置き物のイタリア大統領が化け物になるとき

イタリアでまた政権が変わりました。1月26日にジュゼッペ・コンテ首相が辞任し、ほどなくマリオ・ドラギ内閣が誕生しました。イタリアではひんぱんに内閣が倒れ政権が交代します。よく日本の政治状況に似ていると言われますが実は大きく違います。イタリアでは政治危機の度に大統領が大きな役割を果たすところが特徴的です。

国家元首であるイタリア大統領は、上下両院議員の投票によって選出されます。普段は象徴的な存在で実権はほとんどありません。ところが政治危機のような非常時には議会を解散し、組閣要請を出し、総選挙を実施し、軍隊を指揮するなどの「非常時大権」を有します。大権ですのでそれらの行使には議会や内閣の承認は必要ありません。

今回の政変は1月13日に起きました。コンテ内閣の一角を担っていたレンツィ元首相率いる小政党「イタリア・ヴィーヴァ」が、連立政権からの離脱を表明しました。それによって、昨年の新型コロナ地獄を乗り切り国民の強い支持を受けてきたコンテ内閣が、一気に倒壊の危機に陥りました。

しかし、レンツィ派の造反にもかかわらず、コンテ首相への支持は強いものがありました。反乱後の信任投票でコンテ内閣はイタリア下院の絶対多数の信任を得ました。一方で下院と全く同等の権限を持つ上院では、出席議員の過半数を僅かに超える単純多数での信任にとどまりました。絶対多数161に対して5票足りない156票だったのです。

僅差での信任はコンテ内閣が少数与党に転落したことを意味し、予算案などの重要法案を可決できなくなる可能性が高まります。危機感を抱いたコンテ首相は、冒頭で触れたように1月26日、マタレッラ大統領に辞表を提出します。この動きは予期されたものです。大統領に辞表を提出し、けじめをつけた上で改めて大統領から組閣要請を受ける、というのがコンテ首相の狙いでした。それはイタリアでは至って合理的な動きです。

コンテ内閣は世界最悪とも言われたコロナ危機をいったん克服はしました。しかし、イタリアは依然としてパンデミックの緊急事態の最中にあります。今の状況では、コンテ首相が辞表を出して大統領の慰留を引き出すのが得策。その上で対立する上院議員を説得して新たな支持を取り付け第3次コンテ内閣を発進させる、というのが最善の成り行きのように見えました。それが大方の予想でもありました。

しかし、マタレッラ大統領が「非常事大権」を行使して状況を急転させました。大統領はコンテ首相に新たに連立政権工作をするよう要請する代わりに、ロベルト・フィーコ下院議長にそのことを指示したのです。フィーコ議長は議会第1党の五つ星運動の所属。五つ星運動は議会最大の勢力ながら政治素人の集団です。フィーコ氏には党外での政治的影響力はほとんどありません。

コンテ内閣の再構築を念頭に各党間の調整を図る、というフィーコ下院議長の連立政権工作はすぐに行き詰まります。するとマタレッラ大統領は、まるでそれを待っていたかのように前ECB(欧州中央銀行)総裁のマリオ・ドラギ氏に組閣要請を出しました。「非常事大権」を意識した大統領の動きは憲法に則ったものです。誰も異議を唱えることはできません。

大統領のその手法は、見方によっては極めて狡猾なものでした。なぜなら彼はそこで一気にコンテ首相の再登板への道を閉ざした、とも考えられるからです。そうやってイタリアの最悪のコロナ地獄を克服した功労者であるコンテ首相は、マタレッラ大統領によって排除されました。

少し脇道にそれて背景を説明します。マタレッラ大統領はコンテ政権内で反乱を起こしたレンツィ元首相と極めて親しい関係にあります。2人はかつて民主党に所属していた仲間。加えてマタレッラ大統領は2015年、当時首相だったレンツ氏が率いる中道左派連合の強い支援で大統領に当選しました。それ以前も以後も、大統領がレンツィ元首相に近いのは周知の事実です。

また彼ら―特にレンツィ元首相―が左派ポピュリストの五つ星運動と犬猿の仲であることもよく知られています。コンテ首相は五つ星運動所属ではないものの同党に親和的です。マタレッラ大統領にはそのことへの違和感もあったのではないか。そこにコンテ首相の排除を望むレンツィ元首相の影響も作用して、政変の方向性が決定付けられたのでしょう。

