スイスの海で泳いでみたい

スイスair機とサルデーニャ州旗

イタリアのサルデーニャ島は古代からイタリア本土とは異なる歴史を歩んできました。それゆえにサルデーニャ島人は独自のアイデンティティー観を持っていて 、自立・独立志向が強い、と言われています。

ローマ帝国の滅亡後、イタリアでは半島の各地が都市国家や公国や海洋国家や教皇国などに分かれて勝手に存在を主張していました。

そこでは1861年の統一国家誕生後も、独立自尊のメンタリティーが消えることはなく、それぞれの土地が自立あるいは独立を模索する傾向があります。あるいはその傾向に向かう意志を秘めて存在しています。

サルデーニャ島(州)ももちろんそうした「潜在独立国家」群の一つです。だが同島の場合、島だけで独立していたことはありません。イタリア共和国に組み込まれる以前はアラブやスペインの支配を受け、イタリア半島の強国の一つピエモンテのサヴォイア公国にも統治されました。

現在はイタリア共和国の同じ一員でありながら、サルデーニャ島民が他州の人々、特にイタリア本土の住民とは出自が違いルーツが違う、と強く感じているのは島がたどってきた独自の歴史ゆえです。

抑圧され続けた歴史への怨恨と島人としての誇りから、サルデーニャ島の人々は、独立志向が強いイタリア半島の各地方の中でも特に、イタリア共和国からの独立を企てる傾向が強いと見られています。

1970年代には38%のサルデーニャ島民が独立賛成の意思を示していました。また2012年のカリアリ大学とエジンバラ大学合同の世論調査では、41%もの島民が独立賛成と答えました。

その内訳は「イタリアからは独立するものの欧州連合(EU)には留まる」が31%。「イタリアから独立しEUからも離脱する」が10%でした。

今日現在のサルデーニャ島には深刻な独立運動は存在しません。しかしそれらの統計からも推測できるように、島には政党等の指導による独立運動が盛んな時期もありました。島の独立を主張する政党は今でも10以上を数えます。

それらの政党にかつての勢いはなく、2019年現在のサルデーニャ州の独立運動は、個人的な活動とも呼べる小規模な動きに留まっているのがほとんどです。

その中にはイタリアから独立し、且つEU(欧州連合)からも抜け出してスイスへの編入・統合を目指そう、と主張するユニークなグループもあります。なぜスイスなのか、と考えてみると次のような理由が挙げられそうです。

独立を目指すサルデーニャ島民の間には、先ずイタリア本土への反感があり、そのサルデーニャ島民を含むイタリア共和国の全体には欧州連合(EU)への不信感があります。最近イタリアに反EUのポピュリスト政権が誕生したのもそれが理由の一つです。

イタリア本土とEUを嫌うサルデーニャ島が、欧州内でどこかの国と手を結ぶとするなら、非EU加盟国のスイスとノルウェーしかりありません。バルカン半島の幾つかの国もありますが、それらは元共産主義圏の貧しい国々。一緒になってもサルデーニャ島にメリットはありません。

さて、スイスとノルウェーのどちらがサルデーニャにとって得かと考えると、これはもう断然スイスです。金持ちで、EU圏外で、しかも永世中立国。さらに国内にはティチーノ州というイタリア語圏の地域さえあります。このことの心理的影響も少なくないと思います。

ノルウェーもリッチな国ですが豊かさの大半は石油資源によるもの。石油はいつかなくなるから将来性に不安があります。また人口も約500万人とスイスの約800万人より少ない。従って後者の方が経済的にも受け入れの可能性が高い、など、など、の理由があると考えられます。

仮に島が分離・独立を果たしたとします。その場合にはスイスは、あるいは喜んでサルデーニャを受け入れるかもしれません。なにしろ自国の半分以上の面積を有する欧州の島が、一気にスイスの国土に加わるのですから悪くない話です。

しかも島の人口はスイスの5分の一以下。サルデーニャの一人当たりの国民所得はスイスよりもはるかに少ないですが、豊かなスイス国民は新たに加わる領土と引き換えに、島民に富を分配することを厭わないかもしれません。

スイス政府はこれまでのところ、サルデーニャ島からのラブコールをイタリアの内政問題だとして沈黙を押し通しています。それは隣国に対する礼儀ですが、敢えてノーと言わずに沈黙を貫き通していること自体が、イエスの意思表示のように見えないこともない、と筆者は考えています。

ただスイスと一緒になるためには、島は先ずイタリアからの分離あるいは独立を果たさなければなりません。イタリア共和国憲法は国内各州の分離・独立を認めていないからです。分離・独立を目指すならサルデーニャ島は憲法を否定し、従ってイタリア共和国も否定して、武力闘争を含む政治戦争を勝ち抜く必要があります。これは至難の業です。

分離・独立の主張は、イタリア本土から不当な扱いを受けてきたと感じている島人たちの、不満や恨みが発露されたものです。イタリア本土の豊かな地域、特に北部イタリアなどに比較すると島は決して裕福とは言えません、

経済的な不満も相まって、島民がこの際イタリアを見限って、同時に、欧州連合内の末端の地域の経済的困窮に冷淡、と批判されるEUそのものさえも捨てて、EU圏外のスイス連邦と手を組もうというのは面白い考えだと思います。

ただし誤解のないように付け加えておきます。スイスへの編入・統合を主張しているのは今のところ、サルデーニャ島の島民の一方的な声です。片思いなんですね。しかも声高に言い張るのは、これまた今のところはサルデーニャ島民のうちの極く小さなグループに過ぎません。

面白いアイデアながらグループの主張には筆者は違和感も覚えます。つまり彼らが独立を求めるようでいながら、最終的には独立ではなく、イタリア本土とは別のスイスという「新たな従属先」を求めているだけの、事大主義的主張をしている点です。どうせなら彼らは独立自尊の純粋な「独立」を追求するべきです。

筆者はサルデーニャ島の独立にも、そこに似た日本の沖縄の独立にも真っ向から反対の立場ですが、独立を志向する精神には賛成です。島に限らず、国に限らず、人に限らず、あらゆる存在は「独立自尊」の気概を持つべき、というのが筆者の立場です。そしてそういう考えが出てくるほどの多様性にあふれた世界こそが、理想的な「あるべき姿」だと考えます。

「イタリアを捨ててスイスに合流する」というサルデーニャ島民の荒唐無稽に見える言い分は、それをまさに荒唐無稽ととらえる欧州や世界の人々の笑いと拍手と喝采を集めました。しかしながら筆者の目にはそれは、荒唐無稽とばかりは言えない真摯な意志を秘めたアイデアにも見えるのです。

とはいうものの、海のないスイス連邦に美しいティレニア海と温暖で緑豊かなサルデーニャ島が国土として加わるというファンタジーは、 暴力と憎しみと悲哀のみを生みかねない政治闘争の可能性はさておき、 筆者の心を躍らせます。

ファンタジーが現実になって、スイス連邦サルデーニャ州のビーチで アイスクリーム を食べると、あるいはそれはイタリアのサルデーニャ島で食べるアイスクリームとは違う味がするかもしれません。やはりちょっと味見をしてみたい気もします。


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癒しのワンダーランド

サルデーニャ島ペローザビーチ

2018年夏、ほぼ20年ぶりにイタリア・サルデーニャ島を訪れました。ミラノから飛行機で約1時間の便利さを避けて車ともどもフェリーで島に着きました。船中一泊の長い旅です。

簡便な飛行機旅を避けたのは、 サルデーニャ島の歴史や文化の大半 は、「イタリア本土から遠いという事実に規定される」と考える持論に基づいて、イタリア本土とサルデーニャ島との距離感を実体験したかったからです。

サルデーニャ島がイタリア本土からかなり遠い位置にある、ということを肌身に感じて体験するには船旅が最適です。人はつい最近まであらゆる島には船でしか渡れませんでした。人の距離感覚は飛行機に乗ると麻痺するのです。

日本ほど島が多くはないイタリアには、意外なことに地中海で面積が1番大きいシチリア島と2番目に大きなサルデーニャ島があります。

筆者はロンドンの映画学校の学生時代からシチリア島は何度も訪れています。イタリアに居を定めてからは、仕事でもプライベートでもさらにひんぱんにシチリア島に行きました。

ところがサルデーニャ島は今回が2度目。しかも20年以上も時間が経っての再訪です。島の羊飼いを追いかけるドキュメンタリーを制作しようと思いついて、いろいろ調べた時期もありましたが、多忙に呑み込まれて立ち消えになっていきました。

サルデーニャ島は日本の四国よりも面積が大きい島ですが、人口はその半分にも満たないおよそ165万人程度です。内陸部は特に人口密度が低いことで知られています。

筆者は辺鄙な離島で生まれ育ったせいか、もともと島という場所に特別の愛着を抱く傾向があります。島と聞けばすぐに興味を持ち訪ねてみたくなります。サルデーニャ島も例外ではありません。

その上サルデーニャ島は、イタリアの島のうちでは面積もさることながら、多くの意味でシチリア島と並ぶ重要な島なのです。これまでに一度しか訪問していないのが自分でも不思議なくらいでした。

サルデーニャ島は何よりも自然の景観が目覚ましい島です。イタリアの自然はどこも美しい。だがサルデーニャ島のそれは格別です。なぜならこの島には、イタリアでも1、2を争うほどの豊かで手付かずの大自然がどんと居座っているからです。

島の北部の港町に午前6時に着いて、ホテルにチェックインするまでの長い時間と翌日の全てをかけて、島の半分ほどを一気に車で巡りました。それだけで20年前に経験した島のワイルドな自然を再確認することができました。

緑一色がえんえんと続く、集落も人影も見当たらない島の内陸部を旅すると、DHローレンスがいみじくも指摘したように、まるで限界ある島ではなく大陸の雄大の中を走っているような印象さえ受けます。

サルデーニャ島は、地中海の十字路とも形容されて古くから開発が進んだシチリア島やイタリア本土の大半とは違い、近代化の流れから少し取り残される形で歴史を刻んできました。

手付かずの大自然が多く残っているのはそのことと無関係ではありません。近代化とは開発の異称であり、開発は往々にして自然破壊と同義語です。

近代化の遅れを工業化の遅滞、あるいは産業化の滞りなどと言い換えてみれば、サルデーニャ島の置かれた状況は、イタリア本土の南部地域やシチリア島などにもあてはまる現象であることが分かります。

イタリア共和国を語る時によく引き合いに出される「南北の経済格差」問題とは、サルデーニャ島とシチリア島を含む南イタリア各州の経済不振そのもののことにほかならないのです。

サルデーニャ島の近・現代は、そのようにイタリアの南部問題のなかに包括して語られるべきものですが、同島の場合にはそれだけでは語りつくせない「遅れ」のようなものがあると筆者は考えています。

つまり、先史時代からサルデーニャ島が刻んできた特殊な歴史が、同島の近代化の遅れを語る前に既に、島の「後進性」の源を形成してきたということです。

サルデーニャ島には紀元前16世紀頃から謎に満ちたヌラーゲ人が住み着き、紀元前8世紀頃にはフェニキア人が沿岸部に侵攻して次々に都市を建設しました。やがてカルタゴ人が島を征服します。次にローマ帝国の支配を受けその後アラブ・イスラム教徒に支配されました。

海の民とも呼ばれるフェニキア人は今のレバノン近辺、またカルタゴ人は今のチュニジア周辺に生を受けた人々です。つまり彼らはアラブ人です。彼らのほとんどは7世紀以降、当時の新興宗教だったイスラム教に帰依していきます。

アラブ・イスラム教徒の支配は、9世紀にはシチリア島にも及びました。しかしサルデーニャ島の場合は、そのはるか以前からアラブ系の人々の侵入侵略、また占領が間断なく続いていたのです。その意味では島の歴史は、イタリアよりもスペインに近い、とも考えられます。

またシチリア島が、古代ギリシャの植民地となって発展した時代もサルデーニャ島は経験していません。そうした歴史が、サルデーニャ島を立ち位置のよく似たシチリア島とは異質なものにした、と言うこともできるようです。

さらに言えばサルデーニャ島は、再びシチリア島やマルタ島、またロードス島とクレタ島に代表されるギリシャの島々などとは違って、十字軍の進路の版図内にはありませんでした。そのために十字軍とともに拡散した「欧州の息吹」がもたらされることもなかったのです。

そればかりではありません。サルデーニャ島は極めて開明的だったベニス共和国が、アドリア海に始まる東地中海を支配して、自らの文化文明を地域に浸透させ発展させた恩恵にも浴することはありませんでした。

そのようにサルデーニャ島は、欧州文明のゆりかごとも規定される地中海のただ中に位置しながら、一貫していわば「地中海域の普遍的な発展」から取り残された島であり続けました。それがサルデーニャ島の後進性の正体ではないか、と筆者は考えます。

シチリア島が輝かしい文化の島なら、サルデーニャ島は素朴で庶民的な文化に満ちた場所です。そこにはシチリア島に見られる絢爛な歴史的建築物や芸術作品はあまり多くは存在しません。その代わりに豊穣雄大な自然と、素朴な人情や民芸などの「癒しの文化」がふんだんに息づいているのです。

サルデーニャ島はイタリアの中でも、ひいては欧州の中でも、きわめてユニークな歴史と文化を有しています。同島に関しては以前にも幾つかの論考を書きました。世界一の成獣羊肉料理を食するイタリア・サルデーニャ島海鮮料理に見る殖民地メンタル肉料理の島の海鮮レシピサルデーニャ島「4人のムーア人旗」の由来~島民の誇りと屈折などです。

それに続いて先日「アートに救われた人殺しの島」を書きました。そのついで、というわけではありませんが、筆者の心を捉えてやまない美しい島について、再びここで幾つかの論点にしぼって書いておくことにしました。

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アートに救われた人殺しの村

イタリア、サルデーニャ島に集落中の建物が壁画で覆われた村があります。深い山中にあるオルゴーソロ(Orgosolo)です。人口約4500人のその村は、かつて「人殺しの巣窟」とまで呼ばれて悪名を馳せていた犯罪者の拠点集落です。

犯罪者の拠る場所は往々にして貧民の集落と同義語です。山賊や殺人鬼や誘拐犯らがたむろしたかつてのオルゴーソロは、まさにそんな貧しい村でした。イタリア本土の発展から取り残された島嶼州サルデーニャの、さらに奥の陸の孤島に位置していたからです。

一般社会から隔絶された山中の村人は、困窮する経済状況に追い詰められながらも、外の世界との付き合いが下手で不器用なために、それを改善する方策を知りませんでした。貧しさの中に溺れ、あがき続けていたのです。

そのためにある者は盗みに走り、ある者は誘拐、また別の者は強盗や家畜略奪などに手を染めました。また残りの村人たちは、隣人であるそれらの実行犯を助け、庇護し、官憲への協力を拒むことで共犯者となっていきました。

犯罪に基盤を置く村の経済状況が良くなることはありませんでした。それどころか、外部社会から後ろ指を指される無法地帯となってさらに孤立を深め、貧困は進行しました。かつてのオルゴーソロの現実は、イタリア本土の発展に乗り遅れたサルデーニャ島全体の貧しさを象徴するものでもあります。

イタリア半島の統一に伴って、イタリア共和国に組み込まれたサルデーニャ島は、イタリア国家の経済繁栄にあずかって徐々に豊かになり、おかげでオルゴーソロの極端な貧困とそこから発生する犯罪も少づつ姿を消していきました。

第2次大戦後初の経済危機がイタリアを襲った際、国が村の土地を接収しようとしました。それをきっかけに村人の反骨精神が燃え上がります。彼らは国への怒りを壁画アートで表現し始めました。山賊や殺人犯や誘拐犯らは、イタリア本土の支配に反発する愛郷心の強烈な人々でもあったのです。

