始まった問題ではありません。周知のようにベニスは、遠浅の海に人間が杭を打ち込んで土地を構築・造成し建物を作っていった街です。地盤が沈下するほどの脆弱な場所に、季節風が送る高潮や海面上昇、またその他の地域特有の問題が重なって、街そのものが沈下を続けているのです。

そんな折に中国人観光客がイナゴ並みの大群で押し寄せて、ベニスは彼らの重みで当初の見込みよりも急速に崩壊し海底に沈降しつつある、というのです。むろんジョークに違いないと思います。だがそれは、たとえジョークではあっても、事の本質が笑い話とは極めて遠い深刻な内容の風説です。

ベニスには世界中から観光客が押し寄せます。訪問者のあまりの多さに音を上げたベニス当局は、街を訪れる人に入場料を課すと決定しました。イタリアの有名観光地の多くはホテルを介して訪問者から観光税を徴収しています。ベニスはそれとは別に、日帰りの訪問客を含む全ての訪問者に新税を課すとしたのです。

その施策の真のターゲットは実は中国人、という噂もこれまたまことしやかにささやかれています。観光で生きているベニスのような街が、(中国人)観光客を締め出す目的で入場料を取るのは矛盾であり、偽善であり、悪政以外のなにものでもありません。とはいうものの、そんなヨタ話が出るほどにベニスへの中国人入域者は多い、ということの証ではあるかもしれません。

大群増加のわけ

ただでも多かったイタリア訪問の中国人観光客の数が、ことし4月以降は爆発的に増えています。イタリアが3月、中国の一帯一路構想への協力を盛り込んだ覚え書きを同国との間に交わしたからです。そこではインフラや農業またエネルギーなどの取り決めと共に、2020年を両国の観光・文化の年と位置づけて連携を強めていくことも確認しあいました。

それを受けて中国人観光客へのイタリアのビザ承認が簡略化され、中国からイタリアへの直行便が増えるなどしました。中国人にとってはイタリア行きが一段と魅力的になったのです。財政難のイタリア政府にとっては、懐の豊かな中国人観光客が増えるのはきわめて喜ばしいことです。GDPの13%を占めるイタリアの観光業は、中国人の増加で多大な恩恵を蒙ることでしょう。

だがその他のイタリア国民にとっては、大挙して押し寄せる中国人観光客は必ずしも嬉しいものではないかもしれません。それというのも中国人観光客のマナーの悪さが、ここイタリアでもひんぱんに取り沙汰されるからです。ベニスで事あるごとに中国人が悪者扱いにされ悪評を立てられるのも、そのことと無関係ではないように見えます。

日本イナゴvs中国イナゴ

群れをなして世界中の観光地を掻き回したのはかつての日本人ですが、それとは比較にならない数と頻度で世界の名所旧跡を荒らし回るのは、いまや中国人です。それは世界の誰もが知っている事実でしょう。

すねにキズを持つ日本人のひとりとしては、中国人を責めるのに気後れがない訳ではありませんが、人々の批判にうなずかざるを得ないこともあります。なにしろ彼らの場合は集団を作る人間の数がケタ違いに違う。少し数を減らしてほしい、とベニスを愛する者として勝手に思ってみたりしないでもありません。

中国人旅行者は、数の膨大に加えて既述のようにマナーの悪さを世界各地で指摘されたりもします。傍若無人な群集が観光地に押し寄せれば、彼らの粗野の度合いがますます目立ってしまいますから、悪行も誇張拡大されて人々の目に映ります。

そういうことが重なって、世界における中国人観光客の野風俗はすっかり悪名高くなってしまいました。だが、マナーなどというものは、人々の暮らしが真に豊かになるに従って矯正されていくものです。われわれ日本人がその生きた証です。

日本人が昔から清潔好きで日本の集落はどこも衛生的でキレイだった、という神話を騙るネトウヨヘイトつまり民族主義系の人士が最近は多い。日本人であること以外には何も誇るものを持たない彼らは、時を選ばずありとあらゆる場所で「日本ってすごい」と孤独な自己賛美に明け暮れます。

だがそれらのナショナリストの言い分は、手前味噌てんこ盛りの国粋主義的主張に過ぎず、視野狭窄の暗闇に満たされたデタラメ以外のなにものでもありません。日本では古来、アニミズム信仰のおかげで、神々が宿るとされる場所が少しは掃除されて清潔になることは確かにあったかもしれません。

しかし、貧しい庶民にとっては、身の回りの清潔や潔癖や衛生観念はいつも二の次のコンセプトでした。日々の空腹を満たすことで精一杯の人々にとっては、今この時を生きのびることのみが重要であり、あたりの汚れや不潔な環境を憂う余裕はありませんでした。飢えで死にかけている者は自他の口臭など気にしないのです。

日本イナゴの洗練また成長過程

時が過ぎ、1970年代から80年代の高度経済成長期には、農協海外ツアーに代表される日本人の団体が、海外に出かけては人々のひんしゅくを買うようになりました。史跡に日本語で落書きをし、旅客機の中で酒盛りをし、スチュワーデスにセクハラを働き、ワイキキビーチをステテコ姿で歩きました。

1991年には、国土交通省(当時は運輸省)が、外国で批判されたり禁止されている行為などをビデオやパンフレットにして飛行機の中で上映したり、ガイドブックに掲載したりもしました。日本人旅行者のマナーの悪さが海外から強く批判されることに危機感を抱いて、国をあげて懸命に対応したのです。

そうした努力が実って、日本人は世界に通用するマナーを徐々に身につけ、今では世界で最も歓迎される観光客、という評判を得るようにさえなりました。だが日本人が海外で“日本人お断り”の洗礼を受け続けていたのは、たった30年かそこら前のことに過ぎない事実を忘れてはなりません。

