スイスの銃は発砲されなければならない

「そこにある銃は発砲されなければならない」とする“チェーホフの銃”は、ドラマツルギーの一環としての創作法を提示するに過ぎませんが、“ スイスの銃 ”は現実社会の病の一つを体現する事象としてより深刻です。

2019年5月、スイスでEU(欧州連合)と同じ厳しい銃規制策を採用するかどうか、を問う国民投票が行われました。スイスは伝統的に銃を所有している国民が多い国です。

スイスの人口当たりの銃の保有数は世界で4番目に高い。同国には徴兵制度があり、兵役を終えた人々が軍隊で使った銃を自宅で保管できる独特の仕組みがあります。

スイス国民は彼らの1人ひとりが自国防衛にたずさわるべき、という堅牢な考えを持っています。そのため兵役を終えた後も、自宅に銃を置いて“いざ鎌倉”に備えるのです。

スイスは永世中立国です。従って理論的にはこちらからは戦争を仕掛けません。しかし、国土が侵略された場合は速やかに立ち上がって戦う、というのが彼らの決意です。そして戦いには銃が必要です。

スイス国民、特に男性は、銃の扱いに慣れるように教育されます。銃の使い方を学ぶのは彼らの義務なのです。そのことを象徴するように、13~17歳の少年を対象にした全国的な射撃コンテスト等も行われます。

スポーツとしてのライフル射撃なども同国では人気があります。また自己防衛や狩猟等のために銃を保有するのは当然の権利、という基本理念もあります。そうしたことの全てがスイス人の銃所持の壁を低くします。

日本とは大きく違って、欧米をはじめとする世界の国々では、銃保有は当然の権利と捉えられるのが普通です。スイスも例外ではないということです。

スイスの銃規制はゆるいとは言えませんが、銃保有の割合が高いために、同国はEU(欧州連合)から国内の銃保有率を下げるように、としきりに要請されてきました。

スイスはEU加盟国ではありません。しかし、人とモノの移動の自由を定めた「シェンゲン協定」には加盟しています。そのためにEUは、スイスが銃規制策も彼らと同基準にするように求め続けたのです。

それを踏まえてスイスは先日、EUの要請を受けるかどうかを問う国民投票を実施したのです。その結果、EUと足並みをそろえるという主張が勝利。スイスの銃規制は強化されることになりました。

スイスは既述のように国民の銃保有率が高い国ですが、イスラム過激派のテロが頻発する昨今のEU各国や、歴史的に銃が蔓延する米国のような銃乱射事件はほとんど起きません。

最後に銃乱射事件が起きたのは2015年5月9日。スイス山中の静かな村で、男が別れた妻の両親と弟を銃撃した後、偶然通りかかった隣人も殺害し、自らも自殺して果てる事件が起きました。

背景には複雑な家族の問題がありました。男は暴力的で、彼から逃れるために妻が子供3人を連れて家を出ました。逆恨みした男は妻の実家を襲って犯行に及んだのです。

家族間のトラブルから来る発砲事件はここイタリアでもよく起こります。それなのにイタリアのメディアは当時、外国のスイスのその事件を大きく伝えました。それが「スイスでの事件」だったからです。

スイスはイタリアよりもはるかに銃保有率の高い国です。兵役後も成人男性のほとんどが予備役または民間防衛隊の隊員であるため、既述のように多くの家庭に自動小銃や銃弾が保管されています。

それにも関わらずに、銃を使ったスイスでの犯罪はイタリアよりも桁違いに少ないのです。スイスでは過去30年以上に渡って、銃による虐殺事件は前述の2015年のケースも含めてたった9回しか起きていません。

だからこそニュースになるのですが、その時はちょうどイタリア・ミラノの裁判所で被告人が弁護士や裁判官を銃撃する、という前代未聞の事件が起きた直後でした。それだけに、イタリアのメディアはスイスの「珍しい」銃撃事件を大きく報道したのです。

銃犯罪が少ない一方でスイスでは、銃を使った自殺が多発します。銃によるスイスの自殺者の数は逆に、イタリアとは比べものにならないくらいに多いのです。

スイスでは一日あたり3~4人が自殺をします。年間では交通事故の死亡者数の4倍にも上る数字です。そのうち銃で自殺をする人の割合は25%弱。欧州で最も高い割合です。

銃で自殺をする人が多いのは、そこに銃があるからです。自殺のほとんどは衝動的なものです。とっさに自殺したくなった時に、わざわざ銃を買いに行く者はいません。身近にある銃に手を伸ばすのです。

しかし、スイスで銃による自殺が多いのはそれだけではないように思えます。スイスでは安楽死及び尊厳死が合法化されています。正確に言えば自殺幇助が許されているのです。

不治の病に冒された人や耐え難い苦痛に苦しむ人々が死を望めば、医師が自殺を幇助してもよい。スイスには自殺願望のある不運な人々が国内はもとより世界中から集まります。

安楽死や尊厳死を認めるスイス社会の在り方が、スイス人1人ひとりの心中に潜む自殺願望を助長しあるいはそれへの抵抗感を殺ぎ、結果として銃による自殺の割合も欧州で最も高くなる、という見方もできます。

安楽死や尊厳死というものはありません。死は死にゆく者にとっても家族にとっても全て苦痛であり、悲しみであり、ネガティブなものです。あるべきものは幸福な生、つまり安楽生と、誇りある生つまり尊厳生です。

不治の病や限度を超えた苦痛などの不幸に見舞われ、且つ人間としての尊厳をまっとうできない生はつまり、安楽生と尊厳生の対極にある状態です。人は 安楽生または尊厳生を取り戻す権利があります。

それを取り戻す唯一の方法が死であるならば、人はそれを受け入れても非難されるべきではありません。死がなければ生は完結しません。全ての生は死を包括します。安楽生も尊厳生も同様です。

その観点から筆者は安楽死・尊厳死を認めるスイス社会のあり方を善しと考えます。しかしそれがスイスにおける銃自殺率の高さに貢献しているのであれば、銃規制の厳格化はもちろん朗報です。

銃がそこになければ、銃によるスイスの人々の自殺率は、世界中のほぼ全ての国と同じように国民の銃保有率と正比例するだけの数字になり、もはや驚くほどのものではなくなるでしょう。



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反安倍一辺倒ではないが反安倍の理由

安倍首相批判になった前記事に対して保守派の方から抗議の便りをいただきました。何度か便りをくださっている方で、結局筆者は安倍首相の全てが嫌いで全てに反対なんですね、と締めくくられていました。

安倍さん批判の記事を書くと彼のファンの方からよくメッセージをいただきます。たいてい筆者が一から十まで反安倍だと思い込んでいます。だがそんなことはまったくないので、その旨の返事をしました。これから書くのは安倍ファンのその読者にお送りした内容を踏まえて、さらに少し加筆・拡大したものです。

安倍さんの全てが悪いのではない

筆者は安倍さんを政治的に支持しませんが、別に彼の全てに異を唱えているわけではありません。以前から言っているように彼の「全てが悪いのではなくやり方に問題がある」と考える者です。そこに言及する前に、これから述べる事案における筆者の政治的な立ち位置をはっきりさせておきます。

筆者は日米同盟には賛成です。賛成どころか同盟の強化を願っています。むろん日米安保も支持します。また筆者はアメリカが好きです。仕事でニューヨークにも住みました。しかし筆者がアメリカを好きなのは、ニューヨークに住んだことが理由ではありません。筆者はアメリカの在り方が好きなのです。

アメリカには人種差別も不平等も格差も貧困も依然として多くあります。それは紛れもない事実です。だがアメリカは、今この時のアメリカが素晴らしいのではありません。愚昧な差別主義と無知から解放された米国の良識ある人々が、アメリカは「かくありたい」と願い、それに向かって前進しようとする「理想のアメリカ」が素晴らしいのです。

その理想とは、より寛容でより自由でより平等なアメリカという理念であり、偏見や差別や憎しみをあおるトランプ大統領の政治姿勢とは真っ向から対立する行動規範です。 そしてアメリカの強さは、彼らが理想を語るだけではなく実際に行動を起こすことです。

アメリカ合衆国は地球上でもっとも人種差別が少ない国です。これは皮肉や言葉の遊びではありません。奇をてらおうとしているのでもありません。日本で生まれ、ロンドンに学び、ニューヨークに住んでアメリカ人と共に仕事をし、今も彼らと付き合いつつ欧州から米国の動向を逐一見ている筆者自身の、実体験から導き出した結論です。

