筆者のSNS記事を読んだ方から「イタリア在なのによく演歌を聴いたり歌ったりしているんですね」という便りが届きました。最近ファドにからめて演歌に言及することが多かったせいです。
「記事にも書いたとおり演歌はそれほど聴きません。ほぼ全てNHKの歌番組で聞き、目にしたシーンです。またイタリアでは歌は唄いません。帰国する際に時たま行き合うカラオケの場で唄うだけです」と筆者は正直に答えました。
すると「それではタリアでお聞きになる音楽は何ですか」と問われました。そこでこれまた正直に「そうですね、クラシックが多いですね」と答えると、がっかりしたような「あ、そうなんですね」という返信が来て、それっきりになりました。
質問された方は演歌ファンなんだろうな、とこちらは推測しています。
クラシック音楽を聞くことが多いのは事実ですが、筆者はそれを「積極的に」聴きに行くのではありません。ここイタリアの筆者の生活の中でより多く耳にし、また「聞かされる」音楽がクラシックなのです。
そして筆者はクラシック音楽が演歌程度に好きであり、演歌程度に無関心です。あるいはクラシック音楽が結構周りにあふれているので、時々うるさく感じることがないでもない、というふうです。
筆者の周囲にはクラシックのコンサートやライブやリサイタルが多い。それは古い貴族家である妻の実家から漏れ出る趣味、あるいは文化の流れの一端です。
妻の実家の伯爵家は、歴史的に音楽を含む多くの芸術にかかわってきました。プッチーニの後援者としても知られています。そこに知る人ぞ知るエピソードがあります。
プッチーニの「蝶々夫人」はミラノのスカラ座の初演で大ブーイングを受けました。挫折感に打ちのめされていた彼に、伯爵家の人々は手直しをしてブレッシャの大劇場(Teatro Grande)で再演するよう強く後押ししました。
伯爵家の当主のフェデリコ伯は当時、ブレシャの市長であり、大劇場の制作管理委員会(Deputazione)の重要メンバーでもありました。
プッチーニはもう2度とオペラは書かないと周囲に宣言するほどの失意の底にありましたが、鼓舞されて作品を修正しブレッシャの大劇場に掛けました。それは成功し歓喜の喝采に包まれました。
そうやってわれわれがいま知る名作「蝶々夫人」が誕生し、確定されました。
プッチーニは感謝の手紙を伯爵家に送りました。だがその直筆の書簡は、研究者が借り受けたまま行方知れずになってしまいました。24、5年前の話です。
筆者はその歴史的なエピソードをドキュメンタリーにしたく、手紙の行方を追っていますが2024年現在、文書はまだ見つかっていません。
音楽好きの伯爵家の伝統に加えて、あらゆる方面からの慈善コンサートの誘いもわれわれの元には来ます。妻自身が主催者としてかかわるチャリティコンサートなどもあります。
いうまでもなく筆者はそれらの音楽会と無縁ではいられません。妻と連れ立って音楽会に顔を出したり、チャリティコンサートの手伝いなどもします。
クラシックの多くの傑作のうち、誰でも知っているような楽曲は筆者も少しは知っていて、とても好きです。だがそれだけのことです。
学生時代に夢中になったロックやフォークやジャズやシャンソンなどのように、筆者自身が「積極的に」聴こうとすることはあまりありません。
つまり筆者とクラシックの関係は、筆者と演歌の関係とほぼ同じです。いや、それどころか全てのジャンルの音楽と筆者は同じ関係にあります。
だが、クラシック音楽だけは、他のジャンルのそれとは違い筆者の周りに満ち満ちていて、時には「無理やり聞かされる」こともある、という状況です。
むろん無理やりではない場合も少なくありません。特に夏になると、休暇を兼ねて滞在する北イタリアのガルダ湖畔で開催される音楽会に接する機会が増えます。
つい先日も、有名ピアニスト、サンドロ=イヴォ・バルトリのコンサートに招待されて顔を出しました。
小劇場でバルトリのピアノに合わせて歌うソプラノの素晴らしさに驚かされました。その歌手は、なんと日本人の岡田昌子さんでした。
音楽会直前に出演者の変更があり、パンフレットには彼女の紹介がありませんでした。そのためわれわれは開演まで岡田さんの出演を知らなかったのです。
相手のテノールを圧倒する岡田さんの伸びのある歌声に会場中が興奮しました。
クラシックの音楽会では、時にそんな美しい体験もします。
残念ながら演歌の場合は、歌手と近づきになるどころかライブで歌を聴く機会さえありません。
official site:なかそね則のイタリア通信