日本の感染爆発とワクチン無策の相関図

ワクチン無策の危険

日本の今の急激なコロナ感染拡大は、経済活動を含む国民の全ての動きを封鎖する厳格なロックダウンを断行してこなかったことの当然の帰結です。

経済も維持しながら感染拡大も抑える、という理想像を追いかけて日本はここまで来ました。

その延長で経済を回すどころか、必ず感染拡大につながると見られていたオリンピックさえ開催しました。

そして予想通り感染急拡大がやってきました。

しかし日本の真の課題は感染拡大ではありません。

ワクチン政策の失敗、あるいはもっと直截に言えば、ワクチン無策が最大の問題です。まともなワクチン政策があったならば日本の今の感染爆発などどうということもなかったのです。

なぜならワクチン接種が進展していれば、感染拡大が起きても重症化や死亡が防げます。それは医療崩壊危機も遠ざけるということと同義語です。

ここイタリアを含む現在の欧州やアメリカ、またイスラエルなどがそういう状況下にあります。

展望なき2人のボスの罪

ウイルス感染を予防するワクチンだけがコロナパンデミックから人類を救うというコンセプトは、コロナ禍が深刻になった時点で世界中の科学者や有能な政治家などに共有されていました。

だがそのことを理解した有能な政治家の中には、残念ながら日本の安倍前首相と菅首相は含まれていなかったようです。

彼らはワクチン争奪戦が熾烈になることを予測するどころか、ワクチンそのものが人類を救うという厳然たる事実にさえ気づかないように、目の前の感染拡大と経済、つまり金との融和だけに気を取られていました。

もっと言えばオリンピックという巨大イベントの開催を執拗に推し進めながら、ワクチンが五輪開催にとって命綱とさえ言えるほどに重要であることに気づかず、いたずらに時間を費やしました。

その意味では安倍前首相の罪は菅首相にも増して深い。なぜなら安倍前首相こそ五輪開催を熱心に唱えた張本人だからです。

前首相の右腕だった菅首相は、ボスの足跡を忠実になぞっただけです。だからと言って、現在は日本最強の権力者の地位にいる菅首相の罪が軽減されるわけではありませんけれど。

いつか来た道

今の日本の感染拡大のありさまは、イタリアの昨年の10月末~11月ころに似ています。

とはいうものの似ているのは一日当たりの感染者の増減で、重症者や死者の数は圧倒的に当時のイタリアのほうが多かったのですが。

第2波に見舞われていた当時のイタリアには、今とは違って、ワクチン接種が進行している事実から来る希望も余裕もありませんでした。

イタリアは世界に先駆けてロックダウンを敢行した第1波時とは逆に、同国に先んじてロックダウンを導入したドイツ、フランス、イギリス等を追いかけて、部分的なロックダウンを断行しながら第2波の危機を乗り切りました。

そして2020年12月27日、世界の情勢が読めない日本がまだぼんやりとしている間に、ワクチン接種を開始してコロナとの戦いの新たなフェーズに突入しました。

ワクチン争奪戦

ワクチンの入手は当初は困難であることが明らかになりました。イギリスのアストラゼネカ社のワクチン生産が間に合わず、EUはワクチン不足に陥りました。

EUは一括してワクチンを購入し加盟各国に分配する方式を取りました。そのためEU加盟国であるイタリアもワクチン不足で接種事業が停滞しました。

ところがBrexitでEUを離脱したばかりのイギリスは、EUをはるかに凌ぐ勢いでアストラゼネカ社製を含む各種のワクチンを入手して、急速に国民への接種を進めました。

EUは疑心暗鬼になりました。イギリスの製薬会社であるアストラゼネカが、秘密裡に母国への供給を優先させているのではないか、と考えたのです。

EU加盟国はこぞってアストラゼネカを責め、同社の製品をボイコットするなどの対抗措置に出ました。イギリス政府への不満も募らせました。

しかしアストラゼネカ社の不正がうやむやになる中、幸いにもファイザー社のワクチンを始めとする各社の製品の供給が進んで、EUのワクチン接種戦略は2月末~3月にかけて大きく進展しました。