アナキストなどが先導する反骨アーチスト集団は、村中の家の壁に地元の文化や日常を点描する一方、多くの政治主張や、中央政府への抗議や、歴史告発や、世界政治への批判や弾劾などを描きこんで徹底的に抵抗しました。1960年代終わりのことです。

オルゴーソロはサルデーニャ島における壁画アートの最大の担い手ではありますが、実はそれの先駆者ではありません。島南部の小さな町サン・スペラーテの住民が、観光による村興しを目指して家々の壁に絵を描いたのがサルデーニャ島の壁画アートの始まりでした。

それは島の集落の各地に広まって、今では壁画アートはサルデーニャ島全体の集落で見られるようになりました。特に内陸部の僻地などに多いのが特徴です。そこは昔から貧しく、今日も決して豊かとは言えない村や町が大半を占めています。

そうした中、かつての犯罪者の巣窟オルゴーソロは、インパクトが大きい強烈な政治主張を盛り込んだ壁画を発表し続けました。それが注目を集め、イタリアは言うに及ばず世界中から見物客が訪れるようになっています。

外部からの侵略と抑圧にさらされ続けた島人が、「反骨の血」を体中にみなぎらせて行くのは当然の帰結です。そこに加えて貧困があり、「反骨の血」を持つ者の多くは、既述のように貧困から逃れようとして犯罪に走りました。

イタリア共和国の経済繁栄に伴って、村が犯罪の巣窟であることを止めたとき、そこには社会の多数派や主流派に歯向かう反骨の精神のみが残りました。そして「反骨の血」を持つ者らが中心となって壁画を描き始め、それが大きく花開いたのがオルゴーソロの壁画アートなのです。

サルデーニャ島は、イタリア共和国の中でも経済的に遅れた地域としての歩みを続けてきました。それはイタリアの南北問題、つまり南部イタリアの慢性化した経済不振のうちの一つ、と捉えられるべきものですが、サルデーニャ島の状況は例えば立場がよく似ているシチリア島などとは異なります。

まず地理的に考えれば、サルデーニャ島はイタリア本土とかけ離れたところにあります。地中海の北部ではイタリア本土と島は割合近いものの、イタリア半島が南に延びるに従って、本土はサルデーニャ島から離れていく形状になっています。

一見なんでもないことのように見えますが、その地理的な配置がサルデーニャ島を孤立させ、歴史の主要舞台から遠ざける役割も果たしました。イタリア半島から見て西方の、なぜかイタリアのどの島よりも「アフリカ側にある」と考えられた同島は軽視されたのです。

錯覚に近い人々の思い込みは、先史時代のアラブの侵略や後年のイスラム教徒による何世紀にも渡る侵入・支配など、島が歩んで来た独特の歴史と相俟って、サルデーニャをイタリアの中でもより異質な土地へと仕立て上げていきました。

島の支配者はアラブからスペインに変り、次にオーストリアが名乗りを上げて、最終的にイタリア共和国になりました。以後サルデーニャ島は、イタリアへの同化と同時に、自らの独自性も強く主張する場所へと変貌し、今もそうであり続けています。

島が政治・経済・文化的に本土の強い影響を受けるのは、あらゆる国の島嶼部に共通する運命です。また島が多数派である本土人に圧倒され、時には抑圧されるのも良くあることです。

島は長いものに巻かれることで損害をこうむりますが、同時に経済規模の大きい本土の発展の恩恵も受けます。島と本土は、島人の不満と本土人の島への無関心あるいは無理解を内包しつつ、「持ちつ持たれつ」の関係を構築するのが宿命です。

ある国における島人の疎外感は、本土との物理的な距離ではなく本土との精神的距離感によって決定されます。サルデーニャ島の人々は、イタリアの他の島々の住民と比べると、「本土との精神的距離が遠いと感じている」ように筆者には見えます。

そうしたサルデーニャ人の思いが象徴的に表れているのが、オルゴーソロの「怒れるアート壁画」ではないか、と筆者は以前から考えていました。だから島に着くとほぼ同時に筆者はそれを見に行かずにはいられませんでした。

抗議や怒りや不満や疑問や皮肉などが、家々の壁いっぱいに描かれたアート壁画は、芸術的に優れていると同時に、村人たちの反骨の情熱が充溢していて、筆者は自らの思いが当たらずとも遠からず、という確信を持ったのでした。

 

 

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二重国籍の大坂なおみは日本の大宝物

大坂なおみ&蓮舫

テニスの大坂なおみ選手の国籍問題で沸騰した日本の国内世論が、熱しやすく冷めやすい国民性をモロに発揮して急激に静まっているようです。日系人関連事案や国籍問題などのグローバルな設問は、国内土着の日本人には難解きわまるテーマだからでしょう。

国籍問題といえば、2016年に起きた蓮舫元民進党代表の二重国籍問題が思い出されます。当時は蓮舫氏へのバッシングのピークが過ぎてもしつこくそれを取り上げる人々がいて、問題の大きさをうかがい知ることができました。

排外・民族主義者の言い分

二重国籍(問題)に青筋を立てて「反対」の蛮声を上げ続けるのは、たいてい保守排外主義者です。中にはリベラルを自称したり2重国籍を歓迎する国はない、などと独善的な言説を弄する民族主義者さえいます。

それらの人々の大半はいわゆる嫌韓・嫌朝・嫌中派のナショナリストで、特に在日韓国・朝鮮人の人々への日本国籍付与に危機感を抱いているケースが多いようです。彼らの懸念は理解できないことではありません。

日本に敵愾心を抱いている在日外国人に日本国籍を与える必要はもちろんありません。必要がないどころかそれは大きな間違いです。しかし彼らの多く、特に日本で生まれ育った人々は、日本への親愛の念も強く持っているに違いありません。

そうした人々に例えば宣誓や署名文書など、順法精神を徹底させる方法で日本への尊敬や忠誠を明確に示してもらい、且つ違反した場合には日本国籍をただちに剥奪する、などの条項を設けて国籍を付与することは国益にもかなうことです。

なぜなら彼らは日本と彼らの出身国との間の架け橋になり得ますし、なによりも「外国人」の目でも日本を見、理解し、発言して日本文化の多様性を広げ、深め、豊かにしてくれることが期待できます。ネガティブな側面ばかりではなく、日本社会に資する側面も考慮して国籍問題を論するべきです。

排斥ではなく抱擁することが国益

二重国籍を有する者は今の日本では、本人が外国で生まれたり、生まれた時に両親が外国に滞在していたというケースなどを別にすれば、大坂なおみ選手のように日本人と外国人の間に生まれた子供、というケースが圧倒的に多いと考えられます。

理由が何であれ、そうした人々は日本の宝です。なぜならば、彼らは日本で育つ場合は言うまでもなく、外国で育っても、いや外国で育つからこそ余計に、自らのルーツである日本への愛情を深く心に刻みつつ成長していくことが確実だからです。大坂選手はその典型のようにも見えます。

そんな彼らは将来、日本と諸外国を結ぶ架け橋になる大きな可能性を秘めています。日本を愛するが日本国籍は持たない人々、すなわち親日派や知日派の外国人は世界に多くいます。われわれはそうした人々に親近感を持ちます。彼らの態度を嬉しいと感じます。

ましてや二重国籍の日本人は、黙っていても日本への愛情や愛着を身内に強く育んでいる人々がほとんどなのですから、純粋あるいは土着の日本人が、彼らに親近感を抱かない方がおかしい。彼らを排斥するのではなく抱擁することが、国益にもつながるのです。

例えばブラジルで生まれ育った二重国籍の日本人が日本に住む場合、あるいは彼らが日本社会の慣習や文化を知らないために周囲とトラブルや摩擦を起こすこともあるでしょう。そのときには無論、彼らが日本の文化風習を理解しようと努力することが第一義です。