そればかりではありません。大統領とレンツィ元首相は強烈なEU(欧州連合)信奉者です。その点はECB(欧州中央銀行)前総裁のドラギ氏ももちろん同じ。しかもレンツィ氏とドラギ氏も親密な仲です。次期イタリア首相候補としてドラギ氏を最初に名指したのも、実はレンツィ元首相だったことが明らかになっています。

かくてEU主義者のマタレッラ、レンツィ、ドラギの3氏が合意して、反EU主義政党である五つ星運動に支えられたコンテ首相を排除する確固とした道筋が出来上がりました。マタレッラ大統領は彼の持つ「非常時大権」を縦横に行使してその道筋を正確に具現化しました。

国家元首であるイタリア大統領は、既述のように上下両院の合同会議で全議員及び各州代表によって選出されます。普段はほとんど何の実権もありませんが、政府が瓦解するなどの国家の非常時には、あたかもかつての絶対君主のような権力行使を許され、機能しない議会や政府に代わって単独で役割を果たします。いわば国家の全権が大統領に集中する事態になるのです。

例えば2011年11月、イタリア財務危機のまっただ中でベルルスコーニ内閣が倒れた際には、当時のナポリター ノ大統領が、彼の一存でマリオ・モンティ氏を首相に指名して、組閣要請を出しました。そうやって国会議員が一人もいないテクノクラート内閣が誕生しました。

また2016年、レンツィ内閣の崩壊時には、現職のマタレッラ大統領が外相のジェンティローニ氏を新首相に任命。ジェンティローニ内閣はレンツィ政権の閣僚を多く受け継ぐ形で組閣されました。そして泥縄式の編成にも見えたその新造の内閣は、早くも3日後には上下両院で信任されました。

2018年の総選挙後にも大統領は「非常時大権」を行使しました。政権合意を目指して政党間の調整役を務めると同時に、首班を指名して組閣要請を出しました。その時に誕生したのが第1次コンテ内閣です。コンテ首相は当時、連立政権を組む五つ星運動と同盟の合意で首相候補となりマタレッラ大統領が承認しました。

イタリア共和国は政治危機の中で大統領が議会と対峙したり、上下両院が全く同じ権限を持つなど、混乱を引き起こす原因にもなる政治システムを採用しています。それはムッソリーニとファシスト党に多大な権力が集中した過去の苦い体験を踏まえて、権力が一箇所に集中するのを防ぐ目的があるからです。

議会は任期が満了したり政治情勢が熟すれば解散されなければなりません。議会が解散されれば次は総選挙が実施されます。総選挙で過半数を制する政党が出ればそれが新政権を担います。その場合は大統領は政権樹立に伴う一連の出来事の事後承認をすれば済みます。それが平時のイタリア大統領の役割です。

しかし、いったん政治混乱が起きると、大統領は俄かに存在感を増します。イタリアの政治混乱とは言葉を変えれば、「大統領の真骨頂が試される」時でもあり、「大統領の“非常時大権“の乱用」による災いが起きるかもしれない、という微妙且つ重大な時間なのです。



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極右に「北朝鮮みたい」と揶揄されたイタリア新政権

マリオ・ドラギ内閣がイタリアの上院と下院で正式に信任されました。

上院は賛成262票、反対40票。また下院は賛成535票、反対56票。圧倒的と形容するのもバカバカしいほどの絶対多数での信任になりました。

議会第1党の極左ポピュリスト「五つ星運動」と、同じく第2党の極右ポピュリスト「同盟」が、2018年の第1次コンテ内閣をなぞるかのように同時に政権入りしました。

そこに左派の「民主党」とベルルスコーニ元首相が率いる右派の「フォルツァ・イタリア」 が加わり、さらに左右中道ナンデモカンデモコレデモカ、とばかりに各小政党や会派が連立に参加しました。

主要政党で政権入りしなかったのはファシスト党の流れをくむ「イタリアの同胞」のみ。

まさに大連立、大挙国一致内閣です。

口論、対立が絶えないイタリア政界を見慣れている目には異様とも映るその状況を、極右政党「イタリアの同胞」のジョルジャ・メローニ党首は、「北朝鮮みたい」と喝破しました。

