「フェルーカ」挽歌

フェルーカ船

イタリア、シチリア島にちょうど今ごろの季節にはじまる「フェルーカ」と呼ばれる伝統的な漁があります。マグロやカジキを銛で突いて取るいわゆる”突きん棒”です。筆者はかつてこの漁の模様を描いてNHKスペシャルのドキュメンタリー番組を作ったことがあります。

”突きん棒”は世界中のどこにでもある漁法です。もちろん日本にもあります。海面すれすれに浮遊している魚を銛で一突きにする原始的な漁ですから、大昔に世界中の海で同時発生的に考案されたものなのでしょう。
  
シチリア島の”突きん棒”は、古代ローマ帝国時代以前から存在した記録が残っています。この素朴な漁の伝統は以来、船や漁具に時代に沿った変化はあったものの、シチリア島の漁師たちによって、古代の息吹をかたくなに守る形がえんえんと受け継がれてきました。

「フェルーカ」とは、漁に使われる漁船の名前です。総屯数二十トン程のふつうの漁船を改造して、高さ三十五メートルの鉄製のやぐらと、伸縮自在で長さが最大五十メートルにもなる同じく鉄製のブリッジを船首に取りつけた船。

フェルーカ船のやぐらとブリッジは、互いに均衡を保つように前者を支柱にして何十本ものワイヤーで結ばれて補強され、めったなことでは転ぷくしないような構造になっています。
  
しかし船体よりもはるかに長い船首のブリッジと、天を突くようにそびえているやぐらは、航行中も停船時も波風でぐらぐらと揺れつづけていて、見る者を不安にします。
 
やぐらは遠くの獲物をいちはやく見つけるための見張り台です。てっぺんには畳半畳分にも満たない広さの立ち台があって、常時3人から4人の漁師が海面に目をこらして獲物の姿を追います。船首の先に伸びているブリッジは、銛打ち用のものです。

銛の射手は、それを高く構えてブリッジの先端に立ちつくして、獲物が彼の足下に見えた瞬間に打ち込みます。つまり彼は、本来の船首が魚に到達するはるか手前で銛をそれに突き立てることができるのです。

逃げ足の速い獲物に少しでも近く、素早く、しかも静かに近づこうとする、漁師たちの経験と知恵の結晶がやぐらとブリッジ。やぐら上の見張りとブリッジ先端の銛手のあうんの呼吸が漁の華です。

筆者はこの不思議な船と漁を題材にドキュメンタリーを作ると決めた後、情報集めなどのリサーチを徹底するかたわら、何度もシチリア島に足をはこんで、漁師らに会い船に乗せてもらったりしながら準備をすすめました。
 
これで行ける、と感じて企画書を書いてNHKに提出し、OKが出ました。そこまでに既に6年以上が過ぎていました。短く、かつ忙しい報道番組のロケや制作を続けながらの準備ですから、筆者の場合それぐらいの時間は普通にかかるのです。

番組の最大の売りは何と言ってもマグロ漁にありました。大きい物は400キロを越え、時には500キロにもなんなんとする本マグロを発見して船を寄せ、大揺れのブリッジをものともせずに射手が銛を打ち込む。

激痛で憤怒の塊と化した巨大魚が深海をめがけて疾駆します。船ごと海中に引きずり込みそうな暴力が炸裂して、銛綱の束が弾けるようにするすると海中に呑み込まれます。すると綱で固着された浮き代わりのドラム缶数本が、ピンポン玉よろしく中空を乱舞し海面にたたきつけられます。

マグロは銛を体に突き通されたまま必死に逃げます。獲物の強力な引きと習性を知り尽くした男たちが死にものぐるいで暴力に対抗し、絶妙な綱引きの技でじわじわと巨大魚を追い詰めて取り込んで行く・・・・。
 
筆者がフェルーカ漁に魅せられて通ったそれまでの6年間に、幾度となく体験した勇壮なシーンを一つ一つ映像に刻み込めば、黙っていてもそれは面白い作品になるはずでした。ところがロケ中に獲れるのはカジキだけでした。肝心の本マグロがまったく獲れないのです。

フェルーカ漁は毎年4月頃から準備が始まり5月に幕を開けます。そしてイタリア半島とシチリア島の間にあるメッシーナ海峡とエオリア諸島近海を舞台に8月まで続きます。
 
準備の模様から撮影を始め、次に海上での漁に移りました。1ト月が経ち、2タ月が経ち・・・やがて漁の最盛期である7月に入りました。ところがマグロが暴れる場面は一向に出現しません。狐につままれたような気分でした。

しかしそれは海や山などを相手にする自然物のドキュメンタリーではありふれた光景です。魚や野生動物が相手ですから、不漁続きで思ったような絵が撮れない、という事態がひんぱんに起こるのです。

筆者はロケ期間を延長し、編集作業のためにどうしても自分が船に乗れない場合には、カメラマン以下のスタッフを張り付けて漁を追いつづけました。ロケ期間はそうやって最終的には5ヶ月近くにもなりました。
 
しかし最後まで一匹のマグロも獲れずにとうとうその年のフェルーカ漁は終わってしまいました。

筆者は仕方なくカジキ漁を話の中心にすえて編集をして、一応作品を完成しました。それは予定通り全国放映されましたが、反響は「予想通り」いまいち、という感じで終わりました。

フェルーカ漁とそれにまつわる人々のドラマは、ある程度うまく描かれているにもかかわらず、どこかインパクトに欠けて物足りないものがある、というのが人々の一致した印象であり意見でした。

筆者はそうなった理由を誰よりも良く分かっていましたが、もちろん一言も弁解をするわけにはいきませんでした。たとえ何が起ころうと番組作りの世界では結果が全てです。

ロケ中の障害のために結果が出なかったならば、それはひとえにディレクターである筆者の力量が足りなかったからです。あらゆる障害を克服して結果を出すのが監督の仕事なのです。

そんなわけで筆者は自らの無力をかみしめながら、忸怩たる思いでその仕事を切り上げなければなりませんでした。

年ごとに先細りになっていくフェルーカ漁は、漁そのものの存続があやぶまれる程に漁獲量が落ちこんでいます。漁獲量がほぼゼロの年もあります。

観光客を乗船させ漁を体験してもらうことで収入を得て、ようやく漁船の維持費を稼ぐことも珍しくありません。

それでも漁師たちはあきらめず、何とかして漁の伝統を次の世代に受け渡そうと必死になっています。しかし先行きは暗い。それでもなお彼らは海に出ます。今日も。明日も。

勇壮で厳しく、同時にそこはかとなく哀感のただようフェルーカ漁のその後を、もう一度カメラで追ってみたい、と筆者はロケ以来つづいている漁師たちとの友情を大切にしながら考えることも一再ではありません。

 

 

 

 

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