日本人が昨今の中国人旅行者のマナーの悪さを笑いものにするのはあまりあたらない。中国が経済的にさらに発展して国民の心に余裕が生まれれば、旅を行くおびただしい数の中国人観光客の、衛生観念を含むマナーも必ず向上するでしょう。そのことを踏まえた上で、「今このとき」の話をしておきたいと思います。

海路のイナゴ風大集団

最近ベニスではもうひとつの問題も起こっています。巨大クルーズ船が狭い運河で立ち往生したり操船を誤るなどして危険な状況が頻発するのです。先日は突風にあおられた巨大豪華客船が岸壁に迫って重大な危機を招きました。その少し前にはやはり似たような巨大クルーズ船が、観光客を乗せた地元の小船を道連れにして、桟橋に激突する事故も起きました。


大規模バロック建造物「サルーテ聖堂」を圧して運河を行く巨大クルーズ船

そうした事件は、運河に入る巨大な船の数が急速に多くなったのが原因です。つまり観光客が増えたのです。そして最近極端に増えた観光客が中国人。中国人は迷惑だ、と彼らはまたここでも悪者にされています。その悪口をうのみにする訳ではありませんが、中国人観光客の多さとベニスの危機を思い合わせた時、やはり流言を完全に無視することもできない、という気もします。

海上都市のベニスは現在、イタリア本土と橋で結ばれて列車が乗り入れています。が、元々は街には船でしか入れませんでした。クルーズ船もそんな船舶の一つです。列車が街に乗り入れるようになって以降も、豪華客船で旅をする裕福な観光客は絶えることはなく、ベニスの運河にはいつも巨大船の姿が見えました。

悠然と航行する船はかつてはむしろ一幅の絵になる光景でした。だが今は-あらゆる観光旅がそうであるように- 一般大衆がクルーズ船にもなだれ込んで群がり、結果多くの船が野放図にベニスの運河を行き交うようになりました。事故やトラブルが後を絶たないのはそれが理由です。

全てが中国人のせいではもちろんない。しかし、そうした不都合の大半が中国系の人々の数の暴力によって引き起こされる、と考えるベニス人が増えているのは残念なことです。決して偽善からではなく、筆者は中国人の皆さんに「団体の人数を制御しながらベニス旅をしてほしい」と進言したいと思います。

中国人移民&中華ビジネス

中国人が欧州で目立つのは観光客としてだけではありません。中国人移民の数の多さと彼らのビジネスの拡大も強く人目を引きます。ここイタリアに限って言えば、中国人はローマやミラノなどの大都市はもちろん、地方都市にまで進出して、特に飲食店などの零細事業の分野で勢力を急激に拡大しています。

イタリア北部・ロンバルデア州の田舎にある筆者の住む地域でも、駅や繁華街のカフェやバールなどの飲食店の多くが中国人経営に変わり、ニョキニョキと生まれ出る「“中国系”日本レストラン」の数もものすごい勢いで増えています。それらの店は日本レストランと銘打ってはいるものの、経営者や従業員は全て中国人です。

かつて隆盛した中華料理店が消滅して、代わりに日本食レストランが爆発的に増えました。和食の人気が中華食を圧倒したのです。その機会をとらえて、中国人が日本人を装って日本食を提供し始めました。その実態を知る者にとっては、あまり愉快とばかりはいえない状況です。再びイタリアだけに関して言えば、今や日本食レストランの9割以上が中国人の店、ともいわれています。

世界第2の経済大国である中国は多くの製品・商品も輸出しています。それはかつて世界第2の経済大国だった日本がやってきたことと同じです。だが2国の間には大きな違いがあります。それは中国が物と共に「中国人そのもの」も輸出することです。しかもその輸出は往々にして中国側の一方的な都合に因っています。

巷にあふれる中国人移民は、常に地元民に歓迎されているとは言えません。例えばミラノでは、無法地帯のようにはびこるチャイナタウンを街ごとミラノ郊外に移してしまおう、という案が検討され実施される直前までいったほどです。その他の場所でも彼らの数の多さと閉鎖性が疎まれたりもします。

中国人移民の幸運

そこにアフリカや中東などからの難民・移民問題が勃発しました。欧州全体が難民・移民危機におちいったのです。中でも地中海を隔ててアフリカと隣接するイタリアは、文字通り怒涛の勢いで殺到する難民・移民の巨大津波に飲み込まれて呻吟しはじめました。それは中国人移民にとってはラッキーな事態でした。

なぜなら中国人移民に向けられていたイタリア国民の不満が、たちまちアフリカ・中東からの難民・移民へと矛先を転じたからです。今ではイタリア国民の間では、少なくとも「中国人移民は仕事を持っていてしかも働き者。さらにイスラム過激派のようにテロを起こす“中華過激派”も存在しない」と好意的に話す者が増えました。

筆者の身近にも少なからずいる中国人移民のそうした幸運を彼らと共に喜びたいと思います。レストランやバールやアジア食料品店などで働く中国人の皆さんとは、筆者も親しくさせてもらったりしています。イタリアに来て汗水たらして働いている彼らは、ほぼ全員が善良で気のいい人たちです。

だが彼らの幸運を、中国本土の共産党独裁権力機構、特に習近平国家主席に照らして見れば、彼の「悪運」の強さそのものの現れにも見えて、あまり気分が良いとは言えません。その良くない気分は、残念ながら、ベニスで中国人観光客の大群を目の当たりにする時の心情に似ていないこともありません。

政治の風向きが変わるとき

ことし4月以降に大幅に増えた中国人観光客への実害を伴う批判や偏見や憎悪などはしかし、特殊な環境下にあるベニス界隈を別にすれば、あまり目立って増えているようには見えません。イタリアは全国的に、まだまだ地中海を経由してなだれ込む難民・移民ショックに心を奪われている状態です。先日、難民・移民を厳しく規制する連立政権が崩壊して、収まりかけていた難民・移民の流入が再び激化するのではないか、という不安も国民の心中に満ちています。

