流転変遷は人生の華である。
この世の中で変わらない者は、変わりたくても変われない死者があるばかりだ。
変わるのは生きているからである。
ならば流転変遷は、生きている証、ということである。
死ねば変化は起きないのだ。
流転変遷の極みの加齢も変化である。
そして変化するのはやはり生きているからである。
生きているのなら、生きている証の変化を楽しまなければつまらない。
死ねば変化も楽しみも何もないのだから。
変化を楽しむとは言葉を替えれば、あるがままに、ということである。
なぜなら人はあるがままの形で変化していく存在だからである。
あるいは人は、変化するままにしか存在できない存在だからである。
あるがままに存在することを受け入れるとき、人は楽しむ。
楽しまなくとも、心は必ず安まるのである。