ザ女優・ロロブリジーダの寂寥

2023年1月16日、イタリア人女優のジーナ・ロッロブリジダが95歳で亡くなりました。

ちょうど同じ日にマフィアの最後の大ボスとも呼ばれるマッテオ・メッシーナ・デナーロが、30年の逃亡生活を経て逮捕されました。

翌日、イタリアきっての高級紙「Corriere Della Sera」は二つの出来事を一面トップに並べて報道しました。

他の紙面も、テレビほかのメデァイアの扱いもほとんど同じでした。

筆者はロッロブリジダと実際に会ったこともありながら、面識などあるはずもないメッシナ・デナーロの逮捕劇を優先して記事に書き、発言し、女優の死については後回しにしてきました。

イタリアでは大女優として扱われるロッロブリジダですが、筆者の中ではあまりそういう印象がありっませんでした。彼女が出演した映画もいくつかは観ているはずですが、記憶が薄い。

女優とは一度テレビのインタビューの仕事をしました。

当時彼女は60歳代半ばあたりの年齢だったと思います。女優業は既に休止して写真家として活動していました。

スタジオインタビューの際、彼女は照明の一つ一つに注文をつけました。われわれスタッフに指図をして彼女の好みの位置に照明を移動しろ、というのです。

映像は光の芸術とも呼ばれます。照明は絵作りの命のひとつです。

撮影現場で照明を担当する責任者が「撮影監督(Director of Photography)」と作品そのものの監督以外で唯一“監督“の名をつけて呼ばれるのも、その仕事が極めて重要なものだからです。

ロッロブリジダは女優業を休んで写真家として活動していたこともあり、照明にこだわったのかもしれません。だが、撮影対象の彼女が、撮影のプロのわれわれに照明の指図をするのはあまり歓迎はされません。

しかし、それはスタジオでの単純なインタビューであり、照明はできるだけフラットに鮮明にするだけのもので、陰影や深みや色調その他を考慮して映像を詩的に美しく作り上げようとする類のものではありませんでした。

だからわれわれはあまり怒ることもなくロッロブリジダの主張を受け入れました。

彼女の注文は、初老の女優が、肌や容貌の衰えをなんとか胡麻化したい一心で出しているもの、と筆者の目には映りました。

当時、女優の半分程度の年齢だった筆者は内心で苦笑しました。隠しきれない老いを隠そうとする彼女の姑息を、少し軽蔑する思い上がりも若かった筆者の中にはあるいはあったかもしれません。

今、当時の女優とほぼ同じ年齢になって彼女の訃報に接したとき、筆者は照明に注文をつけた女優の心理を「日々是好日」という禅語にからめて感慨深く思い出しました。

筆者は学生時代に初めてその言葉を知ったとき、「毎日が晴れた良い天気だ」と勝手に理解し、これは愚かな衆生に向かって「たとえ雨が降っても風が吹いても晴れた良い天気と思い(こみ)なさい。そうすれば仏の慈悲によって救われる」という教えだと勘違いしました。

そこにはまやかしと偽善の東洋的思想、日本的ものの見方が集約されていると大いに僻見し、禅哲学なるものを嫌いました。

だがずっと後になって気づいた日々是好日という言葉の真意とは、どんな天気であってもそれ自体が素晴らしい時間だ、ということです。

つまり雨の日は雨の日の、風の日は風の日の面白さがある。あるがままの姿の中に趣があり、美しさがあり、楽しさがある。だからそれを喜びなさい、という意味です。

ジーナ・ロッロブリジダはインタビューされたとき、老いを受け止めて日々是好日と達観できず、若かりし頃の筆者の間違った解釈と同じように、悪い天気も良い天気と思い込みたがっていました。

老いから目をそらして、自分はまだ若く美しいと信じたがっていました。

その思い込みは老醜を安らげるどころか加速させるだけです。筆者が当時、照明にこだわる彼女に覚えた違和感もそこに根ざしていました。

彼女はその後、老いを受け入れて安らかに生きることができたのだろうか、と筆者は女優の訃報を悲哀感とともにかみしめました。

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