ベニスを見てから死ね

ベニスは街の全体が巨大な芸術作品と形容しても良い場所です。

その意味では、街じゅうが博物館のようなものだと言われる、ローマやフィレンツェよりもはるかに魅力的な街です。

なぜなら博物館は芸術作品を集めて陳列する重要な場所ではありますが、博物館そのものは芸術作品ではないからです。

博物館、つまり街の全体も芸術作品であるベニスとは一線を画すのです。

ベニスは周知のように、何もない海中に人間が杭を打ちこみ石を積み上げて作った街です。 

そこには基本的に道路は存在しません。その代わりに運河や水路や航路が街じゅうに張り巡らされて、大小四百を越える石橋が架かっています。

水の都とは、また橋の都のことでもあるのです。

ベニスの中心部には自動車は一台も存在せず、ゴンドラや水上バスやボートや船が人々の交通手段となります。

そこは車社会が出現する以前の都市の静寂と、人々の生活のリズムを追体験できる、世界で唯一の都会でもあります。

道路の、いや、水路の両脇に浮かぶように建ち並んでいる建物群は、ベニス様式の洗練された古い建築物ばかり。

特にベニスの中心カナルグランデ、つまり大運河沿いの建物はその一つ一つがい謂(いわ)れのある建物群。全てが歴史的建造物。

それぞれの建物は、隅々にまで美と緊張が塗りこめられて大運河の全景を引き立て、それはひるがえって個別の建築物の美を高揚する、という稀有(けう)な街並みです。 

しかしこう書いてきても、ベニス独特の美しさと雰囲気はおそらく読む人には伝わりません。

 ローマなら、たとえばロンドンやプラハに比較して、人は何かを語ることができます。またフィレンツェならパリや京都に、あるいはミラノなら東京やニューヨークに比較して、人はやはり何かを語ることができます。

ベニスはなにものにも比較することができない、世界で唯一無二の都会なのです。

唯一無二の場所を知るには、人はそこに足を運ぶしか方法がありません。

足を運べば、人は誰でもすぐに筆者の拙(つたな)い文章などではとうてい表現し切れないベニスの美しさを知ります。

ナポリを見てから死ね、と良く人は言います。

しかし、ナポリを見ることなく死んでもそれほど悔やむことはありません。

ナポリはそこが西洋の街並みを持つ都市であることを別にすれば、雰囲気や景観や人々の心意気といったものが、たとえば大阪とか香港などにも似ています。

つまり、ナポリもまた世界のどこかの街と比較して語ることのできる場所なのです。

見るに越したことはないが、見なくても既に何かが分かります。

ベニスはそうはいかない。

ベニスを見ることなく死ぬのは、世界がこれほど狭くなった今を生きている人間としては、いかにも淋しいことです。

 

 

 

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