東日本大震災10周年に際して何か書くつもりで今月のはじめあたりから構えていましたが、いざ3月11日になるとその気になれませんでした。
何を書いても大震災の巨大な悲劇の前では浅薄で実がなく、口からでまかせのような印象があります。
その気分は10周年を振り返るNHKの報道やドラマやドキュメンタリー等を見る間にいよいよ募りました。
多くの犠牲者と、いまだに避難を続ける4万人余りの被災者、そして2529人の行方不明者。行方不明者の周囲に渦巻く深い悲しみ。
それらをあらためて知らされると、下手な文章で下手な感情移入などできない、と腹から思うのです。
2011年5月、微力ながら東北の被災地を援助するために自家の庭でチャリティーコンサートを催しました。
多くの人の力でそれはうまく行きました。
コンサートが終わった直後から、次は10周年の節目にまた開催しようと決めていました。しかし、昨年からのコロナ禍で、とうていかなわない夢となりました。
コロナパンデミックは大震災の思い出さえも消しかねいほどのインパクトを世界に与えました。
あまりにも大き過ぎる不幸の記憶は、それでもむろん消えはしませんが、そこに思いを込める時間が短くなったのは否定できません。
その意味でもコロナパンデミックは、重ねて憎い現象だと繰り返し思います。
時間が過ぎて心騒ぎが少し治まったとき、思うところを書けるなら書こうと心に決めてはいます。
なぜならたとえあの大震災といえども、記憶はひたすら薄らいでいくことが確実ですから、いま書けることは書いておくべき、と考えるのです。
official site:なかそね則のイタリア通信