イワシの大群は極論過激派を呑み込めるか

2020年1月26日、イタリア北部のエミリアロマーニャ州で即日投開票の州知事選挙が行われ、極右の同盟が率いる右派が敗退しました。同時に極左の五つ星運動も惨敗。左右の「極論主義」が否定された形です。同選挙の勝敗は国政選挙よりも重要、とさえ考えられていました。

エミリアロマーニャ州選挙で極右の率いる右派が勝てば、イタリアがトランプ主義者やBrexit信者などに圧倒される「危機の始まり」になると見られていました。かつてエミリアロマーニャ州は、隣のトスカーナ州やウンブリア州と共にイタリア共産党の拠点地でした。その流れは今も続いています。

右派のリーダーである極右のマッテオ・サルヴィーニ「同盟」党首は、過去72年間に渡って左派の根城であり続けた同州を制することで、右派の優勢を決定的なものにしようと考えました。それによって、左派の民主党と極左の五つ星運動が連立を組む現政権を崩壊させよう、というシナリオだったのです。

地方選挙である州知事選挙は、本来なら国政にはほとんど関わりはありません。しかし、現行の連立政権は民意の多数を代表していない、と批判されると同時に多くの問題を抱えて政権基盤も弱く、サルヴィー党首率いる同盟と右派連合の攻勢を受けて青息吐息です。

サルヴィーニ氏が先導する極右政党の同盟は昨年8月、唐突に連立政権から離脱しました。政権はその時点で瓦解するはずでした。それが政権を見限ったサルヴィーニ氏の狙いだったのです。ところが連立相方の五つ星運動は、それまで彼らと激しく対立していた民主党に声をかけて連立に取り込み、政権を存続させてしまいました

政権を崩壊させて総選挙に持ち込み、同盟主導の右派政権を樹立しようと考えたサルヴィーニ氏の思惑は大きく外れました。しかし同盟への国民の支持率は伸び続けました。それに伴って右派連合の勢力も強まりました。一方、野合集団にも見える政府は沈滞しました。

そうした政治状況があるため、同盟主導の右派連合が左派最大の牙城であるエミリアロマーニャ州を手中に収めれば、地方選挙とはいえ国政にまで激震が走って、左派の民主党と極左の五つ星運動が組む連立政権が崩壊する可能性も高い、と見られていたのです。

事実サルヴィーニ党首は、右派連合が勝利した場合は「ジュゼッペ・コンテ首相は辞任するべき」と公言し声高に吼えながら選挙運動を展開。その主張は国民的合意になりかねないほどに支持が広がって、選挙戦は過熱し緊張が高まっていました。

ヒートアップした選挙戦は驚きの展開も見せました。サルヴィーニ氏が、テレビカメラと支持者を引き連れて一市民の自宅玄関に押し掛け、一家をあたかも犯罪者のごとく見なして公けに糾弾する、という前代未聞の所業に出たのです。

それがいわゆる「Yassin君事件」です。17歳のYassin君はチュニジア人移民を両親に持つイタリア生まれのイタリア人。サルヴィーニ氏は、Yassin君が麻薬を密売しているという「噂」を頼りに彼の自宅に突撃し「Yassin君が麻薬の売人だという噂があるがそれは本当か」と詰問しました。繰り返しますが、多くのテレビカメラと自らの支持者を同行して。

サルヴィーニ氏は、彼の岩盤支持者である反移民・排外差別主義者へのアピールを念頭にパフォーマンスをした訳ですが、それはYassin君がアフリカ系移民の子供であることを意識しての暴挙だとして、さすがにイタリア中で強い反発が起きました。

サルヴィーニ氏は極右のコワモテ男らしく「自分の行動を後悔していない。必要ならまたやる」と開き直っています。が、多方面から非難が殺到しYassin君の両親の祖国であるチュニジア政府からも正式抗議が寄せられるなど、騒ぎが大きくなりました。

サルヴィーニ氏は、彼を批判する人々に向けて「私は極右でもなければファシストでもない。イタリア人の保護者」なのだとよく主張します。だが、人々の中にある偏見や悪意や誤解を意識して、それらを鼓舞する目的で宣伝効果を狙いつつ市民のプライベート空間に土足で入り込む行為は、まさに極右的な蛮行であり過激アクションです。

そうした行為は、彼の政党が政権を握った暁には必ずエスカレートして、制御や禁忌がなし崩しに瓦解して行き、究極にはファシズムやナチズムまた軍国主義がはびこった時代にも似た世界へと突入する可能性を高めます。だから極右主義は、またそれと同じ穴のムジナである極左主義も同様に、勢力を拡大する前に封じ込まれなければならないのです。

エミリアロマーニャ州選挙での左派の勝利で、イタリア現政権が今すぐに倒れる可能性はなくなりました。が、イタリアでは極右の同盟が主導するトランプ主義またBrexit賛同勢力の躍進は続いています。その証拠に同じ日に行われた南イタリア・カラブリア州の州知事選挙では、右派の押す候補が勝利しました。

一方、極右の躍進とは対照的なのが極左の五つ星運動の凋落です。同党は2018年、同盟と連立を組んで初めて政権の座にすわりました。だが2019年、既述のように同盟が突然政権を離脱して、五つ星運動は彼らの天敵とも言われた民主党と連立を組み直すことを余儀なくされました。

2018年の政権掌握以来、五つ星運動の支持率は下がり続けました。彼らが固執するベーシックインカム(最低所得保障)制への国民の反発に加えて、党自体が内部分裂を繰り返し存在感が日々薄れて行きました。所属議員の離党も相次ぎました。そして今年に入って早々に、若きルイジ・ディマイオ党首が辞任を表明。同党の退潮がさらに鮮明になりました。

そうした中で実施されたエミリア・ロマーニャ州選挙では、五つ星運動はたった3、5%の得票率に留まりました。また同党への支持率が高い南部のカラブリア州でさえ得票率7%という惨状に終わったのです。

五つ星運動はインターネットを駆使して、イタリアの既成政党や政治家の腐敗を正し断罪する手法で勢力を伸ばしました。しかしいま述べたように、政権掌握後は衰退の一途をたどり、いまや政党そのものの存続さえ危ぶまれる状況に陥っています。

エミリア・ロマーニャ州知事に選ばれたのは、五つ星運動の連立相手である民主党の候補です。両党は同じ政権与党ながら選挙協力ができずにそれぞれが別の候補を立てました。民主党は五つ星運動に似て内部抗争の激しい政党です。最近は党勢の弱体化も目立っています。

それでも民主党がエミリア・ロマーニャ州選挙を制したのは、昨年11月、同州の州都であるボローニャ市でふいに沸き起こった「イワシ運動」の力です。「イワシ運動」は、同盟のサルヴィーニ党首に対抗するために、若者4人が中心になって結成されました。反サルヴィーニの一点に集中する同運動は、また反ファシズム運動でもある、と創始者の若者らは語っています。

サルヴィーニ氏の政治主張や活動は、ここまでにも述べてきたようにかつてのファシズムのそれに近いものも多くあります。従って彼らの言い分は決して荒唐無稽ではありません。「イワシ運動」創始者の4人の若者は、運動がこの先政党へと成長することはない、と断言しています。しかし先行きは分かりません。「イワシ運動」は将来、五つ星運動に代わってまともな左派政党として成長していく可能性もあるように見えます。

「イワシ運動」がボローニャ市で興ったのは偶然ではありません。冒頭でも触れたように同市を中心とするエミリアロマーニャ州は、隣接するトスカーナ州などと共にイタリア共産党の拠点だった地域です。共産党が消滅した現在もリベラルの牙城であり続け、歴史的ないきさつもあって極右勢力への対抗心がどこよりも強い場所なのです。

「イワシ運動」は文字通り日ごとに、急速に大きくなって、ボローニャ市からエミリアロマーニャ州、さらにイタリア全土へと広まっていきました。そして今や欧州全体にまで広がる勢いを見せています。それは欧州を席巻しつつある「限りなく極右に近い右派」への対抗勢力として、今後ますます成長していくのかもしれません。

ところで、「イワシ(Sardine)運動」を彼らが毛嫌いするサルヴィーニ(Salvini)氏にかけた命名、という説明が日本のメディアで横行しているようですが、それはLとRの発音の区別がつかない日本人が編み出したフェイクニュースのようです。イタリア語では Sardineと Salviniは音も意味も全く違う言葉です。

「イワシ(Sardine)運動」のイワシとは、イワシの群れが固まって身を守るように、皆が寄り集まって固く連帯して極右のサルヴィーニ氏に対抗しよう、という意味です。いわば抗体としてサルヴィーニ氏の排外差別主義に立ち向かうこと、とも創始者たちは語っています。

