ベニスを見てから死ね

ベニスは街の全体が巨大な芸術作品と形容しても良い場所です。

その意味では、街じゅうが博物館のようなものだと言われる、ローマやフィレンツェよりもはるかに魅力的な街です。

なぜなら博物館は芸術作品を集めて陳列する重要な場所ではありますが、博物館そのものは芸術作品ではないからです。

博物館、つまり街の全体も芸術作品であるベニスとは一線を画すのです。

ベニスは周知のように、何もない海中に人間が杭を打ちこみ石を積み上げて作った街です。 

そこには基本的に道路は存在しません。その代わりに運河や水路や航路が街じゅうに張り巡らされて、大小四百を越える石橋が架かっています。

水の都とは、また橋の都のことでもあるのです。

ベニスの中心部には自動車は一台も存在せず、ゴンドラや水上バスやボートや船が人々の交通手段となります。

そこは車社会が出現する以前の都市の静寂と、人々の生活のリズムを追体験できる、世界で唯一の都会でもあります。

道路の、いや、水路の両脇に浮かぶように建ち並んでいる建物群は、ベニス様式の洗練された古い建築物ばかり。

特にベニスの中心カナルグランデ、つまり大運河沿いの建物はその一つ一つがい謂(いわ)れのある建物群。全てが歴史的建造物。

それぞれの建物は、隅々にまで美と緊張が塗りこめられて大運河の全景を引き立て、それはひるがえって個別の建築物の美を高揚する、という稀有(けう)な街並みです。 

しかしこう書いてきても、ベニス独特の美しさと雰囲気はおそらく読む人には伝わりません。

 ローマなら、たとえばロンドンやプラハに比較して、人は何かを語ることができます。またフィレンツェならパリや京都に、あるいはミラノなら東京やニューヨークに比較して、人はやはり何かを語ることができます。

ベニスはなにものにも比較することができない、世界で唯一無二の都会なのです。

唯一無二の場所を知るには、人はそこに足を運ぶしか方法がありません。

足を運べば、人は誰でもすぐに筆者の拙(つたな)い文章などではとうてい表現し切れないベニスの美しさを知ります。

ナポリを見てから死ね、と良く人は言います。

しかし、ナポリを見ることなく死んでもそれほど悔やむことはありません。

ナポリはそこが西洋の街並みを持つ都市であることを別にすれば、雰囲気や景観や人々の心意気といったものが、たとえば大阪とか香港などにも似ています。

つまり、ナポリもまた世界のどこかの街と比較して語ることのできる場所なのです。

見るに越したことはないが、見なくても既に何かが分かります。

ベニスはそうはいかない。

ベニスを見ることなく死ぬのは、世界がこれほど狭くなった今を生きている人間としては、いかにも淋しいことです。

 

 

 

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地中海のカモメがつぶやいた

昨年に続き地中海のサルデーニャ島でひと足先にバカンスを過ごしました。6月の地中海の気温は高く、だが風は涼しく空気は乾いてさわやかでした。

日本語のイメージにある地中海は、西のイベリア半島から東のトルコ・アナトリア半島を経て南のアフリカ大陸に囲まれた、中央にイタリア半島とバルカン半島南端のギリシャが突き出ている海、とでも説明できるでしょうか。

日本語ではひとくちに「地中海」と言って済ませることも多いのですが、実はそれは場所によって呼び名の違う幾つかの海域から成り立っていて、イタリア語を含む欧州各国語で言い表される地中海も、もっと複雑なコンセプトを持つ言葉です。

地中海にはイタリア半島から見ると、西にバレアス海とアルボラン海があり、さらにリグリア海があります。東にはアドリア海があって、それは南のイオニア海へと伸びていきます。

イタリア半島とギリシャの間のイオニア海は、ギリシャ本土を隔てて東のエーゲ海と合流し、トルコのマルマラ海にまで連なります。それら全てを合わせた広大な海は、ジブラルタル海峡を通って大西洋にあいまみえます。

地中海の日差しは、北のリグリア海やアドリア海でも既に白くきらめき、目に痛いくらいにまぶしい。白い陽光は海原を南下するほどにいよいよ輝きを増し、乾ききって美しくなり、ギリシャの島々がちりばめられたイオニア海やエーゲ海で頂点に達します。

乾いた島々の上には、雲ひとつ浮かばない高い真っ青な空があります。夏の間はほとんど雨は降らず、来る日も来る日も抜けるような青空が広がっています。

さて、エーゲ海を起点に西に動くとギリシャ半島があり、イオニア海を経てイタリア半島に至ります。その西に広がるシチリア島を南端とする海がティレニア海です。

地中海では西よりも東の方が気温が高くより乾燥しています。そして筆者が2年連続でバカンスを過ごしたサルデーニャ島は、地中海のうちでも西方に当たるティレニア海にあり、一方でギリシャの島々の多くは東方のエーゲ海に浮かんでいます。

サルデーニャ島よりもさらに気温が高く空気も乾いているギリシャの島々では、目に映るものの全てが透明感を帯びていて、その分だけ海の青とビーチの白色が際立つように見えます。

ギリシャの碧海の青は、乾いた空気の上に広がる空の青につながって融合し一つになり、碧空の宇宙となります。そこには夏の間、連日、文字通り「雲ひとつない」時間が多く過ぎます。

カモメが強風に乗って凄まじいスピードで真っ青な空間を飛翔します。それはあたかも空の青を引き裂いて走る白光のようです。

サルデーニャ島とギリシャの島々の空と海とビーチの空気感を敢えて比べて見れば、エーゲ海域をはじめとするギリシャの方がはるかに魅力的です。

サルデーニャ島の海やビーチは言うまでもなく素晴らしい。またサルデーニャ島の海上にもカモメたちは舞い、疾駆します。しかし白い閃光のような軌跡を残す凄烈な飛翔は見られません。

上空に吹く風が弱いためにカモメの飛行速度が鈍く、また空にはところどころに雲が浮かんでいて、青一色を引き裂くような白い軌跡は、雲の白に呑み込まれて鮮烈を失うのです。

そうした光景やイメージに、それ自体は十分以上に乾燥しているものの、ギリシャに比較すると湿り気を帯びているサルデーニャ島の環境の「空気感」が加わります。

それらのかすかな違いが重なって、どこまでもギリシャを思う者の心に、サルデーニャ島の「物足りなさ」感がわき起こります。それは超一級のバカンス地であるサルデーニャ島にとっては、少し理不尽な物思いといわなければなりませんが。

 

 

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NHKは矜持を失ったか

私がNHKに対して批判的な記事を書くのは、おそらく今回が始めてではないかと思います。これまでも自分のOFFICIALサイトで度々NHKについて書いてきましたし、お仕事として依頼された原稿を提供している産経デジタル社のサイト、「iRONNA」にも会長問題、受信料問題など書いてきました。

私の論調は一貫してNHK擁護の立場でありました。NHKには時の政権からのいかなる圧力にも屈することなく、不偏不党で中立公正にジャーナリズムの王道を走って欲しい。そのための受信料だから、当然支払うべきだと昔から主張してきました。

かくいう私も長年にわたってNHK内部の人間であり、NHKで働いて禄を食み、子供のミルク代を得てきたという恩義もあります。このサイトを共同で主宰している仲宗根さんと30年前にローマで出会った時、私は株式会社NHKクリエイティブという、今はなきNHKの関連企業に籍を置いていました。自らの社名にクリエイティブと名付けるとは、ずいぶん気負った会社だなと思いましたが、まあいいでしょう。とにかくNHKについて私は知り尽くしています。