極右の「イタリアの同胞」は、ドラギ首相よりも彼らの天敵である五つ星運動への反発から大連立に加わりませんでした。

とはいうものの、実態は「連立から弾き出された」という方がより真相に近いのですが。

同党は、いつも怒っていていつも人に殴りかかりそうな険しい話し方をする、メローニ党首に似て明朗さに欠けます。少しうっとうしい。

それはさておき、筆者はメローニ党首の「北朝鮮みたい」発言に少々ひっかかりを覚えました。

彼女はなぜイタリアでは北朝鮮よりもはるかに存在感の強い「中国みたい」とは言わなかったのだろう?と。

北朝鮮はその隣でいろいろ迷惑をこうむる日本から見る場合とは違って、イタリアからは心理的にも距離的にも遠い。

距離の遠さという意味では中国も同じですが、中国は遠くにありながら心理的にも物理的にもイタリアに極めて近い。というか、近すぎます。

イタリアは2019年、中国の一帯一路構想を支持し、G7国で初めて習近平政権との間に覚書を交わしました。

極左のポピュリスト「五つ星運動」の、いわばゴリ押しが功を奏しました。

そればかりではなく、イタリアには中国製品と中国人移民があふれています。昨年は中国由来とされる新型コロナで、世界初且つ世界最悪ともされる感染地獄に陥りました。

さらに良識あるイタリア国民の間には、中国による香港、ウイグル、チベットなどへの弾圧や台湾への威嚇などに対する反感もあります。

イタリアの右派は一帯一路を巡る中国との覚書を快く思っていません。2019年にそれが交わされた時、政権与党だった「同盟」は反発しました。「イタリアの同胞」は「同盟」の朋友でしかも「同盟」よりも右寄りの政党です。

中国への反発心はイタリアのどの政党よりも固いと見られています。

それでいながらメローニ党首は、ネガティブな訳合いの弁論の中で、中国を名指しすることを避けました。それはおそらく偶然ではない。

そこには中国への強い忖度があります。

イタリアの国民の間には明らかな反中国感情があります。しかし政治も公的機関も主要メディアも、国民のその気分とは乖離した動きをすることが多い。

イタリア政府は世界のあらゆる国々と同様に、中国の経済力を無視できずにしばしば彼の国に擦り寄る態度を見せます。

極左ポピュリストで議会第1党の「五つ星運動」が、親中国である影響もあります。イタリアが長い間、欧州最大の共産党を抱えていた歴史の残滓もあります。

共産党よりもさらに奥深い歴史、つまりローマ帝国を有したことがあるイタリア人に特有の、心理的なしがらみもあります

イタリア人が、古代ローマ帝国以来培ってきた自らの長い歴史文明に鑑みて、中国の持つさらに古い伝統文明に畏敬の念を抱いている事実です。

その歴史への思いは、いまこのときの中国共産党のあり方と、中国移民や中国人観光客への違和感などの負のイメージによって、かき消されることも多い。

しかし、イタリア人の中にある古代への強い敬慕が、中国の古代文明への共感につながって、それがいまの中国人へのかすかな、だが決して消えることのない好感へとつながっている面もあります。

淡い好感に端を発したそのかすかなためらいが、極右のボスであるメローニ党首のしがらみとなって、「ドラギ政権は一党独裁の中国みたい」と言う代わりに、「まるで北朝鮮みたい」と口にしたのではないか、と思うのです。

筆者は極右思想や政党には強烈な違和感を覚える者ですが、中国共産党に噛み付かない極右なんて、負け犬の遠吠えにさえ負けていて、もっとつまらない、と思わないでもありません。

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ドラギ挙国一致内閣は両刃の剣スキーム

新首相と大連立与党連合

2021年2月13日、イタリアでドラギ新内閣が誕生しました。73歳のマリオ・ドラギ新首相は2011年から2019年までECB(欧州中央銀行)総裁を務めたセレブな経済学者。コロナ・パンデミックで落ちるところまで落ちたイタリア経済の救世主になるのではないか、との期待が高まっています。

期待は経済や政治に関心のある国民ばかりではなく、普段は全くそこに興味を持たない人々の間にまで広まっています。そのことはイタリアの政治システムに不明な人々までが、ドラギ氏の高名に興奮して、SNSにファンレターまがいのとんちんかんな書き込みをすることなどでも類推できます。

