肉料理の島の海鮮レシピ

イタリア・サルデーニャ島の料理の主流、あるいは正当な伝統料理の食材は肉です。ところがいま現在のサルデーニャ島には魚料理があふれていて、それは食の国イタリアのどの地域の海鮮料理にも全くひけをとらない味を誇っています。

島の魚料理はリゾート地として目覚ましく発展している沿岸地帯を中心に生長してきました。ミラノをはじめとする北イタリアの金持ちたちが、彼らの専属シェフとともに魚料理のレシピを持ちこんで流行らせたり、古くからある沿岸地帯の数少ない魚料理を改良(ある種の人々にとっては改悪)していったのです。

専属シェフを抱えるほどの経済的余裕や食への情熱をそれほどは持たない者は、島のレストランや招待先で彼らの知る「イタリア本土料理」の要諦を講釈し、そこへ向けて島料理が変化するように要求しました。そうやってサルデーニャの「島風魚料理」は、徐々に「イタリア本土風の味」に変ることを余儀なくされたのです。

言葉を変えれば、島の魚介膳は世界の誰もが知る「普通の」イタメシへと変貌していきました。イタメシだからそれはほとんどの人にとって美味しい煮炊きです。それがサルデーニャ島の海岸地域に見られる今日の魚介料理の状況です。いつどこで食べても美味い。だがそれは島本来の魚介レシピではないのです。

2018年夏、サルデーニャ訪問旅で筆者が行き逢った最善の魚料理は、滞在先のキャンプ場の中のレストランで食べたタコ料理でした。その一皿は茹でたタコをスライスしてマリネ風の漬け汁で包み固めたものですが、レシピも味も伝統料理とは異なっていました。

筆者はマリネに特別な嗜好を持ちません。むしろ嫌いなほうです。そんな自分がすぐに好きになったほどの料理のマリネ風漬け汁の味が、タコのデリケートな滋味にからまって、得も言われぬ 旨味 を生成していました。

巧みな湯温度と塩加減で茹でられた素材は、まろやかでコクがあるのにさっぱりしている。言ってみれば「味の矛盾」が蝟集して、ユニーク且つ確固たる佳味 の小宇宙を形成していたのです。見事の一言につきる一品でした。

地中海域には、筆者が体験しただけでもギリシャやトルコやイタリアなど、タコ料理の美味い国々があります。そこで共通しているのは、日干しのタコやイイダコなどをトマトソースやオリーブ油やワインなどを絡ませてじっくりと煮込む調理法で、どの国の膳も美味い。

サルデーニャ島を含む地中海の島々に根付いたオリジナルのそれらのタコ料理は、本来は新鮮なタコを茹でたり焼いたりするだけの原始的なものでした。ところが16世紀にトマトが南米から欧州に導入され、18世紀に食用として一般化すると、タコ料理はトマトにワインとオリーブ油を加えて煮込む調理法へと変わっていったのです。

今回食べたタコ料理は、地中海伝統のその煮込み膳とは全く違っていました。見た目はむしろ、海鮮サラダとして提供される時の「茹でダコのスライス」に近いものでした。だが味は初めて体験するもので、一般的な海鮮サラダとはまるで違う、豊饒でまろやかな舌触りが特徴の優れた一品だったのです。

それに続く魚介料理の発見は、滞在先近くの街、ポルト・トーレスの老舗レストランで体験した魚介の前菜(伊語アンティパスト、英語スターター或いはアペタイザー)です。エビやタコなどの通常素材をデリケートなタッチで仕上げた技が絶妙でした。また小鮫の肉の煮込み皿と、いくつかの魚肉をミンチにして混ぜ合わせ、丸めて油で揚げたpolpetta(ポルペッタ:魚肉ボール揚げ)は、味はさておくとして面白い仕上がりでした。

タコの新しい味わいを引き出した前述の一皿や、冒険心満載の前菜魚介などは元もと、島の外の人々、つまりリゾートに休暇でやって来るバカンス客を目当てに、島の外のシェフや料理通らが編み出したレシピです。だが今では島の人々も自家薬籠中の物にしてさらに進展しています。