米国の人種差別が世界で一番ひどいように見えるのは、米国民が人種差別と激しく闘っているからです。問題を隠さずに話し合い、悩み、解決しようと努力をしているからです。断固として差別に立ち向かう彼らの姿は、日々ニュースになって世界中を駆け巡って目立ちます。そのためにあたかも米国が人種差別の巣窟のように見えるのです。

アメリカには人種差別があります。同時に自由と平等と機会の均等を求めて人種差別と闘い続け、絶えず前進しているのがアメリカという国です。長い苦しい闘争の末に勝ち取った、米国の進歩と希望の象徴の一つが、黒人のバラック・オバマ大統領の誕生でした。

安倍さんに賛成し反対する

アメリカが腹から好きな筆者は、安倍首相がトランプ大統領との友情を深め日米同盟の絆を強調し、軍事経済文化その他全ての分野で日米が仲良くすることに賛成です。ところが筆者には安倍さんのやり方が腑に落ちない。アメリカへの追従が過ぎる、と思うのです。

日本は敗戦以来、常にアメリカの子分として生きてきました。戦争に敗れ、軍事また経済で圧倒され、文化・文明度でもアメリカの足元にも及ばない、と政府も国民も自信を喪失していたのですから、そうなったのも仕方がありません。

時は過ぎて、日本が少しは自信を取り戻した幸運な季節に権力を握った安倍さんは、戦後レジームからの脱却を旗印にしました。つまりアメリカとの同盟関係を維持しながら属国の位置を抜け出し、対等な付き合いを目指すと見えたのです。

ところが安倍さんは逆方向に進みました。それはトランプ大統領が誕生して以降は加速をつづけて、今ではもはや後戻りはできないほどになりました。それが端的に現れたのが2016年、トランプさんが大統領選に勝利したとき、安倍首相が世界の首脳に先駆けてトランプタワーに乗り込んで、彼を祝福し友好親善を推し進めたエピソードです。

世界の大半がトランプ勝利に眉をひそめている最中に、「何らの批判精神もなく」彼に取り入った安倍さんの行為は世界を驚かせました。そこには安倍さんならではの無邪気と無教養が如実に現れていました。 自尊心のかけらもないような諂笑を振りまいて恥じない姿はおどろきでした。

筆者の安倍さんへの不信感の根はそのエピソードに象徴的に集約されます。しかし「何らの批判精神もなく」トランプ大統領に追随する姿勢は、安倍さんのその他の政治行為や施策にも多く現れて、筆者の中では違和感が高まりつづけました。ほんの2、3の例を挙げてみます。

北朝鮮

先ず北朝鮮への対応です。安倍首相は金魚のフンよろしくトランプ大統領に寄り添って、彼が圧力と経済制裁と言えば全く同じように追従し、大統領が強硬姿勢を対話へと切り替えて金正恩委員長との首脳会談を実現すると、またそれを真似て前提条件なしに金正恩とトップ会談をしたい、と臆面もなく言い出します。

対話は相手が誰であれ良いことです。だがトランプさんの物まねにしか見えない動きはみっともないのひと言につきます。あるべき姿はアメリカと協調して圧力と制裁は続けながらも、水面下で彼独自の対話路線を模索するなどの、外交のいろはに基づく信念のある政策と行動です。それは中国との場合も同じです。

トランプ大統領は、北朝鮮や中国に今にも武力攻撃を仕掛けかねないような激しい言動をしていても、常に対話の道を探る姿勢を言葉の端々に込めて発言しています。それなのに安倍さんが、まるでトランプさんの表向きの言葉のみに注目して右往左往するかのような姿は不可思議です。

安倍首相は最近、前提条件なしでの日朝首脳会談を呼びかけて「安倍は軍国主義」と軍国主義者の金委員長に斬り捨てられましたが、さて次はどう動くのでしょうか。米北朝鮮の対話路線は紆余曲折を経ながらも続きそうです。ならばもしも2国関係が元に戻って対決姿勢を強めるなら、安倍さんは次はまた前言を翻して、北朝鮮に圧力と制裁を!と叫び始めるのでしょうか。

中東政策

イスラエルの例も見てみましょう。トランプ米大統領が2017年12月、エルサレムをイスラエルの首都と認める、と宣言して世界を震撼させました。それはトランプ大統領によるアラブ・イスラムの国々への新たなる挑発であり侮辱でした。

驚きの声明にアラブ世界は言うまでもなく、欧州列強をはじめとする世界の国々が反発、非難しました。ところがトランプ大統領の政策なら何でも支持する安倍政権は、トランプ大統領の宣言に異を唱えるどころか「沈黙を守ること」で、チェコやフィリピンと共に大統領支持に回ったのです。

トランプ大統領は例によって、臆面もなく一方を立て一方を無残に斬り捨てる方法で、中東のイスラエルを庇護し、パレスチナを含むアラブ諸国を貶めました。安倍さんもこれまた例によって「なんらの批判精神もなく」トランプ大統領を100%支持しました。

無批判に米国に付き従う施策はエスカレートして、日本とイスラエル間に史上初めて直行便が飛ぶ事態にまで至りました。そこにはトランプさんに追従し忖度し彼のケツ舐めに徹する、安倍さんの意向が働いていると見てもそれほど的外れではないでしょう。

筆者の批判はそこでも同じです。イスラエルとの交誼は歓迎するべきことですが、そこに安倍さん独自の考えがなく、トランプさんに絡めとられているとしか見えない事態がやりきれないのです。加えてイスラエルと敵対するアラブ諸国への配慮が欠けていて、国益を損なうものなのですからなおさらです。

真の同盟関係の強化は、卑屈を排し互角の立場で付き合うところでしか成り立ちません。それは一方が軍事的に強力で経済的に豊かで国力がある、という物理的な優劣とは別の、いわば「精神の対等性」のことです。それがあれば、たとえば欧州などの首脳が、米国を最大の同盟国と認めながらも、トランプ大統領に堂々と物申す姿勢と同じやり方が可能になります。

友情とは対等な人間関係に基づく信頼と親しみと絆のことであり、言いにくいことでも言うべきところは言い合う関係です。それは国家間にもあてはまります。日米間になそんな友情は存在しません。ご主人様のアメリカに日本が従僕のごとくひざまずくことからくる、見せ掛けの友宜があるのみです。安陪さんはそれを矯正するどころかさらに補強し悪化させています。

短期留学の陥穽

安倍さんが米国と対等の付き合いを模索できないのは、もしかすると彼がアメリカに2年間留学したという経験がトラウマになっているのではないか、とさえ疑うほどです。外国、特に欧米に短期留学したり仕事などで長期滞在をした日本人の中には、突然ナショナリストへと変身する者が少なくありません

それには理由があります。彼らは憧れて行った欧米の文明国で、日本社会の徹底した西洋模倣の現実と同時にその後進性に衝撃を受けます。そこでふいに欧米への強い対抗心に目覚めて民族主義者になるのです。そこにもしも欧米社会と欧米人に見下された、という体験が重なると相乗効果が生まれて事態はさらに深刻になります。

そうしたショック現象は、留学が長期化するに従って和らいでいき、やがて彼らは欧米の文化文明の真の価値に目覚めていきます。彼らは欧米社会の寛容と解放と自由と人権主義に触れ、それに拠って立つ民主主義の進歩性に気づき、これを理解し尊敬し成長して、そこから生まれる叡智によって自らの国の文化文明も客観視し理解することができるようになります。

欧米に1~2年程度の短い留学や在住経験を持つ保守主義者には気をつけた方がいい。彼らは親欧米であろうが反欧米であろうが、生半可な西洋理解の知識蓄積に縛られていて、知ったかぶりと誤解と曲解に基づくねじれた主義主張をして平然としていることが少なくありません。彼らのねじれた心理が矯正されるためには、頭でっかちの机上論ではなく、欧米の地にさらに長く留まることで得られる経験知が必要です。

安倍さんがとらわれているように見える、トランプさんやアメリカへの抜きがたい劣等感のようなものは、もしかすると短期留学体験者が陥りがちな陥穽に嵌まった彼の心理屈折がもたらすものではないか、と筆者は時々疑ってみます。劣等感は、西洋文明の堅牢に圧倒された短期留学者が、その反動で必要以上に西洋の文物や在り方に対して居丈高になるのと病原が同じなのです。

もう少し続けます。学校等で得た知識ではなく、知識と共に欧米社会の中に長く住み続ける以外には理解できない文化・文明の懐の深さというものがあるのです。それを理解すれば劣等感と劣等感の裏返しである行き過ぎた国粋主義や敵愾心も消えます。なぜなら西洋文明の分別は、そうした劣等感の無意味もまた教えてくれるからです。