アカデミックな経済の専門家としてのドラギ氏の経歴は華々しい。彼は米国のMIT(マサチューセッツ工科大学)で経済学博士号を取得。フィレツェ大学の教授を務めたあとイタリア銀行総裁に出世します。さらに2011年から2019年まではECB総裁の職にありました。

2021年2月3日、ドラギ氏はイタリア大統領からの組閣要請を受けました。彼はすぐにイタリアの各政党との面談を開始。たちまちほぼ全ての勢力から支持を取り付けました。その手腕はエコノミストというだけではなく政治家としても有能であるように見えます。

彼を支持するのは、極左のポピュリスト・五つ星運動から極右ポピュリストの同盟、左派の民主党、さらにベルルスコーニ元首相が率いるほぼオワコンにさえ見えるフォルツァ・イタリア党、それらに加えて全ての小政党や会派など。文字通り挙国一致と呼べる巨大な連立与党連合が出来上がりました。

ここから数ヶ月の蜜月期間は、世界クラスの知名度を持ちカリスマ性もあるドラギ首相に物申す相手はいないでしょう。だが、時間とともに各政党の利害がむき出しになるのは政治である限り避けることはできません。そのときになってもドラギ首相が強いリーダーシップを発揮し続けているなら、イタリアの未来は明るい。だがそうではない可能性もいまのところは5割あります。

3人のEU教徒

欧州中央銀行の総裁を務めたドラギ首相は、いうまでもなくがちがちのEU主義者です。ジュゼッペ・コンテ前首相の辞表を待ってましたとばかりに受理して(なぜ「待ってましたとばかり」かは後述)、ドラギ氏に組閣を指示したセルジョ・マタレッラ大統領も筋金入りのEU信奉者。さらにドラギ氏を誰よりも先に首相に推したマテオ・レンツィ元首相も隠れなきEU支持者です。

その意味では筆者は3者を支持しますが、ジュゼッペ・コンテ首相をいわば排除したという意味では、3者に強い違和感も持ちます。特にマテオ・レンツィ元首相は今回の政変の首謀者。彼はことし1月13日、自身が率いる政党「イタリア・ヴィヴァ」所属の閣僚をコンテ内閣から引き上げて政権を崩壊させました。

理由はEUからイタリアに与えられるコロナ復興資金の使用法に異議がある、というものでした。だが真相は、衰退著しく存在感がぼゼロと言われるほどに落ちぶれた「イタリア・ヴィヴァ」と自身の求心力低下に焦ったレンツィ元首相が、起死回生を狙って打った大芝居、というのが定説です。

しかし、その反乱のタイミングはあまりにも悪いものでした。コンテ内閣は昨年の阿鼻叫喚のコロナ地獄を克服したことでイタリア国民の強い信頼を得ています。特に強いリーダーシップと類まれなコミュニケーション力で、国民を勇気付け慰撫し続けたコンテ首相は、かけがえのない存在とみなされてきました。

イタリアは昨年3月から5月にかけてのコロナ第1波の凄惨な危機からは抜け出しました。が、コロナパンデミックは依然として続いています。収束とは程遠い状況です。そんな非常時にレンツィ元首相は我欲に駆られて政治危機を招きました。当然のようにイタリア中から強い批判が湧き起こりました。

だがレンツィ元首相の反乱は、行き当たりばったりの妄動ではなく、周到に計算されたものであるらしいことが明らかになっていきました。レンツィ元首相は政治的に彼と近しいマタレッラ大統領と連携して、政変を起こした可能性が高いのです。連携というのが言いすぎなら、少なくともマタレッラ大統領に“予告した”上で、倒閣運動を仕掛けました。

マタレッラ大統領は2015年、当時首相だったレンツィ氏が主導する中道左派連合の強いバックアップで大統領に当選しました。彼らはかつて民主党に所属した同僚でもあります。また既述のように親EU派としてもよく知られています。2人が政治的にきわめて親密な仲であることは周知の事実です。

大統領の遠謀?