一風変わったそれらの海鮮料理はさておいて、今回もよく食べたのが海鮮パスタでした。いや、「最も多く食べた」のが海鮮パスタだった、と言わなければなりません。アサリやムール貝のソース、ボッタルガ(マグロの卵のタラコ風塩漬け)、ミックス魚介ソース和えなどの「通常」パスタの味は、どこも抜群に美味しいものでした。

イタリア人観光客が多いサルデーニャ島のレストランで、魚介ソースのパスタを美味く仕上げられないなら、その店は完全にアウトです。だからどの店も必死に魚介ソースのパスタに磨きをかけます。魚介ソースのパスタは、サルデーニャ島を含むイタリアでは、どこでもいつでも美味いのが「当たり前」なのです。

ところが今回は、イタリア国外でよく遭遇する不味い魚介パスタにそっくりの代物にも行き会いました。極めて珍しい例なのでここで言及しておくことにします。

場所はアルゲーロ(Alghero)のレストラン。スペインのカタルーニャ人が多く渡来し住み着いた、ユニークな歴史街。アルゲーロのスペイン風の街並みと空気感を楽しんだ後に、車を駆って面白そうなレストランを探し回りました。

そうして見つけたのが、ビーチに杭を打ち立てて建造されたりっぱな建物のレストラン。水着姿の客も多い文字通りの「海際の」店でした。これ以上はないというほどのすばらしい立地です。

筆者はごく普通にボンゴレ(あさり)ソースのスパゲッティを頼み、同伴している妻は魚卵ボッタルガのスパゲティを注文しました。出てきたのは見た目がちょっとゆるい感じのソースがからまったボンゴレと、ボッタルガの量をケチったのが見え見えの薄っぺらな雰囲気の2皿。

味見をしました。さすがに2品ともにパスタのアルデンテ(歯ごたえのある)まで外すことはなかったのですが、ソースの不味さにおおげさではなく「驚愕」しました。見た目そのままの味だったからです。

ボンゴレは水っぽく、プチトマトの味も良くありませんでした。おまけに貝の量が恥ずかしいくらいに少ないのです。魚介の味がほとんど感じられませんでした。パスタ全体の味を語る前に、まず魚介の具を増やさなければ話にならない、というほどの貧しさです。プチトマトを生のものではなく、「乾燥トマト」を使っていれば、味はぐんと違っていたのでしょうが、「ないものねだり」というふうでした。

もう一皿のパスタも良くありません。こちらも具のボッタルガの量が少ないのに加えて、素材がぱさぱさに乾ききっていて魚卵の風味が損なわれていました。ボッタルガに絡ませる素材も全く考慮していないのが明らかな不手際ぶりでした。

その店の料理人は恐らく、夏場の超多忙な時期だけに雇われる三流シェフなのだと感じました。素人に毛が生えただけの料理人を雇って、質よりも量を重視して一気に稼ぐ手法の経営体制の店に違いない。よくある話です。しかし、パスタの本場のイタリアでは、ファーストコースの麺料理をないがしろにする店が成功するのは至難の業です。

それでも繁盛しているように見えるのは、顧客層が普通とは違っていたからです。イタメシの本場の味としてはいかにも貧弱なその店の客は、ほとんどが外国人だったのです。特にドイツを中心とする北欧各国からのバカンス客が多いようでした。彼らは少々のイタメシの粗悪にはなかなか気がつかないといわれます。

その悪口はイタリア人を始めとする欧州の食通たちの言い草です。見方によっては不遜と取られても仕方のない彼らのそうした評価は、まさに思い上がりそのものである場合もありますが、真実を突いた見解であることも少なくありません。

繰り返しになりますが、その店の顧客は常連客やリピターではなく、その場限りの通りすがりの外国人がほとんどだったのです。料理の寡少にも拘わらずにレストランが繁盛している陰には従って、あるいは食通たちの批判通りの現実があるのかもしれません。

同時に筆者は、20年前のサルデーニャ海鮮料理体験も思い出していました。妻と子供2人を伴って、3週間にわたってキャンピングカーでサルデーニャ島を巡った折、筆者は島の魚料理の貧しさに閉口して自分で魚介を買っては調理した経験があります。

20年後の今、サルデーニャ島の魚介レシピは目覚ましい発展を見せていますが、根元では肉料理が主体の「島料理」のメンタリティーはあまり変わっていないため、魚介膳のそうした不備が時々顔を出すのかもしれない、と思ったりもしてみたのでした。

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