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思い上がりが時間経過を速くする

またたく間に2019年が駆け過ぎて、2020年もクリスマスまでたったの342日となってしまいました!時間経過のあまりの速さに心中おだやかではないものが出没するのは年齢のせい、ときめつけるのはたやすいことです。それに続く言葉は「残された時間の短さや大切さを思って毎日を真剣に生きよう」などという類の陳腐なフレーズです。

還暦を過ぎた筆者自らの年齢を時々思ってみるのは事実ですが、そして残された時間をそのときに「敢えて」想像したりしないでもありませんが、実感は正直ありません。再び「敢えて」先は長くないのだから毎日しっかり生きよう、と自身を鼓舞してみたりもしますが、そんな誓いはまたたく間に忘れてしまうのだから無意味です。

年を取るごとに時間経過が速く感じられるのは、「人の時間の心理的長さは年齢に反比例する」というジャネーの法則によって説明されますが、法則は状況の報告をするだけで「なぜそうなるのか」の論説にはなっていません。

それを筆者なりに解読しますと、要するに人は年齢を重ねるに連れて見るもの聞くものが増え、さらにデジャヴ(既視)感も積層して物事への興味が薄れていく、ということなのだろうと思います。さしずめ、食べに食べ過ぎて次の一皿への食欲をなくしたスーパー・デブ、とでもいうところでしょうか。

どこかで既に実体験していたり経験したと感じることなので、人はそこで立ち止まって事案をしみじみと見、聞き、感じ、吟味して、勉強することが少ない。立ち止まらない分、人は先を急ぐことになり時間が飛ぶように過ぎて行くのです。NHKのチコちゃんはそれを「ときめかないから」と表現していましたね。

そこには自らの意志に反して心が乾いていく悲しさと、同時に大人のいわば驕りがあります。年齢を重ねて知っていることも事実多いのでしょうが、無駄に時間を費やし馬齢を重ねただけで、実は何も知らない知ったかぶりの大人は、筆者自身も含めて多くいるからです。それでも知ったつもりで、人は先へ先へと足早に進みます。死に向かって。

すると理論的には、知ったかぶりをしないであらゆるものに興味を持ち、立ち止まって眺め続ければ、人の時間はもっとゆっくりと過ぎて行く、と考えられます。しかし筆者の感じでは、それも少し違うように思います。第一、目の前に出現するあらゆるものの検分に時間をかけ過ぎれば、未知なるものに費やす時間がない、という物理的な問題が生じます。

知らないことがあまりにも多すぎて、その過大な未知のもろもろを学び、知り、体験するには、1日1日が短かすぎる。短かすぎる時間の経過(毎日)の積み重ねが、すなわち「時間の無さ」感を呼び起こすように思います。そして 「時間の無さ」感 とは、時間が「速く飛び去る感じ」のことです。

つまり、時間が疾風よりも光陰よりもさらに速く過ぎていくのは、「一生は短い」という当たり前の現実があるから、とも言えます。その短い一生を愚痴や、怨みや、憎しみで満たして過ごすのはもったいない。人生にはそんな無駄なことに費やす時間などありません。

と、何度も何度も繰り返し自らを戒めるものの、人間ができていない悲しさで日々愚痴を言い、怨み、憎む気持ちが起こります。そしてその度にまた自戒を繰り返します。自戒に伴って苦い悔恨が胸中に忍び入るのもいつものパターンです。

結局、人の人生の理想とは、多くの事柄がそうであるように、愚痴らず、怨まず、憎まない境地を目指して、試行錯誤を重ねていく『過程そのもの』にあるのではないか。そう考えれば、中々人間ができない情けない筆者自身にも、まだ救いの道があるようで少し肩の荷が軽くなる気がします。


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名誉教皇の「たわけ」の衝撃

2013年に退位して名誉教皇となったベネディクト16世(92)が、完全消滅とさえ見えた隠棲所からふいに表舞台に姿をあらわして、世迷い言にも見える主張をして多くの人々の顰蹙を買っています。

世迷い言とは、「カトリック教会は聖職者の独身制を守り通すべき」というものです。カトリック教会の司祭の独身制は、未成年者への性的虐待の元凶たる悪しき習慣として、いま世界中で厳しく批判されています。

そんな折に、ブラジルのアマゾンに代表される世界中の僻地での司祭不足がクローズアップされました。地球上の辺縁地ではカトリックの司祭の成り手がなく、ミサが開けないために信者への接触もままなりません。それは地域の信者のカトリック離れにつながります。

カトリック教はただでもプロテスタント他の宗派に信者を奪われ続けていて、バチカンは危機感を抱いています。フランシスコ教皇は、既婚者の男性も司祭になる道を開くことで、その問題に風穴を開けようとしました。

そこに突然反対を表明したのが、この世にほとんど存在しないようにさえ見えた名誉教皇、つまり旧ベネディクト16世なのです。彼は現役の教皇時代からバチカン守旧派のラスボス的存在でした。どうやら死んだ振り隠棲をしていたようです。

ベネディクト16世は2013年、719年ぶりに自由意志によって生前退位し名誉教皇になりました。高齢を理由に挙げましたが、歴代教皇はほぼ誰もが死ぬまで職務を全うしました。 その事実も影響するのか、ベネディクト16世の言動には違和感を覚える、という人が少なくありません。筆者もその1人です。

違和感の理由はいろいろあります。最大のものはベネディクト16世が、聖職者による性的虐待問題から逃げるために退位した、という疑惑また批判です。その問題は2002年に明らかになり、2010年には教皇の退位を要求する抗議デモが起きるなど、ベネディクト16世への風当たりが強まり続けました。

「教義の番犬」とも陰口されたベネディクト16世は、ガチガチの保守派で在位中にはほかにも少なくない問題を起こしました。例えば不用意なイスラム教のジハード批判や、ホロコースト否定者への安易な接近、あるいは「聖職者による性的虐待は“ アメリカの物質偏重文化 ”にも一因がある」というトンチンカン発言などです。

重篤なHIV問題を抱えるアフリカの地で、感染予防に用いられるコンドームの使用に反対する、とやはり無神経に発言したこともあります。産児制限、同性愛、人工妊娠中絶などにも断固反対の立場でした。またバチカンで横行するマネーロンダリングと周辺問題への対応でも彼は強く批判されました。

さらに言えば教皇ベネディクト16世は、聖職者による未成年者性虐待の元凶とされる、司祭の独身制の維持にも固執していました。そして今般、あたかもゾンビの出現にも似た唐突さで表舞台に現れて、十年一日のごとく「独身制を維持するべき」と発言したのです。

その主張への反発と共に、勝手に引退をしておきながらふいにまかり出たさらなる身勝手に、信者の間ではおどろきと反駁の嵐がひそかに起こっています。彼の言動はただでも抵抗の強いバチカン保守派を勢いづけて、フランシスコ教皇の改革を停滞させ、バチカン内に分裂をもたらす恐れもあります。むろん教会内の守旧派が名誉教皇を焚きつけて異例の声明を出させた、という見方もできます。むしろそちらの方が真相に近いでしょう。

世界13億の信者の心の拠り所であるバチカンの威儀は、2005年のヨハネ・パウロ2世の死後、まさしく今ここで言及しているベネディクト16世の在位中に後退しました。少なくとも停滞しました。 しかし2013年に第266代フランシスコ現教皇が就任すると同時に、再び前進を始めました。

清貧と謙虚と克己を武器に、保守派の強い抵抗の中バチカンの改革を推し進めようともがいている現教皇フランシスコは、聖人ヨハネ・パウロ2世に似た優れた聖職者です。少なくともベネディクト16世とは似ても似つかないように見えます。

ローマ教皇はカトリック教徒の精神的支柱です。その意味では、日本教という宗教の信者である日本国民の精神的支柱、と形容することもできる天皇によく似ています。両者にいわば性霊の廉潔が求められることも共通しています。

その例にならえば、自らの意思で退位したベネディクト名誉教皇は、同じく平成の天皇の地位から自発的に退位した明仁上皇のケースとそっくりです。退位の動機が高齢と健康不安からくる職務遂行への憂慮、というのも同じです。

だが、双方の信者の捉え方は全く違います。明仁上皇の人となりや真摯や誠実を疑う日本国民は少ないでしょう。一方ベネディクト名誉教皇の場合は、明仁上皇のケースとは正反対の意見を抱いている信者が多くいます。「不誠実で身勝手な存在」と声を潜めて言う信者を筆者も多数知っています。

それでも彼らは、名誉教皇が隠棲所に引っ込んで、この世にほとんど存在しないような状況が続いていた頃には、彼への反感を覚えることなどありませんでした。存在しないのですから反感の覚えようがありません。そして2013年以降はそれが常態でした。彼の存在の兆候はそれほどに希薄だったのです。

