日本政府の新型コロナウイルス対策、特に緊急事態宣言とその直後の対応に関連して、安倍首相信奉者の読者の方からまたメッセージがありました。
「安倍首相も彼のブレーンもよくやっている。Covid-19への理解も疫学的な知見も素人の自分には全て目からウロコ体験だ。筆者はそこがよく分かっていないようだ」という趣旨の便りです。
いうまでもなくこのブログの直近記事“緊急事態宣言はノーテンキな茹でガエル論だ”を読んでのコメントです。
筆者は今回は彼に宛てて次のような趣旨の長い返事を書きました。それは公開にする意味があると思いますので、敢えてここに転載します。
《 NYさま
緊急事態宣言の中身は、罰則を含む法律や条例による縛りがないという点以外は、全てイタリアのロックダウンひいては欧州各国のロックダウンの模倣です。
そのことを説明する前に、日本が行っている感染拡大阻止法について言及します。日本は感染爆発(オーバーシュート)を回避するために懸命にクラスター(小規模集団感染)潰しを行っています。それもまた欧州が必死でやっている(やってきた)ことの後追いです。感染爆発を抑えることで、イタリアやスペインで起きている医療崩壊を回避しようとしているわけです。
イタリアもスペインもむろんクラスター潰しに動きました。イタリアは2月21日から23日にかけて起きた突然の感染爆発によってそれが不可能になりました。一方フランスは当初は、せっせと0号患者(疫学調査上の最初の感染者)を見つけては、クラスターを確実に潰していきました。それはドイツ他の欧州の国々も同じ。
イタリアの不運は、そもそも最初のクラスターの0号患者さえ特定できなかったことです。0号患者はイタリアに溢れている中国人であった可能性がありますが、ここではそのことは論じません。クラスター発見の直後に感染爆発が起き、続いてスペイン、やがてフランスも同じ道をたどります。同様にドイツ、イギリス、やがてアメリカと、欧米の国々の「イタリア化」は急速に進みますが、ドイツほかの北米諸国は医療崩壊にまでは至っていません。
それは元々の医療体制の堅牢さにも原因がありますが、イタリアの状況をつぶさに観察し分析し、また当のイタリアとの情報共有も堅持しながら、懸命に感染爆発を「遅らせて」きたから達成できたことです。日本は欧州の対応を模倣してクラスター潰しを丹念に行い、2020年4月10日現在、なんとか持ちこたえています。だが、危険域に入ったため緊急事態宣言を出した、というのが今の状況です。
その緊急事態宣言のあり方をめぐって私は批判的に捉え、あなたはそうではない。そしてその旨また連絡をいただいたので、私はあなたの思い込みや誤解を解くためにこうして反論を書いています。それは公の議論にする価値があると私は判断しましたので、この文章は後ほどSNSにても発信することをお知らせしておきます。
ロックダウンは敢えて単純化して言えば、公衆衛生または疫学上の考え方である「全ての国民が人との接触を8割減らせば感染拡大を抑止できる」というセオリーに基づいて実行されます。8割の国民が家に籠もって、残りの2割の国民がライフラインの維持や医療の遂行、食料の生産、輸入、搬送、販売、などを担う、というふうに考えてもいいでしょう。
また公共交通機関、薬店、情報関連業務(販売店を含む新聞、テレビ・ラジオ・インターネットなど)、銀行等々もライフラインの一部とみなして営業を継続させます。そしてそれらの仕事に従事する者も、また8割の国民のうちの必要不可欠な理由(食料買い入れ、病気など)で移動をする者も、政府発行の移動許可書を常に携帯することが義務付けられます(イタリア、フランスなど)。
疫学あるいは公衆衛生では8割という数字には重要な意味があるようです。たとえば新型コロナウイルスがほしいままにはびこって感染が止め処もなく広がるとします。それは永久に続くことはなく、全人口の最大およそ8割が感染すると人々の体内に免疫ができる。つまり新型コロナウイルスでさえ危険な死病ではなくなる。
英国のボリス・ジョンソン首相はこの知見を元に、ウイルスの拡散を放っておいても構わない、という趣旨の発言をして国民の猛烈な怒りを買いました。それは政治的には許されない動きですが、科学的には意義のあることなのです。欧州にはそうした知見や知識や哲学があります。
欧米では中国の実態も精査して、独自の歴史と経験と知見に基づく規範を立てて、先ずイタリアがロックダウンとそれに関連する政策を果敢に進めました。むろん今この時も進めています。そして-繰り返しになりますが-イタリアのデータは独仏スペインに始まる他の国々に共有され、彼らは時間差でイタリアの状況が自国にも及ぶことを見越して準備を進めました。
Covid-19とのイタリアの戦いの成否が、他の国々の基本戦略にも影響しますから誰もが固唾を呑んで見守りました。同時に自国での感染爆発に備えて動いてもいました。しかしイタリアの格闘の成否が明確になる前に、感染爆発はスペイン、フランス、ドイツへと飛び火し周辺の小国スイス、オーストリア、ベルギー等々を巻き込んでいきました。
