シチリア島に見るアラブ・イスラムの息吹

イタリアのシチリア島は1860年、ガリバルディ率いる千人隊によって統一イタリア王国に併合されるまでの2千年余り、列強に支配されました。

支配者の名を時系列に並べると紀元前のギリシャに始まり、ローマ帝国、ビザンツ、アラブ、ノルマン、フランス、スペイン等々です。

このうちアラブ支配期を除けば― ビザンツに少しの議論の余地があるかもしれませんが― 支配者は全てが欧州の強国や大国でした。

つまりシチリア島はれっきとしたヨーロッパですが、そこに侵入支配し、島を蹂躙したパワーもまたヨーロッパのそれだったのです。

そこに9世紀から11世紀にかけてアラブという異質な力が入り、島を統治しました。シチリア島最大の都市パレルモを筆頭に、同地には今でもその痕跡が残っています。

例えばアラブのモスク風の赤い丸屋根を持つ教会。シチリアに、そしてイタリア全土に“数え切れないほど”多くある「西洋風」の教会の中にあって、全く異質の雰囲気をかもし出しています。

そのひとつがサン・カタルド教会。3つの赤い丸屋根が放つイスラム風の情緒が鮮烈な印象を与える、アラブ・ノルマン様式の建築物の一つ。パレルモ市中心の広場に、バロック様式の美しいファサードを持つマルトラーナ教会と並んで建って、有名観光スポットの一つになっています。1160年頃に建設されました。

サン・ジョバンニ・デッリ・エレミティ教会


サン・ジョバンニ・デッリ・エレミティ教会の佇まいも琴線に触れます。こちらもモスク風の5つの赤い丸屋根を持っています。もともとは6世紀に作られた修道院。キリスト教の施設が、アラブ人によってモスクに作り変えられた往年の姿を偲んで、19世紀に再現されました。

観光客もあまり訪れないジーザ城のシンプルな佇まいも面白い。ムスリム排斥後のノルマン時代に建てられたアラブ・ノルマン建築の傑作です。外見もそうですが城の構造とコンセプトがすごい。暑いパレルモの風の動きを計算して、城中に涼しい風を呼び込む工夫が縦横に施(成)されています。

海風と山風の通り道を計算して建設場所が決められ、さらに風を取り込むために建築構造が考案されました。その上に噴水の水を建物内の壁に引き込んで循環させる仕組みが隠されています。いわば原始的なクーラーのコンセプトです。

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ジーザ城


クーラーのアイデアは、当時の進んだアラブの技術をノルマン人が取り込んだのではないかと思います。1787年にここを訪れたゲーテは、建物の美と機能に感嘆して、「北国には向かないかもしれないが南国の気候には最適の構造だ」という趣旨の文章を書き残しています。

アラブはスペインも支配しました。支配地域や権力の変遷はあったものの、紀元711年に始まり、1492年にナスル朝グラナダ王国が滅亡するまでの約800年間、アラブはイベリア半島を席巻しました。そこではアラブ支配の痕跡は珍しくありません。珍しいどころか、特に支配期間が長かったアンダルシア州などでは、むしろ普通の光景です。

アラブのシチリア支配はスペインより1世紀余り遅れました。紀元827年に始まり1061年までの200余年に過ぎません。従ってアラブの痕跡は。スペインのアンダルシアなどに比較するとはるかに薄い。しかし、数少ない彼らの足跡はやはり鮮やかです。

実をいうと、アラブ支配時代の「オリジナル」の建物や建造物は、シチリアにはほとんどありません。前述の2教会やジーザ城も、アラブの後にシチリアを制したノルマン王朝が、イスラム文明の優れたものを模造したり再建したり修復したために、今日にまで残る道筋ができたのです。

シチリア島を支配していた当時のアラブ世界は、数学や天文学や医学、薬学、化学、また灌漑技術などもヨーロッパより進んでいました。アラブ人は彼らの進んだ技術や学問や優れた建築・芸術様式などをシチリア島に持ち込みました。その中でも特に灌漑技術はシチリアの農業を飛躍的に発展させました。
 
島の名産物の代名詞であるオレンジやみかんなどの柑橘類もアラブ人がもたらしたものです。さらに彼らは、サトウキビ、綿花、ピスタキオ、メロン、薬草、ナツメヤシなども初めてシチリア島に導入しました。養蚕と桑の栽培も彼らが始めて、絹織物の生産が盛んになりました。

アイスクリームの原型とされるシャーベットもアラブ人がもたらした、という説さえあります。

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エトナ山


彼らは島にあるヨーロッパ最大の火山、標高約3330メートルのエトナ山頂の雪を利用して夏もシャーベットを作り、それはやがて発祥地がナポリともフィレンツェとも言われるアイスクリームへと形を変えていった、というものです。

シャーベットとアイスクリームは別物だと思いますが、夏の暑い盛りに冷たいものを食べたい、という人々の欲望に応えた技術の開発という意味では、アラブのかつての進んだ文明を思い起こすにふさわしいエピソードのようにも見えます。
 
アラブの優れた文物が、シチリアにもたらされた歴史をしっかりと認識している島の人々は、「アラブはシチリアの一部だよ」とまで断言して、アラブ・イスラム文化を讃えます。
 
欧州ではイスラム過激派のテロなどが頻発して人々を震撼させてきました。テロは目立たなくなりましたが、その芽が摘まれたわけではなく、欧州は依然としてひそかに厳戒態勢を敷いています。欧州のいわゆるイスラムフォビア(嫌悪)の感情は少しも弱まっていません。

そんな中で、アラブ・イスラムを自らの一部とまでとらえて賞賛するシチリアの人々の正直と、懐の深さが筆者は好きです。

彼らは歴史を直視することで「テロリストと一般のイスラム教徒を混同してはならない」という当たり前の原則をやすやすと実践し、泰然として揺るがないように筆者の目には映ります。

 

 

 

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なかそね則のイタリア通信

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