ヴァスコ・ダ・ガマよりすごいクリロナ

アラブ支配、大航海時代、エスタド・ノヴォ体制とサラザール独裁、カーネーション革命、そしてポルトガル料理を思いつつ、ポルトガル紀行を始めました。

基本的にはポルト、リスボン、ラゴス(最南端アルガルヴェ地方)と移動する旅。

ポルトからリスボンに入った日に、4年ごとに開催されるサッカーの欧州選手権が始まりました。旅の興奮に紛れてそのことをすっかり忘れていました。

欧州選手権はW杯の中間年に行われるW杯に匹敵する大イベントです。

W杯とは違って強豪の南米勢が出場しませんが、サッカー後進地域のアジア、アフリカ、北米などが参加しない分、ワールドカップより面白いという考え方もあります。

筆者もややそれに近い見方です。が同時に、ブラジルやアルゼンチンが参戦しないのはやはり少し物足りないとも感じます。そうはいうものの、強豪国がひしめく欧州杯はいつも見応えがあります。

サッカーの戦い方には国柄や国民気質が如実に現れます。それを理解するには、経済や金融や医学や工業技術などの理屈が詰まった脳ではなく、感性や情動が必要です。

感性また情動を頼りに各国の戦い方を見ると、サッカーのナショナルチームが、国民性を如実に体現する文化や人々の生きざまを背負っていることが分かります。

例えばサッカーの日本代表は11人編成の軍隊を髣髴とさせます。そのミニ軍隊は日本人の思想や動きや情感や生きざまを背負ってピッチを駆け巡ります。

そこに体現される日本人の思想とは、個よりも集団つまりチームを絶対と見なす全体主義です。

動きとは、プレーテクニックや戦術の劣勢を補おうとして、選手全員が脱兎の勢いで走り回ること。玉砕覚悟で、いわば竹槍攻撃を完遂します。つまり玉のように犬死にすることを至福とみなす精神の実践です。

生きざまとは、あらゆる論理的な思考を排して、いわば国家神道に殉じて自裁するようなことです。日の丸を背負い一丸となって驀進する。まさに全体主義。日本サッカーの憂鬱と煩わしさです。

国民性は、そのように良くも悪くもナショナルチームのプレースタイルや戦術や気構えに如実に現れて、試合展開を面白くします。むろんその逆の効果ももたらします。

もう少し煮詰めて、分かりやすい表現で言ってみます。

例えばドイツチームは個々人が組織のために動きます。イタリアチームは個人が前面に出てその集合体が組織になります。

言い換えれば個人技に優れているといわれるイタリアはそれを生かしながら組織立てて戦略を練り、組織力に優れているといわれるドイツはそれを機軸にして個人技を生かす戦略を立てます。

1980年前後のドイツが、ずば抜けた力を持つストライカー、ルンメニゲを中心に破壊力を発揮していた頃、ドイツチームは「ルンメニゲと10人のロボット」の集団と言われました。

これはドイツチームへの悪口のように聞こえますが、ある意味では組織力に優れた正確無比な戦いぶりを讃えた言葉でもあると思います。

同じ意味合いで1982年のワールドカップを制したイタリアチームを表現すると、「ゴールキーパーのゾフと10人の野生児」の集団とでもいうところでしょうか。

独創性を重視する国柄であるイタリアと、秩序を重視する国民性のドイツ。サッカーの戦い方にはそれぞれの国民性がよく出るのです。サッカーを観戦する醍醐味の一つはまさにそこにあります。

さらに言えば、イングランド(英国)チームはサッカーを徹頭徹尾スポーツと捉えて馬鹿正直に直線的に動きます。技術や戦略よりも身体的な強さや運動量に重きをおく、独特のプレースタイルです。

彼らにとってはサッカーは飽くまでも「スポーツ」であり「ゲームや遊び」ではありません。

しかし、世界で勝つためには運動能力はもちろん、やはり技術や戦略も重視し、且つ相手を出し抜くずるさ、つまり遊びやゲーム感覚を身につけることも大切です。

イングランドサッカーが、欧州のラテン系の国々やドイツ、また南米のブラジルやアルゼンチンなどに較べて弱く、且つ退屈なのはそれが大きな理由です。

もっとも時間の経過とともに各国の流儀は交錯し、融合して発展を遂げ、今ではあらゆるプレースタイルがどの国の動きにも見られるようになりました。それでも最終的にはやはり各国独自の持ち味が強く滲み出て来るから不思議なものです。

閑話休題。

ここポルトガルの天才プレーヤー、クリスティアーノ・ロナウドが、まだ代表選手として活躍していることを、ポルトガル旅行中テレビを介してはじめて知っておどろきました。

彼はマラドーナやペレ、また同時代人のメッシなどと並ぶ偉大な選手ですが、欧州のチームを出てサウジアラビアに移籍した時点で、もうポルトガルの代表チームでプレーすることはない、と筆者は思い込んでいました。

全盛期を過ぎた欧州や南米の選手が、主に金が目当てでアジアや中東のクラブに移籍することはよくあることです。

欧州で1、2を争う強豪チームであるタリアは、そういう選手に極めて厳しく、アジアやアメリカあるいは中東などに移籍した選手がナショナルチームに召集されることはありません。

キャリアのたそがれ時にいる彼らは、レベルの低いそれらの地域のリーグでプレーすることで、力量がさらに落ちると判断されるのです。

ロナウドは間もなく40歳。まだポルトガルチームの中心的存在でいられるのは、彼の力量がロートルになっても優れているからなのか、はたまたチームが弱いからなのか。その結果を見るのも楽しみです。

サッカー嫌いや関心のない人には分からないでしょうが、ロナウドはポルトガルを世界に知らしめたという意味では、同国の歴史的英雄であるヴァスコ・ダ・ガマを大きく凌ぐ存在です。その意味でも興味深い。

旅行中はなかなかテレビ観戦もできませんが、イタリアに帰ったらロナウドにも注目しつつ選手権の展開を追いかけ、しばらくはサッカー漬けの時間を過ごそうと思います。

 

 

 

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