時代は令和になって、そこここからNHKの報道姿勢に疑問を持つ声が、急速に高まってきました。「みなさまのNHK」ではなく「安倍様のNHK」に成り果てているのではないかという指摘です。これについては、さすがの私も擁護しきれません。ハッキリ言いましょう。ここ数年間でNHKは80年の伝統で培ってきた中立公正なNHKの矜持をかなぐり捨て、安倍政権の広報機関へと大きく舵を切りました。変貌してしまったのです。もはや長年私がお世話になった古き良きNHKは、どこかへ消え去ってしまったかのようです。

何がNHKを変えてしまったのでしょうか。1万2千人の職員と数万人の外部スタッフが、そう簡単に考え方を変えるでしょうか。NHKの体質に何か根本的な変容があったのでしょうか。

組織の体質などというものはそう簡単に変わるものではありません。私が思うには、体質、などという漠然としたものについて語ってもあまり意味がないのではないでしょうか。あえてNHKの組織としての体質は、と問われるなら、それは役人と職人を融合したような体質だ、とお答えしておきましょう。役人ですから上司の命令には忠実です。一方では「いかなる圧力にも屈せず自らの良心のみに基づいて判断する」という崇高な理念があり、職員は常にその狭間で揺れ動いています。それは今も昔も変わっていないでしょう。

体質ではなく何が変わったのか。それは極めてわかりやすくシンプルです。ズバリ会長人事です。役人組織ですからトップの意向でいかようにも変貌します。NHKの会長は経営委員会で選任されますが、長年にわたってNHK内部からのたたき上げの職員が就任したら、次の会長は外部から選ぶ、その次はまた内部から、と交互に就任してきました。少なくとも私の現役時代はそうでした。

私がNHKにいた頃は内部からのたたき上げの人物が、歴代の会長を務めていました。1989年からの島桂次会長、1991年からの川口幹夫会長、1997年からの海老沢勝二会長と20年にわたって内部からの人選でしたが、内部で派閥を構成する報道局政治部出身と番組制作局出身から交互に選ぶことによって、局内のバランスも取れていました。

それが2008年以降、外部から招聘された会長の代が続くのです。アサヒビールから来た福地茂雄会長、JRから来た松本正之会長、三井物産から籾井勝人会長、現在の上田良一会長と既に10年あまりにわたって、異例の外部出身会長が続いています。会長の人選は経営委員会が行いますが、その経営委員たちは内閣総理大臣によって直接指名されます。

この10年は、安倍晋三の政権期間と見事に一致しています。籾井勝人氏はNHK会長就任の際に「政府が右と言っている時に左とは言えない」と発言して物議をかもしましたが、そういった発言を口に出すか出さないかの違いこそあれ、安倍首相に直接選任された会長がNHKを牛耳っている限り、「みなさまのNHK」ではなく「安倍様のNHK」になるのは当然のことだと私は思います。

画面上のことで言うと、かつて硬派のジャーナリストであった国谷裕子さんがクローズアップ現代から降ろされた頃、その変化は多くの人に感じ取られたと思います。変わって安倍首相にずっと密着して取材を続けてきた報道局政治部の岩田明子記者が、今やメインの解説者として度々ニュースの画面に登場しますが、話す内容はまさに政府広報です。

NHKの経営委員会をここまで指揮下に収めることができたのは、安倍首相の長期政権によるものだと言ってよいでしょう。日本の議院内閣制はたてまえは三権分立ですが、実際には立法、行政、司法の三権が内閣総理大臣に集まりやすくなっています。特に長期政権が続くとその傾向は強まります。三権に続いて四番目の権力と言われるマスコミまで手中に収めた安倍政権は、もはや怖いものなしの独裁者になっているようです。

国民から選挙で選ばれた代議士であり、その代議士から選挙で選ばれた総理大臣なのだから、最も国民の意思を代弁しているはず、という民主主義の原則に基づいていることは間違いないでしょう。だからといって総理大臣は何をしてもよい、というわけではないはずです。

ファシズムは民主主義から生まれます。ヒトラーは公正な選挙によって選ばれ独裁者になったわけで、クーデターでも犯罪を犯したわけでもなかったのです。私はこの日本でもマスコミが政府に牛耳られ、言論が封殺されるようになったなら、それは十分国家の危機だと言うべきだと思います。

NHKにはまだ希望を捨てていません。役人としてだけではなく職人としての資質も持ち合わせているのだから、職員一人ひとりが己の信念に基づいて行動する勇気を持てば、独裁者に屈することなくジャーナリズムを貫徹できるはずだと信じています。信じさせてください。

Stand Up!Wake Up!

9月に会いましょう

イタリアでは毎年6月にもなると、それほどひんぱんには会わない人同士の別れの挨拶として、「9月に会いましょう」というのが多くなります。

夏のバカンス後にまたお会いしましょうね、という意味です。

さらに7月にもなると、しょっちゅう会っている人同士でも、この「9月に会いましょう」が別れの常套句、あるいは合言葉のようになります。

何が言いたいのかといいますと、イタリア人にとっては夏の長期休暇というのはそれほどに当然のことで、人々の日常の挨拶にも如実にあらわれるということです。

良く言われるように、長い人は1ヶ月の休みを取ることも珍しくありません。もちろんそれ以上に長いバカンスを過ごす者もいます。休暇の長さは、人それぞれの仕事状況と経済状況によって、文字通り千差万別です。

裕福な人々や幸運な道楽者のうちには、子供の学校の休みに合わせて、3ヶ月の休暇を取るようなトンデモ人間もいたりしますが、さすがにそれはごく少数派。

それでも、子供の休みに合わせて、妻以下の家族が6月から8月の間は海や山のセカンドハウスに移住し、夫は都市部に残って通常通りに働きながら週末だけ家族の元に通うケースもよくあります。

筆者はそれを「通勤バカンス」と勝手に呼んでいますが、通勤バカンスを過ごす男たちも、もちろんどこかで長期の完全休暇を取ることはいうまでもありません。

休むことに罪悪感を覚えるどころか、それを大いに賞賛し、鼓舞し、喜ぶ人々が住むこの国では、そんな風にさまざまなバカンス模様を見ることができます。

とはいうものの実は、大多数のイタリア国民、つまり一般の勤め人たちは、最低保証の年間5週間の有給休暇のうち、2週間の「夏休み」を取るのが普通です。

それは法律で決まっている最低限の「夏期休暇の日数」で、たとえば筆者がつい最近まで経営していた個人事務所に毛が生えただけのささやかな番組制作会社でも同じです。

会社はその規模には関係なくスタッフに最低2週間の有給休暇を与えなければなりません。零細企業にとっては大変な負担です。

しかし、それは働く人々にとってはとても大切なことだと筆者は感じます。人間は働くために生きているのではない。生きるために働くのです。

そして生きている限りは、人間らしい生き方をするべきであり、人間らしい生き方をするためには休暇は大いに必要なものです。

イタリアでは2週間の夏の休みは、8月初めから同月の半ば頃までの間に取る人が圧倒的に多い。会社や工場などもこの期間は完全休業になります。

ところが、時間差休暇というものがあって、時間に融通のきく仕事を持っている人々の中には、多くの人の休暇が集中する8月の混乱期を避けて、バカンスを前倒しにしたり、逆に遅らせて出かける者も相当数います。