一方、大学教授から宰相になったジュゼッペ・コンテ首相は、反EUで左派ポピュリストの五つ星運動に支えられています。コンテ首相は五つ星運動所属ではありませんが、心情的には同党に近いとされます。反体制が合言葉である五つ星運動の根幹の思想に共感するものがあるのでしょう。その在り方の是非はさておき「弱者に寄り添う」という同党の主張にも賛同しているのではないでしょうか。

繰り返しになりますが五つ星運動はEU懐疑派です。彼らは元々EUからの離脱を目指し、トランプ主義にも賛同してきました。だがイタリアの過激主義は「国内に急進的な政治勢力が乱立している分お互いに妥協して軟化する」、という筆者の持論通り選挙運動中に反EUキャンペーンを引っ込め、政権を取るとほぼEU賛同主義者へと変わるなどしました。だが、彼らの本質は変わっていません。マタレッラ大統領は、レンツィ元首相とともにそのことにも危機感を抱いたに違いありません。

2者は極端な推論をすればそれらの背景があってコンテ首相を排除し、ドラギ氏擁立のプランを立てた。そして事態は次のように動きました。
1、レンツィ元首相の反乱。
2、コンテ首相辞任(マタレッラ大統領から再組閣指示を引き出すためのいわば根回し辞任。予期された通常の手続きです。だからマタレッラ大統領は「待ってました」とばかりに辞表を受理しました)。
3.マタレッラ大統領、コンテ首相にではなく政治的に非力なフィーコ下院議長に連立工作を指示(失敗を見越して)。
4.フィーコ下院議長の連立工作、予想通り失敗。 
5.マタレッラ大統領がすぐさまマリオ・ドラギ氏に組閣を要請。

という筋書き通りになりました。

新旧首相の幸運

コンテ首相は国民に真摯に、誠実に、そして熱く語りかける姿勢でコロナ地獄を乗り切り圧倒的な支持を集めました。コロナ感染抑止を経済活動に優先させたコンテ首相の厳格なロックダウン策は、感染が制御不可能になり医療崩壊が起きて多くの死者が出ていた昨年の状況では、的確なものでした。しかしそれによってただでも不振に喘いでいたイタリア経済が多大なダメージを受けたのも事実です。

コンテ首相には今後も、引き続きコロナ対策を講じながら経済の回復も期す、という厳しい責務が課されることは間違いありませんでした。しかし彼の政権は、経済政策といえばベーシックインカムに代表されるムチャなバラマキ案しか知らない政治素人の集団・五つ星運動に支えられています。適切な経済策を期待するのは厳しいようにも見えました。その意味では、コロナ対策で高い評価を受けたまま退陣したのは、コンテ首相にとってあるいは幸いだったかもしれません。

ドラギ内閣は迅速な経済の回復を進めると同時に、ワクチン接種を広範囲に迅速に実施しなければなりません。後者は出だしでのつまずきが問題になっています。一方経済の建て直しに関しては、ドラギ首相は大きな僥倖に恵まれています。つまりイタリアに提供されるEUからの莫大なコロナ復興資金です。総額は2090億ユーロ、約26兆5千億円にのぼります。そのうちの4割は補助金、6割が低金利の融資です。

ドラギ首相は理論的にはその大きな資金を縦横に使って経済を再生させることができます。実現すればすばらしいことですが、経済学者が「理路整然」と実体経済を読み違えるのもまた世の常です。ましてや国家運営には、銀行経営とは違って「感情」というやっかいなものが大きく絡みます。ドラギ首相の仕事は決して単純ではありません。

ドラギ首相はかつて、ECB総裁として経済危機に陥ったイタリアに緊縮財政策を押し付けた張本人のひとりです。2011年、財政危機の責任を取って退陣したベルルスコーニ首相に代わって、政権の座に就いたマリオ・モンティ首相は、ドラギ首相とよく似たいきさつで内閣首班になりました。

だがモンティ首相は当時、ブリュッセルのEU本部とECB総裁のドラギ氏のほぼ命令に近い要請で、財政緊縮策を強いられました。ドラギ氏はちょうど10年の歳月を経て自らがイタリア首相になり、且つ潤沢な資金を使って経済の建て直しをする、というモンティ元首相とは真逆の立場におかれました。大きな幸運です。

さらにドラギ首相への追い風が吹いています。EU首脳部は、彼らがイタリアに強要した緊縮財政策が悪影響を及ぼして、イタリアの経済がさらに失速し回復が遅れている、と内心認めていると言われます。従ってドラギ内閣がイタリアの借金のことをしばらく忘れて、財政拡大策を推し進めてもこれを黙認する、とも考えられています。イタリアはEU内ではギリシャに次ぐ「借金まみれ大国」なのです

ドラギ首相のスネの傷

ドラギ首相は高位のエコノミストとしてこれまでイタリア内外で多くの経済政策を推進してきました。その中には重大な失策もあります。例えばドラギ首相はイタリア財務省総務局長時代に、当時国有だった巨大企業イタリア高速道路管理運営会社(ASPI)の民営化を進めました。民営化された同社はオーナー一族に莫大な利益をもたらしました。

だが会社は巨利をむさぼるばかりで維持管理を怠り、2018年にはジェノバで高架橋の落下という重大事故を起こして、43人もの死者が出ました。その事故以外にも ASPIのインフラ管理の杜撰さが問題になっています。コンテ政権は同社を再び国営化しました。だが全ての課題が突然消えた訳ではありません。かつてASPIを民営化させたドラギ首相は、同社にまつわる問題が再燃することを恐れているかもしれません。

また世界最古の銀行MPS(モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ)が経営破綻した時、イタリア中央銀行総裁だった彼はその責任の一端を担っています。さらに問題が巡りめぐって同銀行が公的資金で救済された際には、ドラギ首相はECB(欧州中央銀行)総裁を務めていました。MPSに公的資金が投入されたのは、ECBの誘導によるとされています。従って彼はMPSの行く末にも責任を負わなければなりません。

コロナ対策も経済政策も、ドラギ政権を支持する全ての政党が一致団結して事に当たれば、きわめてスムースに実行されるでしょう。だが意見を異にする政党が寄り集まるからには、対立や分断もまた容易に起こり得ます。それぞれの政治勢力がてんでに主張を強めれば、政権内の混乱の収拾がつかなくなる可能性もあります。ドラギ内閣を構成している「ドラギを信奉する一大連合勢力」は、両刃の剣以外の何者でもないように見えます。



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イタリアの「いつもの」政治危機が行く

イタリアのセルジョ・マタレッラ大統領の要請を受けて、政権樹立の可能性を探ってきたマリオ・ドラギECB(欧州中央銀行)前総裁の仕事が完成しそうです。

議会第1党と第2党で、且つ鋭く対立してきた五つ星運動と同盟が、ドラギ内閣を支持することがほぼ確実になってきました。

しかし、五つ星運動は内部が平穏ではなく、ドラギ政権に参加することによって分裂が進みかねない状況。土壇場での方向転換もありうる情勢です。

五つ星運動と同盟は左右のポピュリストです。ポピュリストという点移外にはほとんど共通点がないにもかかわらず、両党は2018年に手を結んで野合政権を樹立しました。

だが元々犬猿の仲である五つ星運動と同盟は多くの政策で対立、喧嘩が絶えませんでした。連立政権発足から1年余りの2019年8月、同盟が対立激化を理由に早期の解散総選挙を要求。

否定されると内閣不信任決議案を提出して政権を離脱しました。同盟のサルビーニ党首に、総選挙に持ち込んで右派勢力を結集し、独自政権を樹立したい思惑があったのは周知のことです。

第1次コンテ内閣は崩壊しました。が、五つ星運動がすぐに彼らの天敵だった議会第3党の民主党に呼びかけて、2019年9月5日、あらたに連立政権を樹立しました。

第2次コンテ内閣は、2020年初めからイタリアを襲ったコロナ惨禍を克服。それは大きな指導力を発揮したジュゼッペ・コンテ首相の手柄でした。

コロナ地獄と、それをうまく処理するコンテ首相の前にしばらく鳴りを潜めていた守旧派の政治勢力は、EU(欧州連合)からの莫大なコロナ復興援助金に目が眩んで密かに暗躍を開始。

その流れで2021年1月13日、レンツィ元首相が率いる連立内の小政党「Italia Viva イタリア・ヴィヴァ」が政権からの離脱を表明。「壊し屋」の異名を持つレンツィ元首相が、「コロナ復興資金の使途不明確」という不明確な理由を口実に反乱を起こしたのです。

レンツィ元首相の一存で「Italia Viva イタリア・ヴィヴァ」が同党所属の閣僚を引き上げたため、第2次コンテ内閣は事実上崩壊。2021年1月26日、コンテ首相は辞任を表明しました。

それを受けて2021年1月29日、マタレッラ大統領がロベルト・フィーコ下院議長に連立模索を指示。しかしそのわずか数日後にフィーコ下院議長の連立工作は失敗に終わりました。