愛国者

平家、海軍、国際派という成句があります。社会のメインストリームから外れたそれらの人々は、日本では出世できないという意味の言葉ですが、政治問題関連の論壇などでは往々にして「反日」と同じ風に使われたりもする言葉です。

だがそれは間違いで、平家の中にも、海軍の中にも、国際派の中にも愛国者はいます。と言いますか、そこには源氏、陸軍、国内(民族)派とまったく同数の愛国者がいるのです。そして筆者自身は国際派の愛国者を自負している者です。国際派ですから、こう して出世もできずに恐らく死ぬまで外国を放浪し続ける、という寂しい人生を送っているわけですが。

一方安倍さんは、日本最強の権力者であると同時に、日本主流派のそれも中核に属する愛国者です。日本の傍流の国際派の、プー太郎的愛国者である筆者とは比べるのがアホらしいほどに格が違います。しかしながら愛国者の度合いにおいては彼と筆者のそれは何も違いません。筆者はその立ち位置から彼にもの申しているだけです。

これからも機会があれば、安倍さんへの批判記事や逆に「賞賛記事」でさえ恐れずに書いて行くつもりです。が、正直に言えばここまでに既に言いたいことの多くは言った気がしないでもありません。安倍首相ファンの皆さんのおしかりや反論は、それが匿名の卑怯者の咆哮ではない限り喜んでお受けしますが、意見の開陳は一つひとつの記事のみならず、これまでのいきさつも含めて考察した後にしていただければ有難い。

次にこれまでのいきさつに当たる記事のリンクを貼付します。できれば目を通していただきたいと思います。

http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52128918.html
http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52173441.html
http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52258325.html
http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52273203.html


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「フェルーカ」挽歌

フェルーカ船

イタリア、シチリア島にちょうど今ごろの季節にはじまる「フェルーカ」と呼ばれる伝統的な漁があります。マグロやカジキを銛で突いて取るいわゆる”突きん棒”です。筆者はかつてこの漁の模様を描いてNHKスペシャルのドキュメンタリー番組を作ったことがあります。

”突きん棒”は世界中のどこにでもある漁法です。もちろん日本にもあります。海面すれすれに浮遊している魚を銛で一突きにする原始的な漁ですから、大昔に世界中の海で同時発生的に考案されたものなのでしょう。
  
シチリア島の”突きん棒”は、古代ローマ帝国時代以前から存在した記録が残っています。この素朴な漁の伝統は以来、船や漁具に時代に沿った変化はあったものの、シチリア島の漁師たちによって、古代の息吹をかたくなに守る形がえんえんと受け継がれてきました。

「フェルーカ」とは、漁に使われる漁船の名前です。総屯数二十トン程のふつうの漁船を改造して、高さ三十五メートルの鉄製のやぐらと、伸縮自在で長さが最大五十メートルにもなる同じく鉄製のブリッジを船首に取りつけた船。

フェルーカ船のやぐらとブリッジは、互いに均衡を保つように前者を支柱にして何十本ものワイヤーで結ばれて補強され、めったなことでは転ぷくしないような構造になっています。
  
しかし船体よりもはるかに長い船首のブリッジと、天を突くようにそびえているやぐらは、航行中も停船時も波風でぐらぐらと揺れつづけていて、見る者を不安にします。
 
やぐらは遠くの獲物をいちはやく見つけるための見張り台です。てっぺんには畳半畳分にも満たない広さの立ち台があって、常時3人から4人の漁師が海面に目をこらして獲物の姿を追います。船首の先に伸びているブリッジは、銛打ち用のものです。

銛の射手は、それを高く構えてブリッジの先端に立ちつくして、獲物が彼の足下に見えた瞬間に打ち込みます。つまり彼は、本来の船首が魚に到達するはるか手前で銛をそれに突き立てることができるのです。

逃げ足の速い獲物に少しでも近く、素早く、しかも静かに近づこうとする、漁師たちの経験と知恵の結晶がやぐらとブリッジ。やぐら上の見張りとブリッジ先端の銛手のあうんの呼吸が漁の華です。

筆者はこの不思議な船と漁を題材にドキュメンタリーを作ると決めた後、情報集めなどのリサーチを徹底するかたわら、何度もシチリア島に足をはこんで、漁師らに会い船に乗せてもらったりしながら準備をすすめました。
 
これで行ける、と感じて企画書を書いてNHKに提出し、OKが出ました。そこまでに既に6年以上が過ぎていました。短く、かつ忙しい報道番組のロケや制作を続けながらの準備ですから、筆者の場合それぐらいの時間は普通にかかるのです。

番組の最大の売りは何と言ってもマグロ漁にありました。大きい物は400キロを越え、時には500キロにもなんなんとする本マグロを発見して船を寄せ、大揺れのブリッジをものともせずに射手が銛を打ち込む。

激痛で憤怒の塊と化した巨大魚が深海をめがけて疾駆します。船ごと海中に引きずり込みそうな暴力が炸裂して、銛綱の束が弾けるようにするすると海中に呑み込まれます。すると綱で固着された浮き代わりのドラム缶数本が、ピンポン玉よろしく中空を乱舞し海面にたたきつけられます。

マグロは銛を体に突き通されたまま必死に逃げます。獲物の強力な引きと習性を知り尽くした男たちが死にものぐるいで暴力に対抗し、絶妙な綱引きの技でじわじわと巨大魚を追い詰めて取り込んで行く・・・・。
 
筆者がフェルーカ漁に魅せられて通ったそれまでの6年間に、幾度となく体験した勇壮なシーンを一つ一つ映像に刻み込めば、黙っていてもそれは面白い作品になるはずでした。ところがロケ中に獲れるのはカジキだけでした。肝心の本マグロがまったく獲れないのです。

フェルーカ漁は毎年4月頃から準備が始まり5月に幕を開けます。そしてイタリア半島とシチリア島の間にあるメッシーナ海峡とエオリア諸島近海を舞台に8月まで続きます。
 
準備の模様から撮影を始め、次に海上での漁に移りました。1ト月が経ち、2タ月が経ち・・・やがて漁の最盛期である7月に入りました。ところがマグロが暴れる場面は一向に出現しません。狐につままれたような気分でした。

しかしそれは海や山などを相手にする自然物のドキュメンタリーではありふれた光景です。魚や野生動物が相手ですから、不漁続きで思ったような絵が撮れない、という事態がひんぱんに起こるのです。

筆者はロケ期間を延長し、編集作業のためにどうしても自分が船に乗れない場合には、カメラマン以下のスタッフを張り付けて漁を追いつづけました。ロケ期間はそうやって最終的には5ヶ月近くにもなりました。
 
しかし最後まで一匹のマグロも獲れずにとうとうその年のフェルーカ漁は終わってしまいました。

筆者は仕方なくカジキ漁を話の中心にすえて編集をして、一応作品を完成しました。それは予定通り全国放映されましたが、反響は「予想通り」いまいち、という感じで終わりました。

フェルーカ漁とそれにまつわる人々のドラマは、ある程度うまく描かれているにもかかわらず、どこかインパクトに欠けて物足りないものがある、というのが人々の一致した印象であり意見でした。

筆者はそうなった理由を誰よりも良く分かっていましたが、もちろん一言も弁解をするわけにはいきませんでした。たとえ何が起ころうと番組作りの世界では結果が全てです。

ロケ中の障害のために結果が出なかったならば、それはひとえにディレクターである筆者の力量が足りなかったからです。あらゆる障害を克服して結果を出すのが監督の仕事なのです。

そんなわけで筆者は自らの無力をかみしめながら、忸怩たる思いでその仕事を切り上げなければなりませんでした。

年ごとに先細りになっていくフェルーカ漁は、漁そのものの存続があやぶまれる程に漁獲量が落ちこんでいます。漁獲量がほぼゼロの年もあります。

観光客を乗船させ漁を体験してもらうことで収入を得て、ようやく漁船の維持費を稼ぐことも珍しくありません。

それでも漁師たちはあきらめず、何とかして漁の伝統を次の世代に受け渡そうと必死になっています。しかし先行きは暗い。それでもなお彼らは海に出ます。今日も。明日も。

勇壮で厳しく、同時にそこはかとなく哀感のただようフェルーカ漁のその後を、もう一度カメラで追ってみたい、と筆者はロケ以来つづいている漁師たちとの友情を大切にしながら考えることも一再ではありません。

 

 

 

 

