明るい兆し
イタリアのコロナワクチン接種計画が軌道に乗りつつあります。
EU(欧州連合)のワクチン療治スキームはことしに入ってから挫折しっぱなしでした。EU加盟国のイタリアもむろん例外ではありません。
構想が崩れたのは、ワクチン製造会社の供給の遅れでした。特にアストラゼネカが大きく停滞。それは同社がイギリスへの配分だけをこっそり拡大したから、という疑惑さえ生まれました。
しかしアストラゼネカ社以外からの供給が3月半ば頃から徐々に増えて、EUのワクチン政策は当初の計画に少しづつ追いつきました。イタリアの状況もそれに連れて改善しました。
5月6日時点でのイタリアのワクチン接種は一回接種が15.640.473回。総人口のおよそ26,22%。2回接種済みの者は6.826.350人です。
イタリア政府は4月26日、全土にわたるロックダウンを徐々に解除していくと決めました。観光・飲食店業界などが、これ以上の休業には耐えられない、と激しく政府を突き上げました。
それが思い切った緩和策の導入をもたらしました。だが、その大きな規制緩和策の裏には、ワクチン接種環境が改善しつつある、という政府の自負もあります。
懸念
政策転換は危険な賭けです。なぜならイタリアのワクチン接種は、たとえばイギリスやアメリカなどに比べるとはるかに数が少ない。拙速な規制緩和は強いリバウンドを呼ぶリスクがあります。
それとは別に、イタリアにはワクチン接種に絡むもうひとつの懸念もあります。強い反ワクチン勢力の存在です。それが「“No Vax(ノー・ヴァクス)” 」です。
No Vaxはイタリアの左右のポピュリスト政党、五つ星運動と同盟の主導で勢力を拡大しました。きっかけは2017年、イタリア政府が全ての子供に10種類のワクチンを接種する義務を課そうとしたことによります。
過激集団No Vaxはワクチンの「危険と不自然性」を叫んで政府に噛み付きました。そこに「反体制」を標榜する両党が飛びついて運動の火に油を注ぎました。火はたちまち燃え盛りました。
2018年の総選挙では、五つ星運動と同盟が躍進して両党による連立政権が発足。NoVaxはさらに隆盛しワクチン反対運動は激化の一途をたどりました。
そこに新型コロナが出現しました。NoVaxはそれまでの主張を踏襲拡大して、新型コロナウイルス・ワクチンにも断固反対と叫び始めました。
いきさつ
ワクチンの効能に疑問を持ち、且つ安全性に不安を持つ人々は、世界中で増え続けています。きっかけは20年以上前に遡ります。
イギリスの医師、アンドリュー・ウェイクフィールドが、はしかの予防接種は自閉症を引き起こす、というセンセーショナルな論文を発表しました。これが反ワクチン派の人々を狂喜させました。
論文はその後ねつ造だったことが分かり、彼は医師免許を剥奪されました。しかし、道理を全く認めようとしない反ワクチン過激派の人々には、そんな真実など存在しないにも等しいものです。
彼らはその後もワクチンの危険と欺瞞を「盲信」し続けました。イタリアのNoVaxはその流れをくむ運動です。それはほぼ彼らの宗教ですから、科学の言葉は通じません。
各国のグループをまとめる国際的な反ワクチン組織は、狂信的で声が大きいNoVaxが引っ張るイタリアの反ワクチン活動を、「抵抗のシンボル」とさえ見なしています。
しかし、そうはいうものの、ここ最近のイタリアの状況は少し静かになっています。
国論
コロナワクチンに猛然と異議を唱えているのは、極く少数の過激な人々です。それを裏付けるように、イタリアでワクチン接種が始まってからは、実力行使にまで及ぶ極端な動きは少ない。
仲間同士でつるんで気勢を上げる以外には、接種会場に火炎瓶を投げつけたり、高齢者を煽動して集団で接種を拒否させたりという動きがニュースになったぐらいです。
またイスラエルや米英など、“ワクチン接種先進国”における成功が刺激となって、やはり予防接種は重要だという気運が全国的に高まりつつあるのも確かです。
それでも過去のイタリアのありさまを思うと不安は大きい。