イタリア国民の中国系移民への関心、また激増する中国人観光客への監視の目は、前述したようにアフリカ・中東からの難民・移民に向けられている分、ゆるやかです。しかしアフリカ・中東からの難民・移民の流入が止まった場合、国民の厳しい目が再び中国人観光客や移民に集中する可能性は極めて高いと思います。

地中海ルートの難民・移民への強硬策を推し進めた連立政権の一翼の「同盟」は、政権崩壊に伴っていったん下野しそうな状況です。入れ替わりによりリベラルな勢力が政権入りを果たせば、強硬な反移民・難民策は後退するでしょう。しかし、不安に後押しされた国民が「同盟」の政策の継続を要求することは避けられない情勢です。

つまり、イタリアの「寛大な」移民・難民政策は終わりを告げました。極右政党「同盟」が押し進めた強硬な反移民・難民策は、より柔軟なものに変わることはあっても、もう決して姿を消すことはないでしょう。従ってイタリアが中国人への監視の目を徐々に強めていく可能性はやはり高いと言わざるを得ません。中国人の皆さんはぜひそのあたりの機微に敏感になったほうが得策、と思います。

 

 

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能なき過激派には隠す爪とてない

 

イタリアにまたお家芸の政治不安の風が吹いています。まもなく大嵐になる気配です。ジュゼッペ・コンテ首相820日、議会上院で演説し、連立政権内の「同盟」と「五つ星運動の」対立激化を理由に辞意を表明したのです。

連立政権を組む極右「同盟」と左派ポピュリストの「五つ星運動」は、主に経済政策を巡って政権発足直後から対立を続けてきました。その結果「同盟」は89日、「五つ星運動」との関係修復は不可能だとして内閣不信任案を提出しました。

コンテ首相は辞任演説の中で、政権危機の引き金となった「同盟」の党首兼副首相のサルビーニ氏は、「個人と党の利益しか考えておらず無責任だ」と非難しました。が、首相に近い「五つ星運動」も「同盟」と大同小異の無責任体質だと筆者は思います。

連立政権発足時には、総選挙で第一党になった「五つ星運動」の力が政府内でやや優勢でした。しかし、最低所得保障制度(ベーシック・インカム)を目玉にする経済政策が嫌われたことなどもあって、同党の支持率は低迷しました。

そうした中、ことし5月の欧州議会選挙では「同盟」が大きく支持率を伸ばしました。強硬な難民・移民政策と並行して、米トランプ政権を真似た「イタリア・ファースト(第一)」をスローガンに、国民の不満をうまく吸い上げて躍進したのです。

2019年8月20日現在、総選挙になれば「同盟」が「五つ星運動」を大きく抑えて第一党になる可能性が高い、と多くの統計が示唆しています。それをよく知るサルビーニ氏は権力掌握に意欲を見せていて、まるで首相のような振る舞いを見せることも多くなりました。

「同盟」の支持率は5月末の欧州議会選挙では34%でした。これは政権発足時からは倍増の数字。むろんイタリア国内では第一党にあたる力強い値です。一方、連立相手の「五つ星運動」は逆に、ほぼ半減の17%の支持率にとどまりました。

総選挙になっても「同盟」は単独で過半数を制することはできません。しかし現在の状況で選挙に突入すれば、「五つ星運動」と完全に手を切って、自身よりもさらに右寄りの小政党と保守派を巻き込み、極右一辺倒の政権を樹立する可能性が高まります。

ところが、幸い、一気にそういう動きにはならず、現時点では敗者にも見える「五つ星運動」が、前政権与党で第3党の民主党にすり寄って新たに連立政権を組もう、と持ちかけました。あわてた「同盟」のサルビーニ党首は強気の姿勢を少し弱めました。が、もはや事態は後には戻らない状況です。

「五つ星運動」と「民主党」の連立の可能性も含めて、今後のイタリア政局の行方はきわめて流動的です。議会解散権を持つマタレッラ大統領は、急いで解散をするのではなく、まず政党間の仲を取り持ち調整をして、新たな連立政権の誕生を模索しようとするでしょう。

そして連立政権構想が頓挫した場合には、イタリアではよくあるように非政治家を首班とするテクノクラートの暫定政権を発足させて、ひとまず当面の政治危機を乗り越えようとする可能性が高い。そのあとで解散総選挙を行うという手順です。

大統領の判断によっては、「同盟」のサルビーニ党首が渇望する即時解散・総選挙のシナリオももちろんあり得ます。それを避けるには、民主党が一枚岩となって「五つ星運動」との連立か中立の暫定政権の発足を後押しすることですが、同党は相変わらず内部分裂を続けていて団結は難しい。

それにしても、極右政党の「同盟」と左派ポピュリストの「五つ星運動」の我欲の強さにはあきれます。彼らは国民そっちのけで政権内の政治闘争に明け暮れ、ついに政権そのものの崩壊を招きました。

左寄りと右寄りの思想信条また行動は政治の常識です。両者の対話と、対話から生まれる妥協を民主主義といいます。まずいのは「極」右と「極」左です。2者は英語にいうExtremistつまり過激な者。極論支持者であり過激論者。要するに過激派です。

彼ら過激派は対話を拒否し、自らを絶対善として突っ走り、究極的にはテロさえも厭わなくなります。極右と極左は異なるものに見えて、実は「極」で融合する一卵性双生児。そっくりさん。なのに仲が悪い。なぜでしょうか。

どちらも吼えまくり、噛みつき、殴りかかる傾向のある厄介者だから、似た者同士でも吼え合い、噛みつき合い、殴り合うのです。それが右派と左派のポピュリスト党「同盟」と「五つ星運動」の本性です。

「五つ星運動「と「同盟」に極左と極右のレッテルを貼るのはどうか、という意見もあります。もっともな話です。右と左は立ち位置によって違って見えます。左寄りの目には中道も右に映り、右寄りの目には中道も極左に見えかねません。

