老共産主義者の一徹

イタリアのジョルジョ・ナポリターノ前大統領が9月22日、入院先のローマの病院で死去しました 。98歳でした。

前大統領は南部ナポリ生まれ。第2次大戦中にレジスタンス運動に加わり20歳で共産党入りしました。

若いころは国王に似た容姿や物腰から赤いプリンスと呼ばれ、徐々に筋金入りの共産主義者へと変貌していきました。

赤いプリンスは下院議長、閣僚、欧州議会議員などを経て2006年、共産党出身者として初めての大統領に就任。

同大統領は1期目7年の任期が終わろうとしていた2013年、強く請われて2期目の大統領選に出馬しました。

イタリアは当時、財政危機に端を発した政治混迷が続き、総選挙を経ても政権樹立が成らない異常事態に陥っていました。

そこに新大統領決定選挙が実施されましたが、政治混乱がたたって事態が紛糾し、次期大統領が中々決まりませんでした。

事実上政府も無く、大統領も存在しないのではイタリア共和国は崩壊してしまいかねません。

強い危機感を抱いた議会は、高齢のため強く引退の意志表示をしていたナポリターノ大統領に泣きつき立候補を要請しました。

大統領は固辞し続けましたたが、最後は負けて「仕方がない。私には国に対する責任がある」と発言して立候補。圧倒的な支持を受けて当選しました。

87歳という高齢での当選、また2期連続の大統領就任も史上初めてのことでした。

だが何よりも国民は、立候補に際して大統領がつぶやいた「私には国に対する責任がある」という言葉に改めて彼の誠実な人柄を認め、同時に愛国心を刺激されて感銘しました

イタリア人ではない筆者は、ナポーリターノ大統領が不屈の闘志一念の共産主義者である事実にも瞠目しつづけました。

政治体制としての共産主義には筆者は懐疑を通り越して完全に否定的ですが、その思想のうちの弱者に寄り添う形と平等の哲学には共感します。

そしてその思想はもしかすると、私利私欲に無縁だった老大統領の、ブレない美質の形成にも資したのではないか、と考えて強い感慨を覚えたりするのです。

欧州最大の規模を誇ったイタリア共産党が崩壊して大分時間が経ちます。

ナポリターノ前大統領の死去によって、かすかに命脈を保っていた旧共産党の残滓が完全に払拭された、と感じるのは筆者だけでしょうか。

 

 

 

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欧州の終わらない難民・移民危機

イタリアへの難民・移民の流入が止まりません。イタリアは歴史的に移民の流入に慣れています。ローマ帝国時代から地中海を介して多くの人々が行き交ったからです。

だが近年の難民・移民の上陸には政治的な思惑も色濃く反映して問題が複雑化しています。言うまでもなくそれはEU(欧州連合)をはじめとする欧州全体の国々に共通する課題です。

ことし1月から9月半ばまでの間にイタリアには129、869人の難民・移民が押し寄せました。それは難民危機が最高潮に達した2015~2016年に迫る数字です。

右派のジョルジア・メローニ首相は移民の規制強化を選挙公約にしてきました。政権の座に就いてからも彼女は一貫して反移民のスタンスを貫いています。

それでも難民・移民の流入は止まりません。むしろ増えています。

強い危機感を抱いた彼女はEUに窮状を訴えました。すると早速、欧州委員会のフォンデアライエン委員長が、難民・移民が多く流入するイタリア南部のランペデゥーサ島を訪問、視察しました。

欧州連合はリベラル勢力が優勢ですが、右派のメローニ政権の訴えに耳を傾けることも多くなっています。イタリア以外の国々の危機意識も一段と強くなっているからです。

イタリアに到着する難民・移民は、そこを経由地にして欧州全体、特に北部ヨーロッパを目指して旅をしていく者が多いのです。

難民危機真っ最中の2015年9月、ドイツのメルケル首相はハンガリーで足止めされていた難民・移民100万人あまりをドイツに受け入れました。

その後、メルケル首相の政策は批判され、欧州は移民に対して厳しい方向に動いています。だがそれは欧州が移民に扉を閉ざすことを意味しません。

欧州は今後も人口減少傾向が続くでしょう。移民を受け入れて労働力を確保し、彼らの子供たちが教育を受け社会に溶け込み融合して、欧州人として成長していくことを認める以外に生き残る道はありません。

