ことしも復活祭のあやしい楽しみを楽しむとしよう

復活祭は移動祝日。ことしは3月末日でした。英語のイースター。イタリア語ではパスクア。イエス・キリストが死後3日目に復活したことを祝う祭です。

キリスト教の祭典としては、非キリスト教国を含む世界中で祝される祭礼、という意味でクリスマスが最大のものでしょう。だが、宗教的には復活祭が最も重要な行事です。

クリスマスはイエス・キリストの生誕(誕生日ではない)を寿ぐ祭り。誕生は万人に訪れる奇跡ですが、死からよみがえる大奇跡は神の子イエス・キリストにしか起こりえない。

宗教的にどちらが重要であるかは火を見るよりも明らかです。

復活祭では各家庭の食卓に多くの伝統料理が並びます。主役は「再生」を意味する卵と、「犠牲」を象徴する子羊です。子羊は子ヤギにも置き換えられます。

イエス・キリストは人類の罪をあがなうため磔(はりつけ)にされました。子羊はそのことを表わしています。

子羊また子ヤギ料理は近年、動物虐待だとしてアニマリストからの攻撃を受けることが多くなっています。彼らの気持ちは分かります。が、子羊や子ヤギだけを憐れむ主張には違和感も覚えます。

世界中で食肉処理されるおびただしい数の他の家畜は、どうでもいい、ということなのでしょうか?

見た目が可愛いからというのが理由なら何をか言わんやです。 子牛や子豚や若鶏もみな可愛い生き物です。

世界中で人は、それらの肉もおおいに食らいます。

人間が生きるとは「殺すこと」です。人は人間以外の多くの生物を殺して食べています。

肉や魚を食べない菜食主義者でさえ、植物という生物を殺して食べて生命を保っています。

われわれ人間は、自らの体内で生きる糧を生み出す植物とは違い、他の生物を殺して食べることでしか生命を維持できません。

だから筆者は子ヤやギ子羊を食べることを悪とは考えません。強いて言うならばそれは殺すことしかできない人間の「業」です。

子ヤギを食らうのも野菜サラダを食べるのも同じ「業」なのです。

大切なことはその真実を真っ向から見据えることです。

子羊や子ヤギを始めとする小動物を慈しむ心と、それを食肉処理して食らう性癖の間には何らの矛盾もありません。

それを食らうも人間の正直であり、食わないと決意するのもまた人間の正直です。

 

 

 

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