
小型の鷹あるいは隼(ハヤブサ)らしい鳥が、初めてわが家の軒下に巣を作ったのは2019年の初夏です。
自家はイタリアのシャンパン「スプマンテ」の里として知られる北イタリアのフランチャコルタにあります。
家の周囲には有機農法で耕やされる広大なぶどう畑が連なっています。上空には多くの鳥が舞います。
ぶどうが有機栽培なので昆虫などの生き物が増え、それを狙う動物も目立つようになりました。
それらを追うらしい猛禽類も盛んに滑空します。夕刻と早朝には小型のフクロウの姿も目撃できます。
ぶどう園にはネズミなどのげっ歯類も多く生息しています。野兎さえ目撃されることがあります。
中世風の高い石壁を隔てて、ぶどう園につながっている筆者の菜園にも多くの命が湧きます。虫も雑草も思いきりはびこっています。むろん鳥類も多い。小さなトカゲもにぎやかに遊び騒ぎます。 ヘビもハリネズミもいるます。
ハリネズミは石壁の隙間や2ヵ所の腐葉土作り場、また菜園まわりに生いしげる雑草の中にまぎれ込んでいたりします。
ヘビは毒ヘビのVipera(鎖蛇)ではないことが分かっているので放っておきます。が、出遭うのはぞっとしません。筆者はへびが死ぬほど好きというタイプの人間ではありません。
どうやらそれは向こうも同じらしい。なぜなら簡単には姿を見せようとしません。
ここ数年は顔を合わせていませんが、脱皮した残りの皮が石壁や野菜の茎などにひっかかっていて、ギョッとさせられます。
ヘビは筆者と遭遇する一匹か、命をつないだ別の固体が、今日もその辺に隠れているにちがいありません。
猛禽類の隼(と呼ぶことにします)は、にぎやかな下界の様子に誘われてわが家の軒下に営巣を決め込みました。
というのは言葉の遊びですが、餌となる生き物が多く生き騒ぐから、それらの近くに巣を作ったということなのでしょう。
落ちぶれ貴族の宏大なボロ屋敷であるわが家の屋根は高い。だだっ広い屋根裏は倉庫になっていて、全体に通風孔がうがたれています。
2019年、隼は通風孔の一つに設置された照明の裏側に営巣して子育てをしました。筆者は屋根裏からそっと近づいては写真を撮っていましたが、一度母鳥に気づかれて大騒ぎになりました。
母鳥は爪を立てて恐ろしい形相で筆者に襲いかかろうとしました。だが鳩の侵入をふせぐために設えられている金網に阻まれました。隼はその金網をつかみ鬼の爆発顔で必死に筆者を威嚇しました。
それに懲りて筆者は撮影に慎重になりました。懲りたとは、母鳥が怖いというのではなく、逆に筆者が彼女を恐怖させることに懲りた、という意味です。
危険を感じて、母鳥が雛を見捨てるなどしたら筆者の責任は重大だと気をもみました。
遠くから観察して分かったのですが、母鳥は子供がごく小さいときは片時も巣を留守にしません。隼や鷹はつがいで子育てをします。父鳥が獲物を運んで母子を養います。
ことしは撮影の難しい昨年と同じ場所に巣が作られました。雛が幼い間は母鳥はずっと子供のそばにいて、どんなに息を殺して近づいても気づかれてしまいます。
母鳥は(同じ個体かどうかは分かりませんが)、2019年に筆者が不注意に巣に近づいて鬼の形相になった時とは違い、遠くの筆者に気づくと立ち上がって雛から離れ、それでも飛び去ることはできず不安げな横目でこちらを見たりします。
そのたたずまいがあまりにも切ないので、筆者はそっと体を引き息を殺して立ち去ることしかできません。
それでも母鳥がいないときは、雛を怖がらせないように細心の注意を払いつつ消音モードのスマホで写真を撮っています。
昨年はポルトガル旅行で留守にしていた間に雛は大きく育ち、帰って見ると5羽いたうちの2羽だけが残っていました。後の3羽は巣立ちしたのか死んだのか分かりません。
早く大きくなった雛は、生存をかけて兄弟雛を殺したりもすると言います。ここでもそんな命のドラマがあったのかもしれません。
そう考えると、自然の摂理とはいえ、少し胸が痛みます。
ことしも卵は5個ですが、1個だけ離れた場所に寄せられていました。親鳥はどうやってそれを抱くのだろうと訝る前に、彼らは鋭い本能で卵が死んでいるのを悟るのだと気づきました。
その卵は、4羽の雛が孵化した後もしばらく巣の脇に残されていました。それを見て筆者はふと「死児 (しじ)の齢(よわい)を数える親」という言葉を思いました。
しかし卵はいつの間にか消えていきました。親鳥が片づけたようには見えません。
雛たちが餌を前に騒いだり遊んだりしているうちに蹴落としたのでしょうか。
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