「五つ星運動」は自らを左にも右にも属さない政治勢力だといいます。「同盟」も、私は極右です、とは口が裂けても言いません。だが彼らの正体は極左と極右だと筆者は思います。能があるかどうかは別にして、両者は連立政権掌握中はまだ過激派の爪を隠しお互いに牽制し合っていまた。

だが、牽制のタガが外れたとき、つまり両者のうちのどちらかが単独で政権を握ったときは危ない、と筆者はいつも考えてきました。単独で政権を取れば「五つ星運動」はイタリア共和国をアナキストの巣窟に変えてしまうでしょう。「同盟」が単独で議会過半数を制して政権の座に就けば、ファシズムの足音が高く響き出すでしょう。

彼らは連立を組んで互いに牽制し合うから、政権運営を任せてみる価値が「あった」のです。異なる者同士が手を組んで、お互いの極論を抑えつつ新しい発想で国の舵を取る彼らに期待されたのはそういう政治でした。

だがそれはしょせん夢物語だったようです。本性をむき出しにして喧嘩ばかりをしていた彼らの連立政権は、両者がそれぞれ単独で政権を握った場合と同じくらいにイタリア共和国のためになりません。

極論者たちは冷静に対話をし、妥協点を見出し、且つ守旧派の政治勢力とは違うめざましい施策を打ち出せないなら、決して一国の政権に就くべきではありません。だが極論者の「同盟」と「五つ星運動」は幸運にもその機会を与えられました。そして見事に失敗しました。

今後の政局の動きによっては、彼らが再び政権与党になる可能性も十分ありますが、できれば過激派と過激派が手を結ぶ形にはならないでほしい。あるいは右の極論者がもうひとつの右の極論者と組んだり、左の極論者がもうひとつの左の極論者と結びつく誤謬は犯さないでほしい、と願います。

とはいうものの、ここは政治には「なんでもあり」の愉快国イタリアです。イタリアの政治は混乱が「常態」です。国民はそれに慣れています。従って何が起きてもおどろきません。根強い政治不信と諦めと、だが冷静な監察力がイタリア国民の十八番。政治混乱くらいでは国は沈没しません。今回の政治危機も恐らく、多くのドタバタ劇を経て、落ち着くところに落ち着くことでしょう。

 

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令和元年8月15日にも聞く「東京だョおっ母さん」

 

先ごろ亡くなった島倉千代子が歌う、母を連れて戦死した兄を靖国神社に偲ぶ名歌「東京だョおっ母さん」を聞くたびに筆者は泣きます。言葉の遊びではなく、東京での学生時代の出来事を思い出し、文字通り涙ぐむのです。

筆者は20歳を過ぎたばかりの学生時代に、今は亡き母と2人で靖国神社に参拝した経験があります。筆者の靖国とは第一に母の記憶です。そして母の靖国神社とは、ごく普通に「国に殉じた人々の霊魂が眠る神聖な場所」です。母の心の中には、戦犯も分祀も合祀も長州独裁も明治政府の欺瞞も、つまり靖国神社の成り立ちとその後の歴史や汚れた政治に関わる一切の知識も、従って感情もありませんでした。母は純粋に靖国神社を尊崇していました。

筆者の母は沖縄で生まれ、育ち、そして沖縄の地で死にました。母は90余年の生涯を国家と夫によるあらゆる横暴や理不尽にじっと耐えて生きました。母の不幸は沖縄の不幸に重なります。だから筆者はそれが何者によるものであろうが、またいかなる形ででもあろうが、沖縄への横暴や理不尽を許しません。それは筆者の母への侮辱と同じことでもあるからです。

一方、筆者には「天皇」のひと言でいつも直立不動になる軍国の申し子の父がいました。国家には忠実で妻には権高だった父は昨年、101歳でこの世を去りました。生前の父には沖縄を切り捨てた昭和天皇への怨みはなかったのだろうか。また母には、天皇とその周辺には卑屈なほどに神妙で、妻には横柄だった夫への怒りはなかったのだろうか、と筆者はよく自問自答します。

血肉の奥まで軍国思想に染まっていた父には天皇への反感はかけらほどもありませんでした。彼は天寿を全うするまで常に天皇の従僕でした。母もまた天皇の子供でした。しかし母の中には父への怒りや怨みがありました。母の言葉の端々にそれは感じられました。母には伝統への反逆法と、伝統によって阻まれている経済的自立の方策が皆無でした。だから彼女は耐え続けました。全ての「伝統的な」母たちがそうであるように。

男の無道に耐える女性たちの悲劇は、経済的自立が成就されたときにほぼ確実に消えます。夫に「養ってもらう」窮屈や屈辱からの解放がすなわち女性の解放です。母の次の世代の母たちはそのことに気づいて闘い、その次の若い母たちの多くはついに経済的に自立して解放されつつあります。女性たちの自主独立志向は欧米に始まり日本でも拡散し、さらに勢いを得て広がり続けています。

閑話休題

「東京だョおっ母さん」で
優しかった兄さんが 桜の下でさぞかし待つだろうおっ母さん あれが あれが九段坂 逢ったら泣くでしょ 兄さんも♫
と切なく讃えられる優しかった兄さんは、戦場では殺人鬼であり征服地の人々を苦しめる悪魔でした。日本男児の2面性です。

筆者は歌を聞いて涙すると同時に、「壊れた日本人」の残虐性をも思わずにはいられません。だが彼らは「壊れた」のではない。国によって「壊された」のです。優しい心を壊された彼らは、戦場で悪鬼になりました。敵を殺すだけではなく戦場や征服地の住民を殺し蹂躙し貶めました。

「東京だョおっ母さん」ではその暗部が語られていません。そこには壊れる前の優しい兄さんだけがいます。歌を聴くときはそれがいつも筆者をほろりとさせます。優しい兄さんに靖国で付き添った母の記憶が重なるからです。だが涙をぬぐったあとでは、筆者の理性がいつもハタと目覚めます。戦死した優しい兄さんは間違いなく優しい。同時に彼は凶暴な兵士でもあったのです。

