報道とオピニオンの狭間

イタリアはロックダウンの段階的解除2週目に入りました。解除第一週目の後半には、いわば「自宅軟禁」からの解放感に我を忘れた人々が、大挙して街にくり出して感染拡大への懸念がふいに高まりました。

特に感染爆心地・ロンバルディア州の州都、ミラノにあるナヴィリオ地区の人出が大きく取り上げられました。ナヴィリオはミラノ屈指のおしゃれな街。その日はマスク無しで且つ対人距離も無視した多くの若者が集まって顰蹙を買いました。

さらに悪いことに、その動きはミラノだけではなく、感染者の少ない南部イタリアの主要都市でも起こっていたことだと判明。早くも感染拡大が再開するのではないか、とイタリア中が大きな不安に揺れました。

ところで、緩和に向かっているイタリア全土のロックダウンの開始日については、3月9日、3月 10日、3月11日、3月12日、などの説があります。それ以前の地域限定の隔離・封鎖処置などの影響もあって、時系列の情報が混乱して伝えられがちです。

また政府発表が事前にリークされたり、政策発表の日と施行日が混同していたり、さらに法令の内容が迅速に変わったりするのも混乱の原因です。

ロンバルディア州を中心とする北部5州に適用されていたロックダウンが、全土に拡大されたのは3月10日からですが、措置の発表は3月9日です。

そして3月11日にはその強化策が明らかにされて、翌3月12日から施行されます。この日からレストランなどの飲食店も営業が全面禁止になりました。それまでは時間を短縮しての営業が認められていました。

イタリア全土の過酷なロックダウンは「3月12日をもって完成した」というのが筆者の考え方です。従って筆者は「イタリアのロックダウンは3月12日に始まった」と書き続けてきました。だが正確には、3月10日に始まった、と言うべきでしょう。

そこで筆者は、イタリアのロックダウンの一部解除をテーマにした記事「イタリアは石橋をたたき、またたたいては渡ると決めた」から、ロックダウン開始日の表記を「3月10日」と改めました。

時事ネタの場合は、「報道ではなくいわば“報道にまつわる私見や考察”を書く」というのが筆者のスタンスです。従ってロックダウンの正確な日にちは筆者にとってはそれほど重要ではありません。そのことを「どう思うか」がポイントなのです。

だが同時に、ブログを情報源として読んでくださる読者がいることも筆者は知っています。従っていい加減なことは書けません。そこでイタリアのロックダウン開始日の“ぶれ”の理由についても書いておこうと考えました。

ブログ記事の場合は、新聞・雑誌・本などの紙媒体とは違って、編集者や校正者がいません。全て書き手がひとりで担います。そのために誤字脱字はもとより、間違いや思い違いや思い込みその他の誤謬が多い。

自らの記事を読み返すたびに、信じられないようなミスを発見します。読み返すたびに添削をしている、といっても過言ではありません。ロックダウンの開始日の不明瞭も、筆者にとってはある意味で誤謬の一つです。

そこでここにお断りの一筆を入れておくことにしました。


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