2020年3月5日AM7時現在、イタリアの新コロナウイルス感染者は3089人。COVID-19による死亡者は107人に上昇。 これは過去24時間で28人が新たに死亡し587人の新規感染が確認されたことを意味します。
ここ数日は感染者は毎日およそ500人単位で増え続け死者の数も多い。どちらも不安な傾向ですが、実は治癒した人もこれまでに276人と増えてはいます。少しの朗報かもしれません。
感染はついに筆者の住まう人口約1万1千人の村(※1)にも及んで、昨日村で初めてのCovid-19患者が出ました。いつかこうなるかもしれないと予想していましたから、やっぱり、という思いと、まだ信じられないという思いとが交錯する暗うつな心境を持て余してます。
筆者の住む村から封鎖されているロンバルディア州の感染爆心地までは、直線距離で50キロメートル余り。すぐそこと形容してもいい近さですが、ここまで普段通りの生活をしてきているため緊迫感はありませんでした。しかし居住地域内に患者が出たことで少し状況が変わり始めました。
村での感染者発生のニュースを追いかけるように、封鎖されている北部イタリアの11自治体に課されているルールを全国にも適用する、と先ほど政府が決定しました。そのせいで事態の深刻さをあらためて思い知らされた気分にもなっています。
全国に適用するルールとは即ち、大学を含む全ての学校の閉鎖、図書館や博物館などに始まる公共施設の公開規制や閉鎖、イベントや集会の禁止、レストランやカフェやバーなどの閉鎖または営業短縮など、など。
また人との挨拶の際に握手やハグや頬へのキスを避けるように、という要請も政令に盛り込まれました。さらに人と会う時には1メートル以上の距離を置き、75歳以上の高齢者や持病のある65歳以上の人は外出を控えること、ともしています。
少しばかげたように見える条項まであるそのガイドラインは、COVID-19に取り憑かれたイタリアの必死の思いがてんこ盛りにされているようで、少々悲しい。だが人々は、真剣に政府の要請に応えようとしているような雰囲気が感じられます。
昨日、スーパーを巡って飲食物の買出しをしました。店はどこも平穏そのものでした。筆者が「感染爆発」と形容している集団感染が明らかになった直後の24日にも同じような行動をしました。その時は幾つかの店の精肉売り場に異変がありました。製品棚が空だったのです。
それは週末の感染爆発騒ぎに不安を覚えた人々のパニック買いの結果のように見えました。が、よく考えてみるとこの国には、金曜夜から日曜日の間に食料を食べ尽くした人々が、週明けの月曜日にどっと買い物に出る習慣があります。ですから先週目にした肉売り場の異変は、その習俗も重なっての現象だったのではないか、と静かな店内を見回していまさらながら思ったりしました。
ついでに県庁所在地の街まで足を伸ばしました。車で20分ほどの距離です。中華食材店で豆腐を買おうと思ったのです。しかし豆腐はありませんでした。新鮮な豆腐は火曜日と金曜日にミラノから運ばれます。だが金曜日にもまた前日の火曜日にも配達がなかったとのこと。むろんCOVID-19が原因です。
店は閑散としていましたが、以外にもイタリア人買い物客が2,3人いました。中華食料品店は普段でもあまり込み合うことがないので静寂は気にならなかったのですが、店員が皆マスクをしているのが印象的でした。イタリアも他の欧米諸国と同じで人々がマスクを付ける習慣はありません。COVID-19騒動でさすがにそれを付ける人は増えましたが、基本的に異物扱いで敬遠されます。
店員の中国人たちは、多人数の客に接するので防御のためマスクを付けているのでしょうが、いつもとは違って胡散臭く感じたのは、こちらの心理の微妙な波立ちのせいだったのでしょう。ちなみに筆者を含む客は誰もマスクを付けていませんでした。
じわじわとあたりの空気が淀んでいくようないやな気配がイタリア中に漂い始めています。COVID-19はまだ良く得体が知れずワクチンもありません。それがいやな気配の正体ですが、冷静にしていれば近い将来必ず平穏が戻るに違いない。だが人々の不安は消えません。
不安感があたりに暗いものを呼び寄せています。そうした中、人々の心に明かりを灯すような出来事もありました。COVID-19の蔓延を受けて休校となったミラノの高校の校長が、社会の現状を過去のペスト流行時の恐怖になぞらえて、「デマに振り回されることなく冷静に行動するように」と学校のホームページを介して全校生徒に語りかけ感動を呼んでいるのです。
ペストは過去に繰り返し欧州を襲った疫病です。14世紀の流行では欧州の人口のおよそ半分(3割~6割と学説に幅があります)が死滅し、世界では1億人が死亡したとされます。イタリアでは人口の8割が死んだ地方さえあります。校長先生は、ペストに襲われた17世紀のミラノの混乱とパニック、また恐怖を描いた小説を引き合いに出して、デマや妄想や集団の狂気に惑わされることなく普通に日々を送りなさい、と生徒を鼓舞しています。
校長はまた、現代の医学は14世紀や17世紀とは格段に違って進歩している。それを信じて休校のあいだ理性と秩序に基づいた生活を送り、読書をし、また機会があれば散歩に出かけて日々を楽しみなさい、とも言います。それでなければペスト(即ちCOVID-19)が私たちを打ち負かしてしまうかもしれません、と締めくくりました。
今イタリアに、また日本に、そして世界に求められているのは、まさにこの校長の主張する「デマに惑わされず冷静に普通に社会生活を送ること」です。それができれば、さらなる感染の拡大でさえ「恐るるに足らず」と構えていられる、と確信を持って思うのはおそらく筆者だけではないでしょう。
※1 イタリアには市町村という名称はなく、自治体は全てComune(コムーネ=コミューン)と呼ばれます。ローマやミラノなどの大都市も人口数百人の小さな集落も全て同格のComune(自治体)です。筆者は自身の住まう田園地帯のComuneを勝手に「村」と規定しています。
official site:なかそね則のイタリア通信