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平気で生きる 




筆者は以前、次のようなコラムを新聞に寄稿しました。それと前後してブログほかの媒体にも投稿しそこかしこで同じ趣旨の話も多くしました。

悟りとは「いつでもどんな状況でも平気で死ぬ」こと、という説がある。

死を恐れない悟りとは、暴力を孕んだいわば筋肉の悟りであり、勇者の悟りである。

一方「いつでもどんな状況でも平気で生きる」という悟りもある。

不幸や病気や悲しみのどん底にあっても、平然と生き続ける。

そんな悟りを開いた市井の一人が僕の母である。

子沢山だった母は、家族に愛情を注ぎつくして歳月を過ごし、88歳で病に倒れた。

それから4年間の厳しい闘病生活の間、母はひと言の愚痴もこぼさずに静かに生きて、最後は何も分からなくなって眠るように息を引き取った。

療養中も死ぬ時も、母は彼女が生き抜いた年月のように平穏そのものだった。

僕は母の温和な生き方に、本人もそれとは自覚しない強い気高い悟りを見たのである。

同時に僕はここイタリアの母、つまり妻の母親にも悟りを開いた人の平穏を見ている。

義母は数年前、子宮ガンを患い全摘出をした。その後、苛烈な化学療法を続けたが、副作用や恐怖や痛みなどの陰惨をおくびにも出さずに毎日を淡々と生きた。

治療が終わった後も義母は無事に日々を過ごして、今年で87歳。ほぼ母が病気で倒れた年齢に達した。

日本の最果ての小さな島で生まれ育った僕の母には、学歴も学問も知識もなかった。あったのは生きる知恵と家族への深い愛情だけである。

片やイタリアの母は、この国の上流階級に生まれてフィレンツェの聖心女学院に学び、常に時代の最先端を歩む女性の一人として人生を送ってきた。学問も知識も後ろ盾もある。

天と地ほども違う境涯を生きてきた二人は、母が知恵と愛によって、また義母は学識と理性によって「悟り」の境地に達したと僕は考えている。

僕の将来の人生の目標は、いつか二人の母親にならうことである。

筆者はこの話を修正しなければならなくなりました。義母がその後こわれてしまったからです。いや、こわれたのではなく、死の直前になって彼女の本性があらわれた、ということのようでした。

義母は昨年92歳で亡くなったのですが、死ぬまでの2年間は愚痴と怒りと不満にまみれた「やっかいな老人」になって、ひとり娘である筆者の妻をさんざんてこずらせました。

義母はこわれる以前、日本の「老人の日」に際して「今どきの老人はもう誰も死なない。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と言い放ったツワモノでした。

老人の義母は老人が嫌いでした。老人は愚痴が多く自立心が希薄で面倒くさい、というのが彼女の老人観だったのです。その義母自身は当時、愚痴が少なく自立心旺盛で面倒くさくない老人でした。

こわれた義母は、朝の起床から就寝まで不機嫌でなにもかもが気に入らない、というふうでした。子供時代から甘やかされて育った地が出た、とも見える荒れ狂う姿は、少々怖いくらいでした。

義母の急変は周囲をおどろかせましたが、彼女の理性と老いてなお潔い生き方を敬愛していた筆者は、誰よりももっとさらにおどろき内心深く落胆したことを告白しなければなりません。

義母はほぼ付きっ切りで世話をする妻を思いが足りないとなじり、気がきかないと面罵し、挙句には自ら望んだ死後の火葬を「異教徒の風習だからいやだ。私が死んだら埋葬にしろ」と咆哮したりしまた。

怒鳴り、わめき、苛立つ義母の姿は、最後まで平穏を保って逝った母への敬慕を、筆者の中にいよいよつのらせていくようでした。

義母を掻き乱しているのは、病気や痛みや不自由ではなく「死への恐怖」のように筆者には見えました。するとそれは、あるいは命が終わろうとする老人の、「普通の」あり方だったのかもしれません。

そう考えてみると、「いつでもどんな状況でも平気で生きる」という母の生き方が、いかにむつかしく尊い生き様であるかが筆者にはあらためてわかったように思えました。

いうまでもなく母の生き方を理解することとそれを実践することとは違います。筆者はこれまでの人生を母のように穏やかに生きてはきませんでした。

戦い、もがき、心を波立たせて、平穏とは遠い毎日を過ごしてきました。そのことを悔いはしませんが、「いかに死ぬか」という命題を他人事とばかりは感じなくなった現在、晩年の母のようでありたい、とひそかに思うことはあります。

死は静謐です。一方、生きるとは心が揺れ体が動くことです。すなわち生きるとは、文字通り心身が動揺することです。したがって義母の最晩年の狼狽と震撼と分裂は、彼女が生きている証しだった、と考えることもできます。

そうした状況での悟りとはおそらく、心身の動揺が生きている者を巻き込んでポジティブな方向へと進むこと、つまり老境にある者が家族と共にそれを受け入れ喜びさえすること、なのではないか。

それは言うのはたやすく、行うのは難しい話の典型のようなコンセプトです。だが同時に、老境を喜ぶことはさておき、それを受け入れる態度は高齢者にとっては必須といってもよいほど重要なことです。

なぜなら老境を受け入れない限り、人は必ず不平不満を言います。それが老人の愚痴です。愚痴はさらなる愚痴を誘発し不満を募らせ怒りを呼んで、生きていること自体が地獄のような日々を招きます。

「いつでもどんな状況でも平気で生きる」とは、言い方を変えれば、老いにからむあらゆる不快や不自由や不都合を受け入れて、老いを納得しつつ生きることです。それがつまり真の悟りなのでしょう。

苦しいのは、それが「悟り」という高い境地であるために実践することが難しい、ということなのではないでしょうか。もはや若くはないものの、未だ老境を実感するには至らない筆者は、時々そうやって想像してみるだけです。

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奇妙なカップル

天皇代替わりに合わせるように、安倍首相とトランプ大統領が4月、5月、6月と3回連続で首脳会談を行うという不思議な話は、日本のメディアの関心をあまり買っていないようです。

トランプ大統領は5月に国賓として来日し新天皇と会見します。新天皇が即位後初めて会見する外国首脳がトランプ大統領、という仕組み。一連の行事の主要目的はそこにあるように見えます。

日本の主要メディアは政府発表のスケジュールを短く伝えただけです。立て続けに3度も首脳会談を行うべき緊急課題があるとも思えないのに、あえて強行する異様な状況には口をつぐんでいます。

異様さに気づかないわけではなく、例によって安倍一強政権への恐れや忖度があるのかもしれません。たとえそうではなくても、今回の場合は皇室への遠慮もからんでいる可能性があります。

忖度や遠慮がジャーナリズムさえ凌駕するのが日本の神秘です。いつになったら権力への監視や批判がジャーナリズムの生命線であることを理解するのでしょうか。

トランプ大統領はその後、6月28、29日にも来日して大阪でのG20会議に出席し安倍首相とまた会談する予定。4月の安倍首相の米国訪問に始まった不可解な3連続会談がそこで終了します。

5月の訪日ではトランプ大統領は、新天皇と会う以外には大相撲観戦をしたり、安倍首相と例によってノーテンキなゴルフ遊びに興じるだけです。結局、世界の首脳に先がけて、同大統領を新天皇に会わせることが主題だからなのでしょう。

退位して上皇になったばかりの前天皇はひそかに、だが気をつけて吟味すれば時にはあからさまな言辞で、安倍首相に敵対していました。憲法護持、国民重視、沖縄擁護、日本の戦争責任追及などなど、安倍首相がいやがる内容ばかりです。

そこで安倍首相は、目の上のたんこぶ的存在だった前天皇が退位した機をとらえて、新天皇を取り込む画策を立てた。その作戦の一環としてトランプ大統領にも協力を頼んでいる、という見方は荒唐無稽に過ぎるでしょうか。

そんな策略に乗るトランプさんは-いまさらおどろくようなことではありませんが-人品のレベルが相棒の安倍さんとどっこいどっこいの寂しい資質であることを露呈しているようで、見ていて空しい限りです。

それにしても、安倍さんが目立たない動きや術策で、やりたい放題をやっているように見える現行の日本の政治状況は驚くばかりです。それが高じて天皇までも思い通りに動かそうとしているらしい姿は、まるで8世紀に登場して世間を騒がせた道鏡のようです。

道鏡は天皇になる野心まで抱いていました。さすがに安倍さんにはそこまでの山気 はないでしょうが、憲法改正に向けて新天皇を何とか懐柔したい意志があっても不思議ではありません。

政治家としてまた国のトップとして、安倍さんがそういう風に動くのは、事態への賛否は別にして、理解できることです。彼は憲法改正という自らの政治目的を達成するためにそう策しています。そして政治目的を完遂することが政治家の正義です。

