10月、季節はずれのぽかぽか陽気と晴天にはしゃいで近場のヴェローナにも出かけました。
一応の旅の目的を立てました。つまりアマローネ・リゾットを食べること。ヴェローナ近辺で生産される高級ワイン、アマローネを使ったリゾットです。
ヴェローナはイタリアのエッセンスが詰まった美しい古都の一つです。
だが晴天と暑気と週末が重なって、街には人出が多く花の都の景観をかなり損なっていました。少し前ならコロナの密が怖くて歩けなかったであろうほどに、街じゅうが混雑していました。
ローマ時代の円形闘技場・アレーナがあるブラ広場、街の中心のエルベ広場またシニョーリ広場とそれらを結ぶ大小の道を歩きました。
そこではときどき路上で立ち尽くさなければならないほどの人出があり、思わず雑踏事故の4文字を思い浮かべることさえありましたたりさえした。
イタリアではコロナがほぼ終息したと考えられていて、旅行また歓楽ブームが起きています。
コロナパンデミックに苦しめられ、ロックダウンで窒息した人々の怨念が解き放たれて、心身が雀躍しているのが分かります。
そこにOttobrata(10月夏)の好天が続いたので、人々の外出への欲求がいよいよ高まりました。
筆者は本職のビデオ取材以外でもヴェローナにはけっこう通いました。
義父が製造販売していたワイン展示の手伝いで、ヴィンイタリー(Vinitaly)会場に出入りしたのです。
ヴィンイタリー(Vinitaly)は毎年4月、ヴェローナ中心部に近い広大な会場で開催されます。
1967年に始まった世界最大のワイン展示会です。
義父は10年ほど前までワインを作っていました。自家のブドウ園の素材を使って生産しVinitaly にも参加していました。
時間が許す限り筆者はワインの展示を手伝うために会場に通いました。
だが手伝うとは名ばかりで、実は筆者はワインの試飲を楽しんだだけでした。展示会場を隈なく回って各種ワインの味見をするのです。そこではずいぶんとワインの勉強をしました。
義父のワイン事業はビジネスとしては厳しいものでした。
ワインは誰にでも作れます。問題は販売です。
貴族家で純粋培養されて育った義父の商才はほぼゼロでした。ワインビジネスはいわば彼の贅沢な道楽でした。
義父が亡くなったとき、筆者がワイン事業を継ぐ話もありました。だが遠慮しました。
筆者はワインを飲むのは好きですが、ワインを「造って売る」商売には興味はありません。その能力もありません。
それでなくても義父の事業は赤字続きでした。
ワイン造りはしなくて済みましたが、筆者は義父の事業の赤字清算のためにひどく苦労をさせられました。
vinitalyに顔を出していた頃は、会場から市内中心部まで足を運ぶこともありませんでした。それ以前にアレーナと周辺のロケをしたことがありますが、記憶があいまいなほどに時間が経ちました。
淡い記憶をたどりながらアレーナ周りを歩き、観察し、前述の広場や路地を訪ね巡りました。
歴史的にはほぼフェイクとされる「ロメオとジュリエット」のジュリエット像と屋敷も見に行きました。
そこの人ごみのすごさにシェイクスピアの物語の強烈な影響を思いましたが、ただそれだけのことで格別に印象に残るものはありませんでした。
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