そんな人物がにわかに姿をあらわして、自らの持論をゴリ押しする態度に出たものですから人々が驚かないわけがありません。ましてやその主張が時流に真っ向から対峙する「聖職者の独身制を維持しろ」というものですから、反発する信者や関係者が多いのもうなずけます。

司祭の独身制は 単なる慣習です。カトリックの教義ではありません。12世紀以前には聖職者も普通に結婚していました。イエスキリストの一番弟子で初代教皇とされる聖ペテロが結婚していたことは明らかですし、イエスキリスト自身が既婚者だった可能性さえあります。少なくとも彼が独身であることが重要、という宗教的規範はありません。

カトリック教会が司祭の独身制を導入した直接の動機は、聖職者が家庭を持ち子供が生まれた暁に生じる遺産相続問題だったとされます。教会は子供を持つ聖職者に財産を分与しなければならなくなる事態を恐れたのです。そのことに加えて、精神を称えて肉体を貶める二元論の考え方も重要な役割を果たしました。

元々キリスト教は子を産む生殖つまり婚姻と性交を称揚します。そんな宗教が司祭の結婚を否定する奇天烈な因習にとらわれるようになったのは、肉体と精神のあり方を対比して説く二元論の影響があったからです。そこでは肉体に対する精神の優位が主張され、肉体の営為であるセックスが否定されます。だから聖職者の独身が奨励されるのです。

その論法には婚姻をあたかも肉体の行為のためだけのメカニズム、と捉える粗陋があります。婚姻は夫婦の性の営みと共に夫婦の精神的なつながりや行動ももたらす仕組みです。それなのに夫婦の性愛のみを問題にするのは、教会こそが男女のセックスのみを重視する色情狂である、と自ら告白しているようなものです。

聖職者が独身であることが、性的虐待行為の「引き金」の全て、という証拠は実はありません。また既婚者であることが虐待行為の完全抑止になる訳でもありません。しかし、ある程度の効力はあると考えられます。それだけでも独身制を破棄する意味があります。

だがそうしたことよりも何よりも、聖職者の結婚を不浄とみなす馬鹿げた考えを捨てる意味で、カトリック教会は独身制の継続を諦めるべきだと思います。それは不誠実で、偽善的で、卑猥でさえある教会の偏執に過ぎません。教会はそろそろそのことに気づくべきです。

名誉教皇の突然の寝ボケた声明は、世界中で湧き起こっている聖職者の性的虐待問題にひそかに油を注いでいます。燃え上がるのは反感の炎と共に保守派の気炎です。対立する二つの火焔はさらに燃え上がって、ローマ教会を焼き尽くし大きく分裂させる可能性もゼロではありません。

突然のようですが、しかし、最後に付け加えておきたいと思います:

名誉教皇ことベネディクト16世は、教皇在位の頃から時流や世間に合わないずれた言動をすることがよくありました。そんな彼の真の問題は実は、コミュニケーション能力の欠落にある、と筆者は考えます。教義と理論のみを愛する無味乾燥な神学者、と見えなくもなかった教皇ベネディクト16世は、温かく豊かな情感と信義と慈悲を教会に求める大部分の信者には不人気でした。彼はコミュニケーションが絶望的に下手だったのです。名誉教皇は今回の騒動で再び同じ轍を踏んでしまった、と筆者の目には映ります。


 

 

 

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日本司法はゴーン審問のブザマを反省して再生へと立ち上がるべき

カルロス・ゴーン逃亡者(:容疑者、日産元会長、被告などの呼称もあるが逃亡者で統一する)のレバノンでの記者会見映像を逐一観ました。それは中東人や西洋人が、自らを正当化するために口角泡を飛ばしてわめく性癖があらわになった、典型的な絵でした。見ていて少し気が重くなりました。

だが、そうはいうものの、日本の「人質司法」の在り方と、ゴーン逃亡者の逮捕拘留から逃走までのいきさつに思いを馳せてみた場合には、ゴーン逃亡者はおそらく犠牲者でもあるのだろう、とも筆者は考えることを告白しなければなりません。

弁護士の立会いなしで容疑者を取り調べたり、自白を引き出すために好き勝手にさえ見える手法で長期間勾留したり、拷問とは言わないまでも、逮捕したとたんに「推定有罪」の思惑に縛られて、容疑者を容赦なく窮追するという印象が強い日本の司法の実態は、極めて深刻な問題です。

取調べでの弁護人立ち会い制度は、米国やEU(欧州連合)各国はもちろん、韓国、台湾などでも確立しています。日本でそれが否定されるのは、密室での自白強要によって「真実」が明らかになる、と愚にもつかない偏執を抱く警察が、人権無視もはなはだしい異様な自白追及手法に固執するからです。

そうしたことへの疑問などもあって、筆者はゴーン逃亡者が「容疑者」でもあった頃の日本での扱われ方に、少なからず同情もしていました。だが彼のレバノンでの記者会見の立ち居振る舞いを観て、今度は筆者の中に違和感もムクリと湧き上がりました。言い分があまりにも一方的過ぎるように感じたのです。

だが再び、そうはいうものの、ゴーン逃亡者のみならず日本司法も、直ちには信用できないやっかいな代物だという真実に、日本国民はそろそろ気づくべきです。日本の司法制度では、逮捕された時には例え誰であろうとも長期間勾留されて、弁護人の立ち会いも認められないまま毎日何時間も尋問され続ける可能性が高い。

容疑者は罪を認めて自白しない限り、果てしもなくと形容しても過言ではない期間とやり方で勾留される。そんな日本の司法の実態はうすら寒いものです。密室の中で行われる警察の 取調べは、戦前の特高のメンタリティーさえ思い起こさせます。まるで警察国家でもあるかのような非民主的で閉鎖的且つ陰湿な印象が絶えず付きまとっています。

日本国民のうちの特にネトウヨ・ヘイト系の排外差別主義者らは、例えば韓国の司法や政治や国体や人心をあざ笑い優越感にひたるのが好きです。そこには自らをアジア人ではなく「準欧米人」と無意識に見なす「中は白いが表は黄色い“バナナ”日本人」の思い込みもついて回っています。だが日本の司法制度やそれにまつわる人心や民意や文明レベルや文化の実相は、まさしくアジア、それも韓国や北朝鮮や中国に近いことを彼らは知るべきです。

さらに言えば、北朝鮮のテレビアナウンサーの叫ぶような醜悪滑稽なアナウンスの形は、戦時中の大本営のアナウンスに酷似しています。北朝鮮の狂気は、軍国主義がはびこっていたつい最近までの日本の姿でもあるのです。そんなアジアの後進性が詰まっているのが日本の刑事司法制度であり、ゴーン事件の背景にうごめく日本社会の一面の真実です。その暗黒地帯の住民の一派がバナナ的日本人、即ちネトウヨ・ヘイト系の排外差別主義者です。

そのことに思いをめぐらせると、カルロス・ゴーン逃亡者と彼にまつわる一連の出来事は、日本司法の課題を抉り出しそれを世界に向けて暴露したという意味で、ゴーン逃亡者が日産の救世主の地位から日本国全体の救世主へと格上げされた、と将来あるいは歴史は語りかけるかもしれない、という感慨さえ覚えます。

ゴーン逃亡者は、日本の刑事司法制度を「有罪を前提として、差別が横行する、且つ基本的人権の否定されたシステムであり、国際法や国際条約に違反している」などと厳しく指弾しました。そのうちの「有罪を前提」や「差別が横行」などという非難は、彼の主観的な見解、と断じて無視することもできます。が、国際法や国際条約に違反している、という批判はあまりにも重大であり看過されるべきものではありません。

ではゴーン逃亡者が言う、日本が違反している国際法や国際条約とはなにか。それは第一に「世界人権宣言」であり、それを改定して法的に拘束力のある条約とした自由権規約(国際人権B規約)だと考えられます。世界人権宣言は1948年に国連で採択されました。そこでは全ての国の全ての人民が享受するべき基本的な社会的、政治的、経済的、文化的権利などが詳細に規定され、規約の第9条には「何人も、ほしいままに逮捕、拘禁、または追放されることはない」と明記されています。

さらに自由権規約の同じく第9条3項では、容疑者及び被告は「妥当な期間内に裁判を受ける権利」「釈放(保釈)される権利」を有するほか「裁判にかけられる者を抑留することが原則であってはならない」とも規定しています。また第10条には「自由を奪われた全ての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を重んじて取り扱われなければならない」とも記されています。