マタレッラ大統領はあたかもそれを待っていたかのように素早く行動します。ためらうことなくマリオ・ドラギ前ECB総裁に組閣要請を出したのです。そこにはレンツィ元首相の暗躍がありました。

マタレッラ大統領は2015年、当時首相だったレンツ氏が率いる中道左派連合の強い支援で大統領に当選しています。それ以前も以後も、大統領がレンツィ元首相に近いのは周知の事実です。

1月29日、マタレッラ大統領がコンテ首相ではなくフィーコ下院議長に連立模索を指示したのは、ドラギ氏に組閣要請を出すための深謀遠慮、伏線のように見えます。

つまりマタレッラ大統領は、辞任を表明したコンテ首相ではなく、敢えてフィーコ下院議長に連立工作を指示することによって、第3次コンテ内閣の成立を阻んだとも考えられるのです。

政治的にほぼ無力のフィーコ氏が連立工作に失敗するのは明らかでした。一方、コロナパンデミックを通して国民の圧倒的な支持を受け強い指導者に変貌しているコンテ首相なら、再び彼自身が首班となる政権樹立が可能でした。

マタレッラ大統領もそのことは知悉し、また昨年のコロナ地獄を乗り切ったコンテ首相への信頼も十分にあると思います。それでいながら彼がコンテ首相に3度目の組閣要請を出さなかったのは、おそらく首相の背後に控えている五つ星運動への警戒感からではないか、と筆者は考えます。

そこに政治的に近しいレンツィ元首相の影響が加わって、マタレッラ大統領の動きが規定されました。なにしろ次の首相候補としてマリオ・ドラギ前ECB総裁の名を最初に口にしたのは、レンツィ元首相なのです。

マタレッラ大統領、レンツィ元首相、そして前欧州中央銀行総裁のドラギ氏は言うまでもなく、全員が強力なEU(欧州連合)信奉者です。片やコンテ首相は反EU主義政党五つ星運動と親和的。

むろんそのこと以外にも対立や苛立ちや不審また不信感などがあるでしょうが、親EUで固く結びついた政治勢力はコンテ首相を排除してドラギ氏に白羽の矢を立てました。

以来、今日までのほぼ一週間に渡って、ドラギ氏は彼の内閣の誕生を目指して全ての政党と政権協議を進めてきました。

結果、冒頭で述べたようにドラギ氏は、最大勢力の五つ星運動と同盟をはじめとするほぼ全勢力の支持を取り付けました。

同盟はほぼ全党一致に近い賛成。一方の五つ星運動は、内部分裂の危機を孕んだ危うい状態での賛成ではあります。

五つ星運動は彼らの金看板である「一定の国民に所得を保障する」ベーシックインカムまがいのバラマキ政策を死守したい思惑があります。が、そのバラマキ策に違和感を抱く国民も多くいます。

ドラギ氏との政権協議には、普段は姿を隠している五つ星運動の大ボス、ベッペ・グリッロ氏も参加。彼はかつてドラギ氏を「ECBのドラキュラ」などと口汚く罵っていた過去をころりと忘れて、ドラギ氏に擦り寄りました。

グリッロ氏が突然表舞台に姿を現したのは、コンテ首相の退陣によって五つ星運動の求心力が下がるどころか、下手をすると党がドラギ氏の連立政権から弾き出されかねないことを恐れての動きでしょう。

五つ星運動に似たもう一方のポピュリスト・極右の同盟も、早期の解散総選挙を声高に主張していた姿勢を改めて、あっさりとドラギ氏支持に回りました。

政治に誠実や正直を求めても詮無いことですが、2党の指導者の節操の無さは相変わらずすさまじい。もっともそれは他の政治勢力も同じですが。

民主党とレンツィ党はEU主義者という意味で、既述のように欧州中央銀行の総裁だったドラギ氏とは親和的。また同盟とともに右派勢力を形成するベルルスコーニ元首相の「フオルツァ・イタリア」も、ドラギ氏とベルルスコーニ氏が旧知の仲であることを言い訳に、さっさとドラギ政権支持に回りました。

ドラギ氏は先に触れたように、ほぼすべての政党からの支持を取り付けました。おそらく今週中にも首相に就任する見通し。 現時点で明確にドラギ不支持を表明しているのは、ファシストの流れをくむ極右小政党「イタリアの同胞」のみです。