凶暴であることは兵士の義務です。戦場では相手を殺す残虐な人間でなければ殺される。殺されたら負けです。従って勝つために全ての兵士は凶暴にならなければならない。だが旧日本軍の兵士は、義務ではなく体質的本能的に凶暴残虐な者が多かったフシがあります。彼らは戦場で狂おしく走って鬼になりました。「人間として壊れた」彼らは、そのことを総括せずに戦後を生き続け、多くが死んで行こうとし、実際に死んでいきます。筆者の父のように。

日本人の中にある極めてやさしい穏やかな性格と、それとは正反対の獣性むき出しの荒々しい体質。どちらも日本人の本性です。凶暴、残虐、勇猛等々はツワモノの、つまりサムライの性質です。サムライは同時に「慎み」も持ち合わせていました。それを履き違えて、「慎み」をきれいさっぱり忘れたのが、無知で残忍な旧日本帝国の百姓兵士たちでした。

百姓兵の勇猛は、ヤクザの蛮勇や国粋主義者の排他差別思想や極右の野蛮な咆哮などと同根の、いつまでも残る戦争の負の遺産であり、アジア、特に中国韓国北朝鮮の人々が繰り返し糾弾する日本の過去そのものです。アジアだけではない。日本と戦った欧米の人々の記憶の中にもなまなましく残る歴史事実。それを忘れて日本人が歴史修正主義に向かう時、人々は古いが常に新しい記憶を刺激されて憤ります。

百姓兵に欠如していた日本人のもう一つの真実、つまり温厚さは、侍の「慎み」に通ずるものであり、やさしい兄さんを育む土壌です。女性的でさえあるそれは世界に普遍的なコンセプトでもあります。

戦場での残虐非道な兵士が、家庭ではやさしい兄であり父であることは、どこの国のどんな民族にも当てはまるありふれた図式です。しかし日本人の場合はその落差が激しすぎる。「うち」と「そと」の顔があまりにも違いすぎるのです。

その落差は日本人が日本国内だけに留まっている間は問題になりませんでした。凶暴さも温厚さも同じ日本人に向かって表出されるものだったからです。ところが戦争を通してそこに外国人が入ったとき問題が起こりました。土着思想しか持ち合わせない多くの旧帝国軍人は、他民族を同じ人間と見なす「人間本来」の“人間性”に欠け、他民族を殺戮することだけに全身全霊を傾ける非人間的な暴徒集団の構成員でした。

そしてもっと重大な問題は、戦後日本がそのことを総括し子供達に過ちを充分に教えてこなかった点です。かつては兄や父であった彼らの祖父や大叔父たちが、壊れた人間でもあったことを若者達が知らずにいることが重大問題なのです。なぜなら知らない者たちはまた同じ過ちを犯す可能性が高まるからです。

日本の豊かさに包まれて、今は「草食系男子」などと呼ばれる優しい若者達の中にも、日本人である限り日本人の獣性が密かに宿っています。時間の流れが変わり、日本が難しい局面に陥った時に、隠されていた獣性が噴出するかもしれない。いや、噴出しようとする日が必ずやって来ます。

その時に理性を持って行動するためには、自らの中にある荒々しいものを知っておかなければなりません。知っていればそれを抑制することが可能になります。われわれの父や祖父たちが、戦争で犯した過ちや犯罪を次世代の子供達にしっかりと教えることの意味は、まさにそこにあるのです。

靖国にいるのは壊れた人々の安んじた魂です。それは安らかにそこにいなければならない。同時に生きているわれわれは、壊れた事実と「壊した」者らの記憶を忘れてはなりません。靖国に眠る「壊された」人々の魂が、安んじたままでいるためには、「壊した」者らを封じ込めるしか手はありません。なぜなら戦争はいつも「壊した」者らの卑怯卑劣な我欲によって引き起こされるものだからです。

島倉千代子の「東京だョおっ母さん」を聞く度に筆者は泣かされます。母を思って心が温まります。その母は「壊された弱い人々を思いなさい」と筆者に言います。母の教育はいつもそういうものでした。だが、筆者は母の教えをかみしめながら、「壊した」者らへの憎しみも温存し彼らへの返礼をも思います。歌手のやさしい泣き節は、筆者のその荒々しい心を鎮めようとします。

するとすさんだ心は静まります。島倉千代子の歌唱力のすごさが凶悪な物思いを鎮めるのです。だが筆者は歌を聴いたあとに必ず、密かに、「壊した」者らへの敵愾心をなお育み、拡大させようと心に誓います。島倉千代子の「東京だョおっ母さん」を聞く度に筆者は泣かされる。泣きながら、若者たちを壊した力、すなわち日本を破壊し、沖縄を貶め、従って母を侮辱する力への抵抗と弾劾を改めて決意するのです。

 

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盆は生者のためにある

日本の多くの地域で今日から始まる盆は、昨年11月に101歳で逝った父の新盆にあたります。盆最終日の8月15日にはイタリアでも大きな宗教行事があります。聖母マリアが死して昇天することを寿ぐ聖母被昇天祭です。筆者はその日は家族と共に教会のミサに出席するつもりです。

筆者はキリスト教徒ではありませんが、教会の行事には家族に請われれば、また時間が許す限りは、顔を出すことを厭いません。一方キリスト教徒の筆者の妻は日本に帰るときは、冠婚葬祭に始まる筆者の家族の側のあらゆる行事に素直に参加します。それはわれわれ異教徒夫婦がごく自然に築いてきた、日伊両国での生活パターンです。

教会では父のために、盆の徳を求めて祈ろうと思います。教会はキリスト教の施設ですが、聖母マリアも、その子で神のイエス・キリストも、霊魂となった父を拒みません。拒むどころか抱擁し赦し慈しむ。祈る筆者に対してもそうです。イエス・キリストとはそういう存在です。全き愛と抱擁と赦しが即ちイエス・キリストです。

