2020年の今日、イタリアは新型コロナの感染拡大防止のために全土のロックウンを断行しました。
薬局と食料品店を除くすべての店が閉鎖され、病気治療や食料の買出し以外の国民の外出が厳しく制限されました。
イタリアは、そのほぼ20日前の2月21日から23日にかけて、クラスター絡みの感染爆発に見舞われました。
感染者と死者が激増する中で医療崩壊が起こり、北部の感染爆心地では、軍のトラックが埋葬しきれない遺体を満載して列を成して進みました。
その凄惨な映像は世界を震撼させました。
ロックダウンはイタリアの前に中国の武漢でも行われました。だがそれは国民を思いのままに生かし、殺すことができる独裁国家での出来事。
民主主義国家イタリアにとっての十全の参考にはなりませんでした。
国民の自由を奪うロックダウンは憲法違反、という強い批判もある中、イタリア政府は民主主義国では不可能とも考えられたほぼ完全な都市封鎖を決行しました。
当時のジュゼッペ・コンテ首相は「明日、強く抱きしめ合えるように今日は離れていましょう。明日、もっと速く走れるように今日は動かずにいましょう」という名文句を添えて国民に忍耐と団結と分別ある行動を要請しました。
見習うべき手本のない状況の下、死臭を強烈に撒き散らすコロナの恐怖におののいていたイタリア国民にとっては、他に選択肢はありませんでした。彼らは政府の強硬な施策を受け入れました。
国と法と規則に従うことが大嫌いなイタリア国民が、ロックダウン中は最大96%もの割合いで政策を支持しました。
そこにはコンテ首相の熱い誠実とそれを国民に伝える卓越したコミュニケーション力がありました。
イタリアの先例はその後、次々に感染爆発に見舞われたスペイン、フランス、イギリス、アメリカなどの規範となりました。
それらの国を介して規範はさらに拡大し世界中が恩恵にあずかりました。
当のイタリアは、過酷ですばやいロックダウン策が功を奏して、5月以降は感染拡大に歯止めがかかりました。
しかし夏のバカンスが終わるころには、前述の国々を追いかける形で、感染拡大第2波に呑み込まれて行きました、
ロックダウンからちょうど1周年の今日、イタリアは再び全土ロックダウンを敢行するか否かの瀬戸際に立たされています。
コロナウイルスの変異種による感染拡大が激しくなっているのです。
3週間の全面封鎖を要求する声もあります。しかし、今のところは週末だけをロックダウンし、状況によってオンとオフを繰り返す方式が有力視されています。
それは昨年末から年始にかけても取られた方策です。
ロックダウンが始まった昨年のこの時期には、庭のモクレンの花が7分咲きほどになっていました。
ことしは去年より寒く、開花が遅れました。それでも蕾がほころび出しています。
コロナは花を枯らすことはできない。
季節を止めることもできない。
人の歩みを止めることも実はできない。
人は勇気を持ってコロナに対峙しワクチンを開発してそれを克服しようとしています。
おそらく筆者は来年の庭のモクレンの開花を、マスクを付けずに、春の空気を思い切り吸いつつ眺めていることでしょう。
そう切に願っています。
official site:なかそね則のイタリア通信