エリザベス女王の平凡な、だが只ならぬ孤独

エディンバラ公爵フィリップ殿下の死去に伴う英王室関係の記事を追いかけていて最も印象的だったのは、教会の席に黒い小さな塊となって丸まり、頭をたれている老女王の姿でした。

73年間も連れ添った伴侶をなくして悲しみにくれるエリザベス女王は、落ちぶれたとはいえ強大な権威に包まれ人々の畏怖を集める、大英帝国の君主ではなく、どこにでもいる孤独な老女に過ぎませんでした。

加えて、大英帝国あるいはイギリス連邦の君主のイメージと、小さな黒い塊との間の途方もない落差が、彼女をさらに卑小に無力に見せて哀れを誘いました。

丸まって黒くうずくまっている94歳の女王はおそらく、夫の棺を見つめながら自らの死についても思いを巡らしていたのではないか。

彼女が自らの死を予感しているという意味ではありません。

生ある限り人は死を予感することはできません。生ある者は、生を目いっぱい生きることのみにかまけていて、死を忘れているからです。それが生の本質です。

生きている人は死の「可能性」について思いを巡らすことができるだけです。そして思いを巡らすところには死は決してやって来ません。死はそれを忘れたころに突然にやって来るのです。

夫の死に立会いつつ自らの死の影も見つめているように見える老いた女性は、ひ孫世代までいる大家族の中心的存在です。彼女の職業はたまたま「英国女王」という存在感の大きな重いものです。

女王という職業、あるいは肩書きのイメージ的には、背筋を伸ばし傲然と座っていてもおかしくない人物が、背中を丸め小さく固まっている姿はいたいけで憐れでした。そこに世界の同情が集まったのは疑いありません。

夫の棺をやや下に見おろす教会の席で、コロナ感染予防の意味合いからひとり孤独に座っている女王の姿には、悲しみに加えて、自らの人生の終焉を直視している者の凄みも感じられて筆者はひどく撃たれました。

英国王室の存在意義の一つは、それが観光の目玉だから、という正鵠を射た説があります。世界の注目を集め、実際に世界中から観光客を呼び込むほどの魅力を持つ英王室は、いわばイギリスのディズニーランドです。

おとぎの国には女王を含めて多くの人気キャラクターがいて、そこで起こる出来事は世界のトピックになります。むろんメンバーの死も例外ではありません。エディンバラ公フィリップ殿下の死がそうであるように。

現在の英王室の最大のスターである女王は、妻であり母であり祖母であり曾祖母です。彼女は4人の子供のうち3人が離婚する悲しみを経験し、元嫁のダイアナ妃の壮絶な死に目にも遭いました。ごく最近では孫のハリー王子の妻、メーガン妃の王室批判にもさらされました。

英王室は明と暗の錯綜したさまざまな話題を提供して、イギリスのみならず世界の関心をひきつけます。朗報やスキャンダルの主役はほとんどの場合若い王室メンバーとその周辺の人々です。だが醜聞の骨を拾うのはほぼ決まって女王です。

そして彼女はおおむね常にうまく責任を果たします。時には毎年末のクリスマス演説で一年の全ての不始末をチャラにしてしまう芸当も見せます。たとえば1992年の有名なAnnus horribilis(恐ろしい一年)演説がその典型です。

92年には女王の住居ウインザー城の火事のほかに、次男のアンドルー王子が妻と別居。娘のアン王女が離婚。ダイアナ妃による夫チャールズ皇太子の不倫暴露本の出版。嫁のサラ・ファーガソンのトップレス写真流出。また年末にはチャールズ皇太子とダイアナ妃の別居も明らかになりました。

女王はそれらの醜聞や不幸話を「Annus horribilis」、と知る人ぞ知るラテン語に乗せてエレガントに語り、それは一般に拡散して人々が全てを水に流す素地を作りました。女王はそうやって見事に危機を乗り越えました。

女王は政治言語や帝王学に基づく原理原則の所為に長けていて、先に触れたように沈黙にも近いわずかな言葉で語り、説明し、遠まわしに許しを請うなどして、危機を回避してきました。英王室の人気の秘密のひとつです。

危機を脱する彼女の手法はいつも直截で且つ巧妙です。英王室が存続するのに必要な国民の支持を取り付け続けられたのは、女王の卓越した政治手腕に拠るところが大きい。

女王の潔癖と誠実な人柄は―個人的な感想ですが―明仁上皇を彷彿とさせます。女王と平成の明仁天皇は、それぞれが国民に慕われる「人格」を有することによって愛され、信頼され、結果うまく統治しました。

両国の次代の統治者がそうなるかどうかは、彼らの「人格」とその顕現のたたずまい次第であるのはいうまでもありません。

喪服と帽子とマスクで黒一色に身を固めて、小さな影のようにうずくまっているエリザベス女王の姿を見ながら、筆者はとりとめもなく思いを巡らしていました。

facebook:masanorinakasone

official siteなかそね則のイタリア通信

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください