「そこにある銃は発砲されなければならない」とする“チェーホフの銃”は、ドラマツルギーの一環としての創作法を提示するに過ぎませんが、“ スイスの銃 ”は現実社会の病の一つを体現する事象としてより深刻です。
2019年5月、スイスでEU(欧州連合)と同じ厳しい銃規制策を採用するかどうか、を問う国民投票が行われました。スイスは伝統的に銃を所有している国民が多い国です。
スイスの人口当たりの銃の保有数は世界で4番目に高い。同国には徴兵制度があり、兵役を終えた人々が軍隊で使った銃を自宅で保管できる独特の仕組みがあります。
スイス国民は彼らの1人ひとりが自国防衛にたずさわるべき、という堅牢な考えを持っています。そのため兵役を終えた後も、自宅に銃を置いて“いざ鎌倉”に備えるのです。
スイスは永世中立国です。従って理論的にはこちらからは戦争を仕掛けません。しかし、国土が侵略された場合は速やかに立ち上がって戦う、というのが彼らの決意です。そして戦いには銃が必要です。
スイス国民、特に男性は、銃の扱いに慣れるように教育されます。銃の使い方を学ぶのは彼らの義務なのです。そのことを象徴するように、13~17歳の少年を対象にした全国的な射撃コンテスト等も行われます。
スポーツとしてのライフル射撃なども同国では人気があります。また自己防衛や狩猟等のために銃を保有するのは当然の権利、という基本理念もあります。そうしたことの全てがスイス人の銃所持の壁を低くします。
日本とは大きく違って、欧米をはじめとする世界の国々では、銃保有は当然の権利と捉えられるのが普通です。スイスも例外ではないということです。
スイスの銃規制はゆるいとは言えませんが、銃保有の割合が高いために、同国はEU(欧州連合)から国内の銃保有率を下げるように、としきりに要請されてきました。
スイスはEU加盟国ではありません。しかし、人とモノの移動の自由を定めた「シェンゲン協定」には加盟しています。そのためにEUは、スイスが銃規制策も彼らと同基準にするように求め続けたのです。
それを踏まえてスイスは先日、EUの要請を受けるかどうかを問う国民投票を実施したのです。その結果、EUと足並みをそろえるという主張が勝利。スイスの銃規制は強化されることになりました。
スイスは既述のように国民の銃保有率が高い国ですが、イスラム過激派のテロが頻発する昨今のEU各国や、歴史的に銃が蔓延する米国のような銃乱射事件はほとんど起きません。
最後に銃乱射事件が起きたのは2015年5月9日。スイス山中の静かな村で、男が別れた妻の両親と弟を銃撃した後、偶然通りかかった隣人も殺害し、自らも自殺して果てる事件が起きました。
背景には複雑な家族の問題がありました。男は暴力的で、彼から逃れるために妻が子供3人を連れて家を出ました。逆恨みした男は妻の実家を襲って犯行に及んだのです。
家族間のトラブルから来る発砲事件はここイタリアでもよく起こります。それなのにイタリアのメディアは当時、外国のスイスのその事件を大きく伝えました。それが「スイスでの事件」だったからです。
スイスはイタリアよりもはるかに銃保有率の高い国です。兵役後も成人男性のほとんどが予備役または民間防衛隊の隊員であるため、既述のように多くの家庭に自動小銃や銃弾が保管されています。
それにも関わらずに、銃を使ったスイスでの犯罪はイタリアよりも桁違いに少ないのです。スイスでは過去30年以上に渡って、銃による虐殺事件は前述の2015年のケースも含めてたった9回しか起きていません。
だからこそニュースになるのですが、その時はちょうどイタリア・ミラノの裁判所で被告人が弁護士や裁判官を銃撃する、という前代未聞の事件が起きた直後でした。それだけに、イタリアのメディアはスイスの「珍しい」銃撃事件を大きく報道したのです。
銃犯罪が少ない一方でスイスでは、銃を使った自殺が多発します。銃によるスイスの自殺者の数は逆に、イタリアとは比べものにならないくらいに多いのです。
スイスでは一日あたり3~4人が自殺をします。年間では交通事故の死亡者数の4倍にも上る数字です。そのうち銃で自殺をする人の割合は25%弱。欧州で最も高い割合です。
銃で自殺をする人が多いのは、そこに銃があるからです。自殺のほとんどは衝動的なものです。とっさに自殺したくなった時に、わざわざ銃を買いに行く者はいません。身近にある銃に手を伸ばすのです。
しかし、スイスで銃による自殺が多いのはそれだけではないように思えます。スイスでは安楽死及び尊厳死が合法化されています。正確に言えば自殺幇助が許されているのです。
不治の病に冒された人や耐え難い苦痛に苦しむ人々が死を望めば、医師が自殺を幇助してもよい。スイスには自殺願望のある不運な人々が国内はもとより世界中から集まります。
安楽死や尊厳死を認めるスイス社会の在り方が、スイス人1人ひとりの心中に潜む自殺願望を助長しあるいはそれへの抵抗感を殺ぎ、結果として銃による自殺の割合も欧州で最も高くなる、という見方もできます。
安楽死や尊厳死というものはありません。死は死にゆく者にとっても家族にとっても全て苦痛であり、悲しみであり、ネガティブなものです。あるべきものは幸福な生、つまり安楽生と、誇りある生つまり尊厳生です。
不治の病や限度を超えた苦痛などの不幸に見舞われ、且つ人間としての尊厳をまっとうできない生はつまり、安楽生と尊厳生の対極にある状態です。人は 安楽生または尊厳生を取り戻す権利があります。
それを取り戻す唯一の方法が死であるならば、人はそれを受け入れても非難されるべきではありません。死がなければ生は完結しません。全ての生は死を包括します。安楽生も尊厳生も同様です。
その観点から筆者は安楽死・尊厳死を認めるスイス社会のあり方を善しと考えます。しかしそれがスイスにおける銃自殺率の高さに貢献しているのであれば、銃規制の厳格化はもちろん朗報です。
銃がそこになければ、銃によるスイスの人々の自殺率は、世界中のほぼ全ての国と同じように国民の銃保有率と正比例するだけの数字になり、もはや驚くほどのものではなくなるでしょう。
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