ドラギ挙国一致内閣は両刃の剣スキーム

新首相と大連立与党連合

2021年2月13日、イタリアでドラギ新内閣が誕生しました。73歳のマリオ・ドラギ新首相は2011年から2019年までECB(欧州中央銀行)総裁を務めたセレブな経済学者。コロナ・パンデミックで落ちるところまで落ちたイタリア経済の救世主になるのではないか、との期待が高まっています。

期待は経済や政治に関心のある国民ばかりではなく、普段は全くそこに興味を持たない人々の間にまで広まっています。そのことはイタリアの政治システムに不明な人々までが、ドラギ氏の高名に興奮して、SNSにファンレターまがいのとんちんかんな書き込みをすることなどでも類推できます。

アカデミックな経済の専門家としてのドラギ氏の経歴は華々しい。彼は米国のMIT(マサチューセッツ工科大学)で経済学博士号を取得。フィレツェ大学の教授を務めたあとイタリア銀行総裁に出世します。さらに2011年から2019年まではECB総裁の職にありました。

2021年2月3日、ドラギ氏はイタリア大統領からの組閣要請を受けました。彼はすぐにイタリアの各政党との面談を開始。たちまちほぼ全ての勢力から支持を取り付けました。その手腕はエコノミストというだけではなく政治家としても有能であるように見えます。

彼を支持するのは、極左のポピュリスト・五つ星運動から極右ポピュリストの同盟、左派の民主党、さらにベルルスコーニ元首相が率いるほぼオワコンにさえ見えるフォルツァ・イタリア党、それらに加えて全ての小政党や会派など。文字通り挙国一致と呼べる巨大な連立与党連合が出来上がりました。

ここから数ヶ月の蜜月期間は、世界クラスの知名度を持ちカリスマ性もあるドラギ首相に物申す相手はいないでしょう。だが、時間とともに各政党の利害がむき出しになるのは政治である限り避けることはできません。そのときになってもドラギ首相が強いリーダーシップを発揮し続けているなら、イタリアの未来は明るい。だがそうではない可能性もいまのところは5割あります。

3人のEU教徒

欧州中央銀行の総裁を務めたドラギ首相は、いうまでもなくがちがちのEU主義者です。ジュゼッペ・コンテ前首相の辞表を待ってましたとばかりに受理して(なぜ「待ってましたとばかり」かは後述)、ドラギ氏に組閣を指示したセルジョ・マタレッラ大統領も筋金入りのEU信奉者。さらにドラギ氏を誰よりも先に首相に推したマテオ・レンツィ元首相も隠れなきEU支持者です。

その意味では筆者は3者を支持しますが、ジュゼッペ・コンテ首相をいわば排除したという意味では、3者に強い違和感も持ちます。特にマテオ・レンツィ元首相は今回の政変の首謀者。彼はことし1月13日、自身が率いる政党「イタリア・ヴィヴァ」所属の閣僚をコンテ内閣から引き上げて政権を崩壊させました。

理由はEUからイタリアに与えられるコロナ復興資金の使用法に異議がある、というものでした。だが真相は、衰退著しく存在感がぼゼロと言われるほどに落ちぶれた「イタリア・ヴィヴァ」と自身の求心力低下に焦ったレンツィ元首相が、起死回生を狙って打った大芝居、というのが定説です。

しかし、その反乱のタイミングはあまりにも悪いものでした。コンテ内閣は昨年の阿鼻叫喚のコロナ地獄を克服したことでイタリア国民の強い信頼を得ています。特に強いリーダーシップと類まれなコミュニケーション力で、国民を勇気付け慰撫し続けたコンテ首相は、かけがえのない存在とみなされてきました。

イタリアは昨年3月から5月にかけてのコロナ第1波の凄惨な危機からは抜け出しました。が、コロナパンデミックは依然として続いています。収束とは程遠い状況です。そんな非常時にレンツィ元首相は我欲に駆られて政治危機を招きました。当然のようにイタリア中から強い批判が湧き起こりました。

だがレンツィ元首相の反乱は、行き当たりばったりの妄動ではなく、周到に計算されたものであるらしいことが明らかになっていきました。レンツィ元首相は政治的に彼と近しいマタレッラ大統領と連携して、政変を起こした可能性が高いのです。連携というのが言いすぎなら、少なくともマタレッラ大統領に“予告した”上で、倒閣運動を仕掛けました。

マタレッラ大統領は2015年、当時首相だったレンツィ氏が主導する中道左派連合の強いバックアップで大統領に当選しました。彼らはかつて民主党に所属した同僚でもあります。また既述のように親EU派としてもよく知られています。2人が政治的にきわめて親密な仲であることは周知の事実です。

大統領の遠謀?

一方、大学教授から宰相になったジュゼッペ・コンテ首相は、反EUで左派ポピュリストの五つ星運動に支えられています。コンテ首相は五つ星運動所属ではありませんが、心情的には同党に近いとされます。反体制が合言葉である五つ星運動の根幹の思想に共感するものがあるのでしょう。その在り方の是非はさておき「弱者に寄り添う」という同党の主張にも賛同しているのではないでしょうか。

繰り返しになりますが五つ星運動はEU懐疑派です。彼らは元々EUからの離脱を目指し、トランプ主義にも賛同してきました。だがイタリアの過激主義は「国内に急進的な政治勢力が乱立している分お互いに妥協して軟化する」、という筆者の持論通り選挙運動中に反EUキャンペーンを引っ込め、政権を取るとほぼEU賛同主義者へと変わるなどしました。だが、彼らの本質は変わっていません。マタレッラ大統領は、レンツィ元首相とともにそのことにも危機感を抱いたに違いありません。

