また負けたイングランド、なぜだ?
W杯準々決勝でフランスに敗れたイングランド地元は喪に服したように暗い、とイギリス人の友人から連絡がありました。
それはジョーク交じりの彼の落胆の表明でしたが、筆者はその前にBBCの次の表現を見てくすくす笑う気分でいましたので、彼のコメントを聞いて今度は本気で大笑しました。
BBCはこう嘆いています:
why England cannot force their way past elite opposition at major tournaments
~イングランドはなぜ大きな国際大会で強豪国を打ち破ることができないんだろう。。~と。
筆者はロンドンに足掛け5年住んだ経験があります。そこではたまにプレミアリーグの試合も観戦しました。その後はプロのテレビ屋として、イタリアサッカーとそこにからまる多くの情勢も取材しました。
サッカーは同時に筆者の最も好きなスポーツです。少年時代には実際にプレーもしました。筆者は当時「ベンチのマラドーナ」と呼ばれて相手チームの少年たちを震え上がらせる存在でした。
時は過ぎて、日本、英国、アメリカ、そしてここイタリアとプータロー暮らしを続けながらも、筆者は常に世界のプロサッカーに魅了されてきました。
その経験から筆者は-むろん自身の独断と偏見によるものですが-なぜイングランドサッカーが大舞台で勝てないのかの理由を知っています。
ここから先の内容は過去にもそこかしこに書いたものですが、筆者の主張のほとんどが網羅されていますので、W杯が進行していることも考慮しつつ再び記しておくことにしました。
イングランドのサッカーは、直線的で力が強くて速くてさわやかでスポーツマンシップにあふれています 。
同時にそこにはアマチュアのフェアプレイ至上主義、あるいは体育会系のド根性精神みたいなものの残滓が漂っていて、筆者は少し引いてしまいます。
言葉を変えれば、身体能力重視のイングランドサッカーは退屈と感じます 。筆者はサッカーを、スポーツというよりもゲームや遊びと捉える考え方に共感を覚えるのです。
サッカーの文明化
サッカーがイングランドに生まれたばかりで、ラグビーとの区別さえ曖昧だったころは、身体能力の高い男たちがほぼ暴力を行使してボールを奪い合いゴールに叩き込む、というのがゲームの真髄でした。
イングランド(英国)サッカーは、実はその原始的スポーツ精神の呪縛から今も抜け出せずにいます。
彼らはその後に世界で生まれたサッカーのさまざまな戦術やフォーメーションを、常に密かに見下してきました。
サッカーにはかつてさまざまなトレンドがありました。イングランド発祥の原始人サッカーに初めて加えられた文明が、例えばWMフォーメーションです。
その後サッカー戦術の改良は進み、時間経過に沿って大まかに言えばトータルフットボール、マンマーク (マンツーマン)、ゾーンディフェンス、4-2-2フォーメーションとその多くの発展系が生まれます。
あるいはイタリア生まれのカテナッチョ(鉄壁のディフェンス)、オフサイド・トラップ、カウンターアタック(反転攻勢)、そしてスペインが完成させて今この時代には敗れ去ったと考えられている、ポゼッション等々です。
《子供の夢》
イングランドのサッカーは子供のゲームに似ています。
サッカーのプレイテクニックが稚拙な子供たちは、試合では一刻も早くゴールを目指したいと焦ります。
そこで七面倒くさいパスを避けてボールを長く高く飛ばして、敵の頭上を越え一気に相手ゴール前まで運びたがります。
そして全員がわーっとばかりに群がってボールを追いかけ、ゴールに蹴りこむために大騒ぎをします。
そこには相手陣営の守備の選手も参加して、騒ぎはますます大きくなります。
混乱の中でゴールが生まれたり、相手に跳ね返されてボールが遠くに飛んだり、自陣のゴール近くにまで蹴り返されたりもします。
するとまた子供たちが一斉にそのボールの周りに群がる、ということが繰り返されます。
