2020年1月26日、イタリア北部のエミリアロマーニャ州で即日投開票の州知事選挙が行われ、極右の同盟が率いる右派が敗退しました。同時に極左の五つ星運動も惨敗。左右の「極論主義」が否定された形です。同選挙の勝敗は国政選挙よりも重要、とさえ考えられていました。
エミリアロマーニャ州選挙で極右の率いる右派が勝てば、イタリアがトランプ主義者やBrexit信者などに圧倒される「危機の始まり」になると見られていました。かつてエミリアロマーニャ州は、隣のトスカーナ州やウンブリア州と共にイタリア共産党の拠点地でした。その流れは今も続いています。
右派のリーダーである極右のマッテオ・サルヴィーニ「同盟」党首は、過去72年間に渡って左派の根城であり続けた同州を制することで、右派の優勢を決定的なものにしようと考えました。それによって、左派の民主党と極左の五つ星運動が連立を組む現政権を崩壊させよう、というシナリオだったのです。
地方選挙である州知事選挙は、本来なら国政にはほとんど関わりはありません。しかし、現行の連立政権は民意の多数を代表していない、と批判されると同時に多くの問題を抱えて政権基盤も弱く、サルヴィー党首率いる同盟と右派連合の攻勢を受けて青息吐息です。
サルヴィーニ氏が先導する極右政党の同盟は昨年8月、唐突に連立政権から離脱しました。政権はその時点で瓦解するはずでした。それが政権を見限ったサルヴィーニ氏の狙いだったのです。ところが連立相方の五つ星運動は、それまで彼らと激しく対立していた民主党に声をかけて連立に取り込み、政権を存続させてしまいました
政権を崩壊させて総選挙に持ち込み、同盟主導の右派政権を樹立しようと考えたサルヴィーニ氏の思惑は大きく外れました。しかし同盟への国民の支持率は伸び続けました。それに伴って右派連合の勢力も強まりました。一方、野合集団にも見える政府は沈滞しました。
そうした政治状況があるため、同盟主導の右派連合が左派最大の牙城であるエミリアロマーニャ州を手中に収めれば、地方選挙とはいえ国政にまで激震が走って、左派の民主党と極左の五つ星運動が組む連立政権が崩壊する可能性も高い、と見られていたのです。
事実サルヴィーニ党首は、右派連合が勝利した場合は「ジュゼッペ・コンテ首相は辞任するべき」と公言し声高に吼えながら選挙運動を展開。その主張は国民的合意になりかねないほどに支持が広がって、選挙戦は過熱し緊張が高まっていました。
ヒートアップした選挙戦は驚きの展開も見せました。サルヴィーニ氏が、テレビカメラと支持者を引き連れて一市民の自宅玄関に押し掛け、一家をあたかも犯罪者のごとく見なして公けに糾弾する、という前代未聞の所業に出たのです。
それがいわゆる「Yassin君事件」です。17歳のYassin君はチュニジア人移民を両親に持つイタリア生まれのイタリア人。サルヴィーニ氏は、Yassin君が麻薬を密売しているという「噂」を頼りに彼の自宅に突撃し「Yassin君が麻薬の売人だという噂があるがそれは本当か」と詰問しました。繰り返しますが、多くのテレビカメラと自らの支持者を同行して。
サルヴィーニ氏は、彼の岩盤支持者である反移民・排外差別主義者へのアピールを念頭にパフォーマンスをした訳ですが、それはYassin君がアフリカ系移民の子供であることを意識しての暴挙だとして、さすがにイタリア中で強い反発が起きました。
サルヴィーニ氏は極右のコワモテ男らしく「自分の行動を後悔していない。必要ならまたやる」と開き直っています。が、多方面から非難が殺到しYassin君の両親の祖国であるチュニジア政府からも正式抗議が寄せられるなど、騒ぎが大きくなりました。
サルヴィーニ氏は、彼を批判する人々に向けて「私は極右でもなければファシストでもない。イタリア人の保護者」なのだとよく主張します。だが、人々の中にある偏見や悪意や誤解を意識して、それらを鼓舞する目的で宣伝効果を狙いつつ市民のプライベート空間に土足で入り込む行為は、まさに極右的な蛮行であり過激アクションです。
そうした行為は、彼の政党が政権を握った暁には必ずエスカレートして、制御や禁忌がなし崩しに瓦解して行き、究極にはファシズムやナチズムまた軍国主義がはびこった時代にも似た世界へと突入する可能性を高めます。だから極右主義は、またそれと同じ穴のムジナである極左主義も同様に、勢力を拡大する前に封じ込まれなければならないのです。