元々存在する嫌ワクチン気分に加えて、イタリアの良く言えば多様性に富む国の様態、悪く言えば分裂気質の国民性が、国を挙げてのワクチン接種キャンペーンに影を落としています。
英独仏などの欧州先進国とは違って、イタリアは同じ先進国ながら統一した民意が形成されにくい。だからこそイタリア政府は事あるごとに「イタリア全国民こぞって~」という類のキャンペーンを張りたがります。
それは多様性ゆえに四分五裂する世論をまとめるための、イタリア政府の懸命の努力のあらわれなのです。
だがイタリアは、英独仏や北欧各国に比べて合理性への信仰心が薄い。そこが同じカトリック教国であるフランスとも違う、イタリアの弱点であり面白さです。
フランスも反ワクチン勢力の強い国ですが、最終的には合理的思考が勝って、イタリアとは対照的にワクチン接種賛成論が世論を席巻する可能性が高いと考えられます。
集団免疫
イタリアはそうはならないかもしれません。いま現在の正確な統計はありませんが、昨年末あたりの統計では、ワクチン接種に積極的なイタリア人は60%あまりというものもありました。
その60%あまりの人々が、ワクチン接種状況を良い方向に引っ張っているとするなら、やがてそれは行き詰まってしまうかもしれない。そうなるとイタリア政府が目指す「集団免疫」の獲得が頓挫する可能性もあります。
「集団免疫」は運が良ければ、国民全体のワクチン接種率70%程度で達成できるともされます。だが一般的には80%程度が目安で、数字が高ければ高いほど確率が高くなります。
既述のように今日現在の明確な統計はありませんが、筆者が友人知己その他を含む独自のネットワークで調べた限りでは、80%の接種率に至るのはかなり厳しいように感じます。
積極的にワクチン接種に反対、とまでは言わなくても、喜び勇んで接種会場に足を運ぶ気にはなれない、という者も多いのです。
NoVaxを筆頭にしたワクチン懐疑派の喧伝と、血栓などの健康被害が発見されたアストラゼネカ・ワクチンの出だしでのつまずき等が、大きく影響しているようです。
統計の数字にこだわるわけではありませんが、イタリアのワクチン戦略は接種率が60%に近づいたあたりで停滞し、その後は何らかの措置が取られない限り「集団免疫」の完成には至らない可能性があります。
そうなった場合イタリア政府は、一般的には懐疑論が強い「ワクチン接種の義務化」を模索するかもしれません。イタリアは先日、欧州で初めて医療従事者のワクチン接種を義務化した国でもあります。
多様性と自由を尊重するところがイタリア共和国の最大の美点ですが、それは行き過ぎてカオスを呼び込むことも多い。そしてカオスが制御不能に陥ると、伝家の宝刀「強制施行策」が抜かれます。ワクチン接種もそうなる可能性があるように思います。
切捨てではなく説得が解決策
NoVaxを筆頭にするワクチン懐疑派の人々は、彼らなりの考えで自分自身と愛する人々の健康を守ろうとしています。
問題は彼らが間違った情報や嘘に惑わされていることです。
ワクチンはフェイクニュースや思い込みに縛られている人々自身を救います。同時に彼らが所属する社会は、コロナ禍から脱出するために「集団免疫」が必要です。
それはワクチン懐疑派を含む社会の大多数がワクチン接種を受けたときに達成されます。ワクチン懐疑派の人々を切り捨てれば、ワクチンの社会的な効果は半減しかねません。
従って彼らは正しい情報と科学の言葉によって説得されるべきです。決して切り捨てられるべき存在ではありません。彼らを納得させるのが政治の仕事です。
いうまでもなくコロナパンデミックは、反ワクチン派の人々が主張するように、自然のままに蔓延させることで「自然に」集団免疫ができ「自然に」終息する、という考え方もあります。
しかし、そこに至るまでに一体何人の人が死に、医療崩壊を含むどれだけの社会の混乱と不都合と不利益があるかを考えた場合、やはりワクチンによって終息を図ることが重要です。
また、ウイルスが絶え間なく変異する怖い存在であることを考えても、できるだけ迅速に宿主を減らして、ウイルスの活動を封じ込むべきです。
official site:なかそね則のイタリア通信