安倍さんのスタンスに、穏便な形ながら断固として異議を唱え続けた前天皇が、平和憲法護持の立場であったのは隠しようもない事実でした。安倍首相は新天皇が上皇の意思を受け継いでいるかもしれないことが不安なのでしょう。

新天皇の「おことば」などに微妙にあらわれる変化から、安倍政権が天皇即位の前の皇太子さんに近づき、揺さぶりをかけてきたであろうことが推測できます。安倍首相は本気で天皇の籠絡を試みているようです。

彼は政治目的の達成のためには手段を選ばない構えです。日本の真の独立を阻むアメリカのトランプ大統領に借りを作ってでも、天皇の抱き込みを試みようとしているように見えるのです。

それは大胆であると同時に危険な動きです。なぜなら世話になったトランプさんにますます逆らえなくなって、今後も長きにわたって彼の阿諛外交が続き、日本のアメリカ従属がさらに深まりかねないからです。

安倍首相の大胆さは無知と無恥から来るものです。それはトランプ氏が大統領当選を決めたとき、就任前にもかかわらずに彼のもとに駆けつけて諂笑して以来、一貫して続いている安倍さんと政権の最大の特徴です。

世界の大半がトランプ勝利に眉をひそめている最中に、「何らの批判精神もなく」彼に取り入った安倍さんの行為は世界を驚かせました。繰り返しになりますがそこには安倍さんならではの無恥と無知が如実に現れていました。

しかし、矛盾するようですが、ここでは安倍首相に対してフェアなことも言っておきたいと思います。

トランプさんが大統領選に勝利した2016年、安倍首相が世界の首脳に先駆けてトランプタワーに乗り込んで、彼を祝福し友好親善を推し進めたのは日本のトップとしては十分に理解できる行為でした。

なぜならトランプさんがたとえ「何者であれ」彼は米国大統領に当選したのですから、安倍さんは「日本の国益のために」未来のアメリカ大統領に挨拶をしておこうとして動いた側面もあるからです。

安倍さんの行動のすべてが悪いのではありません。しかしながら安倍さんは、トランプさんとのお友達関係を一方的に且つ懸命に強調しつづけるものの、実は彼のポチでしかない卑屈な立ち回りに終始しています。

自尊心のかけらもないような追従外交方ばかりを続けています。それでいて、一向にその事実に気づいていないように見えます。そこが大きな問題なのです。

トランプ大統領は、異様な指導者です。彼の施策はこれまでのところネガティブなものが多い。だがフェイクニュースを流して彼の主張こそ真実だと言い張る行動によって、それまで完璧に見えた大手メディアにもまたフェイクな顔がある、という事実を暴き出した功績は大だと思います。

同時にトランプさんは、「差別や憎しみや偏見などを隠さずに、しかも汚い言葉を使って公言しても構わない」という考えを人々の頭に植え付けてしまいました。つい最近までタブーだった「罵詈や雑言も許される」といった間違ったメッセージを全世界に送ってしまったのです。

それはつまり、人類が多くの犠牲と長い時間を費やして獲得した「寛容で自由で且つ差別や偏見のない社会の構築こそ重要だ」というコンセプトを粉々に砕いてしまったことを意味します。その罪は重い。異様な指導者であるトランプ大統領の奇異に気づかない安倍首相もまた異様です。

2人の異様は、これまでのところ、安倍首相がトランプ大統領をノーベル平和賞候補に推薦した、という噴飯茶番劇によって極限に至りました。しかしながらノーベル賞の茶番は、オバマ前大統領への平和賞やボブ・ディランへの文学賞授与などでもすでに示されていますから、もはやおどろくほどのことではないのかもしれません。

安倍政権に遠慮する大手メディアと、ネトウヨ排外差別主義者らが声高にネットを席巻する日本国内にいるとあるいはよく見えないかもしれませんが、欧州を含む世界の良心は、安倍&トランプという奇妙なカップルの、友情なのか政治パフォーマンスなのか判別できない「奇怪なダンス」を窃笑しつつ“遠巻き”に監視しています。



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連休という果報、飛び石連休という貧困

2019年、日本のゴールデンウイークが10連休になるというニュースは、ここイタリアにいても日本の衛星放送やネットを介していやというほど見、聞き、知っていました。

それに関連していわゆる識者や文化人なる人々が意見を開陳していましたが、その中にはまるで正義漢のカタマリのような少し首を傾げたくなる主張もありました。

いわく10連休は余裕のあるリッチな人々の特権で、休みの取れない不運な貧しい人々も多い。だから、10連休を手放しで喜ぶな。貧者のことを思え、と喧嘩腰で言い立てたりもしていました。

10連休中に休めない人は、ホテルやレストランやテーマパークなど、など、の歓楽・サービス業を中心にもちろん多いと考えられます。

しかし、まず休める人から休む、という原則を基に休暇を設定し増やしていかないと「休む文化」あるいは「ゆとり優先のメンタリティー」は国全体に浸透していきません。10連休は飽くまでも善だったと筆者は思います。

休める人が休めば、その分休む人たちの消費が増えて観光業などの売り上げが伸びます。その伸びた売り上げから生まれる利益を従業員にも回せば、波及効果も伴って経済がうまく回ります。

利益を従業員に回す、とは文字通り給与として彼らに割増し金を支払うことであり、あるいは休暇という形で連休中に休めなかった分の休息をどこかで与えることなどです。

他人が休むときに休めない人は別の機会に休む、あるいは割り増しの賃金を得る、などの規則を法律として制定できるかどうかが、真の豊かさのバロメーターです。

そうしたことは強欲な営業者などがいてうまく作用しないことが多い。そこで国が法整備をして労働者にも利益がもたらされる仕組みや原理原則を強制する必要があります。

たとえばここイタリアを含む欧州では、従業員の権利を守るために日曜日に店を開けたなら翌日の月曜日を閉める。旗日に営業をする場合には割り増しの賃金を支払う、など労働者を守る法律が次々に整備されてきました。

そうした歴史を経て、欧州のバカンス文化や「ゆとり優先」のメンタリティ-は発達しました。それもこれも先ず休める者から休む、という大本の原則があったからです。

もちろん休めない人々の窮状を忘れてはなりませんが、休める人々や休める仕組みを非難する前に、働く人々に窮状をもたらしている社会の欠陥にこそ目を向けるべきなのです。

休むことは徹頭徹尾「良いこと」です。人間は働くために生きているのではありません。生きるために働くのです。

そして生きている限りは、人間らしい生き方をするべきであり、人間らしい生き方をするためには休暇は大いに必要なものです。

人生はできれば休みが多い方が心豊かに生きられる。特に長めの休暇は大切です。夏休みがほとんど無いか、あっても数日程度の多くの働く日本人を見るたびに、筆者はそういう思いを強くします。

バカンス大国ここイタリアには、たとえば飛び石連休というケチなつまらないものは存在しません。飛び石連休は「ポンテ(ponte)=橋または連繋」と呼ばれる“休み”でつなげられて「全連休」になります。

つまり 飛び石連休の「飛び石」は無視して全て休みにしてしまうのです。言葉を変えれば、飛び飛びに散らばっている「休みの島々」は、全体が橋で結ばれて見事な「休暇の大陸」になります。

長い夏休みやクリスマス休暇あるいは春休みなどに重なる場合もありますが、それとは全く別の時期にも、イタリアではそうしたことが一年を通して当たり前に起こっています。

たとえば今年は、日本のゴールデンウイーク前の時分にもポンテを含む連休がありました。復活祭と終戦記念の旗日がからんだ4月20日から28日までの9連休です。

その内訳は:4月20日(土)、21日(日“復活祭”)、22日(月“小復活祭=主顕節”・旗日)、23日(火“ポンテ”)、24日(水“ポンテ”)、25日(木“イタリア解放(終戦)記念日”・旗日)、26日(金“ポンテ”)、27日(土)28日(日)の9日間。

もちろん誰もが9連休を取る(取れる)わけではありません。23日(火)と24日(水)は働いて25日から28日の間を休む。つまり26日(金)だけをポンテとして休む、という人も相当数いました。同時に20日から28日までの長い休暇を取った人もまた多かったのです。

そうした事実もさることながら、旗日と旗日の間をポンテでつなげて連休にする、という考え方がイタリア国民の間に「当たり前のこと」として受け入れられている点が重要です。

飛び石、つまり断続または単発という発想ではなく、逆に「連続」にしてしまうのがイタリア人の休みに対する考え方です。休日を切り離すのではなく、できるだけつなげてしまうのです。