殺人ウイルスとの間の戦渦は、欧州大陸とドーバー海峡をはさんで孤立しているイギリスにも伝播しました。そして欧州と社会・文化・政治・経済の各分野が密接に交錯しているアメリカにも拡散し、むろんその他の多くの世界の国々も抱き込んでひたすら拡大しています。
そうした大きなうねりの中で、情報や政策やデータや知見が幅広く共有され分析され修正され実行されているのが、欧米対Covid-19の戦いです。欧米は古代ギリシャに始まり、ローマ帝国によって基礎ができて以来発達し続けた公衆衛生、特に疫病の知見を最大限に活かして殺人ウイルスと闘っています。
欧州の知見はむろん十分ではありません。疫病や感染症への理解は中世には抑圧され、ルネサンスの開明のおかげで再び躍進しますが、人々は14世紀と17世紀のペストや20世紀のスペイン風邪など、感染症の大流行の前にはほとんど無力でした。それでも知識と経験は蓄積されていったのです。
長い歴史に裏打ちされた知見を武器に、新型コロナウイルスと闘う欧州の戦略を、日本はいつものように遠くから監視し学習し知見として急速に取り込みました。それは政府の専門家会議や大学また現場の医療専門家らが、頻繁にテレビに出演して発言する中で明らかになっていきました。
その構図は、4月7日の緊急事態宣言の際の安倍首相と諮問委員会の尾身茂会長の記者会見で、さらに明確になりました。つまりそこで開陳された知見やデータや政策の骨子は、既に欧米、特に欧州で実行されたものばかりなのです。日本はそれをなぞっているに過ぎません。
だがここで、日本はまた欧米の猿真似をしておいしいところだけを盗んでいる、という古くて新しく且つ心の狭い議論は止しましょう。日本がかつて欧米の進んだ科学や文明や哲学やあまつさえ文化の恩恵さえ受け、これを模倣してはオリジナリティーの欠如を非難され続けたのは歴史的事実です。が、日本は今では多くの分野で世界の最先端に立って、世界を引っ張っているのもまた事実です。
欧米各国は多くが陸続きで、社会は人種の坩堝(るつぼ)とも言える構成になっています。そこでは人の往来や混血や混交が激しいために疫病が多く、それに対応する研究や治療や予防その他の対策も前述の如く発達しました。
島国で人の往来や混交の少ない日本は、感染症や疫学的知見では欧米に遠く及ばない。従ってそこで欧米と情報を共有するのは良いことです。日本はそうすることで将来は必ず独自の施策や対策法を見出し、それは翻って欧米また世界の国々の益にもなることが確実だと考えるからです。
そのように欧米と日本は新型コロナウイルスとの戦いでは同じ土俵上にいます。むろん今日現在の日本の感染状況は欧米に比べてまだ緩やかです。だが遅かれ早かれ欧米の水準に達すると考えられていますし、そうならない場合でも欧米の経験と知見を活用してのCovid19対策が功を奏したことは間違いありません。要するに日本のCovid19対策の内容は何もかもがデジャヴ(既視)の出来事なのです。
唯一の違いは、新型コロナウイルス対策として打ち出された安倍首相の緊急事態宣言が、私が何度も指摘しあなたがそれに反論している「刑罰を伴うロックダウンではなく、国民の“自粛”に頼る日本独特の不思議な方策」だという点です。私の目にはそれは、中途半端な内容のいわば似非ロックダウンというふうに見えます。
むろん日本には日本のやり方があって良い。法律や条令で強制するのではなく、日本社会の「同調圧力」に頼るやり方が、本当に感染抑止に資するのならば-その悪弊を容認する姿勢は醜悪であるとしても-それはそれで構わない。背に腹は変えられない、という思いです。
それでもやはり、できるならば政府が一切の責任を負う、罰則さえも伴うほどの厳格なロックダウンを実行して、できるだけ速やかにウイルス感染の抑止に動くべき、と思います。特に緊急事態宣言の後、同調圧力を利用するという責任逃れに加えて、多くの決定また決断を7つの都府県の知事に丸投げしたようにも見える、新たな無責任体質も問題だと思います。
もしもそれが例えばここイタリアで起こったならば、地方の首長は権限の委譲を大喜びで受け止めて、早速独自の施策を実行しては我が道を行くところです。だが日本文化の一大特徴である「大勢順応・迎合メンタリティー」は、むろん各都府県の知事らの中にもあって、こちらはこちらで政府の指示がほしいと哀訴するばかり。私の目には中央政府も地方自治体も、どっちもどっちの優柔不断体質と映ります。
そういう状況に鑑みれば、やはり安倍首相と権力機構がきちんと責任を取って、明確に国民に指針を示すロックダウンを果敢に行うべき、と思うのです。それはここ欧州で明らかなように経済を破壊し、国民に窮乏を押し付け、社会のあらゆる明朗を消し去る極めて憂鬱な施策です。だがそれをすれば、失われた社会の活気は近い将来必ず戻ってきます。逆にそれをしなければ、多くの国民の命が失われ社会は半永久的に暗闇の中に留まる可能性も高い、と腹から憂慮します。
以上 》
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