極右とも規定されるメロ-ニ首相でさえそのことを知悉しています。だからこそ彼女は、例えば日本のネトウヨ系排外差別勢力のように「移民絶対反対」などとは咆哮せず、飽くまでも不法移民を排斥しようと主張します。

法治国家である限り、社会は法に支配され庇護されてしか存在し得ません。従って彼女の主張は正しい。

だが問題は例によって、極右勢力などが我が意を得たりと勇んで、反移民感情が徐々に醸成されることです。

放置するとそれは拡大強調されて、ついには社会全体が不寛容と憎悪の渦巻くファシスト支配下のような空気に満たされかねません。

イタリアを含む欧州が、難民はさておき、移民への寛大な施策を捨ててより厳しい規制をかける方向に動き出せば、その危険は高まるばかりです。

 

 

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敬老の日という無礼

日本独特のコンセプト、敬老の日がまた巡って来ます。

先年亡くなったイタリア人の義母が間もなく90歳になろうとしていた頃、日本には「敬老の日」というものがある、と会食がてらに話したことがあります。

義母は即座に「最近の老人は私を含めてもう誰も死ななくなった。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と一刀両断、脳天唐竹割りに断罪しました。

老人は適当な年齢で死ぬから大切にされ尊敬される。いつまでも生きていたら若い者の邪魔になるだけだ、と義母は続けました。

そう話すとき義母は微笑を浮かべていました。しかし目は笑っていません。彼女の穏やかな表情を深く検分するまでもなく、筆者は義母の言葉が本心から出たものであることを悟りました。

老人の義母は老人が嫌いでした。老人は愚痴が多く自立心が希薄で面倒くさい、というのが彼女の老人観でした。

そしてその頃の義母自身は筆者に言わせると、愚痴が少なく自立心旺盛で面倒くさくありませんでした。

それなのに彼女は、老人である自分が他の老人同様に嫌いだというのです。なぜならいつまで経っても死なないから。

筆者は正直、死なない自分が嫌い、という義母の言葉をそのまま信じる気にはなれませんでした。それは死にたくない気持ちの裏返しではないかとさえ考えました。

義母は少し足腰が弱かった。大病の際に行われたリンパ節の手術がうまく行かずに神経切断につながったのです。ほとんど医療ミスにも近い手違いのせいで特に右足の具合が悪くなっていました。

足腰のみならず、彼女は体と気持ちがうまくかみ合わない老女の自分がうとましい。若くありたいというのではない。自分の思い通りに動かない体がとても鬱陶しい。いらいらする、と話しました。

もう90年近くも生きてきたのだ。思い通りに動かない体と、思い通りに動かない自分の体に怒りを覚えて、四六時中いら立って生きているよりは死んだほうがまし、と感じるのだといいます。

そういう心境というのは、彼女と同じ状況にならない限りおそらく誰にも理解できないのではないでしょうか。体が思い通りに動かない、というのは老人の特性であって、病気ではないでしょう。

そのことを苦に死にたい、という心境は、少なくとも今のままの筆者にはたぶん永遠に分からない。人の性根が言わせる言葉ですから彼女の年齢になっても分かるかどうか怪しいところです。

ただ彼女の潔(いさぎよ)さはなんとなく理解できるように思いました。彼女は自分の死後は、遺体を埋葬ではなく火葬にしてほしいとも願っていました。埋葬が慣例のカトリック教徒には珍しい考え方です。筆者はそこにも義母の潔さを感じました。

また義母は将来病魔に侵されたり、老衰で入院を余儀なくされた場合、栄養点滴その他の生命維持装置を拒否する旨の書類も作成し、署名して妻に預けていました。

生命維持装置を使うかどうかは、家族に話しておけば済むことですが、義母はひとり娘である筆者の妻の意志がゆらぐことまで計算して、わざわざ書類を用意したのです。

義母はこの国の上流階級に生まれました。フィレンツェの聖心女学院に学び、常に時代の最先端を歩む女性の一人として人生を送ってきました。学問もあり知識も豊富でした。

彼女が80歳を過ぎて患った大病とは子宮ガンです。全摘出をしました。その後、苛烈な化学療法を続けましたが、彼女は副作用や恐怖や痛みなどの陰惨をひとことも愚痴ることがありませんでした。

義母は90歳になんなんとするその頃までは、毎日を淡々と生きていました。

理知的で意志の強い義母は、あるいは普通の90歳前後の女性ではなかったのかもしれません。ある程度年齢を重ねたら、進んで死を受け入れるべき、という彼女の信念も特殊かもしれません。