「連休」や「代休」という言葉があるぐらいですからもちろん日本にもその考え方はあります。だがその徹底振りが日本とイタリアでは違います。勤勉な日本社会がまだまだ休暇に罪悪感を抱いてるらしいことは、飛び石連休という思考法が依然として存在していることで分かるように思います。

一方でイタリア人は、何かのきっかけや理由を見つけては「できるだ長く休む」ことを願っています。休みという喜びを見出すことに大いなる生き甲斐を感じています。 そして彼らは願ったり感じたりするだけではなく、それを実現しようと躍起になります。

そんな態度を「怠け者」と言下に切り捨てて悦に入っている日本人がたまにいます。が、彼らはイタリア的な磊落がはらむ豊穣が理解できないのです。あるいは生活の質と量を履き違えているだけの心の貧者です。

休みを希求するのは人生を楽しむ者の行動規範であり「人間賛歌」の表出です。それは、ただ働きずくめに働いているだけの日々の中では見えてきません。休暇が人の心身、特に「心」にもたらす価値は、休暇を取ることによってのみ理解できるように思います。

2019年に出現した10連休は、日本の豊かさを示す重要なイベントでした。日本社会は今後も飛び石連休を「全連休」にする努力と、連休中に休めなかった人々が休める方策も含めて、もっとさらに休みを増やしていく取り組みを続けるべきです。




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負け馬たちの功績

いま英国議会下院で起きているBrexit(英国のEU離脱)をめぐる議論の嵐は、民主主義の雄偉を証明しようとする壮大な実験です。それが民主主義体制の先導国である英国で起きているからです。

そこでは民主主義の最大特徴である多数決(国民投票)を多数決(議会)が否定あるいは疑問視して、煩悶し戸惑い恐れ混乱する状況が続いています。それでも、そしてまさに民主主義ゆえに、直面する難題を克服して前進しようとする強い意志もまた働いています。

民主主義とは、民主主義の不完全性を認めつつ、より良いあり方を求めて呻吟することを厭わない政治体制のこと。だから議論を戦わせて飽くことがありません。言葉を変えれば、不都合や危険や混乱等々を真正面から見つめ、これに挑み、自らを改革・改善しようと「執拗に努力する」仕組みのことです。

民主主義は完全無欠なベスト(最善)の政体ではありません。他の全ての政治システムよりもベター(より良い)なだけです。しかしベストが存在しない限り、“ ベターがベスト ”です。チャーチルはそのことを指して、民主主義はそれ以外の全ての政治体制を除けば最悪の政治だ、と喝破しました。

2016年、英国議会はBrexitの是非を決められず、結果として市民の要請に応える形で国民投票を行いました。国民の代表であるはずの議会が離脱の当否を決定できなかったのはそれ自体が既に敗北です。しかし国民投票を誘導した時の首相ディヴィッド・キャメロンと議会はそのことに気づきませんでした。

国民投票の結果、Brexitイエスの結果が出ました。民主主義の正当な手法によって決定された事案はすぐに実行に移されるべきでした。事実、実行しようとして議会は次の手続きに入りました。そこでEUとの話し合いが進められ、責任者のメイ首相は相手との離脱合意に達しました。

ところが英国議会はメイ首相とEUの離脱合意の中身を不満としてこれを批准せず、そこから議会の混乱が始まりました。それはひと言でいえば、メイ首相の無能が招いた結果だったのですが、同時にそれは英国民主主義の偉大と限界の証明でもありました。

議会とメイ首相が反目し停滞し混乱する中、彼女はもう一方の巨大な民主主義勢力・EUとの駆け引きにも挑み続けました。そこではBrexitの是非を問う国民投票が、英国民の十分な理解がないまま離脱派によって巧妙に誘導されたもので無効であり、再度の国民投票がなされるべき、という意見が一貫してくすぶり続けていました。

だが改めての国民投票は、民主主義によって選択された国民の意志を、同じ国民が民主主義によって否定することを意味します。それは矛盾であり大いなる誤謬です。再度の国民投票は従って、まさに民主主義の鉄則によって否定されなければなりません。

そこで「議会で解決の道が探られるべき」という至極当たり前の考え方から論戦が展開されました。審議が続き採決がなされ、それが否定され、さらなる主張と論駁と激論が交わされました。結果、事態はいよいよ紛糾し混乱してドロ沼化している、というのが今の英国の状況です。

そうこうしているうちに時限が来て、EUは英国メイ首相の離脱延期要請を受け入れました。それでも、いやそれだからこそ、英国議会は今後も喧々諤々の論戦を続けるでしょう。それはそれで構わない。構わないどころか民主主義体制ではそうあるべきです。

だが民主主義に則った議会での議論が尽くされた感もある今、ふたたび民主主義の名において、何かの打開策が考案されて然るべき、というふうにも筆者には見えます。その最大最良の案が再度の国民投票ではないか、とも思うのです。

なぜ否定されている「再国民投票案」なのかといいますと、2016年の国民投票は既に“死に体”になっている、とも考えられるからです。民意は移ろい世論は変遷します。その変化は国民が学習することによって起きる紆余曲折であり、且つ進歩です。

つまり再度の国民投票は「2度目」の国民投票ではなく、新しい知識と意見を得た国民による「新たな」国民投票なのです。初の審判から経過3年、という月日が十分に長いかどうかは別にして、2016年の国民投票以降の英国の激動は、民主主義大国の成熟した民意が、民主主義の改善と進展を学ぶのに十二分以上の影響を及ぼした、と考えることもできます。

いうまでもなく英国議会は、メイ首相を信任あるいは排除する動きを含めてBrexitの行方を自在に操る権限を持っています。同時にこれまでのいきさつから見て、同議会はさらなる混乱と停滞と無力を露呈する可能性もまた高い。ならば新たな国民投票の是非も議論されなければならないのではないか、と考えます。

そうなった暁には、投票率にも十分に目が向けられなければなりません。そこでは前回の72,1%を上回る投票率があるほうが望ましい。2016年の国民投票後の分析では、EU残留派の若者が投票しなかったことが、離脱派勝利の大きな一因とされました。

もしもその分析が正しいならば、投票率の増加は若者層の意思表示が増えたことを意味し、同時にその結果がもたらす意味を熟知する離脱派の「熟年国民」の投票率もまた伸びて、2016年次よりもなお一層多くの国民が意思決定をした、と見なすことができるでしょう。

要するにBrexitをめぐる英国の混乱と殷賑は、既述したように民主主義の限界と悪と欺瞞と、同時にその良さと善と可能性を提示する大いなる実験なのです。それは民主主義の改革と前進に資する坩堝(るつぼ)なのであって、決してネガティブなだけの動乱ではありません。

動乱を「EU内の紛糾」と視野を広げ俯瞰して見た場合、大きな変革の波は、先ず英国と欧州の成熟した民主主義の上に、Brexit国民投票を実施した当人のデイヴィッド・キャメロン前首相という負け馬がいて、それにイタリアの負け馬マッテオ・レンツィ前首相が続き、テリーザ・メイ英国首相というあらたな負け馬が総仕上げを行っている、という構図です。

民主主義の捨て石となっている彼ら「負け馬」たちに、筆者はカンパイ!とエールを送りたい気持ちです。なぜなら3人は、民主主義の捨て石であると同時に、疑いなくそれのマイルストーンともなる重要な役割を果たしていて、民主主義そのものに大きく貢献している、と考えるからです。






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「子ヤギ食らい」という自罪

4月21日はイタリアのパスクアでした。イギリスではイースター。日本語で言えば復活祭。イエス・キリストの死からの復活を寿ぐキリスト教最大のイベント。ハイライトは祭り当日に供される子ヤギまたは子羊料理です。

不信心者の筆者にとっては、パスクアは神様の日というよりも、ほぼ一年に一度だけ食べる子ヤギ料理の日。イタリアでは子羊料理は一年中食べられますが、子ヤギのそれはきわめて難しいのです。

ことしは初めてレストランで復活祭の子ヤギ料理を食べました。去年までは家族一同が自宅で、または親戚や友人宅に招かれて食べるのが習いでした。

実はことしも親戚に招かれていましたが、子ヤギも子羊も供されない普通の肉料理の食事会、と知って遠慮しました。年に一度くらいは特別料理を食べたいのです。

復活祭前夜の一昨日、友人からも子ヤギ料理への誘いがありました。しかし、すでにレストランを予約してしまっているという不都合もありましたので、そちらもやはり遠慮しました。