2者は極端な推論をすればそれらの背景があってコンテ首相を排除し、ドラギ氏擁立のプランを立てた。そして事態は次のように動きました。
1、レンツィ元首相の反乱。
2、コンテ首相辞任(マタレッラ大統領から再組閣指示を引き出すためのいわば根回し辞任。予期された通常の手続きです。だからマタレッラ大統領は「待ってました」とばかりに辞表を受理しました)。
3.マタレッラ大統領、コンテ首相にではなく政治的に非力なフィーコ下院議長に連立工作を指示(失敗を見越して)。
4.フィーコ下院議長の連立工作、予想通り失敗。 
5.マタレッラ大統領がすぐさまマリオ・ドラギ氏に組閣を要請。

という筋書き通りになりました。

新旧首相の幸運

コンテ首相は国民に真摯に、誠実に、そして熱く語りかける姿勢でコロナ地獄を乗り切り圧倒的な支持を集めました。コロナ感染抑止を経済活動に優先させたコンテ首相の厳格なロックダウン策は、感染が制御不可能になり医療崩壊が起きて多くの死者が出ていた昨年の状況では、的確なものでした。しかしそれによってただでも不振に喘いでいたイタリア経済が多大なダメージを受けたのも事実です。

コンテ首相には今後も、引き続きコロナ対策を講じながら経済の回復も期す、という厳しい責務が課されることは間違いありませんでした。しかし彼の政権は、経済政策といえばベーシックインカムに代表されるムチャなバラマキ案しか知らない政治素人の集団・五つ星運動に支えられています。適切な経済策を期待するのは厳しいようにも見えました。その意味では、コロナ対策で高い評価を受けたまま退陣したのは、コンテ首相にとってあるいは幸いだったかもしれません。

ドラギ内閣は迅速な経済の回復を進めると同時に、ワクチン接種を広範囲に迅速に実施しなければなりません。後者は出だしでのつまずきが問題になっています。一方経済の建て直しに関しては、ドラギ首相は大きな僥倖に恵まれています。つまりイタリアに提供されるEUからの莫大なコロナ復興資金です。総額は2090億ユーロ、約26兆5千億円にのぼります。そのうちの4割は補助金、6割が低金利の融資です。

ドラギ首相は理論的にはその大きな資金を縦横に使って経済を再生させることができます。実現すればすばらしいことですが、経済学者が「理路整然」と実体経済を読み違えるのもまた世の常です。ましてや国家運営には、銀行経営とは違って「感情」というやっかいなものが大きく絡みます。ドラギ首相の仕事は決して単純ではありません。

ドラギ首相はかつて、ECB総裁として経済危機に陥ったイタリアに緊縮財政策を押し付けた張本人のひとりです。2011年、財政危機の責任を取って退陣したベルルスコーニ首相に代わって、政権の座に就いたマリオ・モンティ首相は、ドラギ首相とよく似たいきさつで内閣首班になりました。

だがモンティ首相は当時、ブリュッセルのEU本部とECB総裁のドラギ氏のほぼ命令に近い要請で、財政緊縮策を強いられました。ドラギ氏はちょうど10年の歳月を経て自らがイタリア首相になり、且つ潤沢な資金を使って経済の建て直しをする、というモンティ元首相とは真逆の立場におかれました。大きな幸運です。

さらにドラギ首相への追い風が吹いています。EU首脳部は、彼らがイタリアに強要した緊縮財政策が悪影響を及ぼして、イタリアの経済がさらに失速し回復が遅れている、と内心認めていると言われます。従ってドラギ内閣がイタリアの借金のことをしばらく忘れて、財政拡大策を推し進めてもこれを黙認する、とも考えられています。イタリアはEU内ではギリシャに次ぐ「借金まみれ大国」なのです

ドラギ首相のスネの傷

ドラギ首相は高位のエコノミストとしてこれまでイタリア内外で多くの経済政策を推進してきました。その中には重大な失策もあります。例えばドラギ首相はイタリア財務省総務局長時代に、当時国有だった巨大企業イタリア高速道路管理運営会社(ASPI)の民営化を進めました。民営化された同社はオーナー一族に莫大な利益をもたらしました。

だが会社は巨利をむさぼるばかりで維持管理を怠り、2018年にはジェノバで高架橋の落下という重大事故を起こして、43人もの死者が出ました。その事故以外にも ASPIのインフラ管理の杜撰さが問題になっています。コンテ政権は同社を再び国営化しました。だが全ての課題が突然消えた訳ではありません。かつてASPIを民営化させたドラギ首相は、同社にまつわる問題が再燃することを恐れているかもしれません。

また世界最古の銀行MPS(モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ)が経営破綻した時、イタリア中央銀行総裁だった彼はその責任の一端を担っています。さらに問題が巡りめぐって同銀行が公的資金で救済された際には、ドラギ首相はECB(欧州中央銀行)総裁を務めていました。MPSに公的資金が投入されたのは、ECBの誘導によるとされています。従って彼はMPSの行く末にも責任を負わなければなりません。

コロナ対策も経済政策も、ドラギ政権を支持する全ての政党が一致団結して事に当たれば、きわめてスムースに実行されるでしょう。だが意見を異にする政党が寄り集まるからには、対立や分断もまた容易に起こり得ます。それぞれの政治勢力がてんでに主張を強めれば、政権内の混乱の収拾がつかなくなる可能性もあります。ドラギ内閣を構成している「ドラギを信奉する一大連合勢力」は、両刃の剣以外の何者でもないように見えます。



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