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神様はおばあを忘れ、管首相は国民を忘れた

108歳のイタリア人女性、ファティマ・ネグリーニさんは昨年新型コロナに感染しましたが、奇跡的に回復しました。

死の淵から生還した時、ファティマさんは「神様はどうやら私を呼び寄せるのを忘れたようだ」とジョークを飛ばして医師や看護師らのスタッフを笑わせ、それはメデァアで大きく伝えられました。
 
イタリアでは2021年2月1日現在、 8万8千人以上の人々が新型コロナで亡くなり、その多くは80歳以上の高齢者です。

そのために新型コロナから回復したお年寄りには注目が集まります。

欧州全体でもその傾向は強い。 

例えばイタリアよりも新型コロナの犠牲者が多い英国は、世界で最も早く新型コロナワクチンの接種を始める際、最初の患者として90歳の女性を選んで話題になりました。

英国ではその後も94歳と99歳のエリザベス女王夫妻がワクチン接種を受けてニュースになりました。

普通ならそんな事案がメディアをにぎわすことはありません。ニュースバリューのある話題ではなく、且つ個人情報の争点にもなりかねないからです。

だがそのトピックは、おそらく女王夫妻の了解も得て、ニュースに仕立てあげられました。

そこにはできるだけ多くの人にワクチンを受けるように促す宣伝の意味合いが込められています。

世界にはワクチン接種を嫌う、科学を知らない人々が少なからず存在するのです。
 
ここイタリアでは2020年12月27日にコロナワクチンの接種が始まり、2021年1月月31日現在、195万8千691回分が接種されました。

新型コロナを克服した冒頭のファティマ・ネグリーニさんも1月18日にワクチンの接種を受け、そのことも再びニュースになりました。

イタリアのワクチン接種件数は欧州では英国に次いで多い。しかしながらその数字は当初の計画に比べると遅れています。

製造元の欧州での生産が追いつかないというのが理由ですが、説明に少々不明瞭な部分もあって、EU(欧州連合)と製薬会社が対立しています。
 
コロナワクチンは医療関係者に優先的に接種され、次に感染すると重症化しやすい高齢者に接種されます。

ことし6月に109歳の誕生日を迎えるファティマ・ネグリーニさんは、むろん高齢者として優先的に接種を受けました。

同時に、ワクチン接種者としては世界最高齢とも見られるその年齢によって、イタリア中に明るい話題を振りまいています。

閑話休題。


それにしても、日本政府のワクチン接種戦略の迷走ぶりは目もあてられない、と感じます。

各種報道によると、いくつかの製薬会社とワクチン購入契約を結んだということですが、中身はどうなっているのでしょうか。

昨年からワクチンの供給を受けはじめているEU(欧州連合)でさえ、購入契約をめぐって製薬会社ともめています。

コロナ対策すらもしっかり行えない管政権が、生き馬の目を抜く世界のワクチン獲得ゲームで勝てるとはとうてい思えません。

いつから、誰に、どのようにワクチン接種を開始するかも不明瞭なら、ワクチンの入手そのものでさえ覚束ないように見えます。

政府の主張通り最短で2月の末に初のワクチン接種が行われたとしても、EU(欧州連合)に2ヶ月以上も遅れてのスタートです。

世界で初めて新型コロナワクチンの接種を始めたイギリスに比較すると、ほぼ3ヶ月もの遅れになってしまいます。

日本はワクチン接種戦略で大きく失敗して、その結果経済で欧米ほかの国々に太刀打ちできなくなる、という懸念が世界のそこかしこで出始めています。

そんな折に菅首相は、国会質疑で議員の批判を受けて「失礼だ。一生懸命仕事をしている」などと子供にも劣る愚かな答弁をしました。

日本最強の権力者、という願ってもない地位をタナボタで得た彼は、その僥倖に深く感謝して謙虚になるどころか、権力を笠に着て居丈高になっています。

何おか言わんや、です。

民主主義の底の浅い日本の政治家は、お上に無批判に頭を垂れる愚民が多いことを良しとして、自らがお上そのものになりきり国民の下僕であることを忘れて増長しがちです。

管首相の「失礼だ」発言はそのことを端的に示しています。国民への真摯な語りかけもコロナ対策も不得手な彼は、国民に「失礼」です。さっさと辞任したほうがいいのではないでしょうか。


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