1992年5月23日17時半頃、ジョヴァンニ・ファルコーネ判事の乗った車が、シチリア島パレルモのプンタライジ空港を市内に向けて走り出しました。
ファルーネ判事はマフィア殲滅を目指して戦うイタリアの反マフィア勢力の旗手。島の出身であることを活かして、闇組織との激しい法廷闘争を繰り返していました。
自動車道を時速約150キロ(140キロ~160キロの間と推測される 。判事の車はマフィアの襲撃を防ぐために常に高速走行することが義務付けられていた)で疾駆していた車が17時56分48秒、凄まじい爆発音と共に中空に舞い上がりました。
ファルコーネ判事と同乗していた妻、さらに前後をエスコートしていた車中の3人の警備員らが一瞬にしてこの世から消えました。
マフィアはそうやって彼らの敵であるファルコーネ判事を正確に葬り去りました。
いわゆる「カパーチの悲劇」です 。
ほぼ2ヶ月後の7月19日、ファルコーネ判事の朋友で反マフィア急先鋒のパオロ・ボルセリーノ判事もパレルモ市内で爆殺されました。
セルジョ・マタレッラ大統領はコロナ禍中の5月23日、パレルモ市内の刑務所のホールで催されたファルコーネ、ボルセリーノ両判事の29回目の追悼式典に参列しました。
それはマタレッラ大統領の最後の式典参加になると見られています。彼の任期は来年2月まで。大統領は2期目の選挙への出馬は目指さない、とつい先日明言しました。
マタレッラ大統領はシチリア島人です。そればかりではありません。彼は家族をマフィアに殺された凄惨な過去を持っています。
1980年1月6日、シチリア州知事だった兄のペルサンティ・マタレッラがマフィアに襲われて死にました。州知事は反マフィア活動に熱心でした。
それに怒った犯罪組織が刺客を送って知事に8発の銃弾を撃ち込みました。
たまたまその場に居合わせたセルジョ・マタレッラは、救急車に乗り込んで虫の息の兄を膝に抱いたまま病院に向かいました。
兄の体とそれを掻き抱いている弟の体が鮮血にまみれ車中に血の海が広がりました。
そのむごたらしい出来事が、当時は学者だったセルジョ・マタレッラを変えました。
彼は兄の後を継いで政治家になる決心をししたのです。
マフィアを合法的に殲滅するのが目的でした。3年後、彼は下院議員に初当選。
そうやって筋金入りの反マフィア政治家、セルジョ・マタレッラが誕生しました。
2015年、セルジョ・マタレッラはイタリア共和国大統領に選出されました。
マフィア撲滅を願う彼は、殺害された反マフィア判事らの追悼式にも毎年参列してきました。
シチリア島を拠点にするマフィアは、近年イタリア本土の犯罪組織ンドランゲッタやカモラに比べて陰が薄いように見えます。
だがそれはマフィアが消えたことを全く意味しません。
マフィアから見れば、新興勢力とも呼べるンドランゲッタやカモラが派手に活動するのを隠れ蓑にして、老舗の暗黒組織はむしろ執拗にはびこっています。
現にコロナパンデミック禍中では、マフィアが困窮した事業や一般家庭を援助する振りで取り入り、彼らを食い物にする実態なども明らかになりました。
マフィアを完全に駆逐することは難しい。
それでも反マフィアの看板を下ろさないマタレッラ大統領は、あるいは来年からは市民のひとりとして、故郷の判事追悼式典に参加するのかもしれません。
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