相手の頭上を飛ぶ高く速いボールを送って、一気に敵陣に攻め込んで戦うというイングランド得意の戦法は、子供の稚拙なプレーを想起させます。
イングランドの手法はもちろん目覚しいものです。選手たちは高度なテクニックと優れた身体能力を活かして敵を脅かします。
そして往々にして見事にゴールを奪う。子供の遊びとは比ぶべくもありません。
子供たちが長い高い送球をするのは、サッカーの王道である低いパスをすばやくつないで敵を攻めるテクニックがないからです。
パスをするには正確なキック力と広い視野と高度なボール操作術が必要です。
またパスを受けるには、トラップと称されるボール制御法と、素早く状況を見渡して今度は自分がパスをする体勢に入る、などの高いテクニックがなくてはなりません。
その過程で独創と発明と瞬発力が重なったアクションが生まれます。
優れたプレーヤーが、敵はもちろん味方や観衆の意表を衝くパスや動きやキックを披露して、拍手喝采をあびるのもそこです。
そのすばらしいプレーが功を奏してゴールが生まれれば、球場の興奮は最高潮に達します。
《スポーツオンリーの競技》
イングランドのプレーヤーたちももちろんそういう動きをします。テクニックも確立しています。
だが彼らがもっとも得意とするのは、直線的な印象を与える長い高いパスと、それを補足し我が物にしてドリブル、あるいは再びパスを出して、ゴールになだれ込む戦法です。
そこではアスリート然とした、速くて強くてしかも均整の取れた身体能力が要求されます。
そしてイングランドの選手は誰もがそんな印象を与える動きをします。
他国の選手も皆プロですから、むろん身体能力が普通以上に高い者ばかりです。だが彼らの場合にはイングランドの選手ほどは目立ちません。
彼らが重視しているのがもっと別の能力だからです。
つまりボール保持とパスのテクニック、回転の速い頭脳、またピッチを席巻する狡猾なアクション等が彼らの興味の対象です。
言葉を変えれば、低い短い正確なパスを多くつないで相手のスキを衝き、だまし、フェイントをかけ、敵を切り崩しては出し抜きつつじわじわと攻め込んで、ついにはゴールを奪う、という展開です。
そこに優れたプレーヤーによるファンタジー溢れるパフォーマンスが生まれれば、観衆はそれに酔いしれ熱狂します。
子供たちにとっては、サッカーの試合は遊びであると同時に身体を鍛えるスポーツです。
ところがイングランドのサッカーは、遊びの要素が失われてスポーツの側面だけが強調されています。
だからプレーは速く、強く、きびきびして壮快感があります。だが、どうしても、どこか窮屈でつまらない。
子供のころ筆者も楽しんだサッカーの手法が、ハイレベルなパフォーマンスとなって展開されるのですが、ただそれだけのことで、発見や発見がもたらす高揚感がないのです。
《高速回転の知的遊戯》
サッカーのゲームの見所は、短く素早く且つ正確なパスワークで相手を攻め込んで行く途中に生まれる意外性です。意表を衝くプレーにわれわれは魅了されます。
準々決勝におけるフランスの展開には、いわばラテン系特有の多くの意外性があり、おどろきがありました。それを楽しさと言い換えることもできます。
運動量豊富なイングランドの戦法また展開も、それが好きな人には楽しいものだったに違いありません。
だが彼らの戦い方は「またしても」勝利を呼び込むことはありませんでした。
高く長く上がったボールを追いかけ、捉え、再び蹴るという単純な作業は予見可能な戦術です。
そしてサッカーは、予測を裏切り意表を衝くプレーをする者が必ず勝ちます。
それは言葉を変えれば、高度に知的で文明的でしかも高速度の肉体の躍動が勝つ、ということです。
ところがイングランドの身体能力一辺倒のサッカーには、肉体の躍動はありますが、いわば知恵者の狡猾さが欠けています。だからプレーの内容が原始的にさえ見えてしまいます。
イングランドは彼らの「スポーツサッカー」が、スペイン、フランス、イタリア、ドイツ、ブラジル、アルゼンチンなどの「ゲーム&遊戯サッカー」を凌駕する、と信じて疑いません。
