イタリアの新型コロナウイルス感染者数は3月11日、ついに1万人超えの節目を経て、さらに増加を続けています。ロンバルディア州ほか北部の一部地域に限られていた移動制限などの厳しい隔離・封鎖措置は、全土に拡大施行されました。
3月9日、筆者は自身の管理するブログに
「封鎖地域内に閉じ込められたとはいうものの、僕の暮らしにはそれほどの変化はなく、隔離されたという実感もない。それはおそらく封鎖域がイタリアでも最大級の、且つ人口も1000万人以上になる、ロンバルディア州の全体であることが理由なのだろう。一昨日初めて感染者が出て、今日までに3人に増えた僕の住まう小さな村がその対象であったなら、きっと強い窒息感に見舞われていたことだろう。」
と書きました。
ところが個人の移動制限を柱とする規制は翌10日から徐々に強められ、またたく間にイタリア全土に適応されることになりました。住民はそれぞれの住まう自治体(日本の市町村)内に留まることを義務付けられました。仕事や病気やその他の緊急事態が理由の移動は許されますが、移動許可証を携帯しなければなりません。筆者はあれよという間に自分の住まう小さな村に閉じ込められることになったのです。
第2次世界大戦以来ともいわれる厳格な規制措置の内容は、 まず今述べたうむを言わさない厳重な移動管制。結婚式や葬式を含む全ての集会の禁止。カフェ、バール、レストラン、美容院、また日常必需品店以外のあらゆる店の完全閉鎖です。
一方、営業できるのは薬店、スーパー、食料品店。ほかにはガソリンスタンド、自動車修理工、キオスク(新聞売店)、タバコ屋、銀行など。またバスや列車などの公共交通機関はストップしない。さらに配管工など日常生活を支える職人も活動を許されます。
タバコ屋が開くのが不思議です。もしかするとそれは税収を失いたくない国の思惑なのでしょうか。あるいはまた、どうせ不可解なコロナウイルスに殺される命なら、せめて正体が明らかなニコチンで国民を殺してやろうという国家の親心かも、と嗤ってみたい気がしないでもありません。
全ての国民(むろん筆者のような外国人居住者を含む)は、住まいのある自治体(市町村)内での移動のみが許されます。たとえ隣の町や村であっても訪問は許されず、必要不可欠な場合のみ許可証(自己申請)持参で通行できます。必要不可欠な場合とは、仕事や病気や事故などにまつわる移動のこと。
要するに全ての国民は、不要不急の外出をせず基本的に自宅に留まれ、ということです。違反した者は3ヶ月の禁固刑、または重い罰金が科される。今のところ前述の禁止条項に当てはまらない業種での就労は認める、としていますが状況によってはさらなる締め付けが予想されます。
筆者は今回の規制のおかげで、普段買い物に出かける5軒のスーパーの全てが、自分の住む村ではなく隣接する自治体内にあることを初めて知りました。仕事でもプライベートでも遠出をすることが多く、足元の村のことをほとんど知らなかったのです。それらの店は全て車で10分以内の距離にあり、規模が大きく品揃えも豊富です。
だが今後は村内のスーパーで買い物をしなくてはならなくなりました。人口1万1千の村の領域はそれほど狭くはなく、スーパーもいくつかあります。しかしどの店も規模が小さく、鮮魚をはじめ多くの品が置かれていません。それが筆者の足が遠のく主な理由だったのですが、これからはそこだけが頼れる場所になってしまいました。今は我慢するしかありません。
買出しの不便を除けば、しかし、筆者は移動制限ほかの封鎖措置にそれほどの不自由は感じません。仕事も家でできるもの以外は全てキャンセルするか延期にしました。それは筆者の都合のみならず、相手の都合もからんでの成り行きです。なにしろ誰もが厳しい隔離・封鎖、また規制の中に置かれています。お互い様なのです。
今日3月13日AM6時現在のイタリアの総感染者数は15113。このうち1016人が亡くなり1258人が治癒しました。従って感染者の実数は12839人です。この数字は中国以外ではイランや韓国を抜いて最も高く、感染者が激増しているフランス、スペイン、ドイツなどに比較してもまだ圧倒的に多い人数です。
そうした過酷な現実を前にしては、辛い首かせも致し方ないと考えます。不便だがおそらくそれらは必要な規制です。予防措置や防衛手段や安全保障策は、過剰すぎるぐらいのほうがちょうど良い。なぜなら危機が過ぎた後で「大げさだったね」「バカだったね」と皆で笑い合うほうが、その時になって泣くよりも1億倍も望ましい未来だからです。
official site:なかそね則のイタリア通信