結論をいえば、レストランでの食事は大いに満足できるものでした。12時半に始まって4時間にも渡ってつづいた盛りだくさんの料理のメインコースは、もちろん子ヤギのオーブン焼きです。

それは「成獣肉料理」を含むこれまでに食べたヤギおよび羊肉料理の中でも第一級の味でした。来年も同じ店で食べてもいいとさえ思っています。

イタリアのレストランでは子羊料理は一年中提供されます。その一方で、子ヤギ料理は復活祭が過ぎるとほぼ完全に姿を消します。

ヤギは山羊、つまり「山の羊」と呼ばれるくらいですから、飼育や繁殖がむつかしくて数が少ない、ということがその理由かもしれません。

復活祭になぜ子羊や子ヤギ料理を食べるのかと言いますと、由来はキリスト教の前身ともいえるユダヤ教にあります。古代、ユダヤ教では神に捧げる生贄として子羊が差し出されました。

子羊は犠牲と同義語です。イエス・キリストは人間の罪を贖(あがな)って磔(はりつけ)にされました。つまり犠牲になったのです。

そこで犠牲になったもの同士の子羊とイエス・キリストが結びつけられて、イエス・キリストは贖罪のために神に捧げられる子ヒツジ、すなわち「神の子羊」とみなされるようになりました。そこから復活祭に子羊を食べてイエス・キリストに感謝をする習慣ができたのです。

復活祭に子羊を食べるのは、そのようにユダヤ教の影響であると同時に、「人類のために犠牲になった子羊」であるイエス・キリストを食する、という意味があります。

救世主イエスを食べる、という感覚はとても理解できないという日本人も多くいます。だがよく考えてみれば、実はそれはわれわれ日本人が神仏に捧げたご馳走や酒を後でいただく、という行為と同じことだと気づきます。

神棚や仏壇に供された飲食物は、先ず神様や仏様が食べてお腹の中に入ったものです。その後でわれわれ人間は供物を押し頂いて食べます。それはつまり神仏を食するということでもあります。

われわれは供物とともに神様や仏様を食べて、神仏と一体化して煩悩にまみれた自身の存在を浄化しようと願うのです。キリスト教でも恐らくそれは同じです。そんなありがたい食べ物が子羊料理なのです。

子羊はそれによく似た子ヤギにも広がり、現代のイタリアでは復活祭当日とその前後の時期には、子羊料理よりも期間限定のイメージが強い子ヤギ料理のほうが多く食べられるようです。

筆者は冒頭でことわったように不信心者なので、神や霊魂や仏や神々と交信するありがたさは理解できません。ただ、おいしいものを食べる幸せを何ものかに感謝したい、とは常々思っています。

イタリアでは復活祭の期間中に、通常400万頭内外の子羊や子ヤギが食肉処理されてきたとされます。それ以外の期間にも80万頭が消費されてきました。

しかし、その数字は年々減ってきて、ここ数年は200万頭前後に減少したという統計もあります。不景気のあおりで人々の財布のヒモが堅いのが理由です。子ヤギや子羊の肉は、豚肉や牛肉などのありふれた食材に比べて値段が張るのです。

一方で消費の落ち込みは主に、動物愛護家や菜食主義者たちの反対運動が功を奏しているという見方もあります。最近はいたいけな子ヤギや子羊を食肉処理して食らうことへの批判も少なくありません。

2017年にはあのベルルスコーニ元首相が「復活祭に子羊を食べるのはやめよう」というキャンペーンを張って、食肉業者らの怒りを買いました。

ベジタリアンに転向したという元首相は、彼の内閣で観光大臣を務めたブランビッラ女史と組んで、動物愛護を呼びかけるようになったのです。アニマリストから拍手喝采が起こる一方で、ビジネス界からは反発が出ました。

筆者は正直に言ってその胡散臭さに苦笑します。突然ベジタリアンになったり動物愛護家に変身する元首相も驚きですが、子羊だけに狙いを定めた喧伝が不思議なのです。食肉処理される他の家畜はどうでもいいのでしょうか。

動物の食肉処理の現場は凄惨なものす。筆者は以前、英国で豚の食肉処理場のドキュメンタリー制作に関わった経験があります。屠殺される全ての動物は、次に記す豚たちと同じ運命にさらされます。

食肉処理される豚は、1頭1頭がまず電気で気絶させられ、失神している20秒~40秒の間に逆さまに吊り上げられて喉を掻き切られます。続いて血液を抜かれ、皮を剥がれ、解体されて、またたく間に「食肉」になっていきます。

その工程は全て流れ作業です。血の雨が降るすさまじい光景ですが、工程が余りにも単純化され操作がスムースに運ばれるので、ほとんど現実感がありません。肉屋やスーパーに並べられている食肉は全てそうやって生産されたものです。

菜食主義者や動物愛護家の皆さんが、動物を殺すな、肉を食べるな、と声を上げるのは尊いことだと思います。それにはわれわれ自身の残虐性をあらためて気づかせてくれる効果があります。

だが、人間が生きるとは「殺すこと」にほかなりません。なぜなら人は人間以外の多くの生物を殺して食べ、そのおかげで生きています。肉や魚を食べない菜食主義者でさえ、植物という生物を殺して食べて生命を保っています。

人間が他の生き物の命を糧に、自らの命をつなぐ生き方は誰にもどうしようもないことです。それが人間の定めです。他の生命を殺して食べるのは、人間の業であり、業こそが人間存在の真実です。

大切なことはその真実を真っ向から見据えることです。子羊や子ヤギを始めとする小動物を慈しむ心と、それを食肉処理して食らう性癖の間には何らの矛盾もありません。

それを食らうも人間の正直であり、食わないと決意するのもまた人間の正直です。筆者はイタリアにいる限りは、復活祭に提供される子ヤギあるいは子羊料理を食べる、と決めています。

 

 

 

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男はだまって大いにしゃべる

筆者は故国日本の次にはヨーロッパが好きで、さらにアメリカも好きで、大学卒業後すぐに日本を出てからは英国、米国、そしてここイタリアに移り住み、その他の多くの国々を訪ね、勉強し、もちろん仕事もたくさんこなして来ました。

住んだ欧米の国々はすべて好きな場所なのでいつも楽しく過ごしてきたのですが、一つだけとても辛いものがあります。それが社交です。社交とは何か。それは「おしゃべり」のことです。つまり他者との会話の実践場が社交であり社交場です。

社交こそ、特に西洋で生きる時の一番疲れる気の重い時間です。しかもそれは欧米社会では、社会生活の根幹を成す最も重要なものの一つと見なされます。社交、つまり「おしゃべり」ができなくては仕事も暮らしもままならないのです。

昔、日本には、三船敏郎が演じる「男は黙ってサッポロビール」というコマーシャルがありました。あのキャッチフレーズは、沈黙を美徳とする日本文化の中においてのみ意味を持ちます。あれから時間が経ち、世界と多く接触もして、日本社会も変わりましたが、沈黙を良しとする風潮は変わっていません。

一方欧米では、男はしゃべることが大切です。特に紳士たる者は、パーティーや食事会などのあらゆる社交の場で、 自己主張や表現のために、そして社交仲間、特に女性を楽しませるために、一生懸命にしゃべらなければなりません。「男はだまって、しゃべりまくる」のが美徳なのです。

例えばここイタリアには人を判断するのに「シンパーティコ⇔アンティパーティコ」という基準がありますが、これは直訳すると「面白い人⇔面白くない人」という意味です。そして面白いと面白くないの分かれ目は、要するにおしゃべりかそうでないかということです。

ことほど左様にイタリアではしゃべりが重要視されます。イタリアに限らず、西洋社会の人間関係の基本には「おしゃべり」つまり会話がドンと居座っています。社交の場はもちろん、日常生活でも人々はぺちゃくちゃとしゃべりまくる。社交とは「おしゃべり」の別名であり、日常とは「会話」の異名にほかなりません。

言葉を換えれば、それはつまりコミュニケーションの重大、ということです。コミュニケーションのできない者は意見を持たない者のことであり、意見を持たないのは、要するに思考しないからだ、と見なされます。つまり西洋では、沈黙は「バカ」と同じ意味合いを帯びて見られ、語られることが多い怖いコンセプトなのです。

西洋人のコミュニケーション能力は、子供の頃から徹底して培われます。家庭では、例えば食事の際、子供たちはおしゃべりを奨励されます。楽しく会話を交わしながら食べることを教えられるのです。日本の食卓で良く見られるように、子供に向かって「黙って食べなさい」とは親は決して言いません。せいぜい「まず食べ物を飲みこんで、それからお話しなさい」と言われるくらいです。