同時に日本で生まれ育った土着の日本人も、彼らの心情を察してこれを受け入れ抱擁する寛容さが必要です。それを逆に相手が悪いとして一方的に排撃する者は、グローバル世界の今のあり方を解しない内向きの民族主義者、と見られても仕方がないのではないでしょうか。

国防ではなく安全保障を見据えるべき

二重国籍者を憎悪する排外民族主義者らは、多くの場合文化や心情や人となりで物事を理解するのが不得手です。そうした人々は、日本人に限らずどの国の者でも、暴力的なコンセプトで世界を捉える傾向があります。そこでそうした人々にも分かりやすい言葉で解説を試みようと思います。

二重国籍者を排撃しようとするのは、喧嘩や暴力や戦闘を意識して力を蓄えて、それを行使しようとする態度に近い動きです。つまり国家戦略で言えば「国防」の考え方です。先ず戦争あるいは暴力ありき、のコンセプトなのです。

これに対して二重国籍者を受け入れるのは「安全保障」の立場です。つまり、抑止力としての軍備は怠りなく進めながらも、それを使用しないで済む道を探る態度。言葉を替えれば友誼を模索する生き方、のことです。

たとえば蓮舫議員のケースを考えてみましょう。彼女をバッシングする人々の中には、台湾との摩擦があった場合、台湾国籍の彼女は日本への忠誠心が希薄なので、日本の不利になるような動きをして台湾に味方するのではないか、という疑問を呈する者がいます。

その疑念は理解できることです。そういう危険が絶対にないとは言えません。しかし、こうも考えられます。彼女は台湾国籍を持っているおかげで台湾との対話や友誼の構築を速やかに行うことができ、そのおかげで日台は武力衝突を避けて平和裡に問題解決ができる、という可能性も高くなるのです。

これを疑う人は、フジモリ元ペルー大統領のケースを考えてみればいい。われわれ日本人の多くはフジモリ大統領に親近感を抱きました。彼が日本にルーツを持っていたからです。それと同じように台湾や中国の人々は、日本の指導者である蓮舫氏が台湾にルーツを持っている事実に親近感を抱くことでしょう。

それは彼らの敵愾心を溶かしこそすれ決して高めることにはなりません。これこそが「安全保障」の一つの要になるコンセプトです。排撃や拒絶や敵愾心は相手の心に反発を生じさせるだけです。片や、受容や寛容や親愛は、相手の心にそれに倍する友誼を植え付け、育てることです。

引きこもりの暴力愛好家になるな

グローバル世界を知らない、また知ろうという気もない内向きな日本人は、概して想像力に欠けるきらいがあるためにそのあたりの機微にも疎い。だが国内外にいる二重国籍の日本人というのは、えてしてそうではない日本人以上に日本を愛し、さらに日本のイメージ向上のためにも資している場合が多いのです。

日本土着の日本人は、グローバル化する世の中に追いつくためにも、世界から目をそむけたまま日本という家に閉じこもって壁に向かって怨嗟を叫ぶ、石原慎太郎氏に代表される「引き籠りの暴力愛好家」の態度を捨てて、世界に目を向けて行動を始めるべきです。二重国籍者の価値を知ることがその第一歩になり得ます。

血のつながりに引かれるのは、イデオロギーや政治スタンスとは関係のない人間の本質的な性(さが)です。それは親の片方が日本人で、且つ外国に住んでいる二重国籍の子供たちを多く見知っている筆者にとっては、疑いようもない真実なのです。

外国に住んでその国の国籍と同時に日本国籍も有する子供たちの日本への愛着は、ほぼ例外なく強く、好意は限りなく深い。目の前に無い故国は彼らの渇望の的です。外国に住まうことでグローバルな感覚を身につけたそれらの日本人を、わが国が受容し懐抱して、彼らの能力を活用しない手はありません。

大阪なおみ選手の二重国籍を認めるべき

それと同じことが、日本国内に住まう二重国籍の日本人にも当てはまると考えます。例えば蓮舫国籍問題にかこつけて差別ヘイトに夢中になっている人々は、今こそ先入観をかなぐり捨てて「二重国籍者という国の宝」を排斥する間違いを正し、国益を追求する「安全保障」の方向に舵を切って歩みを始めるべきです。

テニスで世界を制しつつある大坂なおみ選手は日本の宝です。彼女がもしかすると22歳で日本国籍を失うかもしれない事態は不可解を通り越して奇怪です。大坂選手がプロのテニス選手としての利益を守るために、たとえ米国籍を取得したとしても、彼女から日本国籍を剥奪するべきではありません。

日本国籍を持つ日本人であると同時に米国籍も持つ大坂選手とは、いったい誰なのでしょう?言うまでもありません。彼女はどこまでいってもやはり日本人なのです。なぜなら日本国籍を有するから。日本の宝を「日本のものではない宝」にしてしまうのはもったいない。

同じことがグローバル社会の息吹を我が物として躍動する二重国籍の若者たちにも言えます。彼らが22歳になると同時に日本国籍を失うのはいかにも惜しい。日本人の血を持つ彼らの多くは、国籍を失っても日本を愛するでしょう。しかし日本人として世界であるいは日本国内で活躍できれば、彼らはもっとさらに日本を愛すると同時に、祖国のためにもっともっと懸命に働くことでしょう。

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同性婚でも当たり前に愛は勝つ

2019年2月14日、 いわゆる“愛の誓いの日 ” とされるバレンタインデー に、 日本の 13組の同性カップルが国を相手取って「ようやく」同性婚訴訟を起こしました。「ようやく」と表現するのは、日本がいわゆる先進7ヵ国の中で同性婚を認めない唯一の国だからです。

同性愛者が差別されるのは、さまざまな理由によるように見えますが、実はその根は一つです。

つまり、同性愛者のカップルには子供が生まれない。だから彼らは、特にキリスト教社会で糾弾され、その影響も加わってさらに世界中で差別されるようになりました。

自民党の杉田水脈議員が先ごろ、LGBTの人々は「生産性がない」と発言して物議をかもしましたが、彼女は恐らくそのあたりの歴史も踏まえて発言したのでしょう。つまりあの言説は、日本人の多くが口には出さないものの、胸の内に秘めている思いを吐露した、確信犯的な放言だったのです。

子孫を残さなければあらゆる種が絶滅します。自然は、あるいは神を信じる者にとっての神は、何よりも子孫を残すことを優先して全ての生物を造形しました。

もちろんヒトも例外ではありません。それは宗教上も理のあることとされ、人間の結婚は子孫を残すための「ヒトの道」として奨励され保護されました。そこから子を成すことができない同性愛などはもってのほか、という風潮が形成されていきました。

しかし時は流れ、差別正当化の拠り所であった「同性愛者は子を成さない」という烙印は今や意味を持たず、その正当性は崩れ去りました。なぜなら同性愛者の結婚が認められた段階で、そのカップルは子供を養子として迎えることができます。生物学的には子供を成さないかもしれませんが、子供を持つことができるのです。

同性愛者の結婚が認められる社会では、彼らはもはや何も恐れるべきものはなく、宗教も彼らを差別するための都合の良いレッテルを貼る意味がなくなります。同性愛者の皆さんは大手を振って前進すればいいのです。事実欧米諸国などでは同性愛者のそういう生き方は珍しくなくなりました。

同性愛者が子供を持つということは、子を成すにしろ養子を取るにしろ、種の保存の仕方にもう一つの形が加わる、つまり種の保存法の広がり、あるいは多様化に他ならないのですから、ある意味で自然の法則にも合致します。否定する根拠も合理性もないのです。それだけでは終わりません。

自然のままでは絶対に子を成さないカップルが、それでも子供が欲しいと願って実現する場合、彼らの子供に対する愛情は普通の夫婦のそれよりもはるかに強く深いものになる可能性が高い。またその大きな愛に包まれて育つ子供もその意味では幸せです。

しかし、同性愛者を否定し差別する者も少なくない社会の現状では、子供が心理的に大きく傷つき追い詰められて苦しむ懸念もまた強い。ところがまさのそのネガティブな体験のおかげで、その同じ子供が他人の痛みに敏感な心優しい人間に成長する公算もまた非常に高い、とも考えられます。