ゴーン逃亡者は日本では、4度逮捕された上に起訴後の保釈請求を2回退けられました。加えて拘置所に130日間も勾留されました。また逮捕から1年以上が過ぎても公判日程は決まっていませんでした。そうした状況は国際慣例から著しく逸脱していて、国際法の一つである自由権規約に反していると言われても仕方がない奇天烈な事態です。

ゴーン事件に先立つ2013年、国連の拷問禁止委員会が、容疑者の取り調べの改善を求める対日審査を開いたことがあります。その際「日本の刑事司法は自白に頼りすぎていて、中世のようだ」との指摘が委員から出ました。日本の司法は未だに封建社会のメンタリティーにとらわれていて、時として極めて後進的で野蛮だと国際的には見られているのです。

言葉を変えれば日本の司法は「お上」の息のかかった権威で、かつての「オイコラ巡査」よろしく「オイコラ容疑者、さっさと白状しろ」と高圧的な態度で自白を強要する、とも言えます。それは、繰り返しになりますが、日本の刑事司法が封建時代的なメンタリティーに支配されていることの証し、ととらえられても仕方がありません。欧米の猿真似をしているだけの日本国の底の浅い民主主義の全体が、その状態を育んでいる、という見方もできます。

一方カルロス・ゴーン逃亡者も、大企業を率いたりっぱな経営者で品高い目覚しい紳士などではなく、自己保身に汲々とするしたたかで胡散臭い食わせ物である、という印象を世界に向けて発信しました。ゴーン逃亡者も日本の司法制度も、もしも救われる道があるのならば、一度とことんまで検証されけん責された後でのみ再生を許されるべき、と筆者は考えます。

ゴーン逃亡者の一方的な言い分や遁走行為が、無条件に正当化されることはあり得ません。しかし、「人質司法」とまで呼ばれる日本の刑事司法制度の醜悪で危険な在り方や、グローバルスタンダードである「弁護人の取調べへの立ち会い」制度さえ存在しない実態が、世界に知れ渡ったのは極めて良いことです。なぜなら恐らくそこから改善に向けてのエネルギーが噴出する、と考えられるからです。ぜひ噴出してほしい、と切に願います。

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「ボヘミアン・ラプソディ」批判者は映画殺害犯に似ている

 

ことしに入って早々(1月3日)に、イギリス娯楽小売業者協会(ERA)が、2019年に英国民が自宅で観た映画のランク付けを発表しました。

それによると2018年に大ヒットした映画「ボヘミアン・ラプソディ」がDVDやブルーレイまたダウンロードなどで170万部売れトップなりました。

「ボヘミアン・ラプソディ」は2019年1月6日、第76回ゴールデングローブ賞の作品賞に輝き、その約2ヶ月にはアカデミー賞の主演男優賞なども受賞しました。

大ヒットした「ボヘミアン・ラプソディ」に関しては、日本を含む世界中で多くの評者や論者がケンケンガクガクの言い合いを演じました。

また欧米、特に映画の主題であるクイーンの母国イギリスや、制作国のアメリカのメディアなども盛んに評しましたが、それらは概ね批判的で、観客の好感度とは大きく異なる奇妙なねじれ現象が起こりました。

筆者も当時「ボヘミアン・ラプソディ」を観ました。結論を先に言えば、文句なしに大いに楽しみました。映画の王道を行っていると思いました。王道とは「エンターテインメント(娯楽)に徹している」という意味です。

メディアや批評家や文化人やジャーナリストなどの評論は、“面白ければそれが良い映画”というエンターテインメント映画の真実に、上から目線でケチをつけるつまらないものが多かったように思います。

そのことへの反論も含めて筆者は当時記事を書くつもりでした。が、いつもの伝で多忙のうちに時間が過ぎてしまい機会を逃しました。当時筆者はブログ記事の下書きを兼ねた覚え書きに次のような趣旨を記しています。

映画の歴史を作ったのは、米英仏伊独日の6ヵ国である。6ヵ国を力関係や影響力や面白さでランク付けをすると、米仏英伊日独の順になる。個人的には面白さの順に米日伊仏英、遠く離れて独というところ。それら6ヵ国のうち、英仏伊独日の映画は没落した。娯楽を求める大衆の意に反して、深刻で独りよがりの“ゲージュツ”映画に固執したからだ。

ゲージュツ映画とは、台頭するテレビのパワーに圧倒された映画人が、テレビを見下しつつテレビとは対極の内容の映画を目指して作った、頭でっかちの小難しい作品群だ。作った映画人らはそうした映画を「芸術」作品と密かに自負し、芸術の対極にある(と彼らが考える)テレビ番組に対抗しようとした。彼らはそうやって大衆に圧倒的に支持されるテレビを否定することで、大衆にそっぽを向き映画を失陥させた。

「ボヘミアン・ラプソディ」を批判する評者の論は、映画を零落させた映画人の論によく似ている。大衆を見下し独りよがりの「知性まがいの知性」を駆使して、純粋娯楽を論難する心理も瓜二つだ。

一方で大衆の歓楽志向を尊重し、それに合わせて娯楽映画を提供し続けた米国のハリウッド映画は繁栄を極めた。ハリウッドの映画人は、テレビが囲い込んだ大衆の重要性を片時も忘れることなく、テレビの娯楽性を超える「娯楽」を目指して映画を作り続けた。「ボヘミアン・ラプソディ」はその典型の一つだ。

*6ヵ国以外の国々の優れた監督もいる。一部の例を挙げればスウェーデンのイングマール・ベルイマン 戦艦ポチョムキンを作ったロシアのセルゲイ・エイゼンシュテイン とアンドレイ・タルコフスキー、スペイン のルイス・ブニュエル 、インドの サタジット・レイ 、 ポーランド のアンジェイ・ワイダ など、など。彼らはそれぞれが映画の歴史に一石を投じたが、彼らの国の映画がいわば一つの勢力となって映画の歴史に影響を与えたとは言い難い。

*インドは映画の制作数では、中国やアメリカのそれさえ上回ってダントツの一位だが、中身が伴わないために世界はほとんど同国の映画を知らない。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」の批判者はこう主張します。いわく、主人公フレディの内面を掘り下げる心理劇を見たかった。いわく、リアリィティーが欠如している。いわく、社会性・政治性、特に同性愛者を巡る政治状況を掘り下げていない、など、など。それらはまるで映画を徹底して退屈に仕上げろ、とでも言わんばかりの愚論です。

それらの要素はむろん重要です。だがひたすら娯楽性を追及している映画に「深刻性」を求めるのは筋違いだし笑止です。それは別の映画が追求するべきテーマなのです。なによりも一つの作品にあらゆる主張を詰め込むのは、学生や素人が犯したがる誤謬です。

「ボヘミアン・ラプソディ」の制作者は音楽を中心に据えて、麻薬、セックス、裏切り、喧嘩、エイズなど、など、の「非日常」だが今日性もあるシーンを、これでもかと盛り込んで観客の歓楽志向を思い切り満足させました。それこそエンターテインメントの真髄です。

そこに盛り込まれたドラマあるいは問題の一つひとつは確かに皮相です。他人の不幸や悲しみを密かに喜んだり、逆に他人の幸福や成功には嫉妬し憎みさえする、大衆の卑怯と覗き趣味を満足させる目的が透けて見えます。だが同時に、薄っぺらだが大衆の心の闇をスクリーンに投影した、という意味では逆説的ながら「ボヘミアン・ラプソディ」は深刻でさえあるのです。

批判者は大衆のゲスぶりを指弾し、それに媚びる映画制作者らの手法もまた糾弾します。だが大衆の心の闇にこそ人生のエッセンスが詰まっています。それが涙であり、笑いであり、怒りであり、憎しみであり、喜びなのです。そこを突く映画こそ優れた映画です。

「ボヘミアン・ラプソディ」はクイーンや主人公のフレディのドキュメンタリーではなく、飽くまでもフィクションです。実際のグループや歌手と比較して似ていないとか、嘘だとか、リアリティーに欠ける、などと批判するのは馬鹿げています。

それほど事実がほしいのなら批判者らは、「ボヘミアン・ラプソディ」ではなくクイーンのドキュメンタリー映像を見ればいいのです。またどうしても社会問題や心理描写がほしいのなら、映画など観ずに本を読めばいいのです。

映画館に出向いて、暗い顔で眉をひそめつつ考えに浸りたい者などいません。エンターテインメント映画を観て主人公の内面の深さに感動したい者などいません。「ボヘミアン・ラプソディ」にはそうした切実なテーマがないから楽しいのです。

それでも、先に言及したように、主人公と父親の間の相克や、エイズや、麻薬などの社会問題や背景などの「痛切」も、実は映画の中には提示されてはいます。だがそれらは映画の「娯楽性」に幅を持たせるために挿入された要素なのであって、メインのテーマではありません。

