新型コロナを斬る~独裁への挑戦

アメリカの新型コロナウイルス感染者の数が、イタリアのそれを追い抜くのは時間の問題と考え、ブログにもそう書いたりしていたところ、早くも同国は3月26日、イタリアどころか中国も追い越して世界最大の感染国になってしまいました。もっともイタリアの総感染者数も中国を上回ってしまいましたが。

危機的な状況にもかかわらず、かのトランプ御大は「4月12日のイースター(復活祭)までにアメリカは新型コロナウイルスから解放されるだろう」と表明しました。楽観的な態度は悪いことではないと思いますが、今のこの状況でのその発言は「あんた、ドタマ大丈夫?」と訊いてみたくなります。口から出まかせの失言の多いこの人が米国大統領なのですから、今さらながらため息が出ます。

3月22日の日曜日から水曜日までの4日間、連続して1日当たりの感染者の数が減っていたイタリアの統計が26日、逆転してまた増加を記録しました。死者数も相変わらず多い。筆者の身近での事態の悪化も続いています。友人の兄のドクターがCovid19を発症して集中治療室に収容されたのです。彼は退職したばかりだったのですが、志願して医療の前線に戻っていました。彼を介して友人夫婦と2人の子供も感染したのではないか、という大きな懸念が出てきました。

イタリアでは医療スタッフの感染も深刻です。3月26日現在、なんと39人もの医師がCovid19によって死亡しています。イタリア政府は6日前、退職して年金生活に入っている医師に呼びかけて、300人のボランティア・スタッフを緊急募集しました。ほぼ医療崩壊に陥っているロンバルディア州ほかの被災地に送り込むためです。すると24時間以内に定員の25倍以上にあたる約8000人が名乗り出ました。

彼らはむろん今このときに医療現場へ戻ることの危険を百も承知しています。その上で、集中医療機器どころか医療スタッフのマスクさえ足りない絶望的な環境の中、人命救助のために自らの命さえも危険にさらしている現役の同僚を助けようと立ち上がったのです。ロンバルディア州に代表されるイタリアの医療前線の過酷な状況は、日本などの知ったかぶり評論家がしたり顔で言いたがる医療レベルの高低の問題ではありません。爆発的感染拡大のあまりの速さと、巨大津波並みの威力に体制が全く対応できなかったのです。

ロンバルディア州の、従ってイタリアの困難はそのままスペインに受け継がれて行っています。スペインはイタリアの惨状を目の当たりにして準備を進めていたはずなのに、自家の火事を防ぐことができずにいます。なぜでしょうか。いま言及したようにCovid19の拡散パワーと攻撃力があまりにも凄まじいからです。そして欧州ではスペインに続いてフランスもウイルスの激しい打撃に苛まれつつあります。大西洋を隔ててアメリカも欧州と同じ運命をたどりそうです。

イタリアは民主主義世界では初めて、独裁国家中国の施策に肉薄するほどの苛烈な規制を国民に強いてCovid19に立ち向かっています。欧州各国もまた世界の多くの国も、それに追従する形でパンデミックに対峙しようとしている。だが前線のイタリアの作戦の成否はまだ分かりません。昨日まで見えていたかすかな勝利の兆しが、今日はまた消えるという厳しい戦いが続いています。

民主主義国家のイタリアは、独裁国家の中国のように力で国民を抑え込むことはできません。イタリア国民の中には事態が切迫した今になっても、国の移動規制や各種管制を無視して、自由を求めて勝手に動き回る者が後を絶ちません。イタリア警察は全土の封鎖が始まって以降の2週間でおよそ250万人の市民を職務質問し、そのうちの11万人を法令違反で検挙しました。また、感染爆心地の北部を捨てて、南イタリアへと違法に逃れて行った者も多くいます。

それでも実は、イタリア国民の96%もが政府の苛烈な規制策に賛成、という統計が出ています。時として分裂国家にも見えるほど各地域の独自色が強く、多様性が国家の命とさえ言えるイタリアにおいては、その数字は異様に見えるほどに高い。規制や強制を嫌って動き回る者や、北部のウイルスを南部に運ぶリスクを推し量ることもなく、自己中心的な思惑のみで南部に逃れた不届き者らは、96%の国民を危険にさらす4%の反乱者という見方もできます。

独裁国家の強権に匹敵する民主主義国家の力とは、民意です。民意は政権と対話をし政権を動かします。そして民意は高い民度の総意であればあるほどより大きな力になります。現在のイタリアのような非常事態下で身勝手に動き回るのが、いわゆる民意の低い国民です。独裁国家なら彼らを力で抑えつけてルールに従わせるか抹殺してしまいます。民主主義国家ではそれをしません。辛抱強く彼らを説得し教育して民意を上げる努力をします。

今イタリアを始めとする欧米各国が取り組んでいるのは、Covid19への挑戦に名を借りた民主主義の再認識と確認であり、そして何よりもその再評価へ向けての戦いです。つまり国民を抑圧するのではなく、国民との対話によって社会を動かして、死臭に満ちた不気味なウイルスを制圧する。それができなければ自由主義世界は、“既にCovid19を抑え込んだ”と豪語する一党独裁国家、中国の前に跪くことになるのかもしれません。


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