日本人の被害者意識が自らの加害の歴史を透明化する

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原爆投下から敗戦に至る歴史を思うとき、ことし2025年は特に感慨深い。参政党という日本の戦前戦中また戦後の暗黒部分を全身に纏ったような異様な政党がふいに世の中を席巻したからです。

1945年8月6日から8月15日までの日々を、日本人が被害者意識丸出しで語り始めたのはいったいいつ頃からでしょうか。その時を境に日本人は自らの巨大な加害の歴史を忘れ始めました。

広島、長崎を含む日本国民は、アジアの国々を蹂躙した加害者の昭和天皇と軍部また彼らを支えた全ての国家機関の被害者であると同時に、戦争犯罪者らに盲目に従ったという意味で、全員が加害者でもあります。

原爆に象徴される圧倒的な被害を受けた日本国民の苦悩は記憶され続けなければなりません。のみならず日本国民は将来、戦争の完全総括が行われることによって必ず救済されるべきです。だが日本人はまた、加害者としての歴史も決して忘れてはなりません。

原爆は何の脈略もなくある日ふいに空から落下してきたのではありません。

イスラエルの横暴がなければハマスは生まれず、従って10月7日攻撃もなかった。またアメリカがイスラエルを支援すると同時にアラブ諸国への敵対施策に固執しなければ、ビンラディンによる同時多発テロも起きることはなかった。

同様に、日本が無謀な戦争を起こし非情な攻撃に狂奔していなければ、原爆投下もなかったのです。

日本は欧米を猿真似て近隣諸国を侵略し暴虐を重ね殺戮を続けました。結果、世界の憎しみを買いました。アメリカは真珠湾奇襲以降ふくらみ続けていた自国民の日本への怨みもそこに重ねて正当化し、深重な決断をしました。それが原爆投下です。

原爆攻撃は言うまでもなく無差別殺戮であり戦争犯罪です。

だがその前には既に、日本軍による残虐な無差別攻撃があり戦争犯罪があったことを忘れてはなりません。例えば日本軍の錦州空襲は人類史上初の、また重慶空爆はそれに続くさらに大規模な無差別攻撃でした。

日本軍によるアジアでの無差別殺戮と真珠湾攻撃、さらにそれに続く日米間の殺し合いを通して、日本兵の狂暴残忍な正体を十全に見てきたアメリカは、広島と長崎に非人間的な原爆を投下するのを躊躇しませんでした。

戦時の日本人の凶暴性は今に生きています。

うむを言わさずに外国人排斥を叫ぶ参政党や保守党、また自民党の最右翼の安倍派、はたまた同党の西田昌司“蛇の道は蛇”一派などに受け継がれていると考えられるのです。

特に参政党は戦前の政治かと見紛うような「天皇を軸に一つにまとまる日本」を標榜する一方で、ナショナリズムや反グローバリズムなどにも乗っかります。GHQを巡る怪情報を語りつつ日本が『あの勢力』に支配されているとする陰謀論にものめり込んでいます。

同時に有機食品愛好者を誘い反ワクチンまた反マスク派の人々にも彼らの運動への参入を声高に呼びかけます。極右という当たり前の呼称はもはや間に合わず、陰謀論党やオーガニック右翼などと規定するほうがしっくりくる奇怪な集団です。

また参政党は、太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼び、且つそれは「侵略戦争ではなかった」とも主張します。大戦は「アジア諸国を欧米の支配から開放する」戦いだった、と極右お決まりの詭弁も弄します。

それは欧米に追随してアジア諸国を植民地化し凌辱した日本の愚劣な過去から目をそむける、彼ら十八番の魂鎮めの祭りであり、でっち上げです。

さらに日本本土防衛の為の捨て石とされた沖縄戦についても、日本軍は「沖縄を守るために戦った」と虚言をわめき散らします。

彼らは従軍慰安婦や南京大虐殺も否定します。また戦後の日本人の歴史観はGHQ占領軍に押しつけられた「自虐史観」とも決めつけます。要するに歴史修正主義が彼らの金科玉条なのです。

参政党は「極右」というくくりで一見してみると、ここイタリアの政権与党「イタリアの同胞」と「同盟」、またドイツの「Afd(ドイツのための選択肢)」にも似た顔を持ちます。

だが参政党は、欧州の右派政党とは似ても似つかない集団です。参政党には既述のイタリアの「同盟」と「イタリアの同胞」、また「Afd(ドイツのための選択肢)」などが曲がりなりにも備えている知性と論理と展望がありません。

ここイタリアとドイツの、ひいては欧州の右派政党が持つ知性と論理と展望とは、ヒトラーとムッソリーニを知るということです。つまり彼らの存在を明確に認識することです。

認識しておいて彼らの悪魔性を否定すること。それでも政治極端派の主張をひるむことなく言い続けることです。

ヒトラーはヒトラーを知らず、ムッソリーニはムッソリーニを知りませんでした。

一方、「Afd(ドイツのための選択肢)」はヒトラーをいやというほど知り、「イタリアの同胞」と「同盟」はムッソリーニを知悉しています。

過去を知らず、知っても見ぬ振りをする日本極右とは違って、彼らは過去を知り過去を否定した上で、なおかつ極右と規定される政治主張をします。要するに欧州の極右には、悪魔的ながらもビジョンがあるのです。

参政党にはそれがありません。彼らは政党と呼ぶには、余りにもナイーブ― 英語本来の意味での ―過ぎるのです。ビジョンもなく知性も知識もなく、行きあたりばったりで物事に対処しているように見えます。

そのため言動が大ブレにブレて右顧左眄し、嘘に走り、ごまかしの上塗りにさらにごまかしを塗り続ける。いうまでもなく彼らには過去を直視することなどできません。できないから歴史修正主義という日本極右の得意中の得意の空疎な踊りを踊り続けます。

欧州の極右が持つ危険だが筋の通った核心、つまり歴史認識を踏まえた上でなお且つ世間が極右と呼ぶ強い右寄りのスタンスを論理と信念で支え続ける能力、要するに前述の少しの知性が欠けています。

彼らは日本極右の一大特徴である「歴史の事実認識」不足という欠陥を共有しつつ、そのことを指摘されると「われわれが正しいから攻撃される」と無知を武器に変える屁理屈で逃げを打ちます。

日本に於いて、事実をなかったことにしたり、事実を曲げて解釈したりする「歴史修正主義者」が雲霞のように湧き出て止まないのは、結局日本が日本人の手で戦争を徹底総括しなかったからです。

日本は連合国側が開いた東京裁判だけで総括を終わらせました。軍事政権も昭和天皇も裁かれなかった。いや、国民自身が裁こうとしませんでした。片やドイツは連合国主宰のニュールンベルグ裁判に続いて、ドイツ国民自身が彼らの軍事政権を裁き戦犯を徹底追及しました。

その国で生まれたAfdは極めて危険ですが、彼らの歴史認識は確かです。その上で極右思想を振りかざすところがさらに不気味、という見方もできます。だが、ドイツを中心にする「欧州の良心」が必ず彼らの暴走を制御するでしょう。

一方、戦争の徹底総括どころか自らの加害の歴史さえ見失いがちな日本で湧き出た、精神が幼い参政党とそれに類する政治勢力は、精神が幼い分勢力が拡大すればするほど興奮し、騒ぎ、調子に乗って抑制が効かなくなります。

そして戦争の包括的な反省さえできなかった国民には、「欧州の良心」に相当する信実も民主主義を死守する決意も望めそうになく、従って参政党の勝手次第がまかり通る事態がやって来かねません。

そうなれば歴史は繰りかえします。日本は再び破滅へ向かってまっしぐらに突き進まないとも限らないのです。

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