同性愛者の結婚は愛し合う男女の結婚と何も変わりません。好きな相手と共に生きたいという当たり前の思いに始まって、究極には例えばパートナーが病気がなったときには付き添いたい、片方が亡くなった場合は遺産を残したい等々の切実且つ普通の願望も背後にある。つまり家族愛です。

同性愛者は差別によって彼らの恋愛を嘲笑されたり否定されたりするばかりではなく、そんな普通の家族愛までも無視されます。文明社会ではもはやそうした未開性は許されません。同性結婚は、日本でもただちに認められるべきです。

同性愛者への偏見差別の大本は、既述のように彼らの関係が生物学的には絶対に子供を成さない、ということにつきます。そこからいろいろな中傷や罵詈や嘲笑が生まれてきました。

その一つが2012年に筆者が書いた記事:「友人でゲイのディックが結婚しましたが、それが何か?」

に寄せられた次のコメントです。

佐藤 -- · 港区 東京都

ゲイに限らないのかも知れないが、アナルセックスは汚らしい。

いいね! · 返信 · 2012年11 月15 日 10:15


コメントは公開された記事に寄せられたものです。従ってここで紹介しても構わないと考えました。あえてそうするのは、同性愛者への嘲笑や悪意や中傷の中にはこのコメントに近いものも多い、というふうに感じるからです。いやそれどころか、このコメントの内容はあるいは世間一般の人々の平均的なリアクションであるのかも知れません。

悪意に満ちたその論評には2つの意味で違和感を覚えます。一つは、普通の人は例えば友人カップル(異性愛者か同性愛者に関わらず)が「どのようにセックスをするのか」などと妄想したりはしません。このコメントの主が、彼自身の主張が示唆するようにその逆であるならば、彼こそマニアックで異様な性癖を持つ者である可能性があります。

そうではなく、彼が筆者の友人を知らないために平然と悪意の礫を投げたのであるならば、もっと許しがたい。なぜなら恐らく異性愛者である投稿者は、匿名性を隠れ蓑にして同性愛者を罵倒している卑劣な人間だからです。しかしそれよりももっと重大な誤謬がここにはあります。それが筆者が最も強い違和感を覚える2つ目のポイントです。

つまり自らに責任を持てる成人である限り、また当事者どうしが合意し満足する限り、人はどのようにセックスをしても構いません。なぜならそれは憎しみや怒りなどの対極にある『愛』にほかならないからです。愛の異名である性愛の形状は、繰り返しますが当事者たちが好む限りいかなるものでも構わない。

例えばある人がパートナーの“ つむじ ” が好きで、愛の交歓の際にそこに固執し、いつくしみ、愛撫してよろこぶならば、そして相手がそれを許し受け入れるならば(そしてできればそうすることでパーートナー自身もよろこぶならばなお一層)、それは愛です。つむじが親指になろうが鼻の頭であろうが何であろうが構わない。

性愛において許されないのは、なによりも先ず相手の同意を得ない行為のことです。続いて暴力行為。例えば強姦や小児性愛にはその二つが伴っています。といいますか、レイプやペドフィリアはその二つのカタマリ、と断定しても過言ではありません。他の「同意を得ない」性愛行為もほぼ同じと考えていいでしょう。

繰り返しますが、成人の当事者どうしが納得し愛し合うならば性行為は何でも構わない。同性愛者の親交の形のみを、“ゲスの勘ぐり”で邪推してそれを貶めるのは、差別意識の発露以外の何ものでもありません。

リンク記事で紹介した筆者の友人は、米ニューヨーク州が同性結婚を正式に認める決定をしたことを受けてパートナーの男性と結婚しました。彼がそうしたのは「男女の夫婦の場合と何も変わらない」事情からですが、特に愛する相手に「普通に遺産を残したい」という切実な思いがありました。ここでもやはり家族愛が最大の理由なのです。

同性愛者について語るときは、彼らの性愛や恋愛や性的嗜好や痴話など、性的事案の方にも多く関心が行きがちです。そしてそれらの偏見差別のせいで泣いているのは、友人のケースでも明らかなように、またここまでしばしば述べてきたように、家族愛などの人の「当たり前の」感情や権利にほかならないのです。

同性愛者は子を成さない、ということにまつわる宗教的、社会的、歴史的な差別はいわれのない誹謗であり中傷です。彼らはわれわれの社会になんらの危害も与えていません。危害どころか、人の「存在」の多様性、という大きな利益をもたらしているのが真実です。

もしもそうした考え方を受け入れられない批判者はこう考えてみてください。つまり同性愛者から見れば彼らの愛の形が普通であり「正常」です。あなた(筆者も含む)と、あなたの恋人や妻や夫や愛人との艶事は、異性愛者という「多数派の情交の形」であるに過ぎず、決して正義や道徳や節操を代表するものではありません。

それでも先のコメントに同調する人々はもしかすると、同性愛者は道徳的に社会に悪影響を与えていると主張するかもしれません。だがその道徳とは、何よりもまず「同性愛者=(イコール)異常性愛者」という偏見にまみれた結論ありき、の上に構築された似非道徳に過ぎません。

それは宗教界や政治権力等が同性愛者と同姓婚を否定するために利用したがる虚偽であり、またそれに影響された保守強硬論者やネトウヨ系差別論者などのヘイトスピー チ、あるいは牽強付会な汚れたレトリックなどと何も変わるところはないのです。

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漁師の命と百姓の政治

菜園を耕してみて分かったことの一つは、野菜は土が育ててくれる、という真理です。

土作りを怠らず、草を摘み、水や肥料を与え、虫を駆除し、風雪から保護するなどして働きつづければ、作物は大きく育ち収穫は飛躍的に伸びます。

しかし、種をまいてあとは放っておいても、 大地は 実は最小限の作物を育ててくれるのです。

百姓はそうやって自然の恵みを受け、恵みを食べて命をつなぎます。百姓は大地に命を守られています。

大地が働いてくれる分、百姓には時間の余裕があります。余った時間に百姓は三々五々集まります。するとそこには政治が生まれます。

1人では政治はできません。2人でも政治は生まれません。2人の男は殺し合うか助け合うだけです。

百姓が3人以上集まると、そこに政治が動き出し人事が発生します。政治は原初、百姓のものでした。政治家の多くが今も百姓面をしているのは、おそらく偶然ではありません。

漁師の生は百姓とは違います。漁師は日常的に命を賭して生きる糧を得ます。

漁師は船で漁に出ます。近場に魚がいなければ彼は沖に漕ぎ進めます。そこも不漁なら彼はさらに沖合いを目指します。

彼は家族の空腹をいやすために、魚影を探してひたすら遠くに船を動かします。

ふいに嵐や突風や大波が襲います。逃げ遅れた漁師はそこで命を落とします。

古来、海の男たちはそうやって死と隣り合わせの生業で家族を養い、実際に死んでいきました。彼らの心情が、土とともに暮らす百姓よりもすさみ、且つ刹那的になりがちなのはそれが理由です。

船底の板1枚を経ただけの、荒海という地獄と格闘する漁師の生き様は劇的です。劇的なものは歌になりやすい。演歌のテーマが往々にして漁師であるのは、故なきことではありません。