エミリアロマーニャ州選挙での左派の勝利で、イタリア現政権が今すぐに倒れる可能性はなくなりました。が、イタリアでは極右の同盟が主導するトランプ主義またBrexit賛同勢力の躍進は続いています。その証拠に同じ日に行われた南イタリア・カラブリア州の州知事選挙では、右派の押す候補が勝利しました。
一方、極右の躍進とは対照的なのが極左の五つ星運動の凋落です。同党は2018年、同盟と連立を組んで初めて政権の座にすわりました。だが2019年、既述のように同盟が突然政権を離脱して、五つ星運動は彼らの天敵とも言われた民主党と連立を組み直すことを余儀なくされました。
2018年の政権掌握以来、五つ星運動の支持率は下がり続けました。彼らが固執するベーシックインカム(最低所得保障)制への国民の反発に加えて、党自体が内部分裂を繰り返し存在感が日々薄れて行きました。所属議員の離党も相次ぎました。そして今年に入って早々に、若きルイジ・ディマイオ党首が辞任を表明。同党の退潮がさらに鮮明になりました。
そうした中で実施されたエミリア・ロマーニャ州選挙では、五つ星運動はたった3、5%の得票率に留まりました。また同党への支持率が高い南部のカラブリア州でさえ得票率7%という惨状に終わったのです。
五つ星運動はインターネットを駆使して、イタリアの既成政党や政治家の腐敗を正し断罪する手法で勢力を伸ばしました。しかしいま述べたように、政権掌握後は衰退の一途をたどり、いまや政党そのものの存続さえ危ぶまれる状況に陥っています。
エミリア・ロマーニャ州知事に選ばれたのは、五つ星運動の連立相手である民主党の候補です。両党は同じ政権与党ながら選挙協力ができずにそれぞれが別の候補を立てました。民主党は五つ星運動に似て内部抗争の激しい政党です。最近は党勢の弱体化も目立っています。
それでも民主党がエミリア・ロマーニャ州選挙を制したのは、昨年11月、同州の州都であるボローニャ市でふいに沸き起こった「イワシ運動」の力です。「イワシ運動」は、同盟のサルヴィーニ党首に対抗するために、若者4人が中心になって結成されました。反サルヴィーニの一点に集中する同運動は、また反ファシズム運動でもある、と創始者の若者らは語っています。
サルヴィーニ氏の政治主張や活動は、ここまでにも述べてきたようにかつてのファシズムのそれに近いものも多くあります。従って彼らの言い分は決して荒唐無稽ではありません。「イワシ運動」創始者の4人の若者は、運動がこの先政党へと成長することはない、と断言しています。しかし先行きは分かりません。「イワシ運動」は将来、五つ星運動に代わってまともな左派政党として成長していく可能性もあるように見えます。
「イワシ運動」がボローニャ市で興ったのは偶然ではありません。冒頭でも触れたように同市を中心とするエミリアロマーニャ州は、隣接するトスカーナ州などと共にイタリア共産党の拠点だった地域です。共産党が消滅した現在もリベラルの牙城であり続け、歴史的ないきさつもあって極右勢力への対抗心がどこよりも強い場所なのです。
「イワシ運動」は文字通り日ごとに、急速に大きくなって、ボローニャ市からエミリアロマーニャ州、さらにイタリア全土へと広まっていきました。そして今や欧州全体にまで広がる勢いを見せています。それは欧州を席巻しつつある「限りなく極右に近い右派」への対抗勢力として、今後ますます成長していくのかもしれません。
ところで、「イワシ(Sardine)運動」を彼らが毛嫌いするサルヴィーニ(Salvini)氏にかけた命名、という説明が日本のメディアで横行しているようですが、それはLとRの発音の区別がつかない日本人が編み出したフェイクニュースのようです。イタリア語では Sardineと Salviniは音も意味も全く違う言葉です。
「イワシ(Sardine)運動」のイワシとは、イワシの群れが固まって身を守るように、皆が寄り集まって固く連帯して極右のサルヴィーニ氏に対抗しよう、という意味です。いわば抗体としてサルヴィーニ氏の排外差別主義に立ち向かうこと、とも創始者たちは語っています。
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