イタリアの安心

EUへのワクチン供給がスムーズになるに連れて、イタリアのワクチン接種環境も大きく改善しました。

2021年8月23日現在、イタリア国民の61,2%が2回の接種を済ませています。

それによって人々の日常は―マスクを付けたまま対人距離を保つ習慣はまだ捨てられないものの―コロナ禍以前と同じ生活に戻りつつあります。

それはEUに加盟する国々にほぼ共通した状況です。

イタリアの過ぎた地獄と日本のノーテンキ

イタリアは2020年3月、コロナの感染爆発に見舞われ医療崩壊に陥りました。そのため世界に先駆けて全土ロックダウンを敢行しました。

それは功を奏してイタリアは地獄から生還しました。

イタリアの先例は後に感染爆発に見舞われたフランス、イギリス、スペイン、ドイツの欧州各国やアメリカなどの手本となり、ロックダウンは世界中で流行しました。

例によって世界の成り行きを固唾を飲みながら見守っていた日本政府は、感染爆発の気配が見えた時、責任逃れがし易く且つ強制力のない「緊急事態宣言」を発出して国民の移動を規制し危機を脱しようと企みました。

「緊急事態宣言」は、日本社会に隠然とはびこる同調圧力を利用しての、政権の安易なコロナ政策にほかなりません。

国民が自らの「自由意志」によって外出を控え、集合や密を回避し、行動を徹底自制して感染拡大を防ぐ、とは言葉を替えれば「感染拡大が止まなければそれは国民自身のせいだ」ということです。

日本社会の同調圧力は、時として「民度の高さ」と誤解されるような統一した国民意識や行動規範を醸成して、ポジティブに作用することも少なくありません。

だがそれは基本的には、肌合いの違う者や思想を排除しようとするムラの思想であり精神構造です。村八分になりたくないなら政府の方針を守れ、と恫喝する卑怯な政策が緊急事態宣言です。

それに対してロックダウンは、政府が敢えて国民の自由な行動を規制して感染拡大を食い止める代わりに、不自由を押し付けた代償として政府の責任において国民生活を保障し国民の健康を守る、という飽くまでも国民のための「不愉快な」強行政策なのです。

日本の幸運がもたらした不幸

安倍前政権と菅政権は、1度目はともかく2度目以降は必ず“宣言慣れ“や“宣言疲れ”が出て効果が無くなる緊急事態宣言を連発して、災いの元を断たない対症療法に終始しました。

その結果起きているのが、閉幕したオリンピックの負の効果も相乗して勢いを増している、今現在の感染爆発です。

だがそれは、日本のコロナ禍が世界の多くの国に比較して軽いという、「僥倖がもたらした行政の怠慢」という側面もあると思います。

つまり日本はこれまで、ロックダウン=国土の全面封鎖という極端な策を取らなければならなくなるほどの感染爆発には見舞われなかった

だからこそコロナパンデミックの巨大な危機に際して、緊急事態宣言という生ぬるい政策を思いつき、gotoキャンペーンのような驚きの逆行策がひねり出され、挙句にはオリンピックの開催という究極の反動策まで強行することができました。

そうした日本の幸運な、だがある意味では不幸でもある現実に照らし合わせてみれば、安倍前首相や菅総理を一方的に責め立てることはできないかもしれません。

万死に値する無定見

ところが現実には彼らは、日本の最高責任者として万死にも値するというほどの失策を犯しました。

それが冒頭から何度も述べているワクチン政策の巨大なミスです。いや、ワクチン対応の巨大な無策ぶりと言うべきかもしれません。

彼らは世界の多くの指導者たちが早くから見抜き、遠慮深謀し、そこへ向けてシビアに行動を開始していた「ワクチン獲得への道筋」を考えるどころか、それの重要性さえ十分には理解していなかった節があります。

だからこそ安倍前首相は、東京五輪を開催すると繰り返し主張しながら、長期展望に基づいたワクチン戦略を策定しなかった。いや、策定できなかった。

そんなありさまだったからこそ、日本はワクチン争奪戦に敗れたのです。

そのために欧米またイスラエルなどがワクチン政策を成功させて、パンデミックに勝利する可能性さえ見えてきた情勢になっても、日本国内にはワクチンが不足するという目も当てられないような失態を演じることになりました。

それだけでは飽き足らず、日本は人流と密と接触の増大が避けられない東京五輪まで強行開催しました。

その結果、冒頭でも例えた如く「予定通りに」感染爆発がやってきました。

祈り

コロナ地獄に陥ったイタリアで、身の危険を実感しながら日々を過ごした体験を持つ筆者の目には、実は今の日本の感染爆発はまだまだ安心というふうに見えます。

その一方で、ワクチン不足と接種環境の不備という2つの厳しい現実があることを思えば、それは逆に極めて不気味、且つ危険な様相を帯びて見えてくるのもまた事実です。

筆者は遠いイタリアで、母国のワクチン接種の進展と、さらなる僥倖の降臨を祈るばかりです。


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official site:なかそね則のイタリア通信

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