欧州では6月15日、新型コロナの感染拡大を抑えるために敷かれていた移動規制がほぼ全面解除され、EUおよび移動の自由を認めたシェンゲン協定域内での人の移動が自在になりました。
あえて楽観的に表現すれば、2020年6月15日は「コロナからの欧州解放記念日」です。むろんコロナの脅威は全く消えていませんし、季節が冬に向かえばウイルスはまた牙を剥く可能性が高い。
それどころか、6月15日を境に欧州全体の社会経済活動が活発になって、冬を待たずにヨーロッパ大陸が再びコロナ地獄に陥る可能性さえあります。ワクチンの開発まではあらゆる活動再開は暗中での模索です。
経済破壊が進んだイタリアでは、コロナ恐怖に苛なまれつつも5月4日、建設業と製造業を再開。5月18日には商店や飲食店の営業を許可。6月3日以降は全ての移動制限を解除して、EU加盟国からの観光客も受け入れています。
欧州ロックダウンほぼ全面解除直前の週末、正確に記せば6月13日の土曜日、ガルダ湖畔を訪ねました。前アルプスの山並みが迫るリゾート地には、驚くほど多くの地元民や観光客がいました。観光客のほとんどはドイツ人です。
湖畔の町には古くからドイツ人観光客が多い。そこに住み着いたドイツ人も少なくありません。ゲーテの時代からドイツ人に愛された場所なのです。ゲーテ自身もガルダ湖を訪ねて、大湖を「海のようだ」と形容しました。
町の賑わいには腑に落ちない暗さがあるように感じました。マスク姿の人々と感染予防対策を厳重に施している通りの店のたたずまいが、半ば開いているような半ば閉まっているような印象で、落ち着かないのです。
ひとことで言えば、働く人々も買い物や飲食を楽しむ人々も、そして明らかにドイツ人と分かる観光客らも、少し無理をして懸命に楽しさを「演出し演技」しているように見えたのです。
筆者はそこにイタリアの観光業の厳しい先行きを見たように思いました。経済は人が作り出す生き物です。その動静をあらわす景気は、気分の景色と書くように人の気分に大きく作用されて動きます。
経済学者や専門家は、数字や論理や実体&金融のあり方や学識や机上理財論等々によって景気を語る。そして彼らは往々にしてそのあり方を理路整然と間違います。
専門バカは人の気持ちが分からない。だから人の気持ちの集合が動かす景気が、従って生きた経済が分からない、ということなのかもしれません。
リゾートの町のいわば「空疎な賑わい」は、人々の心がコロナの恐怖で固くなっているからです。人々は長い外出規制と抑圧から解放されて意気揚々と町に繰り出しました。
久しぶりの歓楽はまちがいなく彼らに喜びをもたらしています。だがそれは心の底までしみこむ十全の歓喜ではありません。完全無欠の喜悦はコロナの終焉まではおそらく望めないのです。
ウイルスが消滅することはないのですから、それはごく当たり前に言えばワクチンが開発されて人々に行き渡る時、ということでしょう。ならばそれは筆者自身の心理ともぴたりと符合します。
筆者はワクチンが登場するまでは、好きなワインバーやレストランやパブやバールなどに行く気がしません。その気分ではありません。そして多くの人が筆者と同じ気分でいるでしょう。だから景気は簡単には回復しません。
筆者はリゾートの町の通りを急ぎ足に歩いただけで、いつもなら立ち寄る美味いワインが飲める数店のバールやエノテカ(ワインバー)をスルーしました。
対人距離を確保して設えられた店のテーブルが満席だったからではありません。「気分的に」そこに腰を落ち着けるスペースが見えなかったのです。
イタリア政府は苛烈なロックダウンによって破壊された、特に観光業を救うために早め早めに規制を緩め、国内外からの観光客を呼び込もうと躍起になってきました、だが情勢は厳しい。
イタリアのホテルは営業再開が可能になってもおよそ60%がシャッターを降ろしたままです。営業を再開した飲食店には、ガルダ湖畔のように人が集まるケースもなくはありません。
だがそうした店で遊ぶことが好きな筆者のような人間が、一度、二度三度、と足を運ぶことをためらうケースもまた多い。それらの人々の気分が蝟集して景気が動くことを思えば、やはり先行きは安泰とばかりは言えないようです。
official site:なかそね則のイタリア通信