「ベンチのマラドーナ」より愛をこめて

偉大なマラドーナが逝ってしまいました。ふいにいなくなってしまうところが悲しく、だがさわやかでもある、いかにもマラドーナらしいサヨナラの仕方であるようにも思えます。

サッカー少年だった筆者が「ベンチのペレ」と呼ばれて相手チームの少年たちに恐れられていたころ、マラドーナはまだマラドーナではなかった。ディエゴ・アルマンド・マラドーナという筆者よりも少し幼い少年でした。

マラドーナがアルゼンチンで頭角をあらわし、むくりと立ち上がって膨張したころ、筆者は既にサッカーのプレーはあきらめて、サッカー理論や情報に興味を持つだけの頭でっかちのサッカーファンに成り果てていました。

テレビドキュメンタリーの監督として仕事をするようになってから、筆者はニューヨークに移動し2年後にそこを離れてイタリアに移住しました。それはちょうどマラドーナがアルゼンチンを率いてワールドカップを制した時期に重なっていました。

1986年のワールドカップを筆者はニューヨークで見ました。決勝戦に際して筆者は、同僚のアメリカ人ディレクターらをはじめとするTVスタッフと遊びで賭けをしました。アメリカ人は当時も今もサッカーを知りません。誰もが前評判の高いサッカー強国ドイツが有利とみて、そこに金を賭けました。

筆者とプエルトリコ出身の音声マンだけがアルゼンチンに賭けました。ヒスパニックの音声マンは同じヒスパニックのアルゼンチンに好感を持ったのです。筆者はアルゼンチンではなくマラドーナの勢いに賭けました。確信に近い思いがありました。

結果は誰もが知る内容になりました。マラドーナは対イングランド戦での「神の手ゴール」と「5人抜きゴール」の勢いに乗ったまま、アルゼンチンを世界の頂点に導きました。そしてマラドーナ本人の人気は、頂点を越えて宇宙の高みにまで突出していきました。片や筆者は騒ぎのおこぼれにあずかって、賭けの嬉しい配当金を手にしました。

同年から翌年にかけて、筆者は仕事の拠点をニューヨークからイタリア、ミラノに移しました。ワールドカップを沸かせたマラドーナもイタリアにいました。彼はその2年前からイタリア、ナポリでプレーをしていたのです。ナポリが所属するプロサッカーリーグのセリエAは当時、世界最高峰のリーグとみなされていました。

例えて言えば、現在隆盛を極めているスペインリーグやイギリスのプレミアリーグなどにひしめいているサッカーのスター選手らが、当時はひとり残らずイタリアに移籍するような状況が生まれていました。その典型例がマラドーナだったのです。

時間は少し前後しますが、絶頂を極めた80年代から90年代のセリエAにはマラドーナのほかにブラジルのジーコ、カレカ、ロナウド、フランスのプラティニ、オランダのファン・バステン、フリット、アルゼンチンのバティストゥータ、ドイツのマテウス、イギリスのガスコインなどなど、スパースターや有名選手や名選手がキラ星のごとく張り合っていました。

そこにバッジョ、デルピエロ、トッティ、マンチーニ、バレージ、マルディーニ等々の優れたイタリア人プレーヤーが加わってしのぎを削りました。筆者はそんな中、イタリアのサッカーを日本に紹介する番組や報道取材、また雑誌記事などの媒体絡みの仕事でも、セリエAにかかわる幸運に恵まれました。

マラドーナは常に燦然と輝いていました。筆者が自分のサッカーの能力を紹介するフレーズ「僕はベンチのペレと呼ばれた」を「ロッカールームのマラドーナと呼ばれた」と言い変えたりするのはそのころからです。それはやがて「僕はベンチのマラドーナと呼ばれた」へと確定的に変わっていきました。

「ベンチのマラドーナ」とは言うまでもなく補欠という意味です。そのジョークはイタリア人に受けました。受けるのが楽しくて言い続けるうちに、それは筆者の定番フレーズになりました。サッカー少年の筆者は、ベンチを暖めるだけの実力しかありませんでしたが、少年時代の悔しさはマラドーナのおかげで良い思い出へと変容していきました。

閑話休題

マラドーナはよくペレと並び称されます。 ペレは偉大な選手ですが、筆者にとってはいわば「非現実」の存在とも言えるプレーヤーです。筆者は彼と同じ世代を生きた(サッカーをした)ことはなく、彼のプレーも実際に見たことがありません。一方マラドーナは同年代人であり、筆者は彼のプレーも何度か間近に見ました。

巨大なマラドーナは、プレースタイルのみならずその人となりも人々に愛されました。彼はピッチでは「神の子」ではなく神同然の存在でした。が、一度ピッチの外に出るとひどく人間くさい存在に変わりました。気さくでおおらかでハチャメチャ。人生をめいっぱい楽しみました。

楽しみが極まって彼は麻薬に手を出しアルコールにも溺れました。そんな人としての弱さがマラドーナをさらに魅力的にしました。天才プレーヤーの彼は間違いを犯しやすい脆弱な性質でした。ゆえにファンはなおいっそう彼を愛しました。

その愛された偉大なマラドーナが逝ってしまいました。2020年は猖獗を極める新型コロナとともに、あるいはもう2度とは現れない「サッカーの神」が去った年として、歴史に永遠に刻み込まれるのかもしれません。

マラドーナは繰り返し、もしかすると永遠に、ペレと名を競います。が、人としての魅力ではマラドーナはペレをはるかに凌駕します。また今現在のサッカー界に君臨する2人の巨人、クリスティアーノ・ロナウドとリオネル・メッシは、技量において恐らくマラドーナを超えます。数字がそれを物語っています。

だが彼ら2人も人間的魅力という点ではマラドーナにははるかに及びません。マラドーナの寛容と繊細とハチャメチャと人間的もろさ、という面白味を彼らは持たないのです。マラドーナはまさに前代未聞、空前絶後に見える偉大なサッカー選手であり、同時に魅惑的な人格でした。

合掌。

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