2025年6月3日、ミスター・プロ野球・長島茂雄が亡くなりました。彼とは一度だけ行き逢ったことがあります。

巨人・大鵬・卵焼き好き少年を地で行き、やがて圧倒的に長島ファンになった筆者は、ずっと後にアンチ巨人になりました。

巨人軍の渡部恒夫オーナーが、日本プロ野球選手会会長の古田敦也に「たかが選手が無礼な事を言うな。分をわきまえろ」と罵ったという傲慢発言に反発して、巨人を応援するのが嫌になったのです。

渡辺氏は内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対し旧日本軍の戦争行為を厳しく糾弾。また昭和天皇の戦争責任を認めるなど、筆者が賛同する点も多い。

特に日本の戦争責任を追求して「戦争責任検証委員会」を立ち上げ、『戦争責任を検証する』という本まで出版したことには深く頭をたれる思いです。

だがそのころは渡辺氏の傲慢発言-実は誤報らしい-に強い反感を抱きました。

アンチ巨人になっても、しかし、筆者の長島茂雄への思いのたけは変わりませんでした。

長島さんと顔を合わせたのは、確か大学4年の時です。

当時筆者は表参道にあるコープオリンピアでアルバイトをしていました。駐車場の管理が筆者の仕事で、多くは徹夜番でした。真夜中過ぎになるとほとんどやることもないので、筆者は卒業論文もそこで書き上げました。

1964年の東京オリンピックの翌年に誕生したコープオリンピアは、日本における高級マンションのはしりとされ、各界の有名人が住みました。

筆者がアルバイトとをしていた頃、読売巨人軍のアメリカ人助っ人クラウド・ライト投手もそこに暮らしていました。彼は試合中にキレることが多く、よく「クレージー・ライト」と揶揄された。

ある日、巨人軍監督だった長島さんが彼を訪ねました。筆者はそこに居合わせたのです。

現役は引退していましたが、長島さんのオーラはすさまじく顔の輪郭がぼやけているように見えました。

テレビ屋の筆者は、仕事の性質上有名人と会う機会が多い。長島さんと並ぶ人気者、王貞治さんとも仕事で出会いました。

が、実は筆者は、テレビ屋になる以前から、何かとセレブに行き逢う悪運の強い男でした。

長島さんもそのうちの一人だったのです。

ただ筆者の長島さんへの変わらぬ愛は、彼と偶然顔を合わせたからではなく、純粋に野球選手として敬慕していたからです。

合掌

追伸:仕事で出会った多くのセレブ、またそれ以外の機会に行き合った有名人などについては、いわば時代を映す鏡、また筆者自身のささやかな自叙伝のうちのカラフルなエピソードとして、ぼちぼち書いて行こうかと思っています。

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