深刻なそれらの要素をメインに取り上げるならば、それは別の映画でなされなければなりません。そしてそれらがメインテーマになるような映画は、もはや「ボヘミアン・ラプソディ」ではありません。誰も観ない、重い退屈な作品になるのがオチです。

主人公の内面を掘り下げろとか、政治状況を扱えとか、人物のリアリティーやドラマの緻密な展開を見たい、などと陳腐きわまる難癖をつける評論家は悲しい。そうした評論がもたらしたのが、映画の凋落です。言葉を替えれば映画は、大衆を置き去りにするそれらの馬鹿げた理論を追いかけたせいで、衰退し崩落していきました。

2018年、「ボヘミアン・ラプソディ」は世界中の映画ファンを熱狂させました。観客の圧倒的な支持とは裏腹の反「ボヘミアン・ラプソディ」評論は、映画を知的営為の産物とのみ捉える俗物らの咆哮でした。映画は知的営為の産物ではありますが、それを娯楽に仕立て上げることこそが創造でありアートです。大衆がそっぽを向く映画には感性も創造性も芸術性もありません。

そこには芸術を装った退屈で傲岸で無内容の「ゲージュツ」があるのみです。「ボヘミアン・ラプソディ」が2018年には映画館で、また翌年の2019年には英国の家庭で圧倒的な支持を受けたのは、それが観客を楽しませ感動させる優れた映画であることの何よりの証しなのです。

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英国解体のシナリオ

英国下院は12月20日、欧州連合(EU)からの離脱協定法案を賛成多数で可決しました。法案はクリスマス休暇後の2020年1月7日から3日間にわたって審議される予定です。ボリス・ジョンソン首相は「法案は離脱に関するあらゆる遅れも容認しない。英国は2020年1月31日に確実にEUから去る」と表明しました。

去った12月月12日、Brexit(英国のEU離脱 )を争点にして行われた英総選挙で、離脱を主張するジョンソン首相率いる保守党が圧勝し同国のEU離脱がほぼ確定しました。周知のようにBrexitは2016年、その是非を問う国民投票によって決定していましたが、議会の承認が得られないために実行できず、紆余曲折を繰り返しました。

国民投票で民意を離脱へと先導したのは、「英国のEUからの独立」を旗じるしの一つにして愛国心に訴えるナショナリストやポピュリスト、あるいは排外差別主義者らでした。折しもそれは米大統領選でドナルド・トランプ共和党候補が、差別や憎しみや不寛容や偏見を隠さずに、汚い言葉を使って口に出しても構わないと考え、そのように選挙運動を展開して米国民のおよそ半数の共感を獲得しつつある時期に重なっていました。

トランプ候補は英国世論の右傾化の援護風も少なからず受けて当選。その出来事は、ひるがえって、台頭しつつあった欧州の極右勢力を活気づけました。翌2017年にはフランス極右のマリーヌ・ルペン氏があわやフランス大統領に当選かというところまで躍進しました。それを受けるようにドイツでも同年、極右政党の「ドイツのための選択肢」が飛躍して一気に議会第3党になりました。そうした風潮の中でオランダ、オーストリア、ギリシャ等々でも極右勢力が支持を伸ばし続けました。

そして2018年、ついにここイタリアで極右政党の同盟が左派ポピュリストの五つ星運動と共に政権を掌握しました。欧米におけるそれらの政治潮流は、目に見える形でもまた水面下でも、全てつながっています。あえて言えば、世界から極右に近いナショナリストで歴史修正主義者、と見られている安倍首相率いる日本の現政権もその流れの中にあります。

かつて欧州は各国間で血まみれの闘争や戦争を繰り返しました。だが加盟各国が経済的な利害を共有するEUという仕組みを構築することで、対話と開明と寛容に裏打ちされた平和主義と民主主義を獲得しました。経済共同体として出発したEUは、今や加盟国間の経済のみならず政治、社会、文化などの面でも密接に絡み合って、究極の「戦争回避装置」という役割まで担うようになっています。

しかしながらEUの結束は、2009年に始まった欧州ソブリン(債務)危機、2015年にピークを迎えた難民問題、2016年のBrexit国民投票騒動等々で大幅に乱れてきました。同時にEU域内には前述のように極右勢力が台頭して、欧州の核である民主主義や自由や寛容や平和主義の精神が貶められかねない状況が生まれました。

EUは自らの内に巣食う極右勢力と対峙しつつ米トランプ政権に対抗し、ロシアと中国の勢力拡大にも目を配っていかなければなりません。内外に難問を抱えて呻吟 しているEUの最大の課題はしかし、失われつつある加盟国間の連帯意識の再構築です。それがあればこそ難問の数々にも対応できます。そのEUにとっては連合内の主要国である英国が抜けるBrexitは大きな痛手です。

英国自身はBrexitでEUから去っても、政治・経済・社会・文化の成熟した世界一の「民主主義大国」として、あらゆる面でうまくやっていくでしょう。離脱後しばらくの間は、自由貿易協定を巡ってのEUとの厳しい交渉や、混乱や不利益や停滞も必ずあるでしょうが、それらは英国の自主独立を妨げることはありません。

EU域内の人々の目には、英国の自主独立の精神がかつての大英帝国の夢の残滓がからみついた驕(おご)り、と映ってしまうことがよくあります。そこには真実のかけらがあります。だが、その負のレガシーはさて置き、英国民の「我が道を行く」という自恃の精神は本物でありすばらしい。その英国民の選択は尊重されるべきものです。

そうはいうものの独立独歩の英国には、力強さと共に不安で心もとない側面もあります。その最たるものが連合王国としての国の結束の行く末です。英国は周知のようにイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド から成る連合王国ですが、Brexitによって連合の堅実性が怪しくなってきました。スコットランドと北アイルランドに確執の火種がくすぶっているのです。

特にスコットランドは、かねてから独立志向が強いところへもってきて、住民の多くがBrexitに激しく反発しています。スコットランドは今後は、EUへの独自参加を模索すると同時に、独立へ向けての運動を活発化させる可能性があります。北アイルランドも同じです。英国はもしかすると、EUからの離脱を機に分裂崩壊へと向かい、2地域が独立国としてEUに加盟する日が来るかもしれません。

Brexitを主導したボリス・ジョンソン首相が、連合王国をまとめていけるかどうかは大いなる疑問です。総選挙のキャンペーンで明らかになったように、彼はどちらかと言えば分断を煽ることで政治力を発揮する独断専行型の政治家です。Brexitのように2分化された民意が正面からぶつかる政治状況では、独断専行が図に当たれば今回の総選挙のように大きな勝ちを収めることができます。

言葉を変えれば、2分化した民意の一方をけしかけて、さらに分断を鼓舞して勝ち馬に乗るのです。その手法は融和団結とは真逆のコンセプトです。総選挙前までのそうしたジョンソン首相の在り方のままなら、彼の求心力は長くはもたないと考えるのが常識的ではないでしょうか。彼が今後、連合王国を束ねることができる、と見るのは難しいと思います。

英連合王国はもしかすると、繰り返しになりますが、Brexitを機に分裂解体へと向かい、ジョンソン首相は英連合王国を崩壊させた同国最後の総理大臣として歴史に名を刻まれるかもしれません。だが逆に彼は、Brexitを熱狂的に援護するコアな支持者を基盤に連合王国の結束を守りきるのかもしれない。米トランプ大統領が、多くの 瑕疵 をさらしながらも岩盤支持者に後押しされてうまく政権を運営し、弾劾裁判さえ乗り越えようとしているように。

もしも英連合王国が崩壊するならば、大局的な見地からは歓迎するべきことです。なぜなら少なくともスコットランドと北アイルランドが、将来は独立国としてEUに加盟する可能性が高いからです。2国の参加はEUを強くします。それはEUの体制強化につながります。世界の民主主義にとっては、EU外にある英国よりもEUそのもののの結束と強化の方がはるかに重要ですから、それはブレグジットとは逆に、大いに慶賀するべき未来だと言えるのではないでしょうか。

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教皇さまも「いわんや悪人をや」 とおっしゃったようでメデタイ

ことし11月、ローマ教皇として38年ぶりに日本を訪問したフランシスコ教皇は、恒例のクリスマスイブのミサで「神(つまりイエス・キリスト)は人類のうちの最悪人でさえも愛する」と人々に語りかけました。全世界13億人の信者に向けて開かれるクリスマスのミサは、カトリックの総本山ヴァチカンにあるサン・ピエトロ大聖堂で執り行われます。

その言葉は「全ての人を愛せ」と説いたイエス・キリストの言葉を踏襲し、あらためて確認したものと受け止めるのが普通だろうと思います。ところがイギリスのBBC放送の記者は「このメッセージは、性的虐待などのカトリック教会のスキャンダルに言及したと受け止められる可能性がある」と少し遠回しの言い方で批判しました。

