ワクチン未接種者のノバク・ジョコビッチ選手が全豪オープンテニス大会から締め出されました。
ジョコビッチ選手は反ワクチン論者。
そしてジョコビッチ選手がワクチン接種を拒否するのは個人の自由です。
民主主義社会では個人の自由は頑々として守られなければなりません。
同時に民主主義社会では、個人の自由を享受する市民は、その見返りに社会に対する義務を負います。
そして社会全体が一律にコロナパンデミックの危険にさらされている現下の状況では、自らと他者で構成される社会を集団免疫によって守るために、ワクチンを接種することが全ての市民の義務と考えられます。
従ってワクチンを拒絶するジョコビッチ選手は、その時点で反社会的存在です。たとえ自身はワクチン接種に反対でも、社会全体のためにワクチンを接種する、という市民の義務を怠っているからです。
新型コロナワクチンが出回った当初は、ワクチン接種を拒否することは個人の自由として認められていました。
個人の自由が、社会全体の自由の足かせとなることが十分には理解されていなかったからです。
だが個人の自由を盾にワクチン接種を拒む市民の存在は、パンデミックの終息を遅らせ、最悪の場合は終息を不可能にするかもしれない、という懸念さえ生まれました。
その時点でワクチン接種は、個人の自由から市民の義務になった、と言うことができます。
個人の自由は社会全体の自由があってはじめて担保されます。また個人の自由を保障する多くの民主主義国家の憲法も、社会全体の安寧によってのみ全幅の効力を発揮します。
ワクチン接種を拒否できる個人の自由は、パンデミックによる社会全体の危機が執拗に続く現在は容認できません。
個人の自由を保障する社会の平安と自由が危機に瀕しているときに、個人の自由のみを頑迷に主張するのは理にかないません。
コロナパンデミックが人々を抑圧し社会全体のストレスが日々高まっていく中で、誰もが自由を求めて葛藤しています。
ワクチンを接種した者も、それを拒絶する者も。
ワクチンを接種した人々が希求する自由は、ワクチンを拒絶する者も分けへだてなく抱擁します。パンデミックを打ち破って社会全体で共に自由を勝ち取ろうという哲学だからです。
一方で反ワクチン派の人々が焦がれる自由は、ワクチン接種そのものを拒否する自由、という彼ら自身の我欲のみに立脚した逃げ水です。
そして彼らが言い張る自由は、社会全体が継続して不自由を蒙る、という大きな害悪をもたらす可能性を秘めています。
だからこそワクチン拒否派の市民は糾弾されなければならないのです。
ここまでが全ての市民に当てはまる一般的な状況です。
ノバク・ジョコビッチ選手は世界ナンバーワンのテニスプレーヤーです。彼は好むと好まざるに関わらず世界的に大きな影響力を持ちます。
また世界に名を知られている彼は、テニスの試合ほかの社会活動を行うことによって、グローバル共同体から経済的、文化的、人間的に巨大な恩恵を受けています。
そして彼に恩恵をもたらす社会活動には既述のように責任が伴います。
その責任とはこの場合、ワクチンを接種する義務のことにほかなりません。
だが彼はそれを拒否しています。拒否するのみではなく、多くの嘘をついています。
彼はオーストラリアに入国するためにコロナ感染履歴を詐称しました。
またコロナに感染していながらそれを隠して旅行をし、隔離生活をしなければならない時期に外出をして、子供たちを含む他者と濃厚な接触を続けました。
そのことを問われるとジョコビッチ選手は、自らの感染の事実を知らなかった、と開いた口がふさがらない類の詭弁を弄しました。
彼はそこでは嘘に加えて隔離拒否という2つの大きな罪を犯しています。
そればかりではありません。
彼はオーストラリア入国が決まるまでは、ワクチンを接種したかどうかを意図的にぼかして、どちらとも取れる発言に終始していました。
ところがトーナメントに出場できると決まったとたんに、手のひらを返して「ワクチンは接種していない」と明言しました。
つまり彼は意図的に接種の有無を曖昧にしていましたが、状況が都合よく展開するや否や、未接種の事実を明らかにしたのです。そのことも糾弾に値する卑劣な行為です。
なぜなら彼はそうすることで、反社会的な勢力である世界中のワクチン拒絶派の人々に得意気にエールを送ったからです。
ジョコビッチ選手は結局、オーストラリア当局の毅然とした対応に遭って、全豪オープンへの出場を拒まれました。
それに続いて5月の全仏オープンと8月の全米オープンへの出場も拒否される可能性が高くなりました。
彼はテニス選手としてのキャリアを大きく傷つけられました。だが彼の最大の傷みは、自らの人間性を世界の多くの人々に否定された事実でしょう。
彼に残されている再生への唯一の道筋は、一連の不祥事への真摯な謝罪とワクチン接種ではないでしょうか。
しかも後者を実行する際には彼は、世界中にいる反ワクチン派の人々に改心を呼びかけることが望ましい、と考えます。
もっともジョコビッチ選手の反ワクチン論は宗教の域にまで達している様子ですから、他者への呼びかけどころか、彼自身が転向する可能性も残念ながら低いかもしれませんが。
official site:なかそね則のイタリア通信