祈りには実は宗教施設はいりません。筆者は普段でも父に先立って逝った母に語りかけ、父を思っても祈ります。 だが信心深かった母と父はもしかすると、多くの人と同様に寺や神社や祠や仏壇などの宗教設備がないと寂しい思いをするかもしれない。だから筆者はそうした場所でも祈ります。キリスト教の教会においてさえ。

イエス・キリストの代弁者である教会は筆者の祈りを拒まないし拒めません。もしもそこに拒絶があるなら、それは教会施設の管理者である聖職者と信者たちによってなされるものです。だが異教徒でありながら、あるいは仏教系無神論者でありながら、いや仏教系無神論者だからこそ、イエス・キリストを尊崇してやまない筆者を彼らも拒みません。

仏教系無神論者とは、仏教的な思想や習慣や記憶や情緒などにより強く心を奪われながら、全ての宗教を容認し尊崇する者、のことです。同時に筆者は仏陀と自然とイエス・キリストの「信者」でもあります。幾つもの宗教を奉ずる者は、特に一神教の信者にとっては、「何も信じない者」であるに等しい。

その意味でも筆者はやはり無神論者なのであり、無神論者とは「無神論」という宗教の信者だと考えています。そして無神論という宗教の信者とは、別の表現を用いれば、先に述べた「全ての宗教を肯定し受け入れる者」にほかなりません。

葬儀や法要や盆などを含むあらゆる宗教儀式と、それを執り行うための施設は、死者のためにあるのではない。それは生者のために存在します。われわれは宗教施設で宗教儀式を行うことによって、大切な人を亡くした悲しみや苦しみを克服しようとします。盆もその例に漏れません。

宗教はそれぞれの信仰対象を解釈し規定し実践する体系です。体系は教会や寺院や神社などの施設によって具現化されます。信者は体系や施設を崇拝し、自らの宗教の体系や施設ではないものを拒絶することがあります。特に一神教においてそれは激しい。

再び言います。筆者はあらゆる宗教を認め受容し尊崇する「仏教系無心論者」です。筆者にとっては、宗教の教義や教義を含む全体系やそれを具現し実践する施設はあまり意味をなしません。筆者はそれらを尊重し信者の祈りももちろん敬仰します。

だが筆者はあらゆる宗教の儀式やしきたりや法則よりも、ひたすら「心が重要」と考える者でもあります。心には仏教もキリスト教も神道も精霊信仰も何もありません。心は宗派を超えた普遍的な真理であり、汎なるものです。それは何ものにも縛られることがありません。

灰となった父の亡き骸の残滓は日本の墓地に眠っています。父に先立って逝った母もそうです。だが2人はそこにはいません。2人の御霊は墓を飛び出し、現益施設に過ぎない仏壇でさえも忌避し、生まれ育ちそして死んだ島さえも超越して、遍在します。

2人は遍在して筆者の中にもいます。肉体を持たない母と父は完全に自由です。自在な両親は筆者と共に、たとえば日本とイタリアの間に横たわる巨大空間さえも軽々と行き来しては笑っています。筆者はそのことを実感することができます。

筆者は実感し、いつでも彼らに語りかけ、祈ります。繰り返しますが祈りは施設を必要としません。しかし盆の最終日には筆者は、イエス・キリストを慕いつつ仏陀の徳を求めて、母と、そして新盆を迎える父のために、キリスト教の施設である教会で祈ろうと思います。

acebook:masanorinakasone     official siteなかそね則のイタリア通信

「表現の不自由展」中止事件が物語るもの

「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」が開始3日後に中止になった事件は、様々な表現者団体が次々と抗議声明を出すなど、大きな波紋となっています。

僕は今回の展示がこのまま中止となると、「脅せば表現は封印できる」という前例となり、同様の事件が急増する恐れがあると考えています。またそれを恐れて公的セクターやマスコミの間に萎縮が広がるとしたら、それこそ非常に問題ではないでしょうか。

ちまたでは従軍慰安婦問題に関する韓国側の主張を象徴する「平和の少女像」を展示したことの是非が、最も大きな問題点であるかのように論じられているようです。

当然のことながら、こういった展示を行った芸術監督の津田大介氏の見識に批判的な声が上がり、その一方では展示に反発した保守系政治家の言動が、言論・表現の自由に対する政治の圧力だと批判されています。

河村たかし名古屋市長は、「どう考えても日本人の、国民の心を踏みにじるもの。いかんと思う」などと述べて、少女像の撤去を求め、企画展の中止が決まった後も、「やめれば済む問題ではない」として、謝罪を要求しました。少女像の展示は「『数十万人も強制的に収容した』という韓国側の主張を認めたことになる」とも語りました。

自民党の保守系議員らの集まりが、この少女像について「事実上の政治プロパガンダだ」として、「公金を投じるべきでなく、国や関係自治体に適切な対応を求める」との意見表明を行いました。さらに、代表者が首相官邸で西村康稔官房副長官と面会。西村氏は「自民党愛知県議団を中心に対応を始めている」と応じたというから、政治家の反応にちまたの注目が集まるのも無理はありません。

しかし僕はちまたで飛び交うこういった議論に興味はありません。興味は無いというか、こういった論点で盛り上がること自体が、「真犯人」の姿を見えにくくし、「真犯人」の思うつぼにはまっていると感じています。

こういった論点のすり替えは、残念ながらしばしば起こります。先日の吉本興業で、所属芸人が直営業で反社会的勢力のイベントに参加していた件で、謝罪会見をめぐり、芸人本人である宮迫博之さんと、会見を封じた吉本興行側の岡本昭彦社長のどっちが悪いか、という論点でワイドショーは賑わっていました。

たまたまテレビを観ていた妻は、「バカじゃないの。いちばん悪いのは振り込め詐欺をした犯人グループに決まっているじゃない。その話をしないで、宮迫さんや岡本社長を批判しても意味がない」と言ってテレビを消しました。マスコミは声の大きい有名人の言動を元に、ストーリーを作って議論したがりますが、それは時に事件の本質をミスリードしてしまいます。

今回の「表現の不自由展」中止事件の場合も、誰が「真犯人」なのか、何がいちばん悪いのか、という点にキチンと注目して議論しないと、論点がすり替わってしまう危険性があると僕は思いました。

「真犯人」は言うまでもなく、少女像について「大至急撤去しろや、さもなくば、うちらネットワーク民がガソリン携行缶持って館へおじゃますんで」と、京都アニメーションの事件を思わせるFAXを送りつけて脅迫した人物であり、その背後で「電凸」と呼ばれる電話暴力で主催者を脅し続けた多くの卑怯な人間たちであります。

当然のことながら、ガソリン携行缶で主催者を脅したテロリスト稲沢市稲沢町の会社員堀田修司容疑者は、威力業務妨害で警察に逮捕されました。テロに屈した芸術祭の実行委員会の会長を務める大村秀章・愛知県知事の弱腰を批判する意見ももちろんありますが、県知事はあくまでも被害者だと言うべきでしょう。

気に食わない表現活動を、脅しによって封殺しようとするのは、同企画展に対する威力業務妨害というにとどまらず、表現の自由を掲げるわが国に対する重大なテロ行為であります。また、このような脅し文句は、京アニの事件で奪われた35人の命や、それを悲しむ多くの人たちに対する冒涜でもあって、断じて許しがたいものです。

「電凸」については後に述べますが、私達はどんな良い意見を主張するためであっても、「ガソリン携行缶を持ってお邪魔」などしてはいけない。ましてや意見の分かれる案件に関して、暴力をもって相手側の言論・表現行為を封じることは、絶対にあってはならないことなのです。

今回の「真犯人」の思惑は、少女像などの展示を撤去させることであり、こういった自分たちの気に入らない表現活動を、日本で今後やりにくい風潮を作ることでした。主催者、マスコミを含めて私達は、まんまと「真犯人」の思惑に乗せられているような気がしてなりません。

決して少女像の展示の是非などに、論点をすり替えてはいけません。事件は暴力による言論封殺のテロリズムなのです。従軍慰安婦問題については私はまた別の観点から記事を書いていますから、読んで頂ければ幸いです。

何がいちばん悪いのか、と言うとガソリン携行缶FAXで脅迫した堀田容疑者はもちろんのこと、この男と五十歩百歩というべき「電凸」を実行した、数多くの卑怯な「名無しさん」たちの存在です。

「電凸」という名前の組織的な電話暴力があることを、僕は今回の津田大介氏の会見で初めて知りました。

「事務局の電話が常に鳴っている状況。一昼夜続いた。そこがパンクし、つながらないとなると、県立美術館や文化センターにかける。(そこの職員は)そういう電話が回されることも知らない。待たされてさらに激高している状態の人が、事情を知らないオペレーターの方に思いをぶつけてしまう。それがひっきりなしに続く状況を目の当たりにし、続けられないと判断した」(津田氏)

ネット上で炎上したテーマに関して、クレーム電話を公的セクターの窓口などに一斉にかけて回線をパンクさせてしまう手口の、最近のネット社会ならではの陰湿な組織的暴力です。通常は公的機関は代表電話やお問合せ窓口の番号を公開していますが、その番号に一度に大量の電話をかけると、電話回線が足りなくなりクレーム処理ができなくなります。そこを狙ったのが「電凸」に参加するネット民たちというわけです。

マスコミなどでは多大な反響が予想される、賛否の分かれそうな内容の生放送をする時、事前に数100回線ほどの電話を用意し、対応する要員を配置する作戦をとります。僕もNHKで働いていた頃、視聴者参加型の政治討論生放送にかり出された経験がありますが、広いスタジオに組まれたひな壇にずらりと並んだ電話が一斉に鳴る光景は凄みのあるものでした。

そういう時でなくとも視聴者ふれあいセンターには、それなりのクレーム対応を訓練されたオペレーターが常時配備されていて、デリケートな内容の番組を放送した直後には、右からも左からも押し寄せる、様々な怒れる視聴者の声を受け止める業務をこなします。

しかし日頃から激しいクレーム処理に長けた要員を擁するマスコミ組織とは違って、県立美術館などの受付窓口に座っているのは、平和な美術展などの問い合わせに対応するだけの事務員さんたちです。いきなり政治的な議論を吹きかけられたって、返答もしどろもどろになり、パニックになるでしょう。

そもそも県立美術館などで電話対応に当たる職員は、通常は日常業務を抱えていて、その合間に問い合わせの電話にも出る、というのが実情です。突然クレーム電話が殺到したら、誰もが電話に出るだけで精一杯になり、日常業務がストップしてしまいます。

そんな事務局の事情を知っていながら、わざとネット上で示し合わせて、集団で一斉にクレーム電話をかける「電凸」はもはや現代の組織暴力です。憎むべきテロのひとつと位置づけて良いと思います。

今回の「表現の不自由展」中止事件は、この「電凸」にも成功体験を与えてしまった、というのが非常に残念なところです。卑怯な「名無しさん」たちに、気に入らない言論を封じ込める手口があることを教えてしまった、重い責任を津田氏には感じてもらいたいです。

津田氏お得意の炎上商法を試みたつもりでしょうが、リアルな世界で炎上を起こすからには、それを受け止めるクレーム対応要員なり電話回線なりを準備し、リアルな会場で整然とシンポジウムを開催できるような場を提供する仕掛けが必要だったことは間違いありません。

芸術家が政治活動をやってもいいし、政治家が芸術活動をやるのももちろんかまわないことです。でも芸術と政治を混同してはいけません。政治をそのまま芸術として表に出すことは、プラクティカル・アートとしても認められないし、そもそも真の芸術家に対して失礼だと僕は考えています。

その意味で僕は個人的に、今回の企画展に出品された少女像を始めとする問題の作品群に対して、芸術的に価値が高いとは感じていません。感動するかと言われれば感動しないし、むしろ不快感さえあります。それでも、です。それでも表現行為を封殺してはならないのです。展示したうえで、駄目な作品だと評価すれば良いことだと思います。

今回の企画展中止が悪しき前例となって、自治体や公的組織が萎縮し、表現活動に対して自粛、忖度をするようになることだけは避けて欲しいです。そして反骨精神ある芸術家が、さらに洗練された表現活動をのびのびと行える社会であって欲しい、と強く願っています。

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ワイン飲みのうんちくとワイン造りの苛烈

世の中にはワイン通と呼ばれる人たちのワインに関するうんちくがあふれていますが、ワインは自分が飲んでおいしいと感じるものだけが良いワインであり真にうまいワインです。

ワイン通のうんちくはあくまでもその人の好みのワインの話であって、他人の好きなワインとは関係がありません。

ただ一般論として言えば、値の張るワインは質の良いものである可能性が高い。当たり前じゃないかと言われそうです。

だが、ワインは複雑な流通の仕組みや、金もうけの上手な輸入業者の仕掛け等で値段が高くなることもありますから単純な話ではありません。

ここからはうんちく話ではなく、つい最近まで商業用のワインを造っていた筆者の妻の実家のワイン醸造現場で、筆者が実際に体験してきたシビアなビジネスの話をしようと思います。

本物の良いワインの値段が張るのは、製造に手間ひまがかかっているからです。同じ土地の同種のブドウを使っても、時間と労力と金をかけると明らかに違うワインが出来上がります。

具体的にいえば、たとえばブドウを搾るときは、葉っぱや小枝の切れ端や未熟の実や逆に熟し過ぎた実や腐った実など、ブドウ収穫時に混じったり紛れこんだりした要素もすべていっしょくたにして機械で絞ります。

それでも普通においしいワインができます。自家のワインもそうでした。これを上質のさらにおいしいワインにしたいのなら、絞る前に葉っぱや小枝などに始まる夾雑物 を除き、ブドウも選別して良いものだけを集めます。これには手間と費用がかかるのはいうまでもありません。

ブドウの選別という観点でいえば、ブドウの実は古木であればあるほど質が良い。したがって古木の実だけを使ってワインを作ればさらに良いものができます。

だがブドウは古木になればなるほど果実が少ない。古木の実だけでワインを作れば上質のものができますが、大量には作れません。原料費もぐんと高くなります。

従って中々それだけではまかなえませんが、一部だけでも古木の実を混入して醸造すればやはり味が良くなります。だからそれを混ぜて使ったりもします。そうしたことはすべてコスト高につながります。

またワインを熟成させることも非常に費用のかかる工程です。たとえば3年熟成させるということは、ワイナリー内の熟成装置や熟成場を3年間占拠することです。熟成場は借家かもしれません。

借家の場合は家賃がかかります。加えて作業員や酒造りの専門家も3年間余計に雇わなければなりません。それは熟成場が自家のものであっても同じです。

それだけでも膨大な金ががかかります。また3年間熟成させるとは、単純にいえば3年間そのワインを販売することができない、ということです。

つまりワイナリーは3年間収入がないのに、人件費や醸造所の維持や管理を続けなければならない。ワイナリーの負担はふくらむばかりなのです。

ごく単純化して言えば、上質なワインとはそのようにして作られるものです。生産に大変な費用がかかっています。ボトル1本1本の値段が高いのがあたり前なのです。

たとえばうちでは、造っていた赤ワインの原料のブドウをもっと厳しく選別して質を向上させたかったのですが、そのためには多くの資金が要ります。それでいつまでも二の足を踏んでいました。

ところがすぐ近くの業者は、同じ地質の畑の同じ種類のブドウを使って、手間ひまをかけた赤ワインを造っていて、値段もうちのワインの5倍ほどしました。

そしてそのワインは客観的に見て自家のものよりも質が良かった。この事実だけを見ても筆者の言いたいことは分かってもらえるのではないでしょうか。

ところでわれわれがワイン造りをやめたのは、醸造所(ワイナリー)を経営していた義父が亡くなったからです。筆者が事業を継ぐ話もありましたが遠慮しました。

筆者はワインを飲むのは好きですが、ワインを「造って売る」商売には興味はありません。その能力もありません。それでなくても義父の事業は赤字続きでした。

ワイン造りはしなくて済みましたが、筆者は義父の事業の赤字清算のためにひどく苦労をさせられました。彼の問題が一人娘の妻に引き継がれたからでした。

この稿は「うんちく話ではない」と筆者は冒頭でことわりました。それは趣味や嗜好や遊びの領域の話ではなく商売にまつわる話だから、という意味でした。

しかし、ま、つまるところ筆者のこの話も見方によってはワインに関する“うんちく話”になったようです。うんちく話は退屈なものが多い。できれば避けたかったのですが、文才の不足はいかんともしがたい。

最後に、ワインを造るのはどちらかといえば簡単な仕事です。日本酒で言えば杜氏にあたるenologo(エノロゴ)というワイン醸造の専門家がいて、こちらの要求に従ってワインを造ってくれます。

もちろんenologoには力量の違いがあり、専門家としてのenologoの仕事は厳しく難しい。ワイン造りが簡単とは、優秀なenologoに頼めば全てやってくれるから、こちらは金さえ出せばいい、という意味での「簡単」なのです。

ワインビジネスの真の難しさは、ワイン造りではなく「ワインの販売」にあります。ワイン造りが好きだった義父は、enologoを雇って彼の思い通りにワインを造っていました。しかし販売の能力はゼロでした。

だから彼はワイナリーの経営に失敗し、大きな借金を残したまま他界しました。借金は一人娘の妻に受け継がれ、筆者はその処理に四苦八苦しました。それは断じてうんちく話ではありません。どちらかといえば苦労譚なのです。

 

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