だが筆者は義母の考えには強い共感を覚えました。それはいわゆる「悟り」の境地に達した人の思念であるように思いました。理知的ではありませんでしたが、悟りという観点では筆者の死んだ母も義母に似ていました。

日本の高齢者規定の65歳を過ぎたものの、当時の義母から見ればまだ「若造」であろう筆者は、この先運よく古希を迎えさらに80歳まで生きるようなことがあっても、まだ死にたくないとジタバタするかもしれません。

それどころか、義母の年齢やその先までも生きたいと未練がましく願い、怨み、不満たらたらの老人になるかもしれない。いや、なりそうです。

そこで義母を見習って「死を受容する心境」に到達できる老人道を探そうかと思う。だが明日になれば筆者はきっとそのことを忘れていることでしょう。

常に死を考えながら生きている人間はいません。義母でさえそうでした。死が必ず訪れる未来を忘れられるから、人は老境にあっても生きていけるのです。だが時おり死に思いをめぐらせることは可能です。

少なくとも筆者は、「死を受容する心境」に至った義母のような存在を思い出して、恐らく未練がましいであろう自らの老後について考え、人生を見つめ直すことくらいはできるかもしれません。

自らでは制御できない死の時期や形態を想像して「いかに死ぬか」を考えるとは、つまり、いかに生きるか、という大きな問いを問うことにほかなりません。

義母は当時、足腰以外はいたって元気でした。身の回りの世話をするヘルパーを一日数時間頼むものの、基本的には「自立生活」を続けていました。そんな義母にとっては「敬老の日」などというのは、ほとんど侮辱にも近いコンセプトでした。

「同情するなら金をくれ」ではないが、「老人と敬うなら、私が死ぬまで自立していられるようにちゃんと手助けをしろ」というあたりが、日本の「敬老の日」への批判にかこつけて彼女が僕ら家族や役場、ひいてはイタリア政府などに向かって言いたかったことなのでしょう。

言葉を変えれば、義母の言う「いつまでも死なない老人を敬う必要はない」とはつまり、元気に長生きしている人間を「老人」とひとくくりにして、「敬老の日」などと持ち上げ尊敬する振りで実は見下したり存在を無視したりするな、ということだったのだろうと思うのです。

 

 

 

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イタリアは一帯一路という迷路から抜け出したほうがいい

イタリアはようやく中国とのズブズブの関係を切り捨てると決めたようです。

インドでのG20サミットに出席したイタリアのジョルジャ・メローニ首相は、中国の李強首相と会談した際に、「一帯一路」構想あるいは投資計画から離脱すると伝えたとされます。

2019年、イタリアはEUの反対を無視して、G7国では初めて中国との間に「一帯一路」投資計画を支持する覚書を交わしました。

当時のイタリア首相は、ジュゼッペ・コンテ「五つ星運動」党首。同じく「五つ星運動」所属で中国べったりのルイジ・ディマイオ副首相と組んでのごり押し施策でした。

イタリア政府は世界のあらゆる国々と同様に、中国の経済力を無視できずにしばしば彼の国に擦り寄る態度を見せます。

極左ポピュリストで、当時議会第1党だった「五つ星運動」が、親中国である影響も大でした。

またイタリアが長い間、欧州最大の共産党を抱えてきた歴史の影響も無視できません。

共産党よりもさらに奥深い歴史、つまりローマ帝国を有したことがあるイタリア人に特有の心理的なしがらみもあります。

つまりイタリア人が、古代ローマ帝国以来培ってきた自らの長い歴史文明に鑑みて、中国の持つさらに古い伝統文明に畏敬の念を抱いている事実です。

その歴史への思いは、今このときの中国共産党のあり方と、膨大な数の中国移民や中国人観光客への違和感などの、負のイメージによってかき消されることも少なくありません。

しかし、イタリア人の中にある古代への強い敬慕が、中国の古代文明への共感につながって、それが現代の中国人へのかすかな、だが決して消えることのない好感へとつながっている面もあります。

それでもイタリアは、名実ともにEUと歩調を合わせて中国と距離を取るべきです。ロシア、北朝鮮などと徒党を組みウクライナの窮状からも目を背ける、反民主主義の独裁国家と強調するのは得策ではありません。