そうすると、普通の期間に休みを取る人々は、休み前にも休みが明けてもクライアントがいなかったり、逆に自らがクライアントとなって仕事を出す相手がいなかったりします。

どんな仕事でも相手があってはじめて成り立ちますから、休暇前や休暇後に相方不在の状況に陥って、仕事の量が減り能率もがくんと落ちてしまいます

そこに長期休暇を取る人々の仕事の空白なども加わって、7月から8月末までのイタリアは、国中が総バカンス状態のようになってしまうのです。

すると人々の心理は、7月特に8月なんてどうせ仕事にならない、というふうに傾いてさらに労働意欲が失せて、ますます仕事が遠のきます。

だから6月にもなると、7月と8月を飛び越して、「9月に会いましょう」が仕事上の人々の合言葉になるわけです。

イタリアがバカンス大国であるゆえんは、夏の間は仕事が回らないことを誰もが納得して、ゆるりと9月を待つところにあります。

プロのテレビ屋としてロンドン、東京、ニューヨークに移り住んで仕事をした後にこの国に来た筆者は、当初は仕事の能率の上がらないイタリアの夏の状況を怒りまくり、ののしりまくっていたものです。

しかし今はまったく違います。これだけ休み、これだけのんびりしながらも、イタリアは一級の富裕国です。働く人々の長期休暇が極端に少ないたとえば日本などよりも、豊かさの質がはるかに上だとさえ感じます。

9月に会いましょう!と明るく声をかけあって、イタリア的に休みまくるのはやはり、誰がなんと言おうが、いいことなのだと思わずにはいられません。

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スイスの銃は発砲されなければならない

「そこにある銃は発砲されなければならない」とする“チェーホフの銃”は、ドラマツルギーの一環としての創作法を提示するに過ぎませんが、“ スイスの銃 ”は現実社会の病の一つを体現する事象としてより深刻です。

2019年5月、スイスでEU(欧州連合)と同じ厳しい銃規制策を採用するかどうか、を問う国民投票が行われました。スイスは伝統的に銃を所有している国民が多い国です。

スイスの人口当たりの銃の保有数は世界で4番目に高い。同国には徴兵制度があり、兵役を終えた人々が軍隊で使った銃を自宅で保管できる独特の仕組みがあります。

スイス国民は彼らの1人ひとりが自国防衛にたずさわるべき、という堅牢な考えを持っています。そのため兵役を終えた後も、自宅に銃を置いて“いざ鎌倉”に備えるのです。

スイスは永世中立国です。従って理論的にはこちらからは戦争を仕掛けません。しかし、国土が侵略された場合は速やかに立ち上がって戦う、というのが彼らの決意です。そして戦いには銃が必要です。

スイス国民、特に男性は、銃の扱いに慣れるように教育されます。銃の使い方を学ぶのは彼らの義務なのです。そのことを象徴するように、13~17歳の少年を対象にした全国的な射撃コンテスト等も行われます。

スポーツとしてのライフル射撃なども同国では人気があります。また自己防衛や狩猟等のために銃を保有するのは当然の権利、という基本理念もあります。そうしたことの全てがスイス人の銃所持の壁を低くします。

日本とは大きく違って、欧米をはじめとする世界の国々では、銃保有は当然の権利と捉えられるのが普通です。スイスも例外ではないということです。

スイスの銃規制はゆるいとは言えませんが、銃保有の割合が高いために、同国はEU(欧州連合)から国内の銃保有率を下げるように、としきりに要請されてきました。

スイスはEU加盟国ではありません。しかし、人とモノの移動の自由を定めた「シェンゲン協定」には加盟しています。そのためにEUは、スイスが銃規制策も彼らと同基準にするように求め続けたのです。

それを踏まえてスイスは先日、EUの要請を受けるかどうかを問う国民投票を実施したのです。その結果、EUと足並みをそろえるという主張が勝利。スイスの銃規制は強化されることになりました。

スイスは既述のように国民の銃保有率が高い国ですが、イスラム過激派のテロが頻発する昨今のEU各国や、歴史的に銃が蔓延する米国のような銃乱射事件はほとんど起きません。

最後に銃乱射事件が起きたのは2015年5月9日。スイス山中の静かな村で、男が別れた妻の両親と弟を銃撃した後、偶然通りかかった隣人も殺害し、自らも自殺して果てる事件が起きました。

背景には複雑な家族の問題がありました。男は暴力的で、彼から逃れるために妻が子供3人を連れて家を出ました。逆恨みした男は妻の実家を襲って犯行に及んだのです。

家族間のトラブルから来る発砲事件はここイタリアでもよく起こります。それなのにイタリアのメディアは当時、外国のスイスのその事件を大きく伝えました。それが「スイスでの事件」だったからです。

スイスはイタリアよりもはるかに銃保有率の高い国です。兵役後も成人男性のほとんどが予備役または民間防衛隊の隊員であるため、既述のように多くの家庭に自動小銃や銃弾が保管されています。

それにも関わらずに、銃を使ったスイスでの犯罪はイタリアよりも桁違いに少ないのです。スイスでは過去30年以上に渡って、銃による虐殺事件は前述の2015年のケースも含めてたった9回しか起きていません。

だからこそニュースになるのですが、その時はちょうどイタリア・ミラノの裁判所で被告人が弁護士や裁判官を銃撃する、という前代未聞の事件が起きた直後でした。それだけに、イタリアのメディアはスイスの「珍しい」銃撃事件を大きく報道したのです。

銃犯罪が少ない一方でスイスでは、銃を使った自殺が多発します。銃によるスイスの自殺者の数は逆に、イタリアとは比べものにならないくらいに多いのです。

スイスでは一日あたり3~4人が自殺をします。年間では交通事故の死亡者数の4倍にも上る数字です。そのうち銃で自殺をする人の割合は25%弱。欧州で最も高い割合です。

銃で自殺をする人が多いのは、そこに銃があるからです。自殺のほとんどは衝動的なものです。とっさに自殺したくなった時に、わざわざ銃を買いに行く者はいません。身近にある銃に手を伸ばすのです。

しかし、スイスで銃による自殺が多いのはそれだけではないように思えます。スイスでは安楽死及び尊厳死が合法化されています。正確に言えば自殺幇助が許されているのです。

不治の病に冒された人や耐え難い苦痛に苦しむ人々が死を望めば、医師が自殺を幇助してもよい。スイスには自殺願望のある不運な人々が国内はもとより世界中から集まります。

安楽死や尊厳死を認めるスイス社会の在り方が、スイス人1人ひとりの心中に潜む自殺願望を助長しあるいはそれへの抵抗感を殺ぎ、結果として銃による自殺の割合も欧州で最も高くなる、という見方もできます。

安楽死や尊厳死というものはありません。死は死にゆく者にとっても家族にとっても全て苦痛であり、悲しみであり、ネガティブなものです。あるべきものは幸福な生、つまり安楽生と、誇りある生つまり尊厳生です。

不治の病や限度を超えた苦痛などの不幸に見舞われ、且つ人間としての尊厳をまっとうできない生はつまり、安楽生と尊厳生の対極にある状態です。人は 安楽生または尊厳生を取り戻す権利があります。

それを取り戻す唯一の方法が死であるならば、人はそれを受け入れても非難されるべきではありません。死がなければ生は完結しません。全ての生は死を包括します。安楽生も尊厳生も同様です。

その観点から筆者は安楽死・尊厳死を認めるスイス社会のあり方を善しと考えます。しかしそれがスイスにおける銃自殺率の高さに貢献しているのであれば、銃規制の厳格化はもちろん朗報です。

銃がそこになければ、銃によるスイスの人々の自殺率は、世界中のほぼ全ての国と同じように国民の銃保有率と正比例するだけの数字になり、もはや驚くほどのものではなくなるでしょう。



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反安倍一辺倒ではないが反安倍の理由

安倍首相批判になった前記事に対して保守派の方から抗議の便りをいただきました。何度か便りをくださっている方で、結局筆者は安倍首相の全てが嫌いで全てに反対なんですね、と締めくくられていました。

安倍さん批判の記事を書くと彼のファンの方からよくメッセージをいただきます。たいてい筆者が一から十まで反安倍だと思い込んでいます。だがそんなことはまったくないので、その旨の返事をしました。これから書くのは安倍ファンのその読者にお送りした内容を踏まえて、さらに少し加筆・拡大したものです。

安倍さんの全てが悪いのではない

筆者は安倍さんを政治的に支持しませんが、別に彼の全てに異を唱えているわけではありません。以前から言っているように彼の「全てが悪いのではなくやり方に問題がある」と考える者です。そこに言及する前に、これから述べる事案における筆者の政治的な立ち位置をはっきりさせておきます。

筆者は日米同盟には賛成です。賛成どころか同盟の強化を願っています。むろん日米安保も支持します。また筆者はアメリカが好きです。仕事でニューヨークにも住みました。しかし筆者がアメリカを好きなのは、ニューヨークに住んだことが理由ではありません。筆者はアメリカの在り方が好きなのです。

アメリカには人種差別も不平等も格差も貧困も依然として多くあります。それは紛れもない事実です。だがアメリカは、今この時のアメリカが素晴らしいのではありません。愚昧な差別主義と無知から解放された米国の良識ある人々が、アメリカは「かくありたい」と願い、それに向かって前進しようとする「理想のアメリカ」が素晴らしいのです。

その理想とは、より寛容でより自由でより平等なアメリカという理念であり、偏見や差別や憎しみをあおるトランプ大統領の政治姿勢とは真っ向から対立する行動規範です。 そしてアメリカの強さは、彼らが理想を語るだけではなく実際に行動を起こすことです。

アメリカ合衆国は地球上でもっとも人種差別が少ない国です。これは皮肉や言葉の遊びではありません。奇をてらおうとしているのでもありません。日本で生まれ、ロンドンに学び、ニューヨークに住んでアメリカ人と共に仕事をし、今も彼らと付き合いつつ欧州から米国の動向を逐一見ている筆者自身の、実体験から導き出した結論です。

米国の人種差別が世界で一番ひどいように見えるのは、米国民が人種差別と激しく闘っているからです。問題を隠さずに話し合い、悩み、解決しようと努力をしているからです。断固として差別に立ち向かう彼らの姿は、日々ニュースになって世界中を駆け巡って目立ちます。そのためにあたかも米国が人種差別の巣窟のように見えるのです。

アメリカには人種差別があります。同時に自由と平等と機会の均等を求めて人種差別と闘い続け、絶えず前進しているのがアメリカという国です。長い苦しい闘争の末に勝ち取った、米国の進歩と希望の象徴の一つが、黒人のバラック・オバマ大統領の誕生でした。

安倍さんに賛成し反対する

アメリカが腹から好きな筆者は、安倍首相がトランプ大統領との友情を深め日米同盟の絆を強調し、軍事経済文化その他全ての分野で日米が仲良くすることに賛成です。ところが筆者には安倍さんのやり方が腑に落ちない。アメリカへの追従が過ぎる、と思うのです。

日本は敗戦以来、常にアメリカの子分として生きてきました。戦争に敗れ、軍事また経済で圧倒され、文化・文明度でもアメリカの足元にも及ばない、と政府も国民も自信を喪失していたのですから、そうなったのも仕方がありません。

時は過ぎて、日本が少しは自信を取り戻した幸運な季節に権力を握った安倍さんは、戦後レジームからの脱却を旗印にしました。つまりアメリカとの同盟関係を維持しながら属国の位置を抜け出し、対等な付き合いを目指すと見えたのです。

ところが安倍さんは逆方向に進みました。それはトランプ大統領が誕生して以降は加速をつづけて、今ではもはや後戻りはできないほどになりました。それが端的に現れたのが2016年、トランプさんが大統領選に勝利したとき、安倍首相が世界の首脳に先駆けてトランプタワーに乗り込んで、彼を祝福し友好親善を推し進めたエピソードです。

世界の大半がトランプ勝利に眉をひそめている最中に、「何らの批判精神もなく」彼に取り入った安倍さんの行為は世界を驚かせました。そこには安倍さんならではの無邪気と無教養が如実に現れていました。 自尊心のかけらもないような諂笑を振りまいて恥じない姿はおどろきでした。

筆者の安倍さんへの不信感の根はそのエピソードに象徴的に集約されます。しかし「何らの批判精神もなく」トランプ大統領に追随する姿勢は、安倍さんのその他の政治行為や施策にも多く現れて、筆者の中では違和感が高まりつづけました。ほんの2、3の例を挙げてみます。

北朝鮮

先ず北朝鮮への対応です。安倍首相は金魚のフンよろしくトランプ大統領に寄り添って、彼が圧力と経済制裁と言えば全く同じように追従し、大統領が強硬姿勢を対話へと切り替えて金正恩委員長との首脳会談を実現すると、またそれを真似て前提条件なしに金正恩とトップ会談をしたい、と臆面もなく言い出します。

対話は相手が誰であれ良いことです。だがトランプさんの物まねにしか見えない動きはみっともないのひと言につきます。あるべき姿はアメリカと協調して圧力と制裁は続けながらも、水面下で彼独自の対話路線を模索するなどの、外交のいろはに基づく信念のある政策と行動です。それは中国との場合も同じです。

トランプ大統領は、北朝鮮や中国に今にも武力攻撃を仕掛けかねないような激しい言動をしていても、常に対話の道を探る姿勢を言葉の端々に込めて発言しています。それなのに安倍さんが、まるでトランプさんの表向きの言葉のみに注目して右往左往するかのような姿は不可思議です。

安倍首相は最近、前提条件なしでの日朝首脳会談を呼びかけて「安倍は軍国主義」と軍国主義者の金委員長に斬り捨てられましたが、さて次はどう動くのでしょうか。米北朝鮮の対話路線は紆余曲折を経ながらも続きそうです。ならばもしも2国関係が元に戻って対決姿勢を強めるなら、安倍さんは次はまた前言を翻して、北朝鮮に圧力と制裁を!と叫び始めるのでしょうか。

中東政策

イスラエルの例も見てみましょう。トランプ米大統領が2017年12月、エルサレムをイスラエルの首都と認める、と宣言して世界を震撼させました。それはトランプ大統領によるアラブ・イスラムの国々への新たなる挑発であり侮辱でした。

驚きの声明にアラブ世界は言うまでもなく、欧州列強をはじめとする世界の国々が反発、非難しました。ところがトランプ大統領の政策なら何でも支持する安倍政権は、トランプ大統領の宣言に異を唱えるどころか「沈黙を守ること」で、チェコやフィリピンと共に大統領支持に回ったのです。

トランプ大統領は例によって、臆面もなく一方を立て一方を無残に斬り捨てる方法で、中東のイスラエルを庇護し、パレスチナを含むアラブ諸国を貶めました。安倍さんもこれまた例によって「なんらの批判精神もなく」トランプ大統領を100%支持しました。

無批判に米国に付き従う施策はエスカレートして、日本とイスラエル間に史上初めて直行便が飛ぶ事態にまで至りました。そこにはトランプさんに追従し忖度し彼のケツ舐めに徹する、安倍さんの意向が働いていると見てもそれほど的外れではないでしょう。

筆者の批判はそこでも同じです。イスラエルとの交誼は歓迎するべきことですが、そこに安倍さん独自の考えがなく、トランプさんに絡めとられているとしか見えない事態がやりきれないのです。加えてイスラエルと敵対するアラブ諸国への配慮が欠けていて、国益を損なうものなのですからなおさらです。

