多様性信者を装うはねっ返りの痴態

イタリアの有名なストリートアーティスト・ジョリット(Jorit)が、ロシアのソフィで開かれた青少年フォーラム中にプーチン大統領と一緒に撮った写真が物議をかもしています。

ジョリットはフォーラム会場で突然立ち上がり、壇上にいるプーチン大統領に「あなたがわれわれと何も変わらない人間であることをイタリア人に知らせたい。なので一緒に写真を撮らせてほしい」と語りかけました。

プーチン大統領は気軽に要求に応じ、ジョリットの肩を抱いて嬉々としてカメラに収まりました。

写真そのものも、明らかにプーチン大統領に媚びている発言も、人々の肝をつぶしました。イタリア中に大きな反響が起こりました。そのほとんどがジョリットへの怒りの表明でした。

多くの人が、「プーチンのプロパガンダに乗った愚か者」「プーチンの宣伝傭兵」「金に転んでプーチンの役に立つことばかりをするバカ」などとジョリットを激しく指弾しました。

イタリアは多様性に富む国です。カトリックの教義に始まる強い保守性に縛られながらも、さまざまの考えや生き方や行動が認められ千姿万態が躍動します。

それは独立自尊の気風が強烈だったかつての都市国家群の名残です。外から見ると混乱に見えるイタリアの殷賑は、多様性のダイナミズムがもたらすイタリアの至宝なのです。

言うまでもなくそこには過激な思想も行動もパフォーマンスも多く見られます。ジョリットのアクションもそうした風潮のひとつです。

多様性を信じる者はジョリットの行動も認めなければなりません。彼の言動を多様性の一つと明確に認知した上で、自らの思想と情動と言葉によって、それをさらに鮮明に否定すればいい。

イタリアにはジョリットの仲間、つまりプーチン支持者やプーチン愛好家も多くいます。先日死亡したベルルスコーニ元首相がそうですし、イタリア副首相兼インフラ大臣のサルヴィ・ビーニ同盟党首などもそうです。

隠れプーチン支持者を加えれば、イタリアには同盟ほかの政党支持者と同数程度のプーチンサポーターがいると見るべきです。

プーチン大統領は、ジョリットの笑止なパフォーマンスを待つまでもなく人間です。しかし、まともな人間ではなく悪魔的な人間です。

彼と同類の人間にはヒトラーがいます。だがヒトラーはヒトラーを知りませんでした。ヒトラーはまだ歴史ではなかったからです。

一方でプーチン大統領はヒトラーを知っています。それでも彼はヒトラーをも髣髴とさせる悪事を平然とやってのけてきました。

ヒトラーという歴史を知りつつそれを踏襲するとも見える悪事を働く彼は、ヒトラー以上に危険な存在という見方さえできます。

ヒトラーの譬えが誇大妄想的に聞こえるなら、もう一つの大きな命題を持ち出しましょう。

欧州は紛争を軍事力で解決するのが当たり前の、野蛮で長い血みどろの歴史を持っています。そして血で血を洗う凄惨な時間の終わりに起きた、第1次、第2次大戦という巨大な殺戮合戦を経て、ようやく「対話&外交」重視の政治体制を確立しました。

それは欧州が真に民主主義と自由主義を獲得し、「欧州の良心」に目覚める過程でもありました。

筆者が規定する「欧州の良心」とは、欧州の過去の傲慢や偽善や悪行を認め、凝視し、反省してより良き道へ進もうとする“まともな”人々の心のことです。

その心は言論の自由に始まるあらゆる自由と民主主義を標榜し、人権を守り、法の下の平等を追求し、多様性や博愛を尊重する制度を生みました。

良心に目覚めた欧州は、武器は捨てないものの“政治的妥協主義”の真髄に近づいて、武器を抑止力として利用することができるようになりました。できるようになった、と信じました。

欧州はかつて、プーチン大統領の狡猾と攻撃性を警戒しながらも、彼の開明と知略を認め、あまつさえ信用さえしました。

言葉を替えれば欧州は、性善説に基づいてプーチン大統領を判断し規定し続けました。

彼は欧州を始めとする西側の自由主義とは相容れない独裁者だが、西側の民主主義を理解し尊重する男だ、とも見なされたのです。

しかし、欧州のいわば希望的観測に基づくプーチン観はしばしば裏切られました。

その大きなものの一つが、2014年のロシアによるクリミア併合です。それを機会にロシアを加えてG8に拡大していたG7は、ロシアを排除して、元の形に戻りました。

それでもG7が主導する自由主義世界は、プーチン大統領への「好意的な見方」を完全には捨て切れませんでした。

彼の行為を非難しながらも強い制裁や断絶を控えて、結局クリミア併合を「黙認」しました。そうやって自由主義世界はプーチン大統領に蜜の味を味わわせてしまいました。

西側はクリミア以後も、プーチン大統領への強い不信感は抱いたまま、性懲りもなく彼の知性や寛容を期待し続け、何よりも彼の「常識」を信じて疑いませんでした。

「常識」の最たるものは、「欧州に於いては最早ある一国が他の主権国家を侵略するような未開性はあり得ない」ということでした。

プーチン・ロシアも血で血を洗う過去の悲惨な覇権主義とは決別していて、専制主義国家ながら自由と民主主義を旗印にする欧州の基本原則を理解し、たとえ脅しや嘘や化かしは用いても、“殺し合い”は避けるはずだ、と思い込みました。

ところがどっこい、ロシアは2022年2月24日、主権国家のウクライナへの侵略を開始。ロシアはプーチン大統領という魔物に完全支配された、未開国であることが明らかになりました。

プーチン大統領の悪の核心は、彼が歴史を逆回転させて大義の全くない侵略戦争を始め、ウクライナ国民を虐殺し続けていることに尽きます。

日本ではロシアにも一理がある、NATOの脅威がプーチンをウクライナ侵攻に駆り立てた、ウクライナは元々ロシアだった、などなどのこじつけや欺瞞に満ちた風説がまかり通っています。

東大の入学式では以前、名のあるドキュメンタリー制作者がロシアの肩を持つ演説をしたり、ロシアを悪魔視する風潮に疑問を呈する、という論考が新聞に堂々と掲載されたりしました。

それらは日本の恥辱と呼んでもいいほどの低劣な、信じがたい言説です。

そうしたトンデモ意見は、愚蒙な論者が偽善と欺瞞がてんこ盛りになった自らの考えを、“客観的”な立ち位置からの見方、と思い込んで吠え立てているだけのつまらない代物です。

それらと同程度の愚劣な大道芸が、イタリアのストリートアーチスト・ジョリットがやらかしたプーチン礼賛パフォーマンスなのです。

 

 



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