令和元年8月15日にも聞く「東京だョおっ母さん」

 

先ごろ亡くなった島倉千代子が歌う、母を連れて戦死した兄を靖国神社に偲ぶ名歌「東京だョおっ母さん」を聞くたびに筆者は泣きます。言葉の遊びではなく、東京での学生時代の出来事を思い出し、文字通り涙ぐむのです。

筆者は20歳を過ぎたばかりの学生時代に、今は亡き母と2人で靖国神社に参拝した経験があります。筆者の靖国とは第一に母の記憶です。そして母の靖国神社とは、ごく普通に「国に殉じた人々の霊魂が眠る神聖な場所」です。母の心の中には、戦犯も分祀も合祀も長州独裁も明治政府の欺瞞も、つまり靖国神社の成り立ちとその後の歴史や汚れた政治に関わる一切の知識も、従って感情もありませんでした。母は純粋に靖国神社を尊崇していました。

筆者の母は沖縄で生まれ、育ち、そして沖縄の地で死にました。母は90余年の生涯を国家と夫によるあらゆる横暴や理不尽にじっと耐えて生きました。母の不幸は沖縄の不幸に重なります。だから筆者はそれが何者によるものであろうが、またいかなる形ででもあろうが、沖縄への横暴や理不尽を許しません。それは筆者の母への侮辱と同じことでもあるからです。

一方、筆者には「天皇」のひと言でいつも直立不動になる軍国の申し子の父がいました。国家には忠実で妻には権高だった父は昨年、101歳でこの世を去りました。生前の父には沖縄を切り捨てた昭和天皇への怨みはなかったのだろうか。また母には、天皇とその周辺には卑屈なほどに神妙で、妻には横柄だった夫への怒りはなかったのだろうか、と筆者はよく自問自答します。

血肉の奥まで軍国思想に染まっていた父には天皇への反感はかけらほどもありませんでした。彼は天寿を全うするまで常に天皇の従僕でした。母もまた天皇の子供でした。しかし母の中には父への怒りや怨みがありました。母の言葉の端々にそれは感じられました。母には伝統への反逆法と、伝統によって阻まれている経済的自立の方策が皆無でした。だから彼女は耐え続けました。全ての「伝統的な」母たちがそうであるように。

男の無道に耐える女性たちの悲劇は、経済的自立が成就されたときにほぼ確実に消えます。夫に「養ってもらう」窮屈や屈辱からの解放がすなわち女性の解放です。母の次の世代の母たちはそのことに気づいて闘い、その次の若い母たちの多くはついに経済的に自立して解放されつつあります。女性たちの自主独立志向は欧米に始まり日本でも拡散し、さらに勢いを得て広がり続けています。

閑話休題

「東京だョおっ母さん」で
優しかった兄さんが 桜の下でさぞかし待つだろうおっ母さん あれが あれが九段坂 逢ったら泣くでしょ 兄さんも♫
と切なく讃えられる優しかった兄さんは、戦場では殺人鬼であり征服地の人々を苦しめる悪魔でした。日本男児の2面性です。

筆者は歌を聞いて涙すると同時に、「壊れた日本人」の残虐性をも思わずにはいられません。だが彼らは「壊れた」のではない。国によって「壊された」のです。優しい心を壊された彼らは、戦場で悪鬼になりました。敵を殺すだけではなく戦場や征服地の住民を殺し蹂躙し貶めました。

「東京だョおっ母さん」ではその暗部が語られていません。そこには壊れる前の優しい兄さんだけがいます。歌を聴くときはそれがいつも筆者をほろりとさせます。優しい兄さんに靖国で付き添った母の記憶が重なるからです。だが涙をぬぐったあとでは、筆者の理性がいつもハタと目覚めます。戦死した優しい兄さんは間違いなく優しい。同時に彼は凶暴な兵士でもあったのです。

凶暴であることは兵士の義務です。戦場では相手を殺す残虐な人間でなければ殺される。殺されたら負けです。従って勝つために全ての兵士は凶暴にならなければならない。だが旧日本軍の兵士は、義務ではなく体質的本能的に凶暴残虐な者が多かったフシがあります。彼らは戦場で狂おしく走って鬼になりました。「人間として壊れた」彼らは、そのことを総括せずに戦後を生き続け、多くが死んで行こうとし、実際に死んでいきます。筆者の父のように。