学校に行けば、子供たちはディベート(討論)中心の授業で対話力を鍛えられ、口頭試問の洗礼を受け続けます。そうやって彼らはコミュニケーション力を育てられ、弁論に長けるようになり、自己主張の方法を磨き上げていきます。社交の場の「おしゃべり」の背景にはそんな歴史があります。それが西洋社会なのです。

沈黙を美徳と考える東洋の国で育った筆者は、会話力を教えられた覚えはありません。おしゃべりな男はむしろ軽蔑されるのが、いかに西洋化されたとはいえ日本の歴とした現実です。男は黙ってサッポロビールを飲んでいるべき存在なのです。自己表現やコミュニケーションを重視する西洋文化とは対極にあります。

日本の風習とは逆のコンセプト、つまり「‘おしゃべり’がコミュニケーション手段として最重要視される」西洋社会に生きる者として、筆者は仕事や日常生活を含むあらゆる対人関係の場面で、懸命に会話術の習得を心がけようと努力してきたつもりです。

おかげで日本人としては、パーティーや食事会などでも人見知りをせず、割合リラックスしてしゃべることができる部類の男になったのではないか、と思っています。ところがそれは、西洋人の男に比べると、お話にもならない程度のしゃべりに過ぎないのです。

子供時代から会話力を叩き込まれてきた彼らに対抗するには、筆者は酒の力でも借りないと歯が立たない。ワインの2、3杯も飲んで、さらに盃を重ねた場合のみ、筆者はようやく男たちのおしゃべりの末席を汚すか汚さないか、くらいの饒舌を獲得するだけなのです。

その後は知りません。彼らのしゃべりに圧倒されて、負けないゾと頑張って、頑張るために杯を重ねます。重ねるうちに絶対にやってはいけないことをやります。つまり「酔いに呑まれて」しまって、やがて人々のヒンシュクを買う羽目に陥ったりもするのです。



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独立自尊こそ島の心意気

サルデーニャ州旗

イタリア・サルデーニャ島にのしかかかった政治的「植民地主義」は近世以降、重く厳しい現実を島民にもたらし続けました。

2017年7月、サルデーニャ独立運動家のサルヴァトーレ・メローニ氏(74歳)は、収監中の刑務所で2ヶ月間のハンガーストライキを実行し、最後は病院に運ばれましたがそこで死亡しました。

元長距離トラック運転手だったメローニ氏は2008年、サルデーニャの小さな離島マル・ディ・ヴェントゥレ(Mal di Ventre)島に上陸占拠して独立を宣言。マルエントゥ共和国と称し自らを大統領に指名しました。それは彼がサルデーニャ島(州)全体の独立を目指して起こした行動でした。

だが2012年、メローニ氏は彼に賛同して島に移り住んだ5人と共に、脱税と環境破壊の罪で起訴されます。またそれ以前の1980年、彼はリビアの独裁者ガダフィと組んで「違法にサルデーニャ独立を画策した」として、9年間の禁固刑も受けていました。

過激、且つ多くの人々にとっては笑止千万、とさえ見えたメローニ氏の活動は実は、サルデーニャ島の置かれた特殊な状況に根ざしたもので、大半のサルデーニャ島民の心情を代弁する、と断言しても良いものでした。

サルデーニャ島は古代から中世にかけてアラブ人などの非西洋人勢力に多く統治された後、近世にはスペインのアラゴン王国に支配されました。そして1720年、シチリア島と交換される形で、イタリア本土のピエモンテを本拠とするサヴォイア公国に譲り渡されました。

サルデーニャを獲得したサヴォイア公国は、以後自らの領土を「サルデーニャ王国」と称しました。国名こそサルデーニャ王国になりましたが、王国の一部であるサルデーニャ島民は、サヴォイア家を始めとする権力中枢からは2等国民と見なされました。

王国の領土の中心も現在のフランス南部とイタリア・ピエモンテという大陸の一部であり、首都もサヴォイア公国時代と変わらずピエモンテのトリノに置かれました。サルデーニャ王国の「サルデーニャ」とは、サヴォイア家がいわば戦利品を自慢する程度の意味合いで付けた名称に過ぎなかったのです。

1861年、大陸の領地とサルデニャ島を合わせて全体を「サルデーニャ王国」と称した前述のサヴォイァ家がイタリアを統一したため、サルデーニャ島は統一イタリア王国の一部となり、第2次大戦後の1948年には他の4州と共に「サルデーニャ特別自治州」となりました。

統一イタリアの一部にはなったものの、サルデーニャ島は「依然として」サヴォイア家とその周辺やイタリア本土のエリート階級にとっては、異民族にも見える特殊なメンタリティーを持つ人々が住む、低人口の「どうでもよい」島であり続けました。

その証拠にイタリア統一運動の貢献者の一人であるジュゼッペ・マッツィーニ(Giuseppe Mazzini)は、フランスがイタリア(半島)の統一を支持してくれるなら「喜んでサルデーニャをフランスに譲り渡す」とさえ公言し、その後のローマの中央政府もオーストリアなどに島を売り飛ばすことをしきりに且つ真剣に考えました。

「イタリアという車」にとっては“5つ目の車輪”でしかなかったサルデーニャ島は、そうやってまたもや無視され、差別され、抑圧されました。島にとってさらに悪いことには、第2次大戦後イタリア本土に民主主義がもたらされても、島はその恩恵に浴することなく植民地同様の扱いを受け続けました。

政治のみならず経済でもサルデーニャ島は差別されました。イタリア共和国が奇跡の経済成長を成し遂げた60~70年代になっても、中央政府に軽視され或いは無視され、近代化の流れから取り残されて国内の最貧地域であり続けたのです。

そうした現実は、外部からの力に繰り返し翻弄されてきたサルデーニャ島民の心中に潜む不満の火に油を注ぎ、彼らが独立論者の主張に同調する気運を高めました。そうやって島には一時期、独立志向の心情が充満するようになりました。

第2次大戦後のサルデーニャの独立運動は、主に「サルデーニャ行動党 (Partito Sardo d’Azione)」と「サルデーニャ統一民主党 (Unione Democratica Sarda).」が中心になって進められ、1984年の選挙では独立系の政党が躍進しました。

だがその時代をピークに、サルデーニャ島の政党による独立運動は下火になります。その間隙をぬって台頭したのが‘一匹狼’的な独立運動家たちです。その最たる者が冒頭に言及したサルヴァトーレ・メローニ氏だったのです。

サルデーニャ島民は彼ら独自のアイデンティティー観とは別に、ローマの中央政府に対して多くの不満を抱き続けています。その一つが例えば、イタリア駐在NATO軍全体の60%にも当たる部隊がサルデーニャ島に置かれている現実です。また洪水のようにサルデーニャ島に進出する本土企業の存在や島の意思を無視したリゾート開発競争等も多くの島民をいらだたせます。

しかしながら現在のサルデーニャ島には、深刻な独立運動は起こっていません。不当な扱いを受けながらも、イタリア本土由来の経済発展が島にも徐々にもたらされている現実があるからです。2015年には「イタリアから独立してスイスの一部になろう」と主張する人々の動きが、そのユニークな発想ゆえにあたかもジョークを楽しむように世界中の人々の注目を集めたぐらいです。

イタリアには独立を主張する州や地域が数多くあります。サルデーニャとシチリアの島嶼州を始めとする5つの特別州は言うまでもなく、約160年前のイタリア統一まで都市国家や公国やローマ教皇国等として分離独立していた半島各地は、それぞれが強い独立志向を内に秘めています。

2014年3月にはヴェネト州で住民による独立の是非を問うインターネット投票が実施され、200万人が参加。その89%が独立賛成票でした。それは英国スコットランドの独立運動やスペイン・カタルーニャ州問題などに触発された動きでしたが、似たような出来事はイタリアでは割とよく起こります。

イタリアは国家の中に地方があるのではなく、心理的にはそれぞれが独立している地方が寄り集まって統一国家を形成しているいわば連邦国家です。サルデーニャ島(州)の独立志向もそのうちの一つという考え方もできるかもしれません。

ところが人口約160万人に過ぎないサルデーニャ島には、イタリアからの分離独立を求める政党が10以上も存在し、そのどれもがサルデーニャ島の文化や言葉また由緒などの全てがイタリア本土とは異なる、と訴えています。

例えそれではなくとも、有史以来サルデーニャ島が辿ってきた特殊な時間の流れを見れば、同地の独立志向の胸懐は、イタリア共和国の他の地方とはやはり一味も二味も違う、と言わなければならないように思います。



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