現代の漁師は馬力のある高速船を手にしたがります。格好つけや美意識のためではありません。沖で危険が迫ったとき、一目散に港に逃げ帰るためです。

また高速船には他者を出し抜いて速く漁場に着いて、漁獲高を伸ばす、という効用もあります。

そうやって現代の漁師の生は死から少し遠ざかり、欲も少し増して昔風の「荒ぶる純朴な生き様」は薄れました。

水産業全体が「獲る漁業」から養殖中心の「育てる漁業」に変貌しつつあることも、往時の漁師の流儀が廃れる原因になりました。

今日の漁師の仕事の多くは、近海に定位置を確保してそこで「獲物を育てる」漁法に変わりました。百姓が田畑で働く姿に似てきたのです。

それでも漁師の歌は作られます。北海の嵐に向かって漕ぎ出す漁師の生き様は、男の冒険心をくすぐって止みません。

人の想像力がある限り、演歌の中の荒ぶる漁師はきっと永遠です。


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「渋谷でテロ」という悪夢を招かないために

先日の記事で取り上げたテーマ、渋谷が変わったかどうか、若者オンリーの街かどうかなどの議論はさておき、渋谷で今もっとも目立つのは若者ではなく外国人です。渋谷センター街を歩くと欧米系の白人がよく目につきます。しかし日本人と見た目があまり違わないアジア人はきっともっと多いことでしょう。

彼らの多くは観光客ですが、多くはまた日本に滞在している人々であることは疑いありません。国内に留まっているそれらの人々と、新たに入ってくる外国人のうちの希望する者が、日本に定住することを認めるのか認めないのか、彼らを受け入れるのか受け入れないのか、日本人は真剣に考えるべき時期に来ています。受け入れると決めた場合、それは移民と同義語と心得るべきです。

外国人労働者とか移住労働者、あるいは出稼ぎ労働者、技能実習生、一時就労者、季節労働者など、など、と都合の良いように名前を変えてみても、彼らが移民であることの実態は変わりません。外国人労働者は全て移民と考えるほうが理にかなっています。

日本側の利便に基づいて働かせておいて、用済みになったらさっさと帰国してもらう、という考えで外国人労働者を雇う者は、間違いなくレイシストであり排外主義者です。なぜならそれらの人々は、相手が同じ日本人ならばそんな具合に冷たくは扱わないはずですから。

外国人を自らと同じ「普通の」人間である、と「普通に考えられない」者は誰もが皆、レイシストの素質を色濃く持っている、と認識しなければなりません。そしておそらく日本人の8~9割がこの部類に入ると考えられます。

そこには積極的に人種差別的な言動をするような行動パターンは見られませんが、何かにつけ白人種に遠慮したり無意識のうちに尊敬する一方で、アジア人や黒人などを「意識的にあるいは無意識に」見下したり、忌諱したり揶揄したりする一般的な風潮があることは否めません。

世間知らずな精神風土から派生する日本人の言動は、グローバル社会にあっては「知らなかった」で済まされるような甘い事案ではありません。日本人は後進的な閉鎖社会を育むメンタリティーを修正し、多様性を尊重する社会の構築に向けて動き出す必要があります。

外国人の受け入れを厳しく統制し、移民政策は取らないと執拗に言い続けてきた安倍政権は、実習生などの名目での裏口入国の移民を黙認し続けてきました。そして先日「改正出入国管理・難民認定法(改正入管法)」を成立させて、ついに「表玄関」からの外国人受け入れに本格的に踏み切り、事実上の移民政策を発進させました。

改正入管法には「特定技能1号」と「特定技能2号」という、命名自体が既に人間を物として扱うような「差別的な」響きを持つ在留資格が設けられています。1号は家族の同伴が認められず2号はOKという、日本政府に都合の良い規定が明記されています。しかし人間はそんな風に型通りにあるいは機械的にあつかわれるべき存在ではありません。

改正入管法によって入国した人々は、日本で生きていくうちに強い人間関係を構築したり、恋に落ちて結婚し子供を持ったり、職場に必要不可欠な大切な人材になったり、と人として当たり前の生活を展開していくことでしょう。そこで5年の任期がきたから自分の国に帰れ、と強制すれば摩擦が生じるのは必至です。

また家族の同伴が認められる「特定技能2号」は、初めから移民そのものなのですから、「移民政策は取らない」という安倍首相得意の口先ごまかしの姑息な強弁をやめて、全ての国民に移民を認め共生する道筋をたどるよう、促し説得するべきなのです。

突然のようですが 最近 、沖縄で安倍政権の強権的且つ横暴な手法による辺野古移設工事が強行されても、日本には暴力による抵抗、つまり立ち位置が変わればテロと呼ばれかねない騒動は起きないことが明らかになってきました。それは良いことですが、沖縄の屈辱と悲運に目を向けた場合、果たしてそのまま済ませた方が是か非かは定かではありません。

辺野古で起きている日本政府の横暴な行為に対しては、もしもそれが日本以外の国での出来事であるならば、暴力的抵抗が起きていても決して不思議ではありません。周知のように暴力を用いた抵抗運動は、それをされる側にはテロとして規定されますが、歯向かう側から見れば止むにやまれぬアクションであることがほとんどです。

ともあれ辺野古で住民の暴力抵抗が発生していない現実は、日本人が権力には羊のように従順であることを改めて示しているとも言えるわけですが、将来移民が多くなって多文化社会が出現したとき、人々が非民主的且つ強権的な安倍政権の手法を黙って受け入れるかといえば、それはおそらく難しいでしょう。

安倍首相と取り巻きの権力機構は、いつもの伝で「移民政策は取らない」と姑息な口説を用いて真相を隠蔽しつつ改正入管法を成立させました。しかし、あくまでも「外国人労働者」の受け入れに過ぎない、とする在留資格「特定技能1号」と「特定技能2号」は、れっきとした移民肯定法なのです。

移民を受け入れること自体は悪いことではありません。悪いことどころか、日本は今後は移民を受け入れることによってしか生き延びる道がないことは明らかです。問題は、その「大問題」を矮小化して伝える政権のあり方です。そしてさらなる大きな問題は、それを受け入れる日本国民です。

安倍首相はもう見苦しい強弁を止めるべきです。滅びの美学にのっとって国が亡びることを人々が受け入れるなら構いません。だがそれは嘘です。国民は皆生き延びたいはずです。それならば移民を受け入れるしかありません。そうではなく、国と共に滅びたい、というのであれば、それは死にたくない子供を無理やり地獄に引きずり込む、無理心中と同じ奇怪な世界観だと言わなければなりません。

ネット上にはびこっている右翼系の排外主義者らは、自らは何らかの方法で生き延びる画策をしておきながら、移民を受け入れるくらいなら共に滅びよう、という趣旨が密かに込められた欺瞞満載の主張をすることさえ厭いません。しかし彼らにだまされてはなりません

日本は生き延びるべきです。そのためには移民を受け入れるしかありません。ならばより良く、より正直に、より真摯に生きるために彼らを「我ら」と同じように扱うべきです。彼らは日本人と同じように教育を受け、社会福祉の恩恵に浴し、言うまでもなくきちんと税金も払ってもらう存在になるべきなのです。

そのうえで彼ら自身のルーツや文化を尊敬されつつ「日本人化」もまた受け入れてもらうのです。それは矛盾するコンセプトに見えますが、決してそうではありません。なぜなら彼らが日本の文化や伝統を心から尊敬していれば、彼らは自然に「日本人化」もしていくからです。それは欧米諸国の移民を見れば明らかです。

欧州に目を向ければ、主にイスラム過激派による近年のテロや反乱によって、あたかもイスラム系移民の全てが移住先の社会に適応できずにテロに走るような印象があります。だが決してそうではありません。多くの移民は移住先の社会に受け入れられ適応しているのです。

言うまでもなくそこに順応できずに疎外感を深め、過激思想に染まりテロに手を貸し、挙句にはテロの実行犯になってしまう者もいます。それを無くすには移民が“郷に入らば郷に従え”の精神を持つことと、同時に移住先の国民が彼らを受容する精神を育むことが重要なのです。

決してやさしい問題ではないことは欧米の状況が物語っています。しかしその背後には多くの成功例があることも忘れてはなりません。日本には2018年現在、既に128万人もの外国人労働者が働いているとされます。それが正しい数字ならば、不法労働者や不法滞在者を加えた数字はその2倍程度の可能性がある、と考えた方が現実的です。