その解釈は多分に政治的なものだと筆者は感じます。BBCの記者は恐らくプロテスタントなんだろうと思います。少なくともカトリックの信者ではない、と断言してもいいのではないでしょうか。彼は教皇のメッセージをカトリック教徒以外の立場から見て、その内容が自己保身的だと感じたのでしょうが、ほとんどこじつけに近い論評です。

ローマ・カトリック教会が、聖職者による性的虐待問題で激震に襲われているのは事実です。またフランシスコ教皇がその問題を深刻に受け止め「断固とした対応をとる」と公言しながらも、世界を十分に納得させるだけの抜本的な改革には未だ至っていないのもまた事実です。しかし彼がローマ教会内の保守派の抵抗に遭いながらも、決然として問題の解決に取り組んでいるのもこれまた否定できません。クリスマスのミサで保身や隠蔽を示唆する法話をした、と捉えるのは余りにも政治的に過ぎる偏狭な見方に思えます。

筆者はキリスト教徒ではありません。キリスト教徒ではないのでむろん教会や教皇を無条件に受容し跪(ひざまず)くカトリック信者でもありません。また、いうまでもなくBBC記者に寄り添うプロテスタントでもありません。それでいながら筆者は、フランシスコ教皇を真摯で愛にあふれた指導者だと考え尊崇しています。しかしそれは彼の地位やローマ教会の権威に恐れをなすからではありません。

筆者はフランシスコ教皇の人となりを敬慕し親しむのです。そしてそこから生まれ出る彼の思想や行動を支持します。筆者のその立場は、例えば先日退位して上皇となった平成の天皇への景仰の心と同じものです。筆者は天皇時代の上皇の、国民への真摯な愛と行動と言葉を敬慕し支持します。それは天皇を天皇であることのみで盲目的に敬う、胡乱蒙昧な情動とは無縁の信条に基づく判断です。

フランシスコ教皇の「最悪人も神に愛される」というメッセージは、先に書いたようにイエス・キリストの教えを踏襲すると同時に、浄土真宗の親鸞聖人が説いた「善人なおもて往生をとぐ、 いわんや悪人をや」の悪人正機説にもよく似ています。もっとも親鸞聖人の言う悪人とは、犯罪者や道徳的悪人などの今の感覚での悪人のことではありません。そこが普通に極悪人を意味する教皇の「悪人」とは違います。

親鸞聖人が言及した悪人とは仏の教えを知らない衆生のことであり、善人とは自らの力で自らを救おうとするいわゆる「自力作善の人」のことです。だが真実は、実は善人も仏の教えを知らない。彼らがそのことを悟るとき、つまり名実ともに悪人になるとき、彼らもまた救われる。だから悪人とはつまり「全ての人」のこと、という解釈もできるような込み入ったコンセプトです。

だがそのような深読みや理屈はさておき、親鸞聖人の教えの根本にあるのは愛と赦しの構えです。全ての人が仏の功徳で救われる。だから仏の教えを信じなさい、と聖人は主張するのです。それはイエスキリストの言う全ての人を愛しなさい、とそっくり同じ概念です。愛があれば憎しみがなくなる、憎しみがなくなるとは「赦し、赦される」ということです。フランシスコ教皇の「最悪人も神に愛される」とは、つまりそういうことではないか。

そのこととは別に、恐らくプロテスタントであろうBBC記者の政治的な解釈には、イギリス的な慢心も混じっているようで興味深いものがあります。筆者は英国の民主主義と、英国民の寛容の精神と開明を愛する者です。だが同時に、同じ英国人の持つ唯我独尊的な思想行動に辟易することがある、とも告白しなければなりません。そこには「赦し」の心が芽生えにくい窮屈があるように思います。

たとえばこういことがありました。2015年、筆者はイベリア半島の英国領・ジブラルタルを旅しました。スペイン領からジブラルタルに入るとき、車列がえんえんと続く渋滞に行き合いました。ところが一車線がはるか向こうまでクリアになっています。一台の車も見えず完全に空き道なのです。状況が分からない筆者はその車線に入って車を走らせました。

ところがしばらく走った先が閉鎖されていて通れません。結局大渋滞中の車線に入らなければならなくなりました。そこでウインカーを出して渋滞車線に割り込もうとすると、各車が一斉にクラクションを鳴らして拒否しました。少し空いた隙間に入ろうとすると車をぶつけるほどの荒々しい動きで空間を詰め、クラクションをさらに激しく鳴らしながらドライバーが窓を開けて罵声を浴びせたりするのです。

筆者の気持ちも顔もマッサオなそんな状態が10分以上も続きました。筆者はついに車を停めて道路に降り立ち「申し訳ない。状況が分からなかった。間違ったのだ。どうか割り込ませて欲しい」などと英語で叫び、頼み込みました。ところがそれにも大ブーイングが起こります。お前は悪いことをした。みんな渋滞の中でじっと待っている。バカヤロー!ルールを守れ!などなどすさまじい非難の嵐です。

筆者はひたすら謝りました。今来た道は戻るに戻れないのですから謝るしかありません。それでも彼らは赦しませんでした。筆者はついに諦めて、反対車線に入るために無理やり車を中央ラインの盛り上がりに乗せました。車はその動きで下部が損傷しました。それでもなんとか車を乗り上げて反対車線に入り、逆走することができました。その間も渋滞車線のドライバーたちは、クラクションを咆哮させて筆者を責め続けていました。

その経験は筆者の気持ちをひどく萎えさせました。学生時代に足掛け5年間住んだこともある英国への筆者の賞賛の思いは、その後も決して変わりません。だが時として原理・原則にこだわりすぎるきらいがある英国人のメンタリティーは、少々つらいものがあると思います。筆者は神かけて誓いますが、ジブラルタルではズルをするつもりで空き車線を走ったのではありません。状況を見極めようとしてそこを行ってみたのです。

いま考えれば、全ての車が渋滞車線にいて空き車線には入ろうとしないのですから、そこを行くのはマズイのだろうという意識が働かなければならない。ところが筆者は旅先にいるという興奮や、ジブラルタルという特殊な邦への強い興味などで頭がいっぱいになっていて、少しもそこに気が回りませんでした。それやこれやで思わず空き車線に入り先を急いでしまったのです。つまり筆者は「間違った」のです。だが苛烈な厳粛主義者の英国人はそれを決して赦そうとはしませんでした。筆者はそこに英国的リゴリズムの危うさを見ます。

「人間は間違いを犯す。間違いを犯したものはその代償を支払うべきであり、また間違いを決して忘れてはならない。だがそれは赦されるべきである」というのが絶対愛と並び立つカトリックの巨大な教義です。9割以上の国民がカトリック教徒とされるイタリア社会が、時としていい加減でだらしないように見えるのは、人々の心と社会の底流にその思想・哲学が滔々と流れているからです。彼らは厳罰よりも慈悲を好み、峻烈な指弾よりも逃げ道を備えたゆるめの罰則を重視します。イタリア社会が時として散漫に見え且つイタリア国民が優しいのはまさにそれが理由です。

筆者は確信を持って言えますが、もしもジブラルタルのようなエピソードがイタリアで発生したなら、筆者は間違いなく人々に赦されていました。先に走って割り込もうとする筆者をイタリア人ドライバーももちろん非難します。だが彼らは「しょうがないな」「Furbo(フルボ:悪賢い)め」などと悪態をつきながらも、車を止めて割り込みをさせてやります。ズルイ奴や悪い奴は腹立たしい。が、その人はもしかすると間違ったのかもしれない、という赦しの気持ちが無意識のうちに彼らの行動を律するのです。英国人にはその柔軟さがない、と筆者は昔からよく感じます。

いや、それは少し違う。英国の国民性と哲学の中にも赦しの要素はもちろんあります。たとえば英国人が好んで言う「There is no law without exception :例外のない法(規則)はない」などがその典型です。だが赦すことに関しては彼らは、例えば未だに武家社会の固陋な厳罰主義の影響下にある、日本人などに比較するとゆるやかではあるものの、全ったき愛や赦しを説くカトリックの教義や哲学に染められているイタリア人に較べた場合には、はるかに狭量だと言わざる得ません。

そのひとつの現われがジブラルタルで筆者が体験したエピソードであり、フランシスコ教皇のクリスマスのメッセージを曲解したBBC記者の言い分だと思います。だがそれは、フランシスコ教皇を支持し敬愛する筆者の、自らの立場に拠るバイアスのかかったポジショントークである可能性ももちろんあります。筆者はそれを否定しませんが、なにごとにつけ剛よりは柔のほうが生きやすく優しい、という考えは誰になにを言われようが今のところは曲げるつもりはありません。

