子ヤギ肉と成獣肉
先日、例によってイタリア・サルデーニャ島で子羊及び子ヤギ料理を探し求めていた筆者は、これまで味わった中では最も美味い羊の「成獣肉」膳に出会いました。子羊肉は中東や欧州ではありふれた食材ですが成獣肉のレシピはまれです。
筆者がヤギや羊肉料理(以下ヤギ肉に統一)にこだわるのは、単純にその料理が美味くて好き、というのがまず第一ですが、自分の中に故郷の沖縄へのノスタルジーがあるせいかも、と考えないでもありません。
沖縄の島々ではヤギ肉が食べられます。筆者が子供の頃は、それは貴重な従って高級な食材でしたので、豚肉と同様にあまり食べることはできませんでした。たまに食べるとひどく美味しいと感じました。
島々が昔よりは豊かになった今は、帰郷の際にはその気になればいくらでも食べることができます。が、昔のように美味いとは感じなくなりました。料理法が単調で肉が大味だからです。
ところがここイタリアを含む欧州や地中海域で料理される“子ヤギの肉”は、柔らかく上品な味がしてバラエティーにも富んでいます。ヤギ肉独特のにおいもありません。
貧困ゆえの食習慣
沖縄では子ヤギは食べません。成獣のみを食べます。子ヤギを食べないのは貧困ゆえの昔の慣習の名残りだろう、と筆者は勝手に推測しています。
小さなヤギは、大きく育ててから食肉処理をするほうがより多くの人の空腹を満たす食材になります。ですから島の古人は、子ヤギを食べるなどという「贅沢」には思いいたらなかったのです。
ヤギの成獣には独特のにおいがあります。それは多くの人にとっては不快な臭気です。だが臭気よりは空腹の方がはるかに深刻な問題です。それなので貧しい島人たちは喜んでヤギ肉を食べました。
食べるうちに人は臭みに慣れていきます。やがて臭みは臭みではなくなって食材の個性になります。さらに食べると、むしろ臭みがないと物足りない、というところまで味覚が変化していきます。それが島々のヤギ料理です。
筆者の遠い記憶の中には、貧しかった島での、ヤギ肉のほのかなイメージがあります。たまにしか口にできなかったその料理のにおいは臭みではなく、「風味」だったのだと思います。
その風味は、筆者の中では今は成獣肉のそれではなく「子ヤギ肉の風味」に置き換えられています。つまりここイタリアを含む地中海域の国々で食べる「子ヤギ」肉の味と香りなのです。
子ヤギの肉にはヤギの成獣の肉の臭みはありません。肉の香ばしさだけがあります。食肉処理される子ヤギとは、基本的には草を噛(は)む前の小さな生き物だからです。
成獣肉の行方
筆者が知る限り、ここイタリアではヤギの成獣の肉は食べません。羊も同じ。牧童家や田舎の貧しい家庭などではもちろん食されているとは思いますが、市場には出回りません。臭みが強すぎるからです。
しかし、スペインのカナリア諸島では、筆者は一級品のヤギの成獣の肉料理を食べた経験があります。それにはヤギの臭みはなく肉もまろやかでした。秘伝を尽くして臭いを処理し調理しているのです。
トルコのイスタンブールでも、羊の成獣の肉らしい美味い一品に出会いました。その店はカナリア諸島のように「成獣の肉」と表立って説明してはいませんでしたが、風味がほんのりと子羊とは違っていました。
子ヤギや子羊肉を伝統的に食する文化圏の国々には、そんな具合に成獣の肉をうまく調理する技術が存在します。イタリアでも隠れた田舎あたりではおそらくそうなのだろう、と筆者が憶測するゆえんです。
人工処理
実は「レシピ深化追求」の歴史がなくともヤギの臭みをきれいに消すことはできます。そういう料理に筆者はなんとヤギ食文化「事件」当事者の沖縄で出会ったのです。ほんの数年前のことです。
ヤギ料理をブランド化し観光客にもアピールしよう、という趣旨で自治体がレストランに要請して、各シェフに新しいヤギ料理を考案してもらい、それを試食する会が那覇市内のホテルで開かれました。
