女子サッカーを断固支持する

女子サッカーについては今後4年間、つまり次のワールドカップまでほとんど言及することもなさそうなので、やはりここで少しこだわっておくことにしました。

今回の女子ワールドカップは大成功でした。男子のそれとは大きな差はありますが、それでも世界で20億人もの視聴者がいたとの推計が出ています。

2023年大会を機に女子サッカーは、ワールドカップもスポーツそのものもはるかな高みに跳躍して、その勢いを保ったままますます発展していくと見られています。

日本女子サッカーのなでしこジャパンは、2011年のワールドカップで優勝し、4年後の2015年大会でも決勝まで進みました。

今回は2011年大会をも上回る勢いで快進撃しましたが、準々決勝で敗退。つまりベスト8です。なでしこジャパンは押しも押されぬ世界の強豪チームなのです。

一方、女子よりもはるかに人気の高い男子サッカー日本代表の強さはどうかというと、ワールドカップでの最高成績はベスト16に過ぎません。

実力もそうですが、むやみやたらにピッチを駆け回るだけのようなプレースタイルとテクニック、またプリンシプルや哲学が良く見えないチームカラーは見ていて寂しい。

言うまでもなく筆者は日本が活躍すれば大喜びし負ければひどくがっかりします。応援もすればチームを鼓舞する目的で、意識して少しのヨイショ記事も書くし発言もします。それらは全て愛国心から出るアクションです。

だが腹からのサッカーファンで、自らもプレーを実体験し、且つイタリアプロサッカーリーグ・セリエAの取材も多くこなしてきた経験則から正直に言えば、男子日本代表のサッカーは実力もスタイルも見た目も、何もかもまだまだ発展途上です。

日本が世界の大物チームに期せずして勝ったりすると、筆者はふざけて日本が優勝するかも、などという記事を書いたり報告をしたりもします。だがそれは飽くまでもジョークです。

再び本心を言えば、日本チームが優勝するには懸命に努力を続けても50年から100年ほどはかかるかもしれないとさえ思います。それどころかもしかすると永遠に優勝できないかもしれなません

ワールドカップで優勝するには、選手のみならず日本国民全体もサッカーを愛し、学び、熱狂することが必要です。だが今のままでは日本国民の心がサッカー一辺倒にまとまることはありません。

なぜなら日本には野球があります。世界のサッカー強国の国民が、身も心もサッカーに没頭しているとき、日本人は野球に夢中になりその合間にサッカーを応援する、というふうです。

よく言われるようにサッカーのサポーターは12人目のプレーヤーです。国民の熱狂的な後押しは、ピッチ上の11人の選手に加担して12人目、13人目、さらにはもっと多くの選手が加わるのと同じ力となり、ついには相手チームを圧倒します。

サッカー強国とは国民がサッカーに夢中の「サッカー狂国」のことなのです。日本は野球が無くならない限り、決してサッカー狂国にはなりません。すると永遠にワールドカップで優勝することもできない、という理屈です。

ところが、です。

頼りない男子チームを尻目に、片やなでしこジャパンは前述のように、2011年ワールドカップ優勝、その次の2015年大会では準優勝という輝かしい成績を残しています。

それなのに、世界では20億人もの人々が喜んで支持した2023年女子W杯のテレビ中継は、日本では一向に盛り上がらなかったと聞きます。

なぜなのでしょう。

理由はいくつか考えられます。

ひとつは女子サッカーの歴史の浅さ。W杯男子は2022大会が22回目、女子は23年大会が第9回目です。

ふたつ目は、女子サッカーのレベル。ゲームを見る者はごく当たり前に既に存在する男子サッカーと較べます。そこでは女子サッカーはレベルが低い、という結論ありきの陳腐な評価が下されます。

何よりも重要な男子と女子の「違い」が無視されるのです。それどころか「違い」は「優劣」の判断材料にさえされてしまいます。男女の「違い」こそが最も魅力的な要素であるにも関わらずです。

その歪んだ判断は日本が世界に誇る男尊女卑のゆるぎない精神と相まって、女子サッカーはますます立つ瀬がなくなります。

男尊女卑の風潮こそ日本の諸悪の根源の最たるものですが、サッカーに於いても事情は変わりません。

ミソジニストらは、なでしこジャパンが2011年ワールドカップで優勝しその次の2015年大会で準優勝しても、価値のない女子W杯での成績だから意味がない、とはなから決めつけています。

世界は女子サッカーの魅力を発見して高ぶっています。片や日本はなでしこジャパンのすばらしい実績さえ十分には認めず、密かな女性蔑視思想に心をがんじがらめにされているのです。

男子サッカーは女子サッカーに先んじて歴史を刻みました。のみならず男子サッカーは、女子に較べて速く、激しく、強く、従って女子よりもテクニックが上と判断されます。

それは飽くまでも固陋な思い込みです。なぜなら女子サッカーと男子サッカーの間にある違いは、個性と同義のまさに「違い」なのであって、人々が自動的に判断している「優劣」ではないからです。

実際に自分でもプレーし、子供時代には「ベンチのマラドーナ」と呼ばれて相手チームの少年たちを震え上がらせていた筆者は、サッカーの楽しさと難しさを肌身に染みて知っています。

W杯で躍動する女子選手のプレーとそれを支えるテクニックは― 選び抜かれたアスリート達だから当たり前といえば当たり前ですが―圧倒的に高く、美しく、感動的でした。

女子サッカーの厳しさとテクニックの凄さが見えない批判者は、十中八九過去にプレーの実体験がない者でしょう。

一方、プレー体験があり、サッカーをこよなく愛しながら、なおかつ女子サッカーを見下す者は、多くが執拗なミソジニストです。

弱く、美しくなく、泣く泣くの日本男子サッカーを応援するのもむろん大切です。

だが、既にワールドカップを制し、堂々たる世界の強豪チームであるなでしこジャパンを盛り上げないのは、どう考えてもおかしいと思います。

 

 

 

official siteなかそね則のイタリア通信

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