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「クリスマスもどき」もまたクリスマスである

さて、またクリスマスが巡り来て、当たり前の話ながら年末年始がそこまで迫っています。烏兎匆匆。しかしながら一日一生の思いを新たにすれば溜息は出ません。あるいは溜息などに使う時間はありません。

昨年は25年ぶりにクリスマスを含む年末年始を日本で過ごしました。年末年始は日本で日本ふうの形で過ごしたので、こころ穏やかな充実した時間になりました。だが、クリスマスには大きな発見がありました。

つまり、クリスマスを実際に日本で過ごして状況を見聞し雰囲気を感じて、これまで筆者が抱いていた日本のクリスマスに関する思いをあらためて見極め追認した、という意味で結構な驚きであり喜びでもあったのです。

それまでの25年間、イタリアで過ごしたクリスマスでは宗教や信仰や神について考えることがよくありました。考えることが筆者の言動を慎重にし、気分が宗教的な色合いに染められていくように感じました。

それは決して筆者が宗教的な人間だったり信心深い者であることを意味しません。それどころか、筆者はむしろ自らを「仏教系無神論者」と規定するほど俗で不信心な人間です。

しかし筆者は仏陀やキリストや自然を信じています。それらを畏怖すると同時に強い親和も覚えます。ここにイスラム教のムハンマド を入れないのは筆者がイスラム教の教義に無知だからです。

それでも筆者は、イスラム教の教祖のムハンマドは仏陀やキリストや自然(神道&アニミズム)と同格であり、一体の存在であり、ほぼ同じコンセプトだと信じています。

いや、信じているというよりも、一体あるいは同格・同様の存在であることが真実、という類の概念であることを知っています。

ところが、そうやって真剣に思いを巡らし、ある時は懊悩さえするクリスマスが、まさにクリスマスを日本で過ごすことによって、それが極々軽いコンセプトに過ぎないということが分かるのです。

言わずもがなの話ですが、クリスマスは日本人にとって、西洋の祭り以外の何ものでもありません。つまり、それは決して「宗教儀式」ではないのです。従ってそこにはクリスマスに付随する荘厳も真摯もスタイルもありません。

なぜそうなのかといえば、それは日本には一神教の主張する神はいないからです。日本にいるのは八百万の神々であり、キリスト教やイスラム教、あるいはユダヤ教などの「神」は日本に到着すると同時に八百万の神々の一つになります。

言葉を変えれば、一神教の「神」を含むあらゆる”神々”は、全て同級あるいは同等の神としてあまねく存在します。唯一神として他者を否定してそびえたつ「神」は存在しません。

一神教の主張するる「神」、つまり唯一絶対の神は日本にはいない、とはそういう意味です。「神」は神々の一、としてのみ日本での存在を許されるのです。

自らが帰依する神のみならず、他者が崇敬する神々も認め尊重する大半の日本人の宗教心の在り方は、きわめて清高なものです。

だがそれを、「日本人ってすごい」「日本って素晴らし過ぎる」などと 日本人自身が自画自賛する、昨今流行りのコッケイな「集団陶酔シンドローム」に組み込んで語ってはなりません。

それというのも他者を否定するように見える一神教は、その立場をとることによって、他の宗教が獲得できなかった哲学や真理や概念―たとえば絶対の善とか道徳とか愛など―に到達する場合があることもまた真実だからです。

また一神教の立ち位置からは、他宗教もゆるやかに受容する日本人の在り方は無節操且つ精神の欠落を意味するように見え、それは必ずしも誤謬ばかりとは言えないからです。

あらゆる宗教と教義には良し悪しがあり一長一短があります。宗教はその意味で全て同格でありそれぞれの間に優劣は存在しません。自らの神の優位を説く一神教はそこで大きく間違っています。

それでもなお、自らの「神」のみが正しいと主張する一神教も、あらゆる宗教や神々を認め尊重する他の宗教も、そうすることで生き苦しみ悩み恐れる人々を救う限り、全て善であり真理です。

日本人は他者を否定しない仏教や神道やアニミズムを崇めることで自から救われようとします。一神教の信者は、唯一絶対の彼らの「神」を信奉することで「神」に救われ、苦しみから逃れようとします。

日本には一神教の「神」は存在しない。従ってそこから生まれるクリスマスの儀式も実は存在しません。日本人がクリスマスと信じているものは、西洋文明への憧憬と共にわれわれが獲得した「ショーとしてのクリスマス」でありクリスマス祭なのです。

それはきわめて論理的な帰結です。なぜなら宗教としての定式や教義や規律や哲学や典儀を伴わない「宗教儀式」は宗教ではなく、単なる遊びであり祭りでありショーでありエンターテインメントだからです。

それは少しも不愉快なものではありません。日本人はキリスト教の「神」も認めつつ、それに附帯するクリスマスの「娯楽部分」もまた大いに受容して楽しみます。実にしなやかで痛快な心意気ではないでしょうか。

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いまさら聞けないベニス水没の常識

可動式モーゼ堤防

100メートル近い高さがあるベニスのサンマルコ広場の鐘楼の足元には、高潮の潮位を示す掲示版メーターが備えられています。2019年11月12日、メーターは187センチを示しました。史上最悪だった1966年の194センチに次ぐワースト記録です。 

ベニスの高潮は秋から春にかけて起こります。12月の今のこの時期も真っ盛りです。アフリカ・サハラ砂漠生まれの風「シロッコ」がアドリア海に吹き込んで、海面の潮を吹き集めて北のベニス湾に押し込みます。それによって街が浮かぶラグーナと呼ばれる遠浅の海の海面が急上昇して、ベニスを水浸しにするのです。

サハラ砂漠が起源のシロッコは元々は乾いた熱い風ですが、地中海を吹き渡る間に水気を吸って湿ります。熱く湿った風となったシロッコは、アドリア海のみならずイタリア中に吹きまくって環境に多大な影響を与えます。それはヒマラヤ起源の大気流が影響して、日本に梅雨がもたらされるのにも似た自然の大いなるドラマです。

シロッコが高潮をもたらす気象状況は、ベニスの街が誕生した5世紀半ば以来えんえんとつづいてきました。しかし近年は高潮は、洪水と呼ぶほうがふさわしいほど悪化して、被害の拡大がつづいています。災害は一年の半分近い期間に渡って起きますが、特に雨が降りやすい晩秋から冬の初め頃に多発します。

シロッコの被害を別にしてもベニスは水没しつつあります。周知のようにベニスは、遠浅の海に人間が杭を打ち込み石を積みあげて、土地を構築・造成して建物を作っていった街です。そこは海抜1メートルほどの高さしかありません。それにもかかわらずに地下のプレートが毎年数ミリづつ沈下しています。放っておいても数百年もたてば海抜0メートルになる計算です。

それに加えて、地域の工業化に伴って地下水を汲み上げ過ぎたために、人工造成された街の地盤が沈下する悲劇も起きました。現在は少し良くなりましたが、危機的な状況に人々が気づかなかった1950年から70年にかけての20年間だけでも、地盤は12センチも沈降したのです。

元からあるそれらの悪条件に加えて、最近は温暖化による水位の上昇という危難も重なりました。そのためにベニスでは、天為と人為の害悪が重層的に影響し合って地盤沈下が進行し、そこに低気圧や季節風による高潮が襲う、という最悪の構図が固定化してしまったのです。

課題の多いベニスには、ここ数年は中国人観光客が大量に押し寄せて、これまた元からあるオーバーツーリズム問題に拍車がかかりました。そのため彼らのマナーの悪さなどへの批判も重なって、中国人の重さでベニスの沈下速度が加速している、といったデマが流れたりもするほどです。

街では年々悪化する浸水被害を食い止めようとして、多くの対策 が編み出され試行錯誤が繰り返されてきました。その中で究極の解決策と見られたのが、ベニスの周囲に可動式の巨大な堤防を設置して高潮をブロックする計画、いわゆる「モーゼ・プロジェクト」です。

モーゼがヘブライ人を率いてエジプトから脱出した際、海が割れて道ができた、という旧約聖書の一節を模してそう名づけられました。壮大なその計画は、アドリア海からラグーナに入る海流の入り口となる海中の3箇所の自然道に、防潮ゲートを設置するというものです。

堤防は固定式の水門にするとと海流を止めて生態系を壊してしまう危険が高いため、可動式のアイデアが採用されました。1980年代に着想されたプロジェクトは2003年から工事が始まりました。現在までにおよそ7000億円もの巨費が投入されてきています。

計画は国を挙げて進められていますが一向に完成せず、推定されていた16億ユーロの初期費用が膨らみつづけて、55億ユーロ以上(約7000億円)にまで達したのです。この先も予算は際限なく膨張するに違いないという批判も多くあります。