たまたま帰郷していた筆者もそこに招待されました。びっくりするほど多彩なヤギ料理が提供されていました。どれも見た目がきれいで食欲をそそられます。
食べてみるとヤギ肉独特の臭みがまったくと言っていいほどありません。まずそのことにおどろかされました。だが味はどれもこれもフランス料理の、ま、いわば「二流レシピの味のレベル」という具合でした。
どの料理もシャレていて美しいのですが、味にあまり個性がない。ヤギ肉の臭みを消す多くの工夫がなされる時間の中で、肉の風味や個性も消されてしまった、とでもいうふうでした。
多くの場合、島々の素朴を希求して訪れる観光客に、それらのヤギ肉料理が果たして好まれるだろうか、と筆者はすぐに疑問を持ちました。
それらは全て美しくまとまり味がこってりとしていて、ひと言でいえば洗練されています。でもなにかが違います。いかにも「作り物」という印象で、島々の素朴な風情と折り合いがつかない。居心地がわるいのです。
女性が食の流行をつくる
言葉を替えれば、この飽食の時代に、ほとんどの日本人にとっては新奇、もっといえばゲテモノ風のヤギ肉料理が、はたして食欲をそそる魅力を持っているかどうか、という根本の疑念が筆者にはありました。
さらにいえば、それらの料理が女性の目に魅力的に映るかどうか、ということも気になりました。食の流行はほとんどの場合、女性に好まれたときに起きます。
それらの料理の「見た目の美しさ」はきっと、特に女性に好感をもたれるでしょう。だが、そもそもヤギ肉という素材自体には魅力を感じない女性の「嫌気」はどうするのか、という疑問がどうしても消えません。
肉の臭みが取れても、「ヤギは癒し系の動物」というイメージも食欲のジャマをしそうです。もっともヤギに限らず、全ての家畜とほとんどの野生動物は癒し系だと思いますが。
そうした疑念を吹き飛ばすほどの訴求力が、それらのヤギ料理にあるとは思えませんでした。案の定それ以後、披露された新しいヤギ料理が、島で流行ったり観光客の評判になった、という話は聞きません。
ヤギ肉料理喧伝法
ちょっと大げさに言えばヤギ肉料理を流行させる秘策が筆者にはあります。それは前述とは逆に、女性に嫌われるかたちでのヤギ肉料理のありかたです。つまりヤギ肉の持つ特徴を科学的に解明して、それを徹底的に宣伝し売り込む方法です。
ヤギ肉には精力増進作用があるといわれます。ならばその精力を、ズバリ「性力」と置き換えても構わないような、ほのかな徴(しるし)が肉の成分に含まれてはいないか。もしそれがあればシメたものです。
ヤギ肉を食べれば男の機能が高まる、精力絶倫になる、バイアグラならぬヤギアグラを食して元気になろう!などと喧伝すればいい。
もしもそれが露骨すぎるというのなら、少しトーンを落として「ヤギ肉を食べれば活力が生まれる」ヤギ肉はいわば「若返り薬」だ、などと主張してもいい。
もちろん女性にも好感を持ってもらえるような特徴的な成分がヤギ肉に含まれているのなら、そこを強調すればさらに良い。
たとえば、やはり「若返り作用」の一環で肌がみずみずしくなる、シミなどを抑える。あるいは牛肉や豚肉などと比較するとダイエットに良い効果が期待できる、など、優れた点を徹底的に探して喧伝するのです。
料理の見た目や味やレシピではなく、ヤギ肉が持つ他の食材とは違う「根本的な特徴」というものでも発見しない限り、ヤギ肉料理が日本で大向こう受けするのはきわめて難しいように思います。
それならばいっそ、今のまま、つまり昔からある料理法のままで、「珍味」が好きな少数の観光客に大いに喜んでもらえる努力をしたほうが良いのではないか。要するに薄利多売ではなく、「臭み」という希少価値を売り物にする元々の島ヤギ料理の商法です。
official site:なかそね則のイタリア通信