真の同盟関係の強化は、卑屈を排し互角の立場で付き合うところでしか成り立ちません。それは一方が軍事的に強力で経済的に豊かで国力がある、という物理的な優劣とは別の、いわば「精神の対等性」のことです。それがあれば、たとえば欧州などの首脳が、米国を最大の同盟国と認めながらも、トランプ大統領に堂々と物申す姿勢と同じやり方が可能になります。

友情とは対等な人間関係に基づく信頼と親しみと絆のことであり、言いにくいことでも言うべきところは言い合う関係です。それは国家間にもあてはまります。日米間になそんな友情は存在しません。ご主人様のアメリカに日本が従僕のごとくひざまずくことからくる、見せ掛けの友宜があるのみです。安陪さんはそれを矯正するどころかさらに補強し悪化させています。

短期留学の陥穽

安倍さんが米国と対等の付き合いを模索できないのは、もしかすると彼がアメリカに2年間留学したという経験がトラウマになっているのではないか、とさえ疑うほどです。外国、特に欧米に短期留学したり仕事などで長期滞在をした日本人の中には、突然ナショナリストへと変身する者が少なくありません

それには理由があります。彼らは憧れて行った欧米の文明国で、日本社会の徹底した西洋模倣の現実と同時にその後進性に衝撃を受けます。そこでふいに欧米への強い対抗心に目覚めて民族主義者になるのです。そこにもしも欧米社会と欧米人に見下された、という体験が重なると相乗効果が生まれて事態はさらに深刻になります。

そうしたショック現象は、留学が長期化するに従って和らいでいき、やがて彼らは欧米の文化文明の真の価値に目覚めていきます。彼らは欧米社会の寛容と解放と自由と人権主義に触れ、それに拠って立つ民主主義の進歩性に気づき、これを理解し尊敬し成長して、そこから生まれる叡智によって自らの国の文化文明も客観視し理解することができるようになります。

欧米に1~2年程度の短い留学や在住経験を持つ保守主義者には気をつけた方がいい。彼らは親欧米であろうが反欧米であろうが、生半可な西洋理解の知識蓄積に縛られていて、知ったかぶりと誤解と曲解に基づくねじれた主義主張をして平然としていることが少なくありません。彼らのねじれた心理が矯正されるためには、頭でっかちの机上論ではなく、欧米の地にさらに長く留まることで得られる経験知が必要です。

安倍さんがとらわれているように見える、トランプさんやアメリカへの抜きがたい劣等感のようなものは、もしかすると短期留学体験者が陥りがちな陥穽に嵌まった彼の心理屈折がもたらすものではないか、と筆者は時々疑ってみます。劣等感は、西洋文明の堅牢に圧倒された短期留学者が、その反動で必要以上に西洋の文物や在り方に対して居丈高になるのと病原が同じなのです。

もう少し続けます。学校等で得た知識ではなく、知識と共に欧米社会の中に長く住み続ける以外には理解できない文化・文明の懐の深さというものがあるのです。それを理解すれば劣等感と劣等感の裏返しである行き過ぎた国粋主義や敵愾心も消えます。なぜなら西洋文明の分別は、そうした劣等感の無意味もまた教えてくれるからです。

愛国者

平家、海軍、国際派という成句があります。社会のメインストリームから外れたそれらの人々は、日本では出世できないという意味の言葉ですが、政治問題関連の論壇などでは往々にして「反日」と同じ風に使われたりもする言葉です。

だがそれは間違いで、平家の中にも、海軍の中にも、国際派の中にも愛国者はいます。と言いますか、そこには源氏、陸軍、国内(民族)派とまったく同数の愛国者がいるのです。そして筆者自身は国際派の愛国者を自負している者です。国際派ですから、こう して出世もできずに恐らく死ぬまで外国を放浪し続ける、という寂しい人生を送っているわけですが。

一方安倍さんは、日本最強の権力者であると同時に、日本主流派のそれも中核に属する愛国者です。日本の傍流の国際派の、プー太郎的愛国者である筆者とは比べるのがアホらしいほどに格が違います。しかしながら愛国者の度合いにおいては彼と筆者のそれは何も違いません。筆者はその立ち位置から彼にもの申しているだけです。

これからも機会があれば、安倍さんへの批判記事や逆に「賞賛記事」でさえ恐れずに書いて行くつもりです。が、正直に言えばここまでに既に言いたいことの多くは言った気がしないでもありません。安倍首相ファンの皆さんのおしかりや反論は、それが匿名の卑怯者の咆哮ではない限り喜んでお受けしますが、意見の開陳は一つひとつの記事のみならず、これまでのいきさつも含めて考察した後にしていただければ有難い。

次にこれまでのいきさつに当たる記事のリンクを貼付します。できれば目を通していただきたいと思います。

http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52128918.html
http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52173441.html
http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52258325.html
http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52273203.html


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「フェルーカ」挽歌

フェルーカ船

イタリア、シチリア島にちょうど今ごろの季節にはじまる「フェルーカ」と呼ばれる伝統的な漁があります。マグロやカジキを銛で突いて取るいわゆる”突きん棒”です。筆者はかつてこの漁の模様を描いてNHKスペシャルのドキュメンタリー番組を作ったことがあります。

”突きん棒”は世界中のどこにでもある漁法です。もちろん日本にもあります。海面すれすれに浮遊している魚を銛で一突きにする原始的な漁ですから、大昔に世界中の海で同時発生的に考案されたものなのでしょう。
  
シチリア島の”突きん棒”は、古代ローマ帝国時代以前から存在した記録が残っています。この素朴な漁の伝統は以来、船や漁具に時代に沿った変化はあったものの、シチリア島の漁師たちによって、古代の息吹をかたくなに守る形がえんえんと受け継がれてきました。

「フェルーカ」とは、漁に使われる漁船の名前です。総屯数二十トン程のふつうの漁船を改造して、高さ三十五メートルの鉄製のやぐらと、伸縮自在で長さが最大五十メートルにもなる同じく鉄製のブリッジを船首に取りつけた船。

フェルーカ船のやぐらとブリッジは、互いに均衡を保つように前者を支柱にして何十本ものワイヤーで結ばれて補強され、めったなことでは転ぷくしないような構造になっています。
  
しかし船体よりもはるかに長い船首のブリッジと、天を突くようにそびえているやぐらは、航行中も停船時も波風でぐらぐらと揺れつづけていて、見る者を不安にします。
 
やぐらは遠くの獲物をいちはやく見つけるための見張り台です。てっぺんには畳半畳分にも満たない広さの立ち台があって、常時3人から4人の漁師が海面に目をこらして獲物の姿を追います。船首の先に伸びているブリッジは、銛打ち用のものです。

銛の射手は、それを高く構えてブリッジの先端に立ちつくして、獲物が彼の足下に見えた瞬間に打ち込みます。つまり彼は、本来の船首が魚に到達するはるか手前で銛をそれに突き立てることができるのです。

逃げ足の速い獲物に少しでも近く、素早く、しかも静かに近づこうとする、漁師たちの経験と知恵の結晶がやぐらとブリッジ。やぐら上の見張りとブリッジ先端の銛手のあうんの呼吸が漁の華です。

筆者はこの不思議な船と漁を題材にドキュメンタリーを作ると決めた後、情報集めなどのリサーチを徹底するかたわら、何度もシチリア島に足をはこんで、漁師らに会い船に乗せてもらったりしながら準備をすすめました。
 