また日本の学校に在籍中の子供のうち、「日本語指導が必要な児童生徒」は4万4000人にものぼります。短期間で帰国する筈だ、あるいは帰国させる、との勝手な思い込みでそれらの子供たちに十分な教育を施さなければ、将来彼らは疎外され怒れる若者となって、欧州等で既に起こっているように暴力やテロに走る可能性も高くなります。

彼らをそのまま放置すれば、 たとえテロに見舞われなくても 、日本社会は増大する外国人によって破壊されてしまうでしょう。現実を見つめて寛容でいるべきところは躊躇なく寛容に受け入れ、制限するべきところはきちんと制限し禁止し規定して、一日も早く「本音の」移民政策を掲げるべきなのです。

安倍政権が「必要な時だけ必要な数の人間」を受け入れて、要らなくなれば帰国してもらう、という都合の良い考えのみで政策を推し進めて行けば、近い将来渋谷のセンター街でテロが発生しても少しもおかしくありません。言うまでもなくここでいう渋谷とは、東京中の、ひいては日本中の繁華街のことにほかなりません。


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無神論者がクリスマスに熱狂する理由(わけ)

2018年、実に25年ぶりにクリスマスを日本で過ごしました。イタリア在住の筆者は毎年帰国はしているのですが、クリスマスとそれに続く年末年始は常にイタリアにいました。イタリア人家族を持つ筆者にとっては、特にクリスマスは在宅が必至だったのです。

イタリアを含む欧米諸国や世界中のキリスト教国では、人々がクリスマスをにぎやかに且つ厳かに寿ぎます。同時に世界中の非キリスト教国でも、人々はクリスマスを大いに楽しみ祝います。 25年ぶりの日本でのクリスマスもにぎやかに過ぎました。

毎年、クリスマスのたびに思うことがあります。つまり、今さらながら、西洋文明ってホントにすごいな、ということです。クリスマスは文明ではありません。それは宗教にまつわる文化です。それでも、いや、だからこそ筆者は、西洋文明の偉大に圧倒される思いになるのです。

文化とは地域や民族から派生する、祭礼や教養や習慣や言語や美術や知恵等々の精神活動と生活全般のことです。それは一つ一つが特殊なものであり、多くの場合は閉鎖的でもあり、時にはその文化圏外の人間には理解不可能な「化け物」ようなものでさえあります。

だからこそそれは「化け物の文(知性)」、つまり文化と呼称されるのでしょう。

文化がなぜ化け物なのかといいますと、文化がその文化を共有する人々以外の人間にとっては、異(い)なるものであり、不可解なものであり、時には怖いものでさえあるからです。

そして人がある一つの文化を怖いと感じるのは、その人が対象になっている文化を知らないか、理解しようとしないか、あるいは理解できないからです。だから文化は容易に偏見や差別を呼び、その温床にもなります。

ところが文化の価値とはまさに、偏見や恐怖や差別さえ招いてしまう、それぞれの文化の特殊性そのものの中にあります。特殊であることが文化の命なのです。従ってそれぞれの文化の間には優劣はありません。あるのは違いだけです。

そう考えてみると、地球上に文字通り無数にある文化のうちの、クリスマスという特殊な一文化が世界中に広まり、受け入れられ、楽しまれているのは稀有なことです。

それはたとえば、キリスト教国のクリスマスに匹敵する日本の宗教文化「盆」が、欧米やアフリカの国々でも祝福され、その時期になると盆踊りがパリやロンドンやニューヨークの広場で開かれて、世界中の人々が浴衣を着て大いに踊り、楽しむ、というくらいのもの凄い出来事なのです。

でもこれまでのところ、世界はそんなふうにはならず、キリスト教のクリスマスだけが一方的に日本にも、アジアにも、その他の国々にも受け入れられていきました。なぜでしょうか。それはクリスマスという文化の背後に「西洋文明」という巨大な力が存在したからです。

文明とは字義通り「明るい文(知性)」のことであり、特殊性が命の文化とは対極にある普遍的なコンセプトです。言葉を替えれば、普遍性が文明の命です。誰もが希求するもの、便利なもの、喜ばしいもの、楽しい明るいものが文明なのです。

それは自動車や飛行機や電気やコンピュターなどのテクノロジーのことであり、利便のことであり、誰の役にも立ち、誰もが好きになる物事のことです。そして世界を席巻している西洋文明とは、まさにそういうものです。

一つ一つが特殊で、一つ一つが価値あるものである文化とは違って、文明には優劣があります。だから優れた文明には誰もが引き付けられ、これを取り入れようとします。より多くの人々が欲しがるものほど優れた文明です。

優れた文明は多くの場合、その文明を生み出した国や地域の文化も伴なって世界に展延していきます。そのために便利な文明を手に入れた人々は、その文明に連れてやって来た、文明を生み出した国や地域の文化もまた優れたものとして、容易に受け入れる傾向があります。

たとえば日本人は「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」と言われた時代から、必死になって西洋文明を見習い、模倣し、ほぼ自家薬籠中のものにしてきました。その日本人が、仏教文化や神道文化に照らし合わせると異なものであり、不可解なものであるクリスマスを受け入れて、今や当たり前に祝うようになったのは一つの典型です。

西洋文明の恩恵にあずかった、日本以外の非キリスト教世界の人々も同じ道を辿りました。彼らは優れた文明と共にやって来た、優劣では測れないクリスマスという「特殊な」文化もまた優れている、と自動的に見なしました。あるいはそう錯覚しました。

そうやってクリスマスは、無心論者を含む世界中の多くの人が祝い楽しむ行事になっていきました。それって、いかにも凄いことだと思うのですが、どうでしょうか。

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世界一の成獣羊肉料理を食する

羊肉&ステーキ

2018年の6月終わりから7月半ばまでイタリア・サルデーニャ島滞在しました。そこでは、海とビーチを忘れて観光や食巡りに終始しましたが、サルデーニャ島の食に関しては、筆者は一つ大きな勘違いをしていました。

それは島の重要な味覚の一つである子羊料理が、一年中食べられるもの、と思い込んでいたことです。島では子羊料理は晩秋から春にかけて提供される「季節限定の膳」だ、と聞かされて驚きました。

冷凍技術の発達で、昨今のイタリアでは子羊の肉はいつでも、どこでも手に入ります。ましてや羊肉の本場のサルデーニャでは、子羊料理は一年中食べられるに違いない、と思い込んでいたのです。

ところが子羊のレシピはどこのレストランのメニューにも載っていませんでした。代わりに多く目についたのが、サルデーニャ島のもう一つの有名肉料理「ポルケッタ(Porchetta)」、つまり子豚の丸焼きです。

ポルケッタにされる子豚は幼ければ幼いほど美味とされ、乳飲み子豚のそれが最高級品とされます。そのコンセプトは子羊や子ヤギの肉の場合とそっくり同じです。

ヒトの食料にされる動植物は、果物を除けばほぼ全てにおいて、残念ながら幼い命ほど美味とされます。それどころか誕生前のさらに幼い命である卵類でさえも、ヒトは美味いとむさぼり食います

ポルケッタは2軒のレストランで食べました。皮ごと提供されるその料理は、通ほどカリカリに焼けた皮を好むとされます。筆者は通ではありませんが、見事に焼きあがった皮の美味さには舌を巻きました。

肉そのものも絶妙な柔らかさに焼きあがって舌ざわりが良く、且つ香ばしい。口に含むとほんのわずかな咀嚼でとろりと溶けました。2軒の膳ともにそうでした。

店の一軒目は壁画アートが熱いオルゴーソロの店。路上にテーブルを出しているほとんど屋台同然の質素な場所でしたが、味は極上でした。

2軒目は滞在先のすぐ近くにあるレストランでした。そこは海際の街にありながら魚料理を一切提供せず、島のオリジナルの「肉料理」にこだわって評判が高い店です。

ポルケッタを食べに初めて足を運んだあと、そのレストランには一週間ほど毎日通いました。山深い島の内陸部でなければ食べられないような肉料理が盛りだくさんだったからです。