実のところイタリアは、「一帯一路」構想から離脱するかどうかまだ正式には決めていません。離脱すると断定的に伝えたのは米国の一部メディアのみです。 

イタリアが今年末までに離脱すると明言しない限り、協定は2024年3月に自動更新されます。

メローニ首相は、債務に苦しむイタリアが数兆ドル規模の「一帯一路」投資計画に参加することのメリットを熟知しています。

同時にその政治的なデメリットについても。

メローニ首相は、「一帯一路」からの撤退を選挙公約にして先の総選挙を戦い、イタリアのトップに昇りつめました。従って彼女の政権が覚書を破棄するのは驚きではありません。

メローニ首相は、中国を慕う極左の五つ星運動とは対極にある政治姿勢の持ち主です。だが中国との経済的結びつきをただちに断ち切ることはできないため、今この時は慎重に動いています。

離脱した場合は中国の報復もあり得ると強く警戒しているフシもあります。

そうではありますが、しかし、「一帯一路」覚書からのイタリアの離脱は避けられないでしょう。それは歓迎するべきことです。

 

 

 

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火葬と埋葬

イタリア人の筆者の妻は、埋葬を葬儀の基本とするカトリック教徒です。ところが、彼女はいつか訪れる死に際しては、それを避けて火葬にされたいと考えています。

しかし、カトリック教徒が火葬を望む場合には、生前にその旨を書いて署名しておかない限り、自動的に埋葬されるのが習わしです。

妻は以前から埋葬という形に抵抗感を持っていましたが、筆者と結婚し日本では火葬が当たり前だと知ってからは、さらにその思いを強くしました。日本人の筆者はもちろん火葬派です。

筆者は先年、亡くなった母が荼毘に付された際、火葬によって肉体が精神に昇華する様をはっきりと見ました。

母の亡きがらがそこにある間は苦しかった。が、儀式が終わって骨を拾うとき、ふっきれてほとんど清々しい気分さえ覚えました。

それは母が、肉体を持つ苦しい存在から精神存在へと変わった瞬間でした。

以来、死に臨んでは、妻も自分も埋葬ではなく火葬という潔い形で終わりたいと、いよいよ切に願うようになっています。

葬礼はどんな形であれ生者の問題です。生き残る者が苦しい思いをする弔事は間違っています。

筆者は将来、妻が自分よりも先立った場合、もしかすると彼女が埋葬されることには耐えられないかもしれません。

土の中で妻がゆっくりと崩れていく様を想うのは、筆者には決してたやすいことではない。キリスト教徒ではない分、遺体に執着して苦しむという事態もないとは言えません。

将来、十中八九は男の筆者が先にいくのでしょうが、万が一ということもあります。念のために、一刻も早く火葬願いの書類を作ってくれ、と筆者は彼女に言い続けてます。

普通なら妻も筆者もまだ死ぬような年齢ではありませんが、それぞれの親を見送り、時々自らの死を他人事ではないと思ったりする年代にはなりました。

何かが起こってからでは遅いのです。

 

 

 

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女子サッカーを断固支持する

女子サッカーについては今後4年間、つまり次のワールドカップまでほとんど言及することもなさそうなので、やはりここで少しこだわっておくことにしました。

今回の女子ワールドカップは大成功でした。男子のそれとは大きな差はありますが、それでも世界で20億人もの視聴者がいたとの推計が出ています。

2023年大会を機に女子サッカーは、ワールドカップもスポーツそのものもはるかな高みに跳躍して、その勢いを保ったままますます発展していくと見られています。

日本女子サッカーのなでしこジャパンは、2011年のワールドカップで優勝し、4年後の2015年大会でも決勝まで進みました。

今回は2011年大会をも上回る勢いで快進撃しましたが、準々決勝で敗退。つまりベスト8です。なでしこジャパンは押しも押されぬ世界の強豪チームなのです。

一方、女子よりもはるかに人気の高い男子サッカー日本代表の強さはどうかというと、ワールドカップでの最高成績はベスト16に過ぎません。

実力もそうですが、むやみやたらにピッチを駆け回るだけのようなプレースタイルとテクニック、またプリンシプルや哲学が良く見えないチームカラーは見ていて寂しい。

言うまでもなく筆者は日本が活躍すれば大喜びし負ければひどくがっかりします。応援もすればチームを鼓舞する目的で、意識して少しのヨイショ記事も書くし発言もします。それらは全て愛国心から出るアクションです。

だが腹からのサッカーファンで、自らもプレーを実体験し、且つイタリアプロサッカーリーグ・セリエAの取材も多くこなしてきた経験則から正直に言えば、男子日本代表のサッカーは実力もスタイルも見た目も、何もかもまだまだ発展途上です。