でも、イングランドにはそれらの国々に勝つ気配が一向にない。1996年のワールドカップを制して以来、ほぼ常に負けっぱなしです。
イングランドは「夢よもう一度」の精神で、1966年とあまり変わり映えのしない古臭いゲーム展開にこだわります。
継続と伝統を重んじる精神は尊敬に値しますが、イングランドは本気でフランスほかのサッカー強国に勝ちたいのなら、退屈な「スポーツサッカー」を捨てるべきです。
《世界サッカーの序列》
ことしのワールドカップでは、イングランドが優勝するのではないか、という多くの意見がありました。イングランドが好調を維持していたからです。
だが筆者は今回もイングランドを評価せず、1次リーグが進んだ段階でも優勝候補とは考えませんでした。彼らがベスト16に入った時点でさえ、ここに書いた文章においても無視しました。
理由はここまで述べた通り、イングランドサッカーが自らの思い込みに引きずられて、世界サッカーのトレンドを見誤っていると考えるからです。
イングランドサッカーが目指すべき未来は、今の運動量と高い身体能力を維持しながら、フランス、イタリア、ブラジル、スペインほかのラテン国、あるいはラテンメタリティーの国々のサッカーの技術を徹底して取り込むことです。
取り込んだ上で、高い身体能力を利してパス回しをラテン国以上に速くすることです。つまりポゼッションも知っているドイツサッカーに近似するプレースタイルを確立すること。
その上で、そのドイツをさえ凌駕する高速性をプレーに付加します。
ドイツのサッカーにイングランドのスピードを重ねて考えてみればいい。それは今現在考えられる最強のプレースタイルではないでしょうか?
イングランドがそうなれば真に強くなるでしょう。が、彼らが謙虚になって他者から学ぶとは思えません。
従って筆者は今のところは、W杯でのイングランドの2度目の優勝など考えてみることさえできません。
世界サッカーの序列は今後もブラジル、イタリア、ドイツの御三家にフランス、スペイン、アルゼンチンがからみ、ポルトガル、オランダ、ベルギーなどの後塵を拝しながらイングランドが懸命に走り回る、という構図だと思います。
むろんその古い序列は、今回大会で台頭したモロッコと日本に代表されるアジア・アフリカ勢によって大きく破壊される可能性があります。
そうなった暁にはイングランドは、W杯獲得レースでは、新勢力の後塵を拝する位置に後退する可能性さえある、と筆者は憂慮します。
《生き馬の目を抜く世界サッカー事情》
欧州と南米のサッカー強国は常に激しく競い合い、影響し合い、模倣し合い、技術を磨き合っています。
一国が独自のスタイルを生み出すと他の国々がすぐにこれに追随し、技術と戦略の底上げが起こる。するとさらなる変革が起きて再び各国が切磋琢磨をするという好循環、相乗効果が繰り返されます。
イングランドは、彼らのプレースタイルと哲学が、ラテン系優勢の世界サッカーを必ず征服できると信じて切磋琢磨しています。その自信と努力は尊敬に値しますが、彼らのスタイルが勝利することはありません。
なぜなら世界の強豪国は誰もが、他者の優れた作戦や技術やメンタリティーを日々取り込みながら、鍛錬を重ねています。
そして彼らが盗む他者の優れた要素には、言うまでもなくイングランドのそれも含まれています。
イングランドの戦術と技術、またその他の長所の全ては、既に他の強国に取り込まれ改良されて、進化を続けているのです。
イングランドは彼らの良さにこだわりつつ、且つ世界サッカーの「強さの秘密」を戦略に組み込まない限り、永遠に欧州のまた世界の頂点に立つことはありません。
いま面白いNHK朝ドラ“舞い上がれ”の大河内教官は、「己を過信するものはパイロットとして落第だ」と喝破しています。
そこで筆者も言いたい。
イングランドサッカーよ、古い自らのプレースタイルを過信するのはNGだ。自負と固陋の入り混じった思い込みを捨てない限り、君は決して世界サッカーの最強レベルの国々には勝てない、と。
official site:なかそね則のイタリア通信