ポルケッタの次には普通の牛ステーキに始まって、成獣羊肉や牛の内臓や豚のそれを焼き上げた料理を一週間、毎日メニューを変えて味わいました。はほぼ全ての膳が出色の出来栄えでした。

店のメインの肉料理は炭ではなく徹底して薪の熾火で焼かれます。また味付けはほぼ塩のみでなされるのが特徴で、胡椒などもほとんど使いません。

料理される内臓は主に牛の心臓、肝、肺、腎臓、横隔膜、脳みそなど。また豚の睾丸なども巧みな火加減と塩使いで焼かれて提供されます。

それらはいずれも秀逸な味付けでした。ごく普通の牛ステーキでさえもちょっとほかでは味わえないような 妙々たる風味がありました。有名なフィオレンティーナ・ステーキも真っ青になるような豊かな味覚なのです。

パスタもミンチ肉や内臓の細切り煮込みやチーズなどを活かしたソースを使って、とにもかくにも「サルデーニャ島内陸部の伝統肉料理」にこだわったものでした。

サルデーニャ島の料理の基本は肉です。島でありながら魚介料理よりも肉料理が好まれたのは、島民が海から襲ってくる外敵を避けて内陸の山中に逃げ、そこに移り住んだからです。山中には魚はいません。

現在のサルデーニャ島には素晴らしい味の魚介料理が溢れています。だがそれは島オリジナルの膳ではなく、沿岸部を中心とするリゾート開発の進行に伴って、イタリア本土の金持ちたちが持ち込んだレシピなのです。

魚料理、特にパスタに絡んだサルデーニャ島の魚介料理は、イタリア本土のどの地域の魚介パスタにも引けを取りません。当たり前です。元々がイタリア本土由来のレシピなのですから。

通いつめた店で出される島オリジナルの肉料理はなにもかもが珍しく、またどれもが目覚ましい味わいでしたが、その店での最高の料理は「羊の成獣の骨付き肉焼き」でした。

それは目を洗われるような味わいの調理でした。しっとりと焼き上げられた羊肉は、肉汁はほとんどないのに肉汁のうま味がジワリと口中に広がるような不思議で秀逸な味がしました。

さらに付け加えると羊の成獣肉の臭みはきれいに消し去られていました。しかし「子羊肉」にも共通する羊肉独特の風味はきちんと残っています。もしかすると熟成肉なのか、とも思いましたが確認はしませんでした

羊(及びヤギ)の成獣の肉料理は筆者の中では、これまでカナリア諸島で食べた一皿が一番の味でした。が、今回のサルデーニャ島の焼き羊肉がそれを抑えてあっさりとトップに躍り出ました。

それは飽くまでも羊(及びヤギ)の「成獣の肉」の味のことです。成獣よりも上品でデリケートな味わいのある「子羊の肉」は一体どんな素晴らしい味がするのだろう、と考えるとわくわくします。

筆者は今度は、子羊料理の旬だと聞かされた晩秋から春の間に、サルデーニャ島を再び訪ねてみようと決意しているほどです。

※記事タイトルの「世界一の羊肉料理」とは、ヤギ及び羊料理が好きな筆者の独断と偏見による評価です。それは今後いくらでも順位や査定や格付けが変わる可能性があります。



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イタリア・サルデーニャ島海鮮料理に見る殖民地メンタル

イタリア本土の魚料理とサルデーニャ島の魚料理の在り方は、見ようによっては極めて植民地主義的な関係です。つまり力のある者、経済的優位に立つ者、多数派に当たる者らが、弱者を抑え込んで排斥したり逆に同化を要求したり、また搾取し、支配することにも似ています。多数派による数の暴力あるいは多勢に無勢、などとも形容できるその関係は料理に限ったことではなく、両者の間の政治力学の歴史を踏襲したものです。

ごく簡略化してサルデーニャ島の歴史を語れば、同島は先史時代を経て紀元前8世紀頃にフェニキア人の植民地となり次にはカルタゴの支配下に入ります。支配者の彼らは今のレバノンやチュニジア地方に生を受けた、いわゆるアラブ系の民族です。紀元前3世紀には島はローマ帝国の統治下に置かれましたが、8世紀初頭には多くがイスラム教徒となったアラブ人の侵略を再び受け、長く支配されました。

島はその後スペインやオーストリアなどの欧州列強の下におかれ、やがてイタリア王国に組み込まれます。そして最後にイタリア共和国の一部となりました。そのようにサルデーニャ島の歴史は、欧州文明の外に存在するアラブ系勢力の執拗な侵略と統治を含めて、一貫して植民地主義の犠牲者の形態を取ってきました。

サルデーニャ島の魚料理の変遷を政治的なコンセプトに重ねて見てみると、そこには多数派と少数派の力関係の原理あるいは植民地主義的な状相があることが分かります。或いはそこまで政治的な色合いを込めずとも、多勢に無勢また衆寡敵せずで、少数派の島人や島料理が多数派の本土人や本土料理に押され、詰め寄られ、凌駕されていく図が見えます。

そうした現実を進化と感じるか、逆に屈辱とさえ感じてしまうかは人それぞれでしょうが、島本来のレシピや味も維持しつつ、イタリア本土由来の料理も巧みに取り込んでいけば、島の食は今後もますます発展していくものと思います。島国根性に縛られている「島人」は、”島には島のやり方があり伝統がある”などと、一見正論じみた閉塞論を振りかざして、殻に閉じこもろうとする場合がままあります。

島のやり方は尊重されなければなりませんが、それは行き過ぎれば後退につながりかねない。また伝統が単なる陋習である可能性にも留意しなければなりません。特に食に関しては、「田舎者の保守性」という世界共通の行動パターンがあって、都会的な場所ではないところの住民は、目新しい食物や料理に懐疑的であることが多い。日本の僻地で生まれ育った筆者自身も実はその典型的な例の1人です。

植民地主義的事象は世界中に溢れています。それは差別や偏見や暴力を伴うことも多いやっかいな代物ですが、世の中に多数派と少数派が存在する限り植民地主義的な「不都合」は決してなくなることはありません。少数派は断じて多数派の横暴に屈してはなりませんが、多数派が多数派ゆえに獲得している可能性が高い「多様性」や「進歩」や「開明」があるのであれば、それを学び導入する勇気も持つべきです。

同時に多数派は、多数派であるが故に自らが優越した存在である、という愚劣な思い上がりを捨てて、少数派を尊重し数の暴力の排斥に努めるべきです。これは正論ですが実現はなかなか難しい要求でもあります。なぜなら多数派が、多数派故に派生する数の力という「特権」を自ら進んで放棄するとは考えにくいからです。それは多数派の横暴が後を絶たない現実を見れば明らかです。

それに対しては、少数派の反発と蜂起が続いて対立が深まり、ついには破壊的な暴力が行使される事態にまで至る愚行が、世界中で飽きもせずに繰り返されています。そうしたしがらみから両者が解放されるためには、堂々巡りに見えるかもしれませんが、やはり植民地主義の犠牲になりやすい少数派が立ち上がり声をあげ続けるしかありません。なぜなら多数派の自発的な特権放棄行為よりも、少数派の抗議行動の方がより迅速に形成され実践されやすいからです。

サルデーニャの食に関して言えば、イタリア本土の料理のノウハウを取り込みつつサルデーニャ食の神髄や心を決して忘れないでほしい。それは島人が意識して守る努力をしなければ、多数派や主流派の数の洪水に押し流されてたちまち消え去ってしまう危険を秘めた、デリケートな技であり概念であり伝統であり文化なのです。

20年前とは格段に味が違うサルデーニャ島の魚介料理、中でも海鮮ソースパスタに舌鼓を打ちつつ、また同時に20年前にはほとんど知らなかった島の肉料理のあっぱれな味と深い内容に感動しつつ筆者は、突飛なようですが実はありふれた世の中の仕組みに過ぎない植民地主義や植民地メンタル、あるいは多勢に無勢また数の横暴などといった、面倒だがそれから決して目を逸らしてはならない事どもについても思いを馳せたりしました。

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