日本が世界の大物チームに期せずして勝ったりすると、筆者はふざけて日本が優勝するかも、などという記事を書いたり報告をしたりもします。だがそれは飽くまでもジョークです。

再び本心を言えば、日本チームが優勝するには懸命に努力を続けても50年から100年ほどはかかるかもしれないとさえ思います。それどころかもしかすると永遠に優勝できないかもしれなません

ワールドカップで優勝するには、選手のみならず日本国民全体もサッカーを愛し、学び、熱狂することが必要です。だが今のままでは日本国民の心がサッカー一辺倒にまとまることはありません。

なぜなら日本には野球があります。世界のサッカー強国の国民が、身も心もサッカーに没頭しているとき、日本人は野球に夢中になりその合間にサッカーを応援する、というふうです。

よく言われるようにサッカーのサポーターは12人目のプレーヤーです。国民の熱狂的な後押しは、ピッチ上の11人の選手に加担して12人目、13人目、さらにはもっと多くの選手が加わるのと同じ力となり、ついには相手チームを圧倒します。

サッカー強国とは国民がサッカーに夢中の「サッカー狂国」のことなのです。日本は野球が無くならない限り、決してサッカー狂国にはなりません。すると永遠にワールドカップで優勝することもできない、という理屈です。

ところが、です。

頼りない男子チームを尻目に、片やなでしこジャパンは前述のように、2011年ワールドカップ優勝、その次の2015年大会では準優勝という輝かしい成績を残しています。

それなのに、世界では20億人もの人々が喜んで支持した2023年女子W杯のテレビ中継は、日本では一向に盛り上がらなかったと聞きます。

なぜなのでしょう。

理由はいくつか考えられます。

ひとつは女子サッカーの歴史の浅さ。W杯男子は2022大会が22回目、女子は23年大会が第9回目です。

ふたつ目は、女子サッカーのレベル。ゲームを見る者はごく当たり前に既に存在する男子サッカーと較べます。そこでは女子サッカーはレベルが低い、という結論ありきの陳腐な評価が下されます。

何よりも重要な男子と女子の「違い」が無視されるのです。それどころか「違い」は「優劣」の判断材料にさえされてしまいます。男女の「違い」こそが最も魅力的な要素であるにも関わらずです。

その歪んだ判断は日本が世界に誇る男尊女卑のゆるぎない精神と相まって、女子サッカーはますます立つ瀬がなくなります。

男尊女卑の風潮こそ日本の諸悪の根源の最たるものですが、サッカーに於いても事情は変わりません。

ミソジニストらは、なでしこジャパンが2011年ワールドカップで優勝しその次の2015年大会で準優勝しても、価値のない女子W杯での成績だから意味がない、とはなから決めつけています。

世界は女子サッカーの魅力を発見して高ぶっています。片や日本はなでしこジャパンのすばらしい実績さえ十分には認めず、密かな女性蔑視思想に心をがんじがらめにされているのです。

男子サッカーは女子サッカーに先んじて歴史を刻みました。のみならず男子サッカーは、女子に較べて速く、激しく、強く、従って女子よりもテクニックが上と判断されます。

それは飽くまでも固陋な思い込みです。なぜなら女子サッカーと男子サッカーの間にある違いは、個性と同義のまさに「違い」なのであって、人々が自動的に判断している「優劣」ではないからです。

実際に自分でもプレーし、子供時代には「ベンチのマラドーナ」と呼ばれて相手チームの少年たちを震え上がらせていた筆者は、サッカーの楽しさと難しさを肌身に染みて知っています。

W杯で躍動する女子選手のプレーとそれを支えるテクニックは― 選び抜かれたアスリート達だから当たり前といえば当たり前ですが―圧倒的に高く、美しく、感動的でした。

女子サッカーの厳しさとテクニックの凄さが見えない批判者は、十中八九過去にプレーの実体験がない者でしょう。

一方、プレー体験があり、サッカーをこよなく愛しながら、なおかつ女子サッカーを見下す者は、多くが執拗なミソジニストです。

弱く、美しくなく、泣く泣くの日本男子サッカーを応援するのもむろん大切です。

だが、既にワールドカップを制し、堂々たる世界の強豪チームであるなでしこジャパンを盛り上げないのは、どう考えてもおかしいと思います。

 

 

 

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