これで行ける、と感じて企画書を書いてNHKに提出し、OKが出ました。そこまでに既に6年以上が過ぎていました。短く、かつ忙しい報道番組のロケや制作を続けながらの準備ですから、筆者の場合それぐらいの時間は普通にかかるのです。

番組の最大の売りは何と言ってもマグロ漁にありました。大きい物は400キロを越え、時には500キロにもなんなんとする本マグロを発見して船を寄せ、大揺れのブリッジをものともせずに射手が銛を打ち込む。

激痛で憤怒の塊と化した巨大魚が深海をめがけて疾駆します。船ごと海中に引きずり込みそうな暴力が炸裂して、銛綱の束が弾けるようにするすると海中に呑み込まれます。すると綱で固着された浮き代わりのドラム缶数本が、ピンポン玉よろしく中空を乱舞し海面にたたきつけられます。

マグロは銛を体に突き通されたまま必死に逃げます。獲物の強力な引きと習性を知り尽くした男たちが死にものぐるいで暴力に対抗し、絶妙な綱引きの技でじわじわと巨大魚を追い詰めて取り込んで行く・・・・。
 
筆者がフェルーカ漁に魅せられて通ったそれまでの6年間に、幾度となく体験した勇壮なシーンを一つ一つ映像に刻み込めば、黙っていてもそれは面白い作品になるはずでした。ところがロケ中に獲れるのはカジキだけでした。肝心の本マグロがまったく獲れないのです。

フェルーカ漁は毎年4月頃から準備が始まり5月に幕を開けます。そしてイタリア半島とシチリア島の間にあるメッシーナ海峡とエオリア諸島近海を舞台に8月まで続きます。
 
準備の模様から撮影を始め、次に海上での漁に移りました。1ト月が経ち、2タ月が経ち・・・やがて漁の最盛期である7月に入りました。ところがマグロが暴れる場面は一向に出現しません。狐につままれたような気分でした。

しかしそれは海や山などを相手にする自然物のドキュメンタリーではありふれた光景です。魚や野生動物が相手ですから、不漁続きで思ったような絵が撮れない、という事態がひんぱんに起こるのです。

筆者はロケ期間を延長し、編集作業のためにどうしても自分が船に乗れない場合には、カメラマン以下のスタッフを張り付けて漁を追いつづけました。ロケ期間はそうやって最終的には5ヶ月近くにもなりました。
 
しかし最後まで一匹のマグロも獲れずにとうとうその年のフェルーカ漁は終わってしまいました。

筆者は仕方なくカジキ漁を話の中心にすえて編集をして、一応作品を完成しました。それは予定通り全国放映されましたが、反響は「予想通り」いまいち、という感じで終わりました。

フェルーカ漁とそれにまつわる人々のドラマは、ある程度うまく描かれているにもかかわらず、どこかインパクトに欠けて物足りないものがある、というのが人々の一致した印象であり意見でした。

筆者はそうなった理由を誰よりも良く分かっていましたが、もちろん一言も弁解をするわけにはいきませんでした。たとえ何が起ころうと番組作りの世界では結果が全てです。

ロケ中の障害のために結果が出なかったならば、それはひとえにディレクターである筆者の力量が足りなかったからです。あらゆる障害を克服して結果を出すのが監督の仕事なのです。

そんなわけで筆者は自らの無力をかみしめながら、忸怩たる思いでその仕事を切り上げなければなりませんでした。

年ごとに先細りになっていくフェルーカ漁は、漁そのものの存続があやぶまれる程に漁獲量が落ちこんでいます。漁獲量がほぼゼロの年もあります。

観光客を乗船させ漁を体験してもらうことで収入を得て、ようやく漁船の維持費を稼ぐことも珍しくありません。

それでも漁師たちはあきらめず、何とかして漁の伝統を次の世代に受け渡そうと必死になっています。しかし先行きは暗い。それでもなお彼らは海に出ます。今日も。明日も。

勇壮で厳しく、同時にそこはかとなく哀感のただようフェルーカ漁のその後を、もう一度カメラで追ってみたい、と筆者はロケ以来つづいている漁師たちとの友情を大切にしながら考えることも一再ではありません。

 

 

 

 

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平気で生きる 




筆者は以前、次のようなコラムを新聞に寄稿しました。それと前後してブログほかの媒体にも投稿しそこかしこで同じ趣旨の話も多くしました。

悟りとは「いつでもどんな状況でも平気で死ぬ」こと、という説がある。

死を恐れない悟りとは、暴力を孕んだいわば筋肉の悟りであり、勇者の悟りである。

一方「いつでもどんな状況でも平気で生きる」という悟りもある。

不幸や病気や悲しみのどん底にあっても、平然と生き続ける。

そんな悟りを開いた市井の一人が僕の母である。

子沢山だった母は、家族に愛情を注ぎつくして歳月を過ごし、88歳で病に倒れた。

それから4年間の厳しい闘病生活の間、母はひと言の愚痴もこぼさずに静かに生きて、最後は何も分からなくなって眠るように息を引き取った。

療養中も死ぬ時も、母は彼女が生き抜いた年月のように平穏そのものだった。

僕は母の温和な生き方に、本人もそれとは自覚しない強い気高い悟りを見たのである。

同時に僕はここイタリアの母、つまり妻の母親にも悟りを開いた人の平穏を見ている。

義母は数年前、子宮ガンを患い全摘出をした。その後、苛烈な化学療法を続けたが、副作用や恐怖や痛みなどの陰惨をおくびにも出さずに毎日を淡々と生きた。

治療が終わった後も義母は無事に日々を過ごして、今年で87歳。ほぼ母が病気で倒れた年齢に達した。

日本の最果ての小さな島で生まれ育った僕の母には、学歴も学問も知識もなかった。あったのは生きる知恵と家族への深い愛情だけである。

片やイタリアの母は、この国の上流階級に生まれてフィレンツェの聖心女学院に学び、常に時代の最先端を歩む女性の一人として人生を送ってきた。学問も知識も後ろ盾もある。

天と地ほども違う境涯を生きてきた二人は、母が知恵と愛によって、また義母は学識と理性によって「悟り」の境地に達したと僕は考えている。

僕の将来の人生の目標は、いつか二人の母親にならうことである。

筆者はこの話を修正しなければならなくなりました。義母がその後こわれてしまったからです。いや、こわれたのではなく、死の直前になって彼女の本性があらわれた、ということのようでした。

義母は昨年92歳で亡くなったのですが、死ぬまでの2年間は愚痴と怒りと不満にまみれた「やっかいな老人」になって、ひとり娘である筆者の妻をさんざんてこずらせました。

義母はこわれる以前、日本の「老人の日」に際して「今どきの老人はもう誰も死なない。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と言い放ったツワモノでした。

老人の義母は老人が嫌いでした。老人は愚痴が多く自立心が希薄で面倒くさい、というのが彼女の老人観だったのです。その義母自身は当時、愚痴が少なく自立心旺盛で面倒くさくない老人でした。

こわれた義母は、朝の起床から就寝まで不機嫌でなにもかもが気に入らない、というふうでした。子供時代から甘やかされて育った地が出た、とも見える荒れ狂う姿は、少々怖いくらいでした。

義母の急変は周囲をおどろかせましたが、彼女の理性と老いてなお潔い生き方を敬愛していた筆者は、誰よりももっとさらにおどろき内心深く落胆したことを告白しなければなりません。

義母はほぼ付きっ切りで世話をする妻を思いが足りないとなじり、気がきかないと面罵し、挙句には自ら望んだ死後の火葬を「異教徒の風習だからいやだ。私が死んだら埋葬にしろ」と咆哮したりしまた。

