未だ「足る知る」を知らず

浮世の流れに無理に逆らえば息が詰まる。

始まったものは必ず終わる。

生まれたものはいつかは死ぬ。

無常がこの世の中の摂理である。

変わることを受け入れなければ生は地獄になる。

なぜなら変わらないと意地を張れば、足ることを知らなくなる。

足るを知らなければ生は欲望の連続に陥ってひたすら苦しくなる。

それは生きる地獄である。

流転変遷が人生の定めだ。

全てが生まれ、全てが変わる、という条理を受け入れれば生は楽になる。たのしくなる。

たのしまずとも、ともあれ苦しくはなくなるだろう。

菜園で野菜たちと戯れながら僕はよくそんなことを思う。

それはつまり未だ「足るを知る」境地を知らず、悩み葛藤している自分がいるからである。

それと同時に、老いてなお「足るを知る」ことなくもがいている人を見て、自らの先行きの反面教師にしよう、などと目論むからである。

その目論みもまた生の地獄である。

なぜなら、もがく老人を反面教師にするとは、それらの人々を見下し、憎むことにほかならない。

そして憎しみこそが地獄への誘い水の最たるものである。

 

 

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