無責任にも見える不手際はそれだけにとどまりません。なんと55億ユーロのうちの20億ユーロが、汚職に使われたと見られているのです。それに関連して、2014年にはベネチア市長を含む35人が贈収賄で逮捕されました。政財界を巻きこんだ醜聞は後を絶ちません。

「モーゼ・プロジェクト」の完成は当初2014年とされていましたが、それは2016年に延び、さらにほぼ2年ごとに延長されつづけています。現在は2021~22年の完成予定とされていますが、それを信じる者は文字通り誰もいません。

「モーゼ・プロジェクト」の混乱と、年々悪化する高潮被害を受けて、ベニス救済へ向けたあらたなアイデアも生まれています。その中でもっとも注目されているのが、「水には水を」のコンセプトで推進されている「地盤への海水注入作戦」です。

作戦ではベニスに直径10キロの円を描く12本の井戸を掘って、何年もかけて膨大な量の海水を地下に注入します。すると海水を注ぎ込まれた地層が膨張し隆起して、地盤沈下の進行が止まる、というものです。

ベニス近くのパドバ大学の教授が提案したそのアイデアは、「モーゼ・プロジェクト」よりもはるかに低いコストで実行することができ、成功した場合は「モーゼ・プロジェクト」と併用するか、あるいは「モーゼ・プロジェクト」そのものが不要になる可能性も秘めています。

そうなれば7000億円以上もの無駄が生じることになります。しかし、人類の宝である唯一無二の美しい街ベニスを本当に救うことができるならば、海水注入計画にさらなる費用がかかっても、十分におつりがくるのではないでしょうか。


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英総選挙、ドンデン返しの読み方

選挙結果を予測するのは、(立候補した)当事者か投資家でもない限り無意味です。なぜなら、選挙はフタをあけてみるまで分からない、という古すぎると言うさえばかばかしいほどの箴言が常に正しいからです。投資家だけはボロ儲けを狙って、魑魅魍魎が横行する選挙後の金融投機市場に資金を注ぎ込もうとしますから死に物狂いで結果予測を試みます。

しかし、机上論者の経済学者らが、現実の市場経済の動向や実体を「理路整然と」間違うことが多いように、投資家たちも選挙という魔物の正体に惑わされてしばしば大損をこうむります。要するに選挙とは、結果を測ることが至難の、だが結果を予測することが選挙自体よりも得てして魅力的な、人間の不思議な発明の一つです。

筆者はそこかしこで表白しているように、Brexitの行方を十中八九決定するであろうイギリスの総選挙の様子を真剣に見守っている「反Brexit主義者で英国ファン」の男です。Brexitを巡る自身の政治的立ち位置については前回エントリーでも既に述べました。

世論調査によれば、Brexitの実行、というよりも「強行」を叫ぶジョンソン首相率いる保守党が、最大野党の労働党を10%前後リードしていて、もはや選挙戦の勝敗は決したという状況です。筆者はこの直前記事ではそのことを踏まえて、投票日までに情勢が劇的に変わらなければ 、英国は離脱期限である1月31日さえ待たずにEUから離脱する可能性もある、と書きました。

白状すれば実はそれは、強い反Brexit 主義者である筆者の願いとゲンかつぎに基づく表現でした。つまり、Brexitはもはや成った、と信じる振りで書くほうが逆の結果をもたらす、と姑息に考えたのです。だがそれはあまりにも子供じみた願いだと気づきました。そこで選挙結果が出る前に、下手な評者 としての少しの論理的思い、また惑いなどを表明しておくことにしました。

Brexit強行派のジョンソン首相率いる保守党の優位は変わらず、投票2日前の12月10日現在、もはや勝敗の行方ではなく保守党がどれくらいの差で勝利するかが焦点、とさえ考えられています。保守党が大勝した場合は問題なくBrexitに向かい、僅差での勝利の場合のみBrexit見直し論が沸き起こる可能性がある、というのが世論調査に基づく一般的な見方です。

ところがその状況は実際には落とし穴である可能性もあります。2017年、当時のテリーザ・メイ首相はBrexit論争の膠着状態を打開しようとして、世論調査が伝える高い保守党支持率を頼りに解散総選挙に打って出ました。ところが結果は惨敗。彼女は失脚と形容しても過言ではない形で権力の座から去りました。

彼女の前にはデヴィッド・キャメロン首相が、やはり世論調査での高い支持率に裏切られる格好で、Brexitの是非を問う国民投票を敢えて実施し敗北。政権の座を追われました。いや、実のところはキャメロン首相は、無責任にも政権の座を投げ出した、というほうが正確だと思います。

キャメロン元首相の行為は、2016年のイタリアのマテオ・レンツィ元首相の思い上がり国民投票実施や石原慎太郎元東京都知事の尖閣諸島購入計画、あるいは仲井眞弘多元沖縄県知事の辺野古移転容認策などと同様に、後世まで語り継がれ指弾され続けられるべき事案です。

英国の各世論調査は近年、選挙や国民投票の予測で失敗を繰り返し全く信頼に値しない、という見方もあります。だがその傾向はイギリスだけにとどまりません。世論調査が2016年、米大統領選挙でのトランプ氏勝利についても、大失策を演じたのは記憶に新しいところです。

世界中で同様のことが起きていますが、民主主義大国である英国の場合は特に、有権者の動向を予測するのがきわめて難しくなっています。今回の総選挙でもほぼ全ての世論調査が保守党の勝利を見込んでいるものの、実は有権者の半数が投票日まで誰に票を入れるかを決めていない可能性があり、誰がどの程度の差で勝利するかは分からないのが実情です。

英国では投資家などを中心とする人々が、世論調査の不手際をおそれて、人工知能による分析やWEBによる選挙民のムード分析、あるいは既存のブックメーカーの分析予想法などを駆使して、選挙結果を推測しようとする動きまであります。かつては選挙結果を予想する時に参考になったのは、85%までが世論調査の数字だったのですが、現在では30%以下だとさえ言われます。

つまり、ジョンソン首相と保守党の勝利を一様に予測している各種世論調査の結果は、間違っている可能性があるということです。首相と保守党の敗北とまではいかなくとも、僅差での勝利にとどまるケースも考えられるのです。つまり筆者のポジショントークではなく、選挙後にBrexit見直し論が起こり、ひいてはBrexitが反故になることも依然としてあり得るということです。

Brexitはこの直前の論考で述べた通り、大局的に見て世界のためにならないと思いますが、地域的に見ても、特にジョンソン首相が政権を維持し続けるようなら、英国のために全く良くないと思います。彼は権力の亡者だとされます。自らが首相になりたい一心でBrexitを推進してきたという批判もあります。

しかしながら、政治家である以上は、政界の最高の地位である総理大臣を目指すのは当たり前だと筆者は考えます。そうではない政治家なんてどうせたいしたことはない。それは政権掌握を目指さない政党がフェイクであるのと同様の大いなる欺瞞です。

ジョンソン首相の政治家としての野心は良しとするべきだと思います。しかし彼は人間的に信用できない男、という評価が敵味方にかかわりなくつきまとっています。政治家としては勿論、彼がジャーナリストだった時代でも同じです。宰相になりたいという彼の野心よりもこの悪評のほうがよっぽど深刻ではないでしょうか。

そこを捉えて、BBCの著名なジャーナリストが「信頼」をテーマに、ジョンソン首相への公開質問状をテレビ画面を通して公表しました。そこにはジョンソン首相の嘘で塗り固められた政治主張や言動や行状がこれでもか、とばかりに語られています。

BBCは公開質問状をこう説明しています。「これはわれわれが視聴者の代わりに、政権を握るかもしれない人を詰問し、責任を問うものです。それが民主主義です」」と。その説明通り詰問状は、ジョンション首相が所属する保守党以外の全ての党の党首にも投げかけられ回答を得ました。ところがジョンソン首相だけはそれに答えずに逃げ回っているのです。

ジョンソン首相は、Brexitを推進した「Brexit党」党首のナイジェルファラージ氏と同じトランプ主義者です。トランプ主義者とは反移民、人種差別、宗教差別などを旗印にして、「差別や憎しみや不寛容や偏見を隠さずに、汚い言葉を使って口に出しても構わない」と考え、そのように行動する人々ことです。また言葉や行動にはしなくてもその思いを秘めている人々も同じです。

ジョンソン氏は従って、誇り高き民主主義大国・英国の首相にはふさわしくない、と筆者は考えます。Brexitが帳消しになればジョンソン氏の首相職も同じ道をたどることになるでしょう。その意味でもやはり筆者は、英国の総選挙の結果がサプライズになることを願わずにはいられないのです。

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