怒鳴り、わめき、苛立つ義母の姿は、最後まで平穏を保って逝った母への敬慕を、筆者の中にいよいよつのらせていくようでした。

義母を掻き乱しているのは、病気や痛みや不自由ではなく「死への恐怖」のように筆者には見えました。するとそれは、あるいは命が終わろうとする老人の、「普通の」あり方だったのかもしれません。

そう考えてみると、「いつでもどんな状況でも平気で生きる」という母の生き方が、いかにむつかしく尊い生き様であるかが筆者にはあらためてわかったように思えました。

いうまでもなく母の生き方を理解することとそれを実践することとは違います。筆者はこれまでの人生を母のように穏やかに生きてはきませんでした。

戦い、もがき、心を波立たせて、平穏とは遠い毎日を過ごしてきました。そのことを悔いはしませんが、「いかに死ぬか」という命題を他人事とばかりは感じなくなった現在、晩年の母のようでありたい、とひそかに思うことはあります。

死は静謐です。一方、生きるとは心が揺れ体が動くことです。すなわち生きるとは、文字通り心身が動揺することです。したがって義母の最晩年の狼狽と震撼と分裂は、彼女が生きている証しだった、と考えることもできます。

そうした状況での悟りとはおそらく、心身の動揺が生きている者を巻き込んでポジティブな方向へと進むこと、つまり老境にある者が家族と共にそれを受け入れ喜びさえすること、なのではないか。

それは言うのはたやすく、行うのは難しい話の典型のようなコンセプトです。だが同時に、老境を喜ぶことはさておき、それを受け入れる態度は高齢者にとっては必須といってもよいほど重要なことです。

なぜなら老境を受け入れない限り、人は必ず不平不満を言います。それが老人の愚痴です。愚痴はさらなる愚痴を誘発し不満を募らせ怒りを呼んで、生きていること自体が地獄のような日々を招きます。

「いつでもどんな状況でも平気で生きる」とは、言い方を変えれば、老いにからむあらゆる不快や不自由や不都合を受け入れて、老いを納得しつつ生きることです。それがつまり真の悟りなのでしょう。

苦しいのは、それが「悟り」という高い境地であるために実践することが難しい、ということなのではないでしょうか。もはや若くはないものの、未だ老境を実感するには至らない筆者は、時々そうやって想像してみるだけです。

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奇妙なカップル

天皇代替わりに合わせるように、安倍首相とトランプ大統領が4月、5月、6月と3回連続で首脳会談を行うという不思議な話は、日本のメディアの関心をあまり買っていないようです。

トランプ大統領は5月に国賓として来日し新天皇と会見します。新天皇が即位後初めて会見する外国首脳がトランプ大統領、という仕組み。一連の行事の主要目的はそこにあるように見えます。

日本の主要メディアは政府発表のスケジュールを短く伝えただけです。立て続けに3度も首脳会談を行うべき緊急課題があるとも思えないのに、あえて強行する異様な状況には口をつぐんでいます。

異様さに気づかないわけではなく、例によって安倍一強政権への恐れや忖度があるのかもしれません。たとえそうではなくても、今回の場合は皇室への遠慮もからんでいる可能性があります。

忖度や遠慮がジャーナリズムさえ凌駕するのが日本の神秘です。いつになったら権力への監視や批判がジャーナリズムの生命線であることを理解するのでしょうか。

トランプ大統領はその後、6月28、29日にも来日して大阪でのG20会議に出席し安倍首相とまた会談する予定。4月の安倍首相の米国訪問に始まった不可解な3連続会談がそこで終了します。

5月の訪日ではトランプ大統領は、新天皇と会う以外には大相撲観戦をしたり、安倍首相と例によってノーテンキなゴルフ遊びに興じるだけです。結局、世界の首脳に先がけて、同大統領を新天皇に会わせることが主題だからなのでしょう。

退位して上皇になったばかりの前天皇はひそかに、だが気をつけて吟味すれば時にはあからさまな言辞で、安倍首相に敵対していました。憲法護持、国民重視、沖縄擁護、日本の戦争責任追及などなど、安倍首相がいやがる内容ばかりです。

そこで安倍首相は、目の上のたんこぶ的存在だった前天皇が退位した機をとらえて、新天皇を取り込む画策を立てた。その作戦の一環としてトランプ大統領にも協力を頼んでいる、という見方は荒唐無稽に過ぎるでしょうか。

そんな策略に乗るトランプさんは-いまさらおどろくようなことではありませんが-人品のレベルが相棒の安倍さんとどっこいどっこいの寂しい資質であることを露呈しているようで、見ていて空しい限りです。

それにしても、安倍さんが目立たない動きや術策で、やりたい放題をやっているように見える現行の日本の政治状況は驚くばかりです。それが高じて天皇までも思い通りに動かそうとしているらしい姿は、まるで8世紀に登場して世間を騒がせた道鏡のようです。

道鏡は天皇になる野心まで抱いていました。さすがに安倍さんにはそこまでの山気 はないでしょうが、憲法改正に向けて新天皇を何とか懐柔したい意志があっても不思議ではありません。

政治家としてまた国のトップとして、安倍さんがそういう風に動くのは、事態への賛否は別にして、理解できることです。彼は憲法改正という自らの政治目的を達成するためにそう策しています。そして政治目的を完遂することが政治家の正義です。

安倍さんのスタンスに、穏便な形ながら断固として異議を唱え続けた前天皇が、平和憲法護持の立場であったのは隠しようもない事実でした。安倍首相は新天皇が上皇の意思を受け継いでいるかもしれないことが不安なのでしょう。

新天皇の「おことば」などに微妙にあらわれる変化から、安倍政権が天皇即位の前の皇太子さんに近づき、揺さぶりをかけてきたであろうことが推測できます。安倍首相は本気で天皇の籠絡を試みているようです。

彼は政治目的の達成のためには手段を選ばない構えです。日本の真の独立を阻むアメリカのトランプ大統領に借りを作ってでも、天皇の抱き込みを試みようとしているように見えるのです。

それは大胆であると同時に危険な動きです。なぜなら世話になったトランプさんにますます逆らえなくなって、今後も長きにわたって彼の阿諛外交が続き、日本のアメリカ従属がさらに深まりかねないからです。

安倍首相の大胆さは無知と無恥から来るものです。それはトランプ氏が大統領当選を決めたとき、就任前にもかかわらずに彼のもとに駆けつけて諂笑して以来、一貫して続いている安倍さんと政権の最大の特徴です。

世界の大半がトランプ勝利に眉をひそめている最中に、「何らの批判精神もなく」彼に取り入った安倍さんの行為は世界を驚かせました。繰り返しになりますがそこには安倍さんならではの無恥と無知が如実に現れていました。

しかし、矛盾するようですが、ここでは安倍首相に対してフェアなことも言っておきたいと思います。

トランプさんが大統領選に勝利した2016年、安倍首相が世界の首脳に先駆けてトランプタワーに乗り込んで、彼を祝福し友好親善を推し進めたのは日本のトップとしては十分に理解できる行為でした。

なぜならトランプさんがたとえ「何者であれ」彼は米国大統領に当選したのですから、安倍さんは「日本の国益のために」未来のアメリカ大統領に挨拶をしておこうとして動いた側面もあるからです。

安倍さんの行動のすべてが悪いのではありません。しかしながら安倍さんは、トランプさんとのお友達関係を一方的に且つ懸命に強調しつづけるものの、実は彼のポチでしかない卑屈な立ち回りに終始しています。

