アナクロな儀式は時には演歌のようにとてつもなく面白くないこともない

テレビ中継される英国王戴冠式の模様を少しうんざりしながら最後まで見ました。

うんざりしたのは、儀式の多くが昨年9月に執り行われたエリザベス女王の国葬の二番煎じだったからです。

女王の国葬は見ごたえのある一大ショーでした。

かつての大英帝国の威信と豊穣が顕現されたのでもあるかのような壮大な式典は、エリザベス2世という類まれな名君の足跡を偲ぶにふさわしいと実感できました。

筆者はBBCの生中継をそれなりに感心しつつ最後まで見ました。しかし、荘厳だが虚飾にも満ちた典礼には、半年後に再び見たくなるほどの求心力はありません。

それでも衛星生放送される戴冠式を見続けたのは、祭礼の虚飾と不毛に心をわしづかみにされていたからです。

国王とカミラ王妃が王冠を頭に載せて立ち上がったときは、筆者は心で笑いました。首狩り族の王が骸骨のネックレスを付けて得意がる姿と重なったからです。

民主主義大国と呼ばれる英国に君主が存在するのは奇妙なものですが、象徴的存在の国王が政治に鼻を突っ込むことはないので民主制は担保されます。

だが真の民主主義とは、国家元首を含むあらゆる公職が選挙によって選ばれることだとするならば、立憲君主制の国々は擬似民主主義国家とも規定できます。

民主主義の真髄が国民に深く理解されている英国では、例えば日本などとは違って君主制を悪用して専制政治を行おうとする者はまず出ないでしょう。

英国の民主主義は君主制によって脆弱化することはありません。しかし、むろん同時に、それが民主主義のさらなる躍進をもたらすこともまたありません。

英国の王室は日本の皇室同様に長期的には消滅する宿命です。

暴力によって王や皇帝や君主になった者は、それ以後の時間を同じ身分で過ごした後は、確実に退かなければなりません。なぜなら「始まったものは必ず終わる」のが地上の定めです。

彼ら権力者とて例外ではあり得ません。

また王家や王族に生まれた者が、必然的にその他の家の出身者よりも上位の存在になることはありません。あたかもそうなっているのは、権力機構が編み出した統治のための欺瞞です。

天は人の上に人を作らない。生まれながらにして人の上位にいる者は存在しない。それがこの世界の真理です。

そうはいうものの、しかし、英国王室の存在意義は大きい。

なぜならそれには世界中から観光客を呼び込む人寄せパンダの側面があるからです。イギリス観光の目玉のひとつは王室なのです。

英国政府は王室にまつわる行事、例えば戴冠式や葬儀や結婚式などに莫大な国家予算を使います。

それを税金のムダ使いと批判する者がいますが、それは間違いです。彼らが存在することによる見返りは、金銭面だけでも巨大です。

世界の注目を集め、実際に世界中から観光客を呼び込むほどの魅力を持つ英王室は、いわばイギリスのディズニーランドです。

ディズニーランドも、しかし、たまに行くから面白い。昨年見たばかりの英王室のディズニィランドショーを、半年後にまた見ても先に触れたように感動は薄い。

それが筆者にとってのチャールズ英国王の戴冠式でした。

 

 

 

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