皇太子を「王太子」と言い換えるバカの大壁

イラスト ©ザ・プランクス

 

 

中東などの皇太子をあえて「王太子」と名づけたがる人がいます。

皇太子を「王太子」と言うのは、野球の早慶戦を「慶早戦」とわざと言い換えるようなものです。

要するに、関係者だけが悦に入っている図が明白な、バカの大壁です。

この場合の関係者とは、ネトウヨヘイト系排外&差別主義者と筆者が規定している日本洞窟内の民族主義系住民です。

彼らは支配者である天皇を他の支配者とは違うと見る欺瞞の心根と、欧米への劣等意識の裏返しである差別感情から、中東域の皇太子のみを敢えて王太子と言い換えたがります。

その証拠に彼らは、例えば英国王室の皇太子を王太子と言い換えようとは夢にも思いません。

決まって欧米外の王室の世子のみをそう呼ぼうとします。それは偏見差別体質の現れ以外のなにものでもありません。

天皇は元々は、世界のあらゆる国の王や帝王や皇帝と同じく、抑圧と殺戮と暴力によって民衆の上に君臨した権力者です。皇太子はその後嗣であり次代頭首です。

つまり天皇も皇太子も共にアナクロな概念であり反民主主義的な存在です。

その後天皇は象徴となり、やがて平成の天皇の如き崇高な人格者も出ました。その源である天皇家は尊敬に値するものです。

だが天皇は、日本洞窟内民族主議者が悪用する可能性を秘めた「天皇制」に守られた存在である限り、あくまでも否定的なコンセプトでもあります。

世界の主要国の中には、未だに王権あるいは王権の残滓にひれ伏す日本や英国のような国もあります。

2国は民主主義国家でありながら、実は未だに王権の呪縛から精神を解放できない後進性を持つ、似非民主主義国家です。

なぜなら真の民主主義国家では、国家元首を含む全ての公職は、主権者である国民の選挙によって選ばれるべきものだからです。

それは「全ての人間は平等に造られている」 という人間存在の真理の上に造られた制度であり哲学です。

人が皆平等である真の民主主義世界では、王権や天皇権があたかも降臨した如くひとりの人間や家族に与えられることはありません。

天は人の上に人を作らず、天は人の下に人を作らない。

人は学び努力をすることで人の上に押し上げられ、身を粉にして世に尽くすという約束をすることで、選挙を介して首班や国家元首になるべきです。

生まれながらにして人の上に立つ人間の存在を認めるのは、愚かであり欺瞞であり恥ずべきことです。

 

 

 

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