自尊心のかけらもないような追従外交方ばかりを続けています。それでいて、一向にその事実に気づいていないように見えます。そこが大きな問題なのです。

トランプ大統領は、異様な指導者です。彼の施策はこれまでのところネガティブなものが多い。だがフェイクニュースを流して彼の主張こそ真実だと言い張る行動によって、それまで完璧に見えた大手メディアにもまたフェイクな顔がある、という事実を暴き出した功績は大だと思います。

同時にトランプさんは、「差別や憎しみや偏見などを隠さずに、しかも汚い言葉を使って公言しても構わない」という考えを人々の頭に植え付けてしまいました。つい最近までタブーだった「罵詈や雑言も許される」といった間違ったメッセージを全世界に送ってしまったのです。

それはつまり、人類が多くの犠牲と長い時間を費やして獲得した「寛容で自由で且つ差別や偏見のない社会の構築こそ重要だ」というコンセプトを粉々に砕いてしまったことを意味します。その罪は重い。異様な指導者であるトランプ大統領の奇異に気づかない安倍首相もまた異様です。

2人の異様は、これまでのところ、安倍首相がトランプ大統領をノーベル平和賞候補に推薦した、という噴飯茶番劇によって極限に至りました。しかしながらノーベル賞の茶番は、オバマ前大統領への平和賞やボブ・ディランへの文学賞授与などでもすでに示されていますから、もはやおどろくほどのことではないのかもしれません。

安倍政権に遠慮する大手メディアと、ネトウヨ排外差別主義者らが声高にネットを席巻する日本国内にいるとあるいはよく見えないかもしれませんが、欧州を含む世界の良心は、安倍&トランプという奇妙なカップルの、友情なのか政治パフォーマンスなのか判別できない「奇怪なダンス」を窃笑しつつ“遠巻き”に監視しています。



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連休という果報、飛び石連休という貧困

2019年、日本のゴールデンウイークが10連休になるというニュースは、ここイタリアにいても日本の衛星放送やネットを介していやというほど見、聞き、知っていました。

それに関連していわゆる識者や文化人なる人々が意見を開陳していましたが、その中にはまるで正義漢のカタマリのような少し首を傾げたくなる主張もありました。

いわく10連休は余裕のあるリッチな人々の特権で、休みの取れない不運な貧しい人々も多い。だから、10連休を手放しで喜ぶな。貧者のことを思え、と喧嘩腰で言い立てたりもしていました。

10連休中に休めない人は、ホテルやレストランやテーマパークなど、など、の歓楽・サービス業を中心にもちろん多いと考えられます。

しかし、まず休める人から休む、という原則を基に休暇を設定し増やしていかないと「休む文化」あるいは「ゆとり優先のメンタリティー」は国全体に浸透していきません。10連休は飽くまでも善だったと筆者は思います。

休める人が休めば、その分休む人たちの消費が増えて観光業などの売り上げが伸びます。その伸びた売り上げから生まれる利益を従業員にも回せば、波及効果も伴って経済がうまく回ります。

利益を従業員に回す、とは文字通り給与として彼らに割増し金を支払うことであり、あるいは休暇という形で連休中に休めなかった分の休息をどこかで与えることなどです。

他人が休むときに休めない人は別の機会に休む、あるいは割り増しの賃金を得る、などの規則を法律として制定できるかどうかが、真の豊かさのバロメーターです。

そうしたことは強欲な営業者などがいてうまく作用しないことが多い。そこで国が法整備をして労働者にも利益がもたらされる仕組みや原理原則を強制する必要があります。

たとえばここイタリアを含む欧州では、従業員の権利を守るために日曜日に店を開けたなら翌日の月曜日を閉める。旗日に営業をする場合には割り増しの賃金を支払う、など労働者を守る法律が次々に整備されてきました。

そうした歴史を経て、欧州のバカンス文化や「ゆとり優先」のメンタリティ-は発達しました。それもこれも先ず休める者から休む、という大本の原則があったからです。

もちろん休めない人々の窮状を忘れてはなりませんが、休める人々や休める仕組みを非難する前に、働く人々に窮状をもたらしている社会の欠陥にこそ目を向けるべきなのです。

休むことは徹頭徹尾「良いこと」です。人間は働くために生きているのではありません。生きるために働くのです。

そして生きている限りは、人間らしい生き方をするべきであり、人間らしい生き方をするためには休暇は大いに必要なものです。

人生はできれば休みが多い方が心豊かに生きられる。特に長めの休暇は大切です。夏休みがほとんど無いか、あっても数日程度の多くの働く日本人を見るたびに、筆者はそういう思いを強くします。

バカンス大国ここイタリアには、たとえば飛び石連休というケチなつまらないものは存在しません。飛び石連休は「ポンテ(ponte)=橋または連繋」と呼ばれる“休み”でつなげられて「全連休」になります。

つまり 飛び石連休の「飛び石」は無視して全て休みにしてしまうのです。言葉を変えれば、飛び飛びに散らばっている「休みの島々」は、全体が橋で結ばれて見事な「休暇の大陸」になります。

長い夏休みやクリスマス休暇あるいは春休みなどに重なる場合もありますが、それとは全く別の時期にも、イタリアではそうしたことが一年を通して当たり前に起こっています。

たとえば今年は、日本のゴールデンウイーク前の時分にもポンテを含む連休がありました。復活祭と終戦記念の旗日がからんだ4月20日から28日までの9連休です。

その内訳は:4月20日(土)、21日(日“復活祭”)、22日(月“小復活祭=主顕節”・旗日)、23日(火“ポンテ”)、24日(水“ポンテ”)、25日(木“イタリア解放(終戦)記念日”・旗日)、26日(金“ポンテ”)、27日(土)28日(日)の9日間。

もちろん誰もが9連休を取る(取れる)わけではありません。23日(火)と24日(水)は働いて25日から28日の間を休む。つまり26日(金)だけをポンテとして休む、という人も相当数いました。同時に20日から28日までの長い休暇を取った人もまた多かったのです。

そうした事実もさることながら、旗日と旗日の間をポンテでつなげて連休にする、という考え方がイタリア国民の間に「当たり前のこと」として受け入れられている点が重要です。

飛び石、つまり断続または単発という発想ではなく、逆に「連続」にしてしまうのがイタリア人の休みに対する考え方です。休日を切り離すのではなく、できるだけつなげてしまうのです。

「連休」や「代休」という言葉があるぐらいですからもちろん日本にもその考え方はあります。だがその徹底振りが日本とイタリアでは違います。勤勉な日本社会がまだまだ休暇に罪悪感を抱いてるらしいことは、飛び石連休という思考法が依然として存在していることで分かるように思います。

一方でイタリア人は、何かのきっかけや理由を見つけては「できるだ長く休む」ことを願っています。休みという喜びを見出すことに大いなる生き甲斐を感じています。 そして彼らは願ったり感じたりするだけではなく、それを実現しようと躍起になります。

そんな態度を「怠け者」と言下に切り捨てて悦に入っている日本人がたまにいます。が、彼らはイタリア的な磊落がはらむ豊穣が理解できないのです。あるいは生活の質と量を履き違えているだけの心の貧者です。

休みを希求するのは人生を楽しむ者の行動規範であり「人間賛歌」の表出です。それは、ただ働きずくめに働いているだけの日々の中では見えてきません。休暇が人の心身、特に「心」にもたらす価値は、休暇を取ることによってのみ理解できるように思います。

2019年に出現した10連休は、日本の豊かさを示す重要なイベントでした。日本社会は今後も飛び石連休を「全連休」にする努力と、連休中に休めなかった人々が休める方策も含めて、もっとさらに休みを増やしていく取り組みを続けるべきです。




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