殺人鬼も保護する進歩社会はつらくないこともない

ノルウェー連続テロ事件からちょうど10年が経ちました。

事件では極右思想にからめとられたアンネシュ・ブレイビクが、首都オスロの市庁舎を爆破し近くのオトヤ島で10代の若者らに向けて銃を乱射しました。

爆破事件では8人、銃乱射事件では69人が惨殺されました。

殺人鬼のブレイビクは、禁固21年の刑を受けました。

そして11年後には早くも自由の身になります。

事件が起きた2011年7月以降しばらくは、ブレイビクが死刑にならず、あまつさえ「たった」21年の禁固刑になったことへの不満がくすぶりました。

だがその不満は実は、ほぼ日本人だけが感じているもので、当のノルウェーはもちろん欧州でもそれほど問題にはなりませんでした。

なぜなら、欧州ではいかなる残虐な犯罪者も死刑にはならず、また21年という「軽い」刑罰はノルウェーの内政ですから他者は口を挟みませんでした。

人々はむろん事件のむごたらしさに衝撃を受け、その重大さに困惑し怒りを覚えました。

だが、死刑制度のない社会では犯人を死刑にしろという感情は湧かず、そういう主張もありませんでした。

ノルウェー国民の関心の多くは、この恐ろしい殺人鬼を刑罰を通していかに更生させるか、という点にありました。

ノルウェーでは刑罰は最高刑でも禁固21年です。従ってその最高刑の21年が出たときに彼らが考えたのは、ブレイビクを更生させる、というひと言に集中しました。

被害者の母親のひとりは「1人の人間がこれだけ憎しみを見せることができたのです。ならば1人の人間がそれと同じ量の愛を見せることもできるはずです」と答えました。

また当時のストルテンベルグ首相は、ブレイビクが移民への憎しみから犯行に及んだことを念頭に「犯人は爆弾と銃弾でノルウェーを変えようとした。だが、国民は多様性を重んじる価値観を守った。私たちは勝ち、犯罪者は失敗した」と述べました。

EUは死刑廃止を連合への加盟の条件にしています。ノルウェーはEUの加盟国ではありません。しかし死刑制度を否定し寛容な価値観を守ろうとする姿勢はEUもノルウェーも同じです。

死刑制度を否定するのは、論理的にも倫理的にも正しい世界の風潮です。筆者は少しのわだかまりを感じつつもその流れを肯定します。

だが、そうではあるものの、そして殺人鬼の命も大切と捉えこれを更生させようとするノルウェーの人々のノーブルな精神に打たれはするものの、ほとんどが若者だった77人もの人々を惨殺した犯人が、あと11年で釈放されることにはやはり割り切れないものを感じます。

死刑がふさわしいのではないか、という野蛮な荒ぶった感情はぐっと抑えましょう。死刑の否定が必ず正義なのですから。

しかし、犯行後も危険思想を捨てたとは見えないアンネシュ・ブレイビクの場合には、せめて終身刑で対応するべきではないか、とは主張しておきたい。

その終身刑も釈放のない絶対終身刑あるいは重無期刑と言いたいところですが、再びノルウェー国民の気高い心情を考慮して、更生を期待しての無期刑というのが妥当なところでしょうか。

facebook:masanorinakasone

official siteなかそね則のイタリア通信

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください