世の中にはワイン通と呼ばれる人たちのワインに関するうんちくがあふれていますが、ワインは自分が飲んでおいしいと感じるものだけが良いワインであり真にうまいワインです。
ワイン通のうんちくはあくまでもその人の好みのワインの話であって、他人の好きなワインとは関係がありません。
ただ一般論として言えば、値の張るワインは質の良いものである可能性が高い。当たり前じゃないかと言われそうです。
だが、ワインは複雑な流通の仕組みや、金もうけの上手な輸入業者の仕掛け等で値段が高くなることもありますから単純な話ではありません。
ここからはうんちく話ではなく、つい最近まで商業用のワインを造っていた筆者の妻の実家のワイン醸造現場で、筆者が実際に体験してきたシビアなビジネスの話をしようと思います。
本物の良いワインの値段が張るのは、製造に手間ひまがかかっているからです。同じ土地の同種のブドウを使っても、時間と労力と金をかけると明らかに違うワインが出来上がります。
具体的にいえば、たとえばブドウを搾るときは、葉っぱや小枝の切れ端や未熟の実や逆に熟し過ぎた実や腐った実など、ブドウ収穫時に混じったり紛れこんだりした要素もすべていっしょくたにして機械で絞ります。
それでも普通においしいワインができます。自家のワインもそうでした。これを上質のさらにおいしいワインにしたいのなら、絞る前に葉っぱや小枝などに始まる夾雑物 を除き、ブドウも選別して良いものだけを集めます。これには手間と費用がかかるのはいうまでもありません。
ブドウの選別という観点でいえば、ブドウの実は古木であればあるほど質が良い。したがって古木の実だけを使ってワインを作ればさらに良いものができます。
だがブドウは古木になればなるほど果実が少ない。古木の実だけでワインを作れば上質のものができますが、大量には作れません。原料費もぐんと高くなります。
従って中々それだけではまかなえませんが、一部だけでも古木の実を混入して醸造すればやはり味が良くなります。だからそれを混ぜて使ったりもします。そうしたことはすべてコスト高につながります。
またワインを熟成させることも非常に費用のかかる工程です。たとえば3年熟成させるということは、ワイナリー内の熟成装置や熟成場を3年間占拠することです。熟成場は借家かもしれません。
借家の場合は家賃がかかります。加えて作業員や酒造りの専門家も3年間余計に雇わなければなりません。それは熟成場が自家のものであっても同じです。
それだけでも膨大な金ががかかります。また3年間熟成させるとは、単純にいえば3年間そのワインを販売することができない、ということです。
つまりワイナリーは3年間収入がないのに、人件費や醸造所の維持や管理を続けなければならない。ワイナリーの負担はふくらむばかりなのです。
ごく単純化して言えば、上質なワインとはそのようにして作られるものです。生産に大変な費用がかかっています。ボトル1本1本の値段が高いのがあたり前なのです。
たとえばうちでは、造っていた赤ワインの原料のブドウをもっと厳しく選別して質を向上させたかったのですが、そのためには多くの資金が要ります。それでいつまでも二の足を踏んでいました。
ところがすぐ近くの業者は、同じ地質の畑の同じ種類のブドウを使って、手間ひまをかけた赤ワインを造っていて、値段もうちのワインの5倍ほどしました。
そしてそのワインは客観的に見て自家のものよりも質が良かった。この事実だけを見ても筆者の言いたいことは分かってもらえるのではないでしょうか。
ところでわれわれがワイン造りをやめたのは、醸造所(ワイナリー)を経営していた義父が亡くなったからです。筆者が事業を継ぐ話もありましたが遠慮しました。
筆者はワインを飲むのは好きですが、ワインを「造って売る」商売には興味はありません。その能力もありません。それでなくても義父の事業は赤字続きでした。
ワイン造りはしなくて済みましたが、筆者は義父の事業の赤字清算のためにひどく苦労をさせられました。彼の問題が一人娘の妻に引き継がれたからでした。
この稿は「うんちく話ではない」と筆者は冒頭でことわりました。それは趣味や嗜好や遊びの領域の話ではなく商売にまつわる話だから、という意味でした。
しかし、ま、つまるところ筆者のこの話も見方によってはワインに関する“うんちく話”になったようです。うんちく話は退屈なものが多い。できれば避けたかったのですが、文才の不足はいかんともしがたい。
最後に、ワインを造るのはどちらかといえば簡単な仕事です。日本酒で言えば杜氏にあたるenologo(エノロゴ)というワイン醸造の専門家がいて、こちらの要求に従ってワインを造ってくれます。
もちろんenologoには力量の違いがあり、専門家としてのenologoの仕事は厳しく難しい。ワイン造りが簡単とは、優秀なenologoに頼めば全てやってくれるから、こちらは金さえ出せばいい、という意味での「簡単」なのです。
ワインビジネスの真の難しさは、ワイン造りではなく「ワインの販売」にあります。ワイン造りが好きだった義父は、enologoを雇って彼の思い通りにワインを造っていました。しかし販売の能力はゼロでした。
だから彼はワイナリーの経営に失敗し、大きな借金を残したまま他界しました。借金は一人娘の妻に受け継がれ、筆者はその処理に四苦八苦しました。それは断じてうんちく話ではありません。どちらかといえば苦労譚なのです。
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