日本人の中にある極めてやさしい穏やかな性格と、それとは正反対の獣性むき出しの荒々しい体質。どちらも日本人の本性です。凶暴、残虐、勇猛等々はツワモノの、つまりサムライの性質です。サムライは同時に「慎み」も持ち合わせていました。それを履き違えて、「慎み」をきれいさっぱり忘れたのが、無知で残忍な旧日本帝国の百姓兵士たちでした。

百姓兵の勇猛は、ヤクザの蛮勇や国粋主義者の排他差別思想や極右の野蛮な咆哮などと同根の、いつまでも残る戦争の負の遺産であり、アジア、特に中国韓国北朝鮮の人々が繰り返し糾弾する日本の過去そのものです。アジアだけではない。日本と戦った欧米の人々の記憶の中にもなまなましく残る歴史事実。それを忘れて日本人が歴史修正主義に向かう時、人々は古いが常に新しい記憶を刺激されて憤ります。

百姓兵に欠如していた日本人のもう一つの真実、つまり温厚さは、侍の「慎み」に通ずるものであり、やさしい兄さんを育む土壌です。女性的でさえあるそれは世界に普遍的なコンセプトでもあります。

戦場での残虐非道な兵士が、家庭ではやさしい兄であり父であることは、どこの国のどんな民族にも当てはまるありふれた図式です。しかし日本人の場合はその落差が激しすぎる。「うち」と「そと」の顔があまりにも違いすぎるのです。

その落差は日本人が日本国内だけに留まっている間は問題になりませんでした。凶暴さも温厚さも同じ日本人に向かって表出されるものだったからです。ところが戦争を通してそこに外国人が入ったとき問題が起こりました。土着思想しか持ち合わせない多くの旧帝国軍人は、他民族を同じ人間と見なす「人間本来」の“人間性”に欠け、他民族を殺戮することだけに全身全霊を傾ける非人間的な暴徒集団の構成員でした。

そしてもっと重大な問題は、戦後日本がそのことを総括し子供達に過ちを充分に教えてこなかった点です。かつては兄や父であった彼らの祖父や大叔父たちが、壊れた人間でもあったことを若者達が知らずにいることが重大問題なのです。なぜなら知らない者たちはまた同じ過ちを犯す可能性が高まるからです。

日本の豊かさに包まれて、今は「草食系男子」などと呼ばれる優しい若者達の中にも、日本人である限り日本人の獣性が密かに宿っています。時間の流れが変わり、日本が難しい局面に陥った時に、隠されていた獣性が噴出するかもしれない。いや、噴出しようとする日が必ずやって来ます。

その時に理性を持って行動するためには、自らの中にある荒々しいものを知っておかなければなりません。知っていればそれを抑制することが可能になります。われわれの父や祖父たちが、戦争で犯した過ちや犯罪を次世代の子供達にしっかりと教えることの意味は、まさにそこにあるのです。

靖国にいるのは壊れた人々の安んじた魂です。それは安らかにそこにいなければならない。同時に生きているわれわれは、壊れた事実と「壊した」者らの記憶を忘れてはなりません。靖国に眠る「壊された」人々の魂が、安んじたままでいるためには、「壊した」者らを封じ込めるしか手はありません。なぜなら戦争はいつも「壊した」者らの卑怯卑劣な我欲によって引き起こされるものだからです。

島倉千代子の「東京だョおっ母さん」を聞く度に筆者は泣かされます。母を思って心が温まります。その母は「壊された弱い人々を思いなさい」と筆者に言います。母の教育はいつもそういうものでした。だが、筆者は母の教えをかみしめながら、「壊した」者らへの憎しみも温存し彼らへの返礼をも思います。歌手のやさしい泣き節は、筆者のその荒々しい心を鎮めようとします。

するとすさんだ心は静まります。島倉千代子の歌唱力のすごさが凶悪な物思いを鎮めるのです。だが筆者は歌を聴いたあとに必ず、密かに、「壊した」者らへの敵愾心をなお育み、拡大させようと心に誓います。島倉千代子の「東京だョおっ母さん」を聞く度に筆者は泣かされる。泣きながら、若者たちを壊した力、すなわち日本を破壊し、沖縄を貶め、従って母を侮辱